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幽霊の落とし物


 旧旗本屋敷を買い取り改装を施したアシュレイ邸は、千代田区富士見にある。メイジ宮殿からは十分歩ける距離だ。


「ところで今日のリハーサル、あれいったいなんだったの。布っきれを二人がかりでもってうろうろしてさ。遊んでるわけじゃないよね」


 白い息を吐きながら、ヘンリーは右往左往するリンネを思い出したのか、面白そうに頬を緩めた。彼は侍従控室で行われていたリハーサルを興味深そうに眺めていたのだが、実際なにをしていたのかはわからなかったらしい。


「遊びじゃないわよ。あれがわたしたち御裳捧持者おんもほうじしゃのお役目なんだから」


 己に自信がないとはいえ、選ばれたことに若干誇らしい気持ちもあり少し胸を張る。


「オンモホウジシャ?」


 日本語での日常会話には困らないが、さすがに漢字はすらすらと読めないヘンリーは、月明かりの下、リンネが胸元から出した手帳に書きつけた文字を見て首をひねった。


「新年儀式の間、皇后や妃殿下方のマント・ド・クールの裳を捧げ持つというお役目なの」

「じゃあ、あれマントを持つ練習だったんだ」

「そうよ。左右二つずつお裾に取っ手が付いてて、それを持つの」

「面白いことをするもんだね。本番も見られる?」

「お父さまとお母様が招待されてるから一緒に来ればいいわ。わたしの勇姿をしっかり目に焼き付けてね」

「なんだよ。勇姿って」


 ヘンリーは肩を揺らし笑いながら軽くリンネに体当たりをし、それから「あー、寒いよ。早く帰ってショウガ湯を飲もう」と帰路を急ぐ。百メートルほど先の角を曲がったところがアシュレイ邸というところで、リンネは背筋にぞわりとするものを感じて立ち止まった。


「どうしたの?」


 怪訝そうなヘンリーの問いかけにリンネは無言で行く先を指差す。


「ん……?」


 青いの瞳を細めるヘンリーは、次の瞬間、ぎょっとしたように凍りついてつぶやいた。


「ghost……」


 ゴースト。幽霊。

 メイジ維新から東京の街も整備されたとはいえ街灯の数は少ない。けれどただ一つ、四辻の角に設置された街灯の下に、白い服を着た女が立っていたのだ。


「……」


 無言で立ち尽くす二人。

 けれどしばらくして、リンネはあることに気づいた。


「あれ、ゴーストじゃないわ」

「どうして言い切れる?」

「だって影があるもの」


 リンネの言う通り、街灯の下に立つ女の足元にはくっきりとした影が映っていた。影があるのは物質的に存在するということだ。


「本当だ。よく気付いたね」

「まぁね」


 むしろ白づくめだからと、ジャパニーズゴーストだと思った自分たちがおかしいのだが、リンネはくすりと笑う。


「となると逆にどうして女性があんなところにいるのか気になるね」


 ヘンリーはスタスタと女に向かって歩き始めた。


「えっ、ちょっとハル待ってよ! 待ち合わせとかかもしれないじゃない!」

「そんな楽しい雰囲気感じない。なんだか思い詰めてるみたいじゃないか」

「でも……っ!」


 リンネの制止もなんのその、生きている女性とわかれば躊躇なく近づくヘンリーにモヤモヤする。

 確かに変かもしれないけれど変じゃないのかもしれないではないか。どうして自分で確かめようという気になるのか。リンネにはまったく理解できないが、ヘンリーという少年が好奇心が豊かで、むしろ豊かすぎて世界のどこに行っても危ない目に合うタイプだということはよくわかっていた。そしてまったく反省も後悔もしないことも。


(ここは常識人としてわたしが止めなければ!)


 気を取り直し急いで彼の背中を追いかけたが、それよりも早くヘンリーは女の斜め前に立ち止まり丁寧な様子で話しかけた。


「レディ、こんな時間に一人でどうなさったのですか? なにかお困りでしたら僕が力になりましょう」


 さすが英国紳士というべきか、ナチュラルに女性に手を差し伸べている。

 容姿だけは飛び抜けていいので、明かりの下に立つとまるで舞台俳優のようだ。リンネの学友たちが見たらきっと喜んだに違いない。

 ところが、ぼうっと立ち尽くしていた女は返事をするでもなく、むしろヘンリーの視線を避けるように目線をそらしてしまった。


「レディ?」

「ちょっと、ハル……逆に怪しまれてるじゃない……」


 追いついたリンネはヘンリーの腕を引っ張りながら、女の様子を伺い息を呑んだ。目の前の少女に目を奪われたのだ。


(なんてきれいなひと……)


 身長はリンネとハルの間くらいだろうか。日本人女性にしてはかなり背が高い。足首が隠れる丈の上等そうな長い白いコートを着ている。

 全体的に端正な印象で、伏せ目がちの長いまつ毛に囲まれた瞳は濡れているように光っており、小さな唇はきつく噛み締められぼってりと赤い。まっすぐでつやのある黒髪は肩につく長さで、白い顔を囲んでいる。街灯の明かり一つで信じられないほど輝いている、女でも見とれる美貌の少女だった。


(きっとどこかのお姫さまだわ。もしかしたら菊香院の生徒かもしれない)


 となると、なぜ同い年くらいの少女が、ここに一人で立っているのか謎は深まるばかりだが。この状況ではもう無視することもできない。リンネはとりあえず問いかけた。


「わたしは菊香院中等部の二年生でリンネ・アシュレイと言います。よかったら力に……」


 その瞬間、少女は雷に打たれたように体を震わせたかと思ったら、ひらりと身をかわすように踵を返し走り出す。


「えっ!?」

「お待ちくださいレディ!」


 けれど少女は軽やかな足取りでリンネたちが来た道を戻るように走っていく。その様子からして話しかけられることを完全に拒否されたことは伝わった。やはり余計なお世話だったようだ。


「逃げられてしまったな。シャイなお嬢さんだったみたいだ」


 特に傷ついた様子もなくヘンリーは肩をすくめた。


「シャイとかいうんじゃないと思うよ」


 夜の闇に消えた美少女……。

 いったい何だったんだろう?

 きちんと名乗って所属まで伝えたのにあの態度はないだろうとは思ったが、女性一人でいるところを人に知られたくない事情があったのだろう。

 そう納得しかけたリンネだったが、足元に一枚紙が落ちていることに気づいた。

 拾い上げるとヘンリーが何事かと手元を覗き込んでくる。


「なにそれ」

「新聞記事の切り抜き、かな……」

「なんて書いてあるの?」

「……うん」


 リンネは見出しに何度も目を通し、周囲を気にして、低い声で見出し部分を読み上げた。


「『信教の自由』の裏で夜毎行なわれる毒婦たちの淫靡な秘密の儀式……メイジ宮殿の闇……」

「はあ?」


 思いもつかない内容だったのか、ヘンリーは素っ頓狂な声を上げる。


「とりあえずインビってなに?」

「……よくある低俗な記事よ。バカみたい」


 説明するのも馬鹿らしい。

 クシャクシャと記事を丸め、そのまま路上に投げ捨てようとしたのだが、思い直しコートのポケットに突っ込んだ。こんな記事をメイジ宮殿に近い公道に捨てておくのも気が引けたのだ。


「お腹すいちゃった。帰ろう、ハル」


 気が抜け急に空腹を覚えたのも事実だった。努めて明るく言うと、ヘンリーは一瞬何か言いたそうに青い瞳を細めたが、いつものゆったりした笑顔に切り替え同意した。



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