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行方不明の幼馴染


 その後リンネとヘンリーの二人は何か言いたそうな兄と別れ、慌てて侍従詰所へと向かい、なんとか時間には間に合った。

 相変わらずヘンリーの目にはマネキンで練習をする菊香院の生徒がおかしな様子に映ったようだが、予習復習が大好きな優等生リンネとしてはリハーサルは大歓迎である。なんであれ予定通り物事が進むのは気持ちの良いものだ。


(とはいえ、千香士の手紙を皇后さまにどうやって渡すかということを考えとかないとね……。まずわたしの場合一番のツテになりそうなのは兄さまだけど、兄さまは御内儀には入れないし……。やっぱり侍従職出仕の誰かが一番あてになりそうだけど、そもそも彼らはあまり学校には来ないもんねぇ……)


 残念ながら、おすそもちの中には一人もいない。彼らは彼らで仕事が与えられているのだ。

 あーでもないこーでもないと考えながらリハーサルを終えたところで、ふと気がついた。


「あれ、ハル、どこ?」


 侍従詰所と中庭が見える廊下でリハーサルは繰り返されていた。ハルも普段と変わらぬ様子でそれを眺めていたはずだ。


「ねぇ、ハル知らない?」


 不安になって同級生に尋ねる。


「ヘンリーさま? 彼だったらさっきまでそこに……あら、いらっしゃらないわね」


 出入り口のあたりを見ながら、不思議そうに首をかしげられ、すうっと血の気が引いた。

 ついさっきまでここにいたのは間違いなさそうだが、いったいどこに消えたというのだろう。


(いや、も、もしかして手水とか、そういうのかもしれないし!)


 焦ってはダメだと自分に言い聞かせるが気分が落ち着かない。

 侍従詰所から出て周囲を見回すが、ヘンリーの気配は微塵もしなかった。


(迷子? ハル方向音痴でもないのにそんなことある?)


 侍従詰所を出ると廊下を挟んで中庭が見える。その横の廊下を進んでいくと、物置が並んでいて、そしてお内儀と区切っている鶏の杉戸があるのだ。

 いけないと思いつつも廊下を小走りに進む。

 先ほど行きかけた表との境界である「鶏の杉戸」が見えた。その名の通り鶏の絵が描かれている扉だ。そしてその前には椅子と小さな机が置かれて、今晩の宿直であるらしい袴姿の侍従職出仕の少年が二人控えていた。

 彼らはリンネと同じ菊香院の生徒であるが、リンネよりは年下に見える。十二歳くらいの髪を短く刈り込んで利発そうな少年たちである。

 リンネのことはどうも見知っているらしく、不思議そうに声をかけてきた。


「アシュレイさん、どうしました?」

「あの、ハル、わたしの連れの男の子見ませんでした?」

「ああ、英国人の彼ですね。見てませんよ」

「ほんとに? 実は彼の姿が見当たらなくてですね……あの、あなたたちの目を盗んで奥に入ったりとかしてません?」


 リンネとしては本気でそれを疑っていたのだが、二人は子供らしくケラケラと笑って首を振った。


「それはないない!」

「無理ですよー! 僕たちずっとここに座ってましたからね」

「そうですか……」


 さすがにヘンリーが神出鬼没でも二人の目があっては奥に入ることなど出来なさそうだ。

 ほっと胸をなでおろしつつも、姿がない以上不安は拭い去れない。


「一緒に探しましょうか?」

「えっ、いいんですか?」


 リンネの困った様子を見かねてか、少年の一人が親切にも申し出てくれた。


「勿論です。じゃあ俺行ってくるからお前留守番ね」

「えーっ、ズルいよ、なんなの西! 俺が行きたいよ!」

「坊城はお内儀で遊んでたろ。だから次は俺の番〜」


 ズルいズルいと賑やかに小突き合う姿は、ごく普通の少年だ。厳格な面もあるだろうが、どうやらリンネが思うよりも、宮中というのはゆったりとした時間が流れているらしい。


「さ、行きましょう」


 侍従職出仕である西が楽しげに椅子から立ち上がりかけたその瞬間。


「キャーーーーーーッ!」


 静寂と暗闇を切り裂くような悲鳴が聞こえてきた。


「どうしたの!?」


 リンネは驚いて周囲を見回す。


「いまのはなんだ!?」

「どこからだ?」


 西と坊城も慌てたように椅子から立ち上がった。


「女性の声だったわ!」


 リンネの言葉に二人は顔を見合わせ、背後の鶏の杉戸を振り返る。


「まさか奥?」

「ねずみでも出たんじゃないのかな」


 そういったのは坊城だ。


「とりあえず見に行ってみよう。アシュレイさんはここで待っていてください」


 侍従職出仕たちは扉を開けて廊下を走って行ってしまった。

 一人取り残されたリンネは、ぽつんとその場に立ち尽くす。


(すごい悲鳴だったけど……。ネズミ?)


 リンネだってネズミは嫌いだ。暗闇で大きなネズミに遭遇したらあんな悲鳴を上げてしまうかもしれない。

 しかし、かなり大きな悲鳴で目立っていたはずだが、リハーサルを終えた侍従詰所から人が来る気配はなかった。生徒たちはもう帰ってしまったのかもしれない。一人で残っているのも案外辛いものだ。ソワソワしながら周囲を見回していると、先ほどの侍従職出仕の少年のうちの一人が慌てた様子で戻ってきた。たしか彼は坊城と言ったはずだ。

 愛嬌のある顔は引きつったように硬直している。


「坊城さん、なにか……」

「たっ、たいへんだっ!!」

「えっ!?」

「はっ、はやく、人を! つぎが、つぎ、つぎがおこった!」


 リンネの顔を見てほっとしたのか、坊城は鶏の杉戸を出て力尽きたようにしゃがみ込んだ。


「えっ、つぎ? つぎってなに……って、それどころじやないわね、わかったわ、すぐに人呼んでくる!」


 ぱっと身を翻し侍従詰所へと向かいながら叫ぶ。


「だれか! 奥で何かあったみたいです、だれか来てください!」


 すると侍従詰所の廊下を挟んだ向かいの侍従長室から男性が何事かと姿を現した。恰幅の良い壮年の男性が一人、そして軍服姿の青年が一人。彼は腰にサーベルを刺している。兄であった。


「リンネ、何があった!」

「あっ、兄さま!」


 駆け寄ってくる彼らに必死に説明する。


「鶏の杉戸の前で女の人の悲鳴が聞こえたんです! それで侍従職出仕の二人が奥に入ったんだけど、一人だけ戻ってきて、『つぎ』が起こった、誰か呼んでくれって真っ青になって帰ってきて!」

「……承知した」


 イツキは丸眼鏡をかけた袴姿の男性と目配せして、鶏の杉戸へと走っていく。リンネもその後を追う。


「あっ、侍従長!」


 そして、椅子に崩れるようにもたれていた坊城が、泣きそうな顔で丸眼鏡の男性にしがみついた。


「なにがありましたか」


 侍従長は少年を落ち着かせるように背中を撫で、それから肩をしっかりとつかみ問いかけた。

 坊城は何度か口をパクパクさせた後、半ば悲鳴のような声でなんとか言葉を絞り出す。


「御湯殿でっ、ひっ、ひっ、人が、死んで、ますっ!」

「えっ……!」


 黙って聞いていたはずのリンネだが、思わず声をあげていた。

 隣に立っている兄のイツキも同様だ。


「坊城、それはまことか」


 緊張で声がピンと張り詰めている。


「ほ、本当です!」

「お上がいつものようにご冗談で、そのようなことをなさっているわけではないのですね?」


 そう尋ねたのは侍従長だ。

 メイジ帝が規律に厳しくも、同時にたいへんないたずら好きな方であるというのはリンネも耳にしていた。だがいたずらにしては度がすぎる内容だろう。


「は、はいっ! 奥も、たいへんな、騒ぎです!」

「わかりました」


 侍従長はまだ震えている坊城を改めて椅子を座らせた後、イツキを振り返った。


「緊急事態です。侍従武官上條威月。御内儀への入内を許可します」

「承知」


 イツキは一礼すると、確かめるように腰に差したサーベルに触れ、そのまま鶏の杉戸の中へと駆け出してゆく。

「坊城、私も中に参ります。君は宮内省の職員にこのことを伝えに行きなさい。けれど私が戻るまで待たせておくのだ。上條は緊急事態だから仕方ないが、やはり御内儀に成人男性を入れるわけにはいかない。よいね?」

「はいっ!」


 そしてイツキの後を追う侍従長。坊城も一瞬リンネのことを気にした様子だったが、すぐに宮内省の方へと走って行った。


(今「人が死んでいる」って言ったわよね!? 聞き間違いじゃ、ないわよね!?)


 その瞬間、なぜか脳裏にハルの姿が浮かぶ。

 そんなことがあるはずがないと思うけれど、彼が隣にいないことがリンネをどうしようもなく不安にさせる。

 耳を澄ませると、鶏の杉戸の向こうの喧騒はかなり大きくなっている。大混乱が予想された。


「ハル……」


 陛下のプライベート空間である御内儀に入っていけないのは『成人男子』だ。だから子供である侍従職出仕が表と裏を繋ぐ役割を持たされているのだ。


「わたしは、女だわ……」


 喉がカラカラになる。

 だが、迷ったのはほんの一瞬。

 次の瞬間、リンネは扉の中に飛び込んでいた。



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