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メイジ宮殿にて

 時はメイジ。

 武士の時代の終焉とともに始まり、メイジ維新を経て近代国家へと変貌してゆく時代――。



「あの鳥、美味しそうじゃない? やっぱりスミス&ウェッソンを持って来ればよかったなぁ」


 黒い巻き毛の前髪を指にクルクルと絡ませながら、ヘンリーは残念そうにため息をついた。


「なっ、何言ってるの、ハルッ。皇居の鷺は五位だよっ!」


 あまりにも真剣な眼差しで庭園の一角を眺めているものだから、初めて足を踏み入れるメイジ宮殿に感動していると思った自分がバカだった。

 褐色の肌に水色の瞳を持つ幼馴染の唇からこぼれたのは予想外の物騒な発言で、リンネは飛び上がらんばかりに驚いてしまった。


「ああ、ダイゴ帝の命令に従ったご褒美で昇殿の身分を与えられたのだっけ。残念だ」


 ジャケットの胸のあたりを撫でているのは、相棒の不在を嘆いているらしい。


「残念じゃないよ、やめてよ」


 Smith & Wesson No. 3 Revolverはヘンリーが肌身離さず持ち歩いている回転式拳銃だ。

 さすがに帝のおわす皇居に持参していくわけにはいかないので屋敷に置いて来させたのだが正解だった。考えたくはないが、もし持っていたらこの少し変わったところのある幼馴染は庭園の鷺に銃口を向けていたに違いない。


(メイジ宮殿で発砲? ムリッ!)


 ヘンリーと違い、生まれも育ちも日本である生真面目なリンネは想像しただけで卒倒しそうだ。


「っていうか、そういう物騒なこと普通のテンションで言わないでね。ハルはまだしもわたしまでおかしいって思われるじゃない」


 学友達に聞かれはしなかったかと、リンネはハラハラしながら控え室の中を見回した。


 彼らはみなリンネと同じメイジ菊香院きっかいんの生徒たちだ。

 世界に羽ばたく人材育成のためと政府によって設立された学校のため、ほんの一握りではあるが、リンネのような混血児も通っている。

 彼らはリンネについてメイジ宮殿にやって来た、褐色の肌に青い瞳のヘンリーを見て驚いた様子を見せたが、リンネが「父の親友の息子で、わたしの友人」と紹介すると、「英国がらみの客なんだな」と納得したようだった。


「大丈夫。誰も聞いてないから。もうみんな僕そっちのけで大騒ぎじゃないか」


 少女のように艶やかな唇に微笑を浮かべ、ヘンリーはリンネに向き合った。


 ここは旧エド城西の丸に建設されたメイジ宮殿。

 御学問所の侍従詰所は臨時の控え室になっており、二十人前後の少年少女でひしめき合っている。彼らはリンネ同様、大切なお役目の予行練習のためにメイジ宮殿に集められているはずなのだが、ヘンリーの言うとおりかなり浮き足立っていた。

 特に少年たちはドスンドスンと跳ね回って騒がしいことこの上なく、比較的大人びた少女たちですらおしゃべりに夢中だ。ただその会話の内容は、おそらく英国とインドの血を引く一つ年上の見目麗しい幼馴染のことに違いないだろうが……。


(彼が当分我が家に滞在していると知ったら教室で取り囲まれそうだわ)


 リンネは軽くため息をつく。


「それにね、リンネ。僕が人からどんな風に見られたところで、君はなんら恥じることはないんだよ。偉大なる大英帝国の全権大使アンセルム・アシュレイのご令嬢で、宮内省の外局として鳴り物入りで設立されたメイジ菊香院きっかいんでも抜群の成績をおさめている非常に優秀な生徒だ。だからこうやって日本の生徒たちと同様にお役目を拝命しているんだろう?」

「でも……」

「また『でも』なのかい?」


 ヘンリーは明るい水色の瞳を細めて、体の前で腕を組んだ。


「いつも言っているだろ。振る舞いが自分を作るんだって。君は君だ。堂々としていればいい」

「うん……」


 ヘンリーの言いたいことはわかるのでうなずきはしたが、それでも目立つことには不安があった。


 リンネ・アシュレイ。十四歳。メイジ菊香院中等部二年所属。

 日本と外交上深い関係にある英国大使の父と、エドから続く商家の娘である日本人の母との間に生まれた、英日の混血だ。兄は三人いて、家族の仲は非常にいい。唯一の女の子である自分は特に大事に……時折過剰に構われているように思うくらいだ。

 けれどリンネは、いつもどこか自分だけ違うような違和感を覚えていた。

 それは兄弟で一人だけ、燃えるような赤毛やオレンジ色の瞳をしているせいではないことは自分でもわかっていた。

 おそらくわたしは自分にまったく自信がないのだ。

 自信がないから勉強をしてみたりするのだが、いくら勉強ができたって、上には上がいる。日本で一番になれるわけでもない。こうやってお役目に選ばれたって、大使である父の影響ではないかと考えてしまう。

 どこか満たされない気持ちが常に自分の中にある。

 兄たちはそれぞれに自分の道を選び日々努力しているというのに、どうして自分にはそれが見つからないのだろう。

 わたしに足りないものは一体なんなのだろう?



 無事お役目の予行練習を終えたリンネとヘンリーは、正門の北にある坂下門をくぐり外に出た。

 時刻はすでに夜の八時をまわっている。緑が多い皇居周辺はとても静かだ。十二月に入ったばかりの東京の夜はさすがに冷える。二人は厚手のコートを胸の前でかき合わせた。


「寒いなぁ……。シスコン集団の迎えはないの? これを歩いて帰るのはなかなか辛いよ」


 リンネ以外の生徒は皆当然のごとく迎えの車が来てすでにその姿はない。 ヘンリーは大げさに身を震わせリンネの顔を覗き込んだ。


「もう、そんなこと言って……」


 シスコン集団とは失礼な話だが、英国に留学している長兄、海軍に入り現在はメイジ宮殿で侍従武官として勤めている次兄、帝大の学生である三兄たちは、確かに末の妹に甘すぎるところがある。

 十二月に入って大晦日までの四週間、週に一度、お役目のために宮中に上がることになったはいいが、リンネの送り迎えを誰がするかでアシュレイ家はもめていた。

 一応リンネも良家の子女であるからして、使用人でも使えばいいものなのだが、まだものごころもつかない幼い頃、使用人にかどわかされそうになる事件があり、アシュレイ家では基本的に家族と長年仕えてくれるばあや以外にリンネを任せようとはしなかったのだ。

 だがばあやは夫婦で留守にしがちなアシュレイ家を切り盛りするのに忙しく、どうしたものかと悩んでいたところに居候のヘンリーがその役目を申し出てことなきを得たという流れがある。

 けれどリンネは心の奥底では迎えなど必要ないと思っていた。


(だってハルもいるし)


 何気なく、隣を「寒い寒い」と歩く幼馴染を見上げる。夏に会った時よりもさらに身長が伸びている。もちろんリンネよりはるかに高い。父親譲りの青い瞳と、インドのマハラジャの血を引く褐色の肌が、紺色のコートの襟によく映えて見えた。


「こんな時期だし母さんも兄さんたちもみんな忙しいの。そのためのハルじゃなかったの?」

「まぁ確かにね。アシュレイ家の姫を守るナイトの役目、謹んでお受けします」


 ヘンリーはくすりと笑い、妙に様になる様子でリンネに一礼したあとまた顔を近づけて来た。


「な、なに?」

「いや、月の明かりの下で見ると、リンネの目ってまた特別きれいだなと思って」

「……っ!」

「琥珀……赤みのあるアンバーだね」


 まじまじと見つめられてさらに頬が熱を持ち始める。けれどヘンリーはからかう様子もなくにこにことリンネを見つめていた。


(こんなお世辞外国で覚えてくるのかしら。ハルのこと、大人になったなんて夏に会った時は思わなかったのに……)


 ヘンリーは英国人の父と世界を商談で旅して回っている。そして年に数回一人で日本にやってきては、ひと月ほどアシュレイ家に滞在するのだ。それは年に数回のリンネの楽しみでもあったのだけれど、今回はなんだか調子が狂う。


「もうバカ言ってないで。さぁ、帰るわよ」


 なんとなく寂しく思う気持ちを振り切って、リンネは勢いよく歩き始めた。



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