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裏切り


「ふふっ……。仕事はきちんとこなすと聞いていたからな。疑っていたわけではないが、手助けしたまで」

「まぁ助かったよ。おかげで逃げる前に近衛師団の中もきっちり調べられたしね」

「で、手紙はどうだった?」

「あそこにはないよ。そもそも僕のことを外国のスパイだなんて勘違いして逮捕するくらいだもの、無駄足さ。参ったよ」


(嘘……そんなまさか……)


 衝撃に恐怖も吹っ飛んでいた。

 手を伸ばし、ほんの少し襖を開けて中を覗き込む。質素ではあるが、畳の上に絨毯を敷き応接セットが置かれている。そこに二つの影があった。


「だとしたら手紙はどこにあるのだ」


 焦れたように呻くのはソファに座った老人だ。


「さぁね」


 もう一人の影、巻き毛の少年は、窓辺にもたれるようにして腕を組み立っていた。


「そもそも本当にそんな手紙が存在するのかな」

「伊呂波がなんの切り札も持たずに動くはずがないわ……! あの野良犬め、下賤の身なれど悪魔の如き悪知恵が働く男よ!」

「ふぅん、そう……」


 カーテンを背に相づちをうつ声は虚ろだった。


「だが伊呂波の息子がここ最近特に親しくしているあの娘、御内儀で葉桜の典侍と近づいたらしい。きっと何か知っているはずだ。どんな目に合わせてでも吐かせねばなるまい。まぁ、長く友人のふりをしていた貴様としてはやりにくかろうがな」

「わかってるよ……」


 少年が面倒くさそうにうなずき前髪をかきあげると、青い瞳が部屋のランプの光をきらきらと反射した。

 その懐かしい眼差しにグラグラとめまいがする。


(なんで……なんで……ハル!!!)


 座敷牢を抜け出すと決めた時の希望は木っ端微塵に砕け散っていた。

 なぜハルが自分が攫われた場所にいるのか、自分の目で見ても、耳で聞いてもわからない。

 頭が真っ白になる。完全に思考が止まってしまった。リンネの心が考えることを拒否していた。

 そこへドドドド、と階段の下から慌てた男が駆け上がってきた。


「大変です、むっ、娘がいません! 牢が破られていました、逃げられたようです!!!」

「なにっ! 探せ、まだ屋敷内にいるはずだ、探せっ!!!」


 老人が慌てたようにソファから立ち上がり叫ぶ。


「牢が破られるとは……外部から助けが入ったのだ! やはりあの娘が持っているに違いない!」


 そして相変わらず無関心な様子のハルを指差した。


「お前も来るのだ、顔なじみのお前なら気を許すだろうからな!」

「了解」


 そして老人とハルはリンネの前を通って別の襖を開け部屋から出て行く。



(ハル……!)


 リンネは脱力したようにその場に崩れ落ちた。

 いっそこのまま夢だと言って欲しかった。

 何もかも夢だと、嘘だと。

 けれどこれは夢ではない。リンネにとっては地獄よりも苦しい現実になってしまった。


「っ……はぁ、はぁ、……」


 呼吸が出来ない。どれだけ息を吸い込んでも苦しくてたまらない。

 埃まみれの畳に身を丸くしてうつ伏せになる。

 必死に息をすることに集中していると同時に、どんどん心の色が褪せていくのがわかる。

 ハルの褐色の肌。太陽のような微笑み。澄んだ青い瞳。美しかった何もかもが輪郭を失い、ドロドロした何かで塗りつぶされていく。


(ハル……思えば少し変なことはあった。何かを隠されているような気がしていた。だけどそれはちょっとした行き違いだと思い込んでいた。本当はそれだけじゃなかったのに、ハルとギクシャクしたくなかったから自分に都合よく解釈してしまった……)


 後悔先に立たずとは言うがこんな形で思い知らされるとは思わなかった。先ほどのハルの無表情を思い出すと胸がかきむしられるほど苦しくなる。


(あれがハルの本当……? わたしに見せたくれたハルはニセモノ? わからないよ……だけど少なからず今のわたしにとってハルは味方じゃないことははっきりしてる……)


 泣いて叫んで、そのまま気を失って倒れてしまいたいほどショックを受けているはずなのに、自分が驚くほど冷静なことにまた驚いている。

 きっとこれは自己防衛なのだ。考えたらおかしくなってしまいそうで、考えることから逃げている。だが今はそうするしかない。そう割り切らないとこのまま死にたくなってしまいたくなるから、思考のスイッチを切り替えるしかない。


「逃げなくっちゃ……」


 頬に残る涙を乱暴に手の甲で拭って立ち上がった。



 襖をそっと開け、二人が出て行った部屋に足を踏み入れる。

 応接セット、本棚、使い込んだ文机……そしてそれなりに由緒がありそうな調度品の数々。

 屋敷のどの部屋も荒れていたが、ここだけは定期的にきちんと掃除がされている。長く人が住んでいる部屋に違いない。


(さっきのお爺さんの部屋なのかしら……)


 はっきり顔を見たわけではなかったが、矍鑠とした雰囲気はそれなりの身分であるように感じた。だとするとこの荒れ果てた屋敷とは矛盾するのだが、自分をこんな目に合わせた人間がどこの誰かわかれば対処が出来るかもしれない。敵を知らねば策さえ講ずることはできないのだ。

 文机や本棚を一通りチェックしながら考える。


(千香士のお父さんのこと嫌ってるみたいな口ぶりだっただけど、もともと高い身分にあった人かしら。そして手紙……って言ってたわね。伊呂波家が関係している手紙って、どう考えてもわたしがもっているアレのことだよね)


 確かめるように着物の合わせ部分に手を置く。実は手紙は肌身離さず胸元に入れていたのだ。


(あのお爺さん、ハルに近衛師団の中まで探させていたみたい。そして伊呂波……千香士のお父さんが持ってるはずだって確信してたわ。実際は千香士が持っていて、そして今は皇后さまにお渡しするためにわたしが持っているわけだけど……)


 この手紙の中身ってなんなんだろう。


 リンネは改めて考えてみる。ヒントが少なすぎてその輪郭は漠然としているが、自分が想像しているよりずっと大変なものなのかもしれない。


(なんにしても絶対に見つからないようにしなきゃ)


 文机の一番下の引き出しが鍵がかかっていた。見れば小さな南京錠がついている。浅い引き出しである。おそらく中身は小さなものだろう。場所からして日記かもしれない。となると鍵がそう遠くにあるとは考えづらい。

 ひざまづいて机の裏を見ると、案の定小さな釘が打たれており、そこに鍵がぶら下がっていた。

 鍵を差し込んで引き出しを開けると一冊のノートが入っていた。素早くそれを取りまた鍵をかける。ノートは胸元に押し込み、カーテンを開けた。

 想像した通り、二階に面した肘掛け窓は普通に窓として使われているようだ。見つからないよう、精一杯体を小さくして手すりに手をかけ乗り越えると、足を下ろした瞬間瓦がごとりと音を立てた。


(聞かれた!?)


 慌てて手すりを掴んだまま内側に戻りしゃがみこんだが、誰も様子を見にくる気配はない。


(良かった……)


 ほっと胸をなでおろし周囲を見回した。

 空の端が濃紺からオレンジへと色を変え、敷地は想像していたより広く、木々の影が辺りを黒く染めている。完全な日没まであと少しだろうか。


(真っ暗になって動いたほうがいいだろうけど、ここに留まっているのは危ない)


 意を決してリンネは立ち上がり、手すりを乗り越えた。



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