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恋を知った薔薇


「わかりました」

「……っ!」

「銃を下ろしなさい。ヘンリー君の命で君がこちらに来るのなら安いものですからね。あなたは撃てなくても妙な真似をしたら丸腰のヘンリー君を撃ちますよ」

「わかったわ。そっちに行く」

「……リンネ!」

「大丈夫よ、ハル」


 リンネはにっこりと微笑んでみせる。それからゆっくりと、一歩ずつピエールへと歩み寄る。


「ねぇハル。わたしたち小さい頃からいろいろあったけど、楽しかったね。今年はメイジ宮殿にも二人で入れたし、面白い経験だったね」

「リンネ……」

「初めてメイジ宮殿に入った時のこと覚えてるかな。ハルったら、お庭を真面目に見てるかと思ったら、急にお池の鯉を食べたいなんて言い出したよね。どうやって捕まえるのよって笑っちゃったけど、こんなことになるならやってみたかった……なぁ……!」


 言い終えるその瞬間。リンネはこめかみに当てていたS&Wを振り返らず後ろに放り投げる。そして頭を抱え地面に伏せた。


 パァン!!!

 パンパンッ!


 すぐ近くで銃声が鳴る。

 それはほんの一瞬。けれどリンネにとって永遠に感じる時の長さだった。

 静寂の後に顔を上げると数メートル先にいたピエールが仰向けに倒れていた。急いで立ち上がったリンネは転びそうになりながらハルの元へと走る。


「ハル!!」


 立ち尽くすハルは無言で駆け寄ってきたリンネの体を抱きしめた。

 強く、強く、苦しいくらいに。抱き潰されそうなくらいに。強く。

 けれどリンネもまたハルの背中に腕を回し、ぴったりと体を寄せる。うんと小さい頃は目線が一緒だった。けれど今は違う。

 背伸びをしなければハルの首に腕を回すこともできない。だけど少しでもそばにいたい。離れたくない。腕に力を込める。


「なんだよ、池の鯉を食べたいって……」


 耳元でハルが囁く声が優しい。ただそれだけで嬉しい。


「ああ言えば気づいてもらえるかと思って」


 S&Wでメイジ宮殿の鷺を撃ってみたいと言ったハルの言葉を思い出したリンネは、それを銃撃の合図としたのだ。


「でもハルだって、座敷牢のかんぬき開けてくれたんでしょ?」

「まぁ、説明して逃す暇がなかったからね」

「信頼されてると思っていいのかしら」

「君ならやると思ってたよ」


 今思えばそうなのだ。一瞬でもハルを疑った自分が恥ずかしくてたまらなかったが、それはおいおいハルに返していこうと思う。


「だけど説明してくれなきゃわからないことはたくさんあるわ。特にハルのこと……」

「……それは」

「どうしてあの男……ピエールと一緒にいたの? あと……千香士のお祖父さんの日記読んだの。千香士のことも本当は前から知ってたのね?」


 あまり責める口調にならないように意識しながらハルを見つめる。

 そう。教えてくれなかったと責めるつもりはなかった。


「全部話して。受け止めるから、本当のことを話してほしいの。そしてなにがあったとしてもわたしはハルの味方だから、わたしを信じてほしいの」


 全てを受け止めたい。ハルが何かを抱えているのならその手助けをしたい。苦しい時はその痛みを分かち合いたい。

 ハルがいつでも笑っていられるように、力になれたら……。

 燃え盛るような、挑みかかるような熱はその瞳から消えていた。その代わりリンネの琥珀色の瞳には誠実で暖かい光が宿っている。


「リンネ、僕は……」

 その眼差しに導かれるようにハルは口を開きかける。


 だが次の瞬間、リンネの体はハルに突き飛ばされていた。仰向けに転がるリンネだがすぐに上半身を起こす。


 パァン!!

 パァン!!!


 ハルに撃たれたはずのピエールが、上半身を起こしヘンリーに向けて撃ったのだ。


「……ハル!」


 先に倒れたのはピエールだった。

 その後ビクンッとハルの体がのけ反り、膝から崩れ落ちる。


「は、る……ハル!」


 ずるずると地面に崩れ落ちるハル。転がりそうになりながら彼に駆け寄り上半身を抱き上げた。リンネの手がしっとりと濡れる。背筋が凍った。触れた腹のあたりから血が止まらないのだ。


「ハルッ!」


 嘘だ。こんなの嘘だ。ハルが撃たれるなんて、どうして!?

 リンネは泣きながら叫ぶ。


「誰か! 誰か来てえっ!!! ハルが撃たれたの、ハルがっ!」


 敵地であるはずなのにリンネは叫んでいた。

 止血のために着ていた着物の袖を破り傷口を押さえる。


「……うっ……」


 うめき声をあげハルの唇が開かれる。


「ハル!」


 彼の言葉もなに一つ漏らさないという気迫で顔を寄せたリンネに、ハルはゆっくりと目を開けた。ゆらゆらと焦点の定まらない瞳で、ハルはリンネを見上げている。


「リンネ……君は、僕のことが好きだろ……」

「え……? なに、言ってる、の……?」


 リンネはポロポロと泣きながら、呆然とハルを見下ろした。


(わたしがハルを好き?)


 なぜこんな状況でと呆然としてしまったが、ハルはゆっくりと唇を開く。


「君は……恋に無知で、無自覚で、だからいつも純粋な思いを僕に向けて……本当に、困ってたんだ……」


(わたしが無知だからハルを困らせた? 無知で無自覚で……? あ、でもそうかもしれない。わたし時々ハルを困った顔にしていたわ。そうなんだ……。わたし、ハルのことが好きなんだ。一人の男の子として、彼が、家族でもない彼が好きなんだ……)


「ご、ごめん、なさい……」


 戸惑うリンネの表情はハルの想定内だったようだ。くすりと笑って優しい顔をする。


「昔は、僕だって普通に思ってたんだ……リンネのこと、可愛いなとか、純粋だなって……」

「ハル……」

「だけど、季節を重ねるたびに……気がついたら、君という存在は……どんどん大きくなって……眩しくてたまらなくなって……ただの好きじゃなくなってたよ……」


 天の星をはめ込んだハルの青い瞳はうっすらと涙に濡れる。


「ああ……なんで君なんだろう……?」


 赤く染まったハルの唇が切なげにわなないた。


「側にいたいのに、でも、側にいると思い通りにできなくて……苦しくてたまらなくなって……ほんと、身勝手な、僕の、願い……ゲホッ……」

「やだ、しゃべらないで……!」


 リンネの願いもむなしくハルはそれでも言葉を綴る。それはハルの告白だった。


「でも君だから……ほかのだれでもない、きみだから……僕だから……ぼくは、きみのナイトになれたんだ……」


 そして、まつ毛が鳥の羽ばたきのようにゆっくりと上下したあと、休めるように伏せられる。


「ハ、ル……ハル? ハルーーーーッ!!!」


 闇の中、絹を裂くようなリンネの悲鳴が響く。


 気がおかしくなりそうだった。ハルを失うなんて想像もしたことがなかった。これから先もずっとハルを好きでいられるはずだった。


 ハルを助けてくれるなら何でもする。悪魔に魂だって売ってもいい!


 自分の命が分け与えられるかもしれないと、リンネはハルを強く抱きしめる。だが唇に触れるハルの耳はひんやりと冷たく、リンネを恐怖に陥れる。

 だがその時、塀の向こうから大勢の人間の声が聞こえたのだ。


「……誰かっ!」


 とっさに叫んでいた。すると。


「リンネーッ!」

「……っ!?」


 懐かしい声に振り返ればなんと千香士であった。入り口から少年が走ってくるのが見える。


「千香士!」

「やっぱりここに……それはハルか! 怪我をしたのか!?」

「撃たれたの、私を庇って、撃たれたの!」


 取り乱すリンネと目を閉じたハルを抱えるように抱き寄せ、千香士が入り口に向かって叫ぶ。


「ここだ! 怪我人がいる! すぐに病院に運んでくれっ!」


 屈強な男たち、そして白衣を着た医者らしき男が走ってくる。


「ハル、しっかりして! 助かるわ、千香士が来てくれたの!」


 一方、一人倒れたままのピエールに近く男がいた。小二郎だ。


「あんたのこと調べさせてもらったぜ」


 ひざまずき顔を寄せる。そして耳元で問いかけた。


「狙いは……あの可憐な蕾の薔薇かい?」




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