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姫君の嫉妬


 漆黒の闇の中、強烈な吐き気とともに意識が戻る。


(ここはどこなの……? わたしはどうなったの?)


 ビクビクと痙攣する瞼をなんとか持ち上げる。

 だが目を開けていても閉じていても同じ闇の中だ。

 恐怖が体の奥底から溢れる泉のように湧き上がり、わーっと叫びたくなったが、理性を総動員してそれを抑える。


(冷静に。冷静にならなきゃ……。まず体を動かしてみよう)


 うつ伏せになっていた上半身をどうにか起こそうとすると、頭が割れるように痛んだ。それでも頑張って体を起こし、ゆっくりと手足を動かしてみる。全体的に倦怠感はあるがきちんと動いて、安堵感が広がる。

 体の表面はザラザラと土で汚れている感触はあるが、腕や足にヒリヒリした痛みがあるだけで、大きな怪我もない。

 次に、座ったまま腕を伸ばし上下左右に手を伸ばしてみる。どこにもぶつからない。あまりに真っ暗なので箱の中にでも閉じ込められているような気がしていたのだが、どうやらそうではないらしい。

 ゆっくり立ち上がって両手を左右に広げた。

 慎重に一歩、一歩と歩いてみて五歩で壁に行き止まった。

 ゴチャゴチャとものが置いてあって、正確に壁際まで来たかはわからないが、とりあえず今度は壁伝いを時計回りに歩いてみる。同じくだいたい五歩であった。天井までの高さはわからないが、どうやらほぼ正方形の部屋の中にいるらしい。


「床は土……壁は石……窓はないのかしら……入り口は?」


 自分がここにいる以上、どこか出入り口があるはずである。

 今度は壁に向かい合って、手のひらでペタペタ触りながら時計回りに回ってみると、大きな板が何枚も重ねられている壁の奥から、ひんやりした空気が流れてくることが分かった。

 板を持つと案外軽い。横によけて前に進むと、ガツンと硬いもので足を打ち付けた。


「いったぁぁぁーーーい!!」


 ちょうど弁慶の泣き所で、悶絶する痛みである。思わずしゃがみ込んでしまった。


「うう……」


 涙目になるリンネだが、いつまでもしゃがみこんではいられない。手を伸ばしぶつかったものを確かめた。

 なだらかな板のようなものだ。手を伸ばすとさらに上にも同じようなものがある。


「階段……?」


 四つん這いになったまま階段らしきものを登る。一つ、二つ、三つ……数を数える。

 階段は十二あったが、それ以上進むことはできなかった。天井が板のようなものでふさがっていたのだ。

 力を込めて下から押すがびくともしない。完全に閉じ込められている。


「うそ……」


 寒くてたまらないはずなのに、気づけばじっとりと汗をかいていた。



 その少し前、千香士は教室で窓の外を眺めていた。もちろん自分が迎えに来たリンネの教室である。

 教室に姿がないので一瞬焦ったが、すぐに戻ってくると級友らしい少女に言われたのでこうやって待っているのだ。

 木枯らしが吹きカタカタと窓が揺れている。葉を失った木々の細い枝が寂しげだ。ふと窓に映る己の顔に目が行った。

 千香士は鏡が嫌いだった。

 そこに映る自分の顔があまりにも似過ぎていて自分に自信がなくなるのだ。


(まるで亡霊だな……。いや、それはある意味正しい。俺は亡霊で妄執でもある……)


 目をそらし不安から何気なく胸のあたりに触れる。リンネに渡した手紙が入っていた場所だ。

 リンネ・アシュレイ。

 元々は情報屋に調べさせた「どこの派閥にも属していない御裳捧持者」というそれだけで近づいたのだが、彼女はそんなことに関係なく優しくまっすぐだった。

 しかも自分よりずっと賢く、事件に巻き込まれる中でも最善の解決策を見いだす術を知っている。半ばどうにもならない状況ではあったが彼女に頼んで正解だったと思う。


(まぁ、逆に行動力があって機転がきくから心配になる面もあるがな……)


 自分が言うのもなんだが「雉も鳴かずば撃たれまい」

 そんなことにならないよう千香士もまたリンネを守るつもりでいた。


 しかしそれから十分ほど待ったがリンネが戻ってくる様子はない。


「遅い……」

「えっ? あ、そう、ですわね」


 独り言に反応する娘の存在に今更気づいた千香士は、振り返って彼女を見つめる。窓辺に腕を組んで立つ千香士から一メートルほど離れた処に所在なさげに立っていた。どこかで見たことがある。


「そうか……リンネの茶会にいたな」

「は、はいっ! 白河紅子と申します」


 顔は紅潮し、今にも卒倒しそうに震えている。


(また怯えられている……)


 思えば幼い頃から女性には嫌われていた。そばに近づくだけで避けられ、ひどい時には奇声をあげて逃げられた。おそらく己の存在の疎ましさが、感覚の鋭い女性には伝わるのだろうと千香士は諦めているが……。


(そういえば怖がったりしない女はリンネくらいだな)


 誰よりも鋭いリンネではあるが、つくづく変わっている。


「あ、あの、伊呂波さま、お聞きして、よろしいでしょうか」

「なんだ」

「リンネさまと、その、あのっ……」


 紅子のしどろもどろな様子にピンときた。


「俺が一方的につきまとっているだけだ。だからあいつは悪くない」


 男女問わず疎まれて当然と振舞ってきた千香士であるが、そのせいで彼女に迷惑はかけられない。だから今朝リンネにも伝えたのだ。


「伊呂波さまが一方的に……?」


 紅子が泣き出しそうに顔を歪ませる。


「ああ。そもそもあいつには……多分……」


 ふと、青い目の巻き毛の少年が脳裏に浮かんだ。

 自分とは対極にいるような人当たりのよい微笑みと立ち振舞い。けれどどこかつるつると上滑りしているような冷めた雰囲気。

 とても不思議な目をしていた。

 透明で、何も映っていないように見える瞳は、時折……リンネに向けられるときだけ、その奥に強い信念を秘めたような光を宿していたのだ。


(リンネはあいつの瞳が自分に向けられている時だけ違うことに気づいていないだろうな)


 だが、お互い強く思いあっていてもすべてがうまくいくとは限らない。

 自分の両親がそうであったように。

 ふとよぎる不吉な予感に胸に影が落ちる。


「……話しすぎた」


 千香士はため息をつき、紅子に問いかけた。


「リンネの用事とは一体なんなんだ。誰とどこにいる?」

「……っ」


 千香士の問いに紅子は弾かれたように顔を上げた。その美しい表情はこわばり今にも泣き出しそうだ。


「どうした」


 千香士が一歩詰め寄ると紅子は怯えた風に半歩後ずさる。尋常でない様子に脳裏に最悪の事態がよぎった。すぐさま紅子の手首を掴み引き寄せる。


「あっ……」

「何を隠している。リンネはどこに行った。話せ」


 静かではあるが一切の拒絶を許さない、女であっても容赦しない、そんな千香士の迫力に紅子はブルブルと震え始める。


「ば、薔薇の温室ですわっ……昔からアシュレイ嬢に憧れていた、どうしても二人きりで話がしたいから、人目のつかないところに呼び出して欲しいと……」

「誰に、いつ」

「今朝です、通学途中に呼び止められのです。真面目そうな学生さんでした、帝大生だと名乗っていました」

「それをそのままリンネに伝えたか?」

「……いいえ」

「なぜだ」

「男の方が待っていると言ったら、行かないかもしれないと思ったから……」

「リンネを騙したのか」

「そんな、騙すなんて……」


 弱々しく首を振る紅子。黙ってそれを見つめる千香士。沈黙は何よりも雄弁で、彼に憧れる紅子を一層恐怖に陥れ罪を告白させた。


「お、お許しくださいっ……、わたくしは、ただっ……ただ、リンネさまが、妬ましくて……千香士さまのことも、自由であることも、羨ましくてっ……!」


 たった二人きりの教室に紅子の悲鳴混じりの声が響く。

 白河紅子を知る人であれば驚愕したであろう。身分、美貌、教養に恵まれた姫君が、己の内に眠る妬ましさを告白したのだ。だが彼女が聡明であるがゆえに、自称帝大生がリンネを人気のないところに呼び出した時、不穏な何かを感じたはずだと千香士に不信感を抱かせてしまった。

 泣き出しその場に崩れ落ちる紅子だが千香士は追及の手を緩めない。


「確かお前は車通学だったな。今日に限ってなぜ男に呼び止められた」

「たまたまですわ、家族が朝早く仕事の関係で呼び出されて、それで仕方なく……」

「たまたま白河家の車が全部出払って徒歩通学になり、たまたまリンネが一番親しくしているお前に帝大生が声をかけてきたのか」


 偶然と呼ぶには苦しい作為だ。そして同時に自分が考えていた以上の事態に困惑も覚える。


(俺がリンネに預けた手紙……あれのせいか。いや、もちろん無関係ではないだろうが、今あやつらにそこまでのことはできまい……)


 千香士は無言で紅子を掴んでいた手を離し、そのまま教室の出口へと駈け出す。


「千香士さま、今覚えば、あれは軍人でしたわ……! あの立ち振る舞い、軍人であることを隠しきれていませんでしたっ……!」



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