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薔薇の温室で


 翌朝、食後の紅茶を飲んでいると、興奮した様子のイトが食堂に飛び込んできて

「お嬢さまっ、あっ、あの方の、殿方のっ、お迎えでございますっ!」

と叫び、イツキとカオリの目を丸くさせた。


「父上不在の今、家長代理として引導をくれてやる」


 サーベルを抜こうとするイツキを、

「未来ある男子に引導くれてやってどうすんのさぁ~」

 カオリが引き止める面白絵図が繰り広げられる。


「お嬢さま、お待たせするのもなんですから」


 気を利かせたばあやに荷物を渡され、玄関フロアへと向かうと、本当に千香士が立っていた。

 白い立て襟のコートに顎を埋めるようにして、玄関フロアの窓から庭を眺めている。ほんの何週間か前、美少女だと見間違った千香士の姿だった。


「あら……」


 ばあやが不思議そうに、窓辺に佇む千香士を見て、雷に打たれたかのように立ち止まる。


「どうしたの?」

「いえ、ちょっと……。知っている方にとても似ていたものですから……驚いて」

「知っている人って? ちなみに彼は菊香院の一つ先輩なのだけれど関係してる?」


 そういえば以前千香士がお茶会に来た時は顔を合わせていなかったのだ。あれほどの美貌なら目を引いて当然であるが、ばあやが驚いているのはそんな意味では無さそうだ。


「菊香院? いや、まさかそんな……」


 アシュレイ邸の最終兵器と呼ばれるばあやらしからぬ歯切れの悪さだ。


「ばあや?」


 表情をこわばらせるばあやを見て問いかけたが、千香士が二人に気づいて会釈したところで、いつものばあやに戻ってしまった。


「お嬢さま行ってらっしゃませ」

「行ってきます」


(ばあやどうしたんだろう? ばあやの知ってる人っていったい誰なのかしら……)


 後ろ髪引かれながらも門をくぐる。

 隣を歩く千香士に思い切って尋ねた。


「ねぇ、聞いてもいい?」

「なぜ急に付きまとうようになったのか、だろ?」

「つっ、つきまとうとか思ってないよ。ただ、どうしたのかなって思って」

「気になることがあってな」

「気になること?」

「父親からハルのこと聞いた。どうもキナ臭い……。だからあいつがいない間は俺がお前の側にいることにした」

「千香士……」

「お前には悪いけどな」


 そして意地悪そうにニヤリと笑ってみせる。


「悪いってどうして?」

「わからんのか。またあれこれ言われるからに決まってるだろ」

「あ」

「俺に一方的に付きまとわれてるってことにでもしておけよ」

「そんなの誰もそんなこと信じないわよ」


 教室の騒ぎを思い出した。リンネはあははと笑いながら千香士を見上げる。

 一方的な申し出だという自覚はあるらしい。だがハルの不在を心配してくれる気持ちは素直に嬉しかった。


「ありがとう」

「感謝される覚えはない。俺が勝手に決めたことだ」

「千香士ってそういうとこ素直じゃないよね」

「は?」

「いい人って思われるのが嫌なんでしょう」

「……」


 意外な発言に驚いたのか千香士の歩みが一瞬ゆっくりになる。


「あ、動揺した」

「してない。黙れ」


 千香士はわざとらしくぞんざいな物言いをして、歩く速度を速めて先を歩く。


「ちょっと、ハルの代わりじゃなかったのっ?」


 慌てて彼の背中を追いかけて、隣を歩く。


「俺がお前たちに初めてあったときのこと覚えてるか?」

「うん」

「あの時俺は情報屋に会う予定だったんだ」

「あの、もしかして記事のことで……?」


 リンネは記憶の底から記事を引っ張り出す。


「信教の自由の裏で夜毎行われるら毒婦たちの秘密の儀式……だったっけ?」

「そうだ。くだらない雑誌のくだらない内容だったが伊呂波が目をつけた」

「千香士のお父さまが……?」


 一代で巨万の富を築くほど目はしが効く人だからだろうか。記事自体はくだらないものと一蹴したリンネだが、そう言われれば何かが引っかかる。


「百の嘘にも一の真実が潜む……らしい。捨て置きたいがあいつの嗅覚は犬並みだからな」


 千香士は肩をすくめて言葉を続けた。


「情報屋を雇って調べさせていたのを知って、俺もそれに乗っかって、なんとか御内儀に渡りをつけられないかと考えていたんだ」

「そして皇后さまへ手紙を渡したかった」

「そうだ」

「ねぇ、内容を教えてもらうわけにはいかないの?」


 ダメ元で尋ねてみたが彼はすまなさそうに首を横に振った。


「正確に言えば手紙は俺のものじゃない。だから……頼んでおいて悪いが読ませるわけにはいけない。すまん」

「気にしないで。わたしこそ変なこと聞いてごめんなさい」


 慌てて謝ったリンネだがやはり気になる。


(あの手紙は千香士から皇后さまへの手紙ではない。だったら誰から誰に宛てての手紙なんだろう……って、本人が話せないって言ってるんだから詮索しちゃダメだわ!)


 あれこれと推理したくなる気持ちを必死で押し殺すリンネだった。



 案の定、肩を並べて通学してきたリンネと千香士に学院は騒然となった。

 親の決めた相手と当日まで会うこともなく結婚することも珍しくない。メイジの開かれた世とはいえ、さすがにおおっぴらに男女交際が出来るわけではないのだ。

 だが破天荒な伊呂波家の跡取りと、異国の地を引く大使の娘の組み合わせであるからか、みなまず男である千香士の様子を伺う雰囲気であった。

 そして千香士はそんな視線をものともしない。


「放課後迎えに行く。ではな」

「うん」


 昇降口で別れ、リンネは千香士の後ろ姿を見送った。

 すらり、ひらり、まるで空に浮いているような身のこなしで周囲の目を否応でもなく引いてしまう。ただ歩いているだけなのに、今まで自分に注がれていたように思う視線も全てさらっていってしまうのだ。


 我が家もバラエティに富んでいるという自覚のあるリンネだが、伊呂波家はそれ以上なのかもしれない。


(いったいどんな風に育ったらあんな人になるんだろう……。一度お会いしてみたいものだわ)



 そして放課後。教科書を片付けているとリンネの机のに影が落ちる。顔を上げると神妙な顔をした紅子姫が立っていた。

 体の前できつく自分の手を組み合わせている紅子姫はどこか息苦しそうだ。顔色が明らかに良くない。


「ちょっと温室に来ていただけないかしら」

「温室? 今からですか?」

「大事なお話があるのです。すぐ終わります。先生の御用事を済ませてから参りますから、先に向かっていてくださる?」

「……わかりました。あ、でも千香士が」

「お伝えしておきますわ。だから、早く」

「えっ? あ、はい……」


 紅子姫に背中を押され、リンネはバッグを胸に抱えて教室を出て温室へと向かう。


(紅子姫、変だったなぁ……。あ、例の好きな人の話? もう一回お茶会をとか、そんなことかな? こないだは千香士のせいで結構大変だったもんね……)


 鍵を開けて温室の中に入る。ベンチに腰を下ろせば当然ハルのことを思ってしまう。


(昨日の今日ですべてが解決するはずないってわかってるけど……ハル、大丈夫かな。ちゃんとご飯食べさせてもらってるのかしら。寒くないかな。まさか牢獄にいれられているわけじゃないよね……。イツキ兄さまが皇族の方に頼んでくださったんだから、無体なことはされてないよね?)


 悩んでも仕方ないとわかっているのだが、考えずにはいられない。


(でも当然だよ。ハルは家族みたいなものだもの……。平気でなんかいられないよ)


 こんな状況になって初めてハルがいかに大事な存在なのか思い知らされるリンネだった。

 しばらくすると、キィ、と温室のドアが開く音がした。


「紅子姫?」


 けれど彼女からの返事はない。

 心臓がどきりと鳴った。

 ベンチからドアは死角になっている。死角になっているからこその秘密の場所なのだが、待ち合わせをしているという気安さからつい声をかけてしまった。


(まさか先生?)


 思わずベンチから腰を上げたが、出入り口は一つしかないのだ。逃げられるはずがない。


(でも悪いことしてるわけじゃないし、鍵は預けられているものだし……)


 リンネは震えそうになる声を抑えて、未だに姿を現さない誰かに向けて声をかけた。


「先生ですか?」


 ガサッ……。

 背後の茂みが揺れる音がした。

 なぜ後ろから?


「えっ?」


 振り返ろうと身構えた瞬間、大きな布が鼻と口を覆い、後ろから伸びてきた腕がリンネの動きを封じた。


(なに!? なんなの!! 誰っ!)


 大きな体。男。紅子姫じゃない!

 誰かが自分に害を与えようとしている!


「……ンーッ!!」


 声を上げ、手足をばたつかせたがビクともしない。


(いやっ、誰か助けて! 誰か!)


 パニックになるリンネだが、だんだん手足が重くなって、足に力が入らなくなる。もはや立っていることすら難しい。


(なに、なんで……いったい誰が、こんなこと……)


 体全体が重い。思い通りに動かない。ズルズルとその場に崩れ落ちるのがわかる。そして、地面に顔を打ち付けそうだと思った次の瞬間、プツリと意識は途絶えていた。



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