82 死闘の始まり
浜野カエデは、春宮ヒヨリが入っていったばかりの扉を見つめていた。ヒヨリを下に行かせたのは、彼女に言った通り、誰か来てもここには来させないようにして欲しかったから。それは、嘘ではない。だけど、一番の理由は、ヒヨリを遠ざけておきたかったのだ。
彼女はあの人が憎む御三家の人間だ。それに、何が起こるか分からない。出来れば自分一人で決着を付けたかった。
今日のために今まで準備してきたのだ。
カエデはサンケ学院中等部の隠れ家を出てから、一睡もしていない。これ以上、出来損ないの魔力人形を発生させないため。でも、不思議と眠たくはなかった。気分が高揚しているからなのか、それとも魔力のおかげなのか。
どくん……。
今までとは違う感じで、心臓が鳴った。
「来る」
カエデから紫色の瘴気のような物が湧き出し始める。
あの人が目覚める兆候。
そこから、薄紫色の人型が形成される。
まるでカエデの中から出てくるかのように、頭から順番に作られていく。
長い髪を持ち、顔は整っているが、その目には眼球がない。
どこも薄紫色で、1色のみのゴム人形のようにも見える。
やがて、上半身が出来上がった。
胸には膨らみがあり、女性であることが分かる。
いつもなら、ここで終わりだった。
上半身から下は、よくある幽霊のイラストのように窄んでいき、その先がカエデと繋がったままになるのだ。
だが、今日は違った。
「グアアアア!!」
薄紫色の女は咆哮しながら、カエデから無理やり分離しようとしていた。
ゆっくりと足が出てくる。
「ああっ!?」
カエデはまるで全身の皮を、剥ぎ取られているような錯覚に襲われる。
あまりの激痛に息もままならない。眩しい光もないのに、目の前がちかちかし出す。
予想外の出来事だった。
あの人が自分の中で暴れたり、出て行こうとするのは予想出来た。
しかし、ここまでの痛みを伴うものとは思わなかったのだ。
カエデは、これで自分は死ぬんじゃないかと思った。
そう簡単に死ねない体なのは、良く知っているはずなのに。
「グァハッ……」
薄紫色の女が、自身も大きなダメージを受けながらも、ようやくカエデから抜け出す。
一方のカエデは膝をつき、そのまま地面に倒れ込んだ。
非常に不味い状況である。
あまりの痛みに体はショックを受けており、ほとんど動かすことが出来ない。
意識を飛ばさなかったのを褒めて欲しいぐらいだった。
目の前にいる薄紫色の女は……ストリィンヒヴィ。そう、魔王化した元女神である。今までカエデから出てきた時と違い、足はちゃんとあり、宙を浮いている。カエデ同様に弱っているようだが、宙を浮かぶことが出来るということは、だいぶマシな状態であることを示していた。
「かはっ……これは……どういうことじゃ!?」
当然、この世界の異変には気付いているようだった。
「……」
「魔力が抜けておる……。停電しておるのか!? どういうことじゃ、カエデ!?」
「わ……わからない、です……」
なんとか喋ることは出来たが、自分の声とは思ない程、かすれていた。
体が動かせるようになるまで時間を稼がなくては、とカエデは靄がかかったような思考を必死に巡らす。
「嘘を吐くでない……4か所の発電所が同時に落ちるなど、その準備をしていたそなたにしか出来ないはずじゃ!」
「地震が……地震が起こったんです」
「街は何ともないのに、発電所だけが被害に遭う地震とはどんな地震じゃ!?」
「……」
暗闇でも目がいいんだったと、カエデは心の中で舌打ちする。
「世界から魔力が減っていくこの状況も、そなたの仕業じゃな。あと少しで実体を取り戻せたというのに」
ストリィンヒヴィは悔しげにそう言う。
本来、その様子を気分良く見ているはずだった。それがこの有様である。
「娘として可愛がったというのに、この仕打ち。所詮は器との混じり物……新しい旦那も、その器が選らんだ者じゃ。わらわが愛した本当の旦那との、正真正銘の子供とはやはり違うというわけじゃな。それでも、わらわの娘であることには変わりないが、この代償は高くつくぞ」
ストリィンヒヴィがその手に黒い弾を出した。まだ、本調子ではないのか、それほど大きい物ではない。それでも、そんな物を直撃したら、さすがのカエデも無事ではいられないだろう。この場での逆転はほぼ無くなる。最善の状態でなければ、勝てない相手だからだ。
だが、今のカエデにはどうすることも出来ない。黒い弾がカエデに向けて放たれ、それが自分に迫ってくるのを見ていることしか出来なかった。
「出来の悪い娘に罰を与えたら、予定とは順番が異なるが、急いで魔界の扉へ行くとするか。停電中ということは、あそこにも行けるはずじゃ」
そうなったら、もうおしまいだ。
カエデの目から涙があふれる。あの日に泣いたのを最後に、この2年と7か月の間、ずっと涙を堪えていたというのに。歯を食い縛って今まで準備してきたことが、全て水の泡となってしまう。
もうダメだ、そう思ったとき。
カエデの壁となるように、巨大な氷が上から落ちてきた。
そこに黒い弾が当たり、爆発が起こる。
「!?」
おかげでカエデは無事だった。
ピンク色の髪の少女が、たった今、氷が落ちた場所に着地する。
「はいはーい! カエデ様のアイドル、ムツミンだよー! 危なかったねぇ」
「壱野……」
壱野は顔だけカエデの方を向いてにっこり微笑むが、カエデはそれをばつが悪そうに見ていた。今まで、散々冷たく接してきたのだ。さらに、使い捨てにして、最終的には鈴野イクト達に倒させようとしたのだから。
「カエデだけでなく、わらわの純粋なる魔力人形までも盾突くというのか!?」
「私はあなたの純粋なる魔力人形じゃない! カエデ様のだ!」
壱野は必死に自分を奮い立たせ、ストリィンヒヴィに向かって叫ぶ。だが、その表情は強張っていた。相手はもう一人の魔王だ。そして、壱野はカエデが自分のことを、良くは思っていないことを知っていた。だから、カエデの前では明るく振る舞っていても、本当はいつも緊張していた。それでも、壱野にとってカエデは、彼女が唯一認める自分の主なのだ。心優しいところがあるのも知っている。
「弱っているとはいえ、そなたなどわらわの相手にもならん」
「やってみないと分からないよ!」
ストリィンヒヴィが彼女らに向けて、再び黒い弾を放つ。壱野もそれに向けて、巨大な氷を放とうとした。しかし。
「攻撃できない!?」
「当たり前じゃ。魔王に作られた物は魔王に攻撃することなど出来ん。例え、そなたに入っているわらわの力が、10や20パーセントぐらいだったとしてもじゃ」
「くそっ!」
壱野は、ストリィンヒヴィに向けて巨大な氷を放つのを諦め、自分の目の前にそれを出現させる。それでカエデを守ろうとする。
「なんで……なんで、あなたなんかの力が私の中に入っているのよ……あなたなんかの力なんて、いらないのに! 認めない、認めたくない! ずっと嫌だった! 最初から嫌だった! 私のことはカエデ様が作ったの!」
その嘆きは、叫びは、カエデの心を苛む。
彼女は自分と全く同じなのだ。そのことに初めて気付かされる。
カエデも、自分にストリィンヒヴィの血が流れていることを嘆き、呪ってきた。
その辛さが分かっているはずなのに、自分と似たような存在を作り、あまつさえ、壱野にストリィンヒヴィの力が入っているからと、彼女を忌み嫌ってきた。自分のせいなのに。
心を抉られる。
カエデにとって特別な千木良アキを除いて、魔力人形など皆道具としてしか見てこなかった。出来損ないの魔力人形なんて敵だった。でも、勝手に生まれてくるとはいえ、自分が親みたいな存在なのだ。その親から最初から捨てられている。
魔王レオがサンケ学院高等部を、乗っ取ろうとした時のことを思い出す。あれはたぶん、左近ヒサトと右田カナコだったと思う。彼らが鈴野イクト達と戦っていた時に放った言葉が、今になって鮮明に蘇り、カエデの心を突き刺してきた。
彼ら一人ひとりにも想いがあるのだ。人間としての想いが。
目的のため、今まで立ち止まることなく突っ走ってきた。自分を救うことは、この世界を救うことでもあるのだ。自分がやっていることは、全てにおいて正しいことだと思っていた。それが、ここに来て揺らぐ。
そうなったのは、カエデの心が弱っている証拠だった。
魔王の力に酔いしれていた自分が、初めて窮地に立たされ、もう終わったと思った。
でも、心が弱ることで、立ち止まることで、初めて見えることもある。気付くこともある。
カエデの視線の先には、彼女を必死に守るように立つピンク髪の少女がいる。その肩は激しく上下していた。息が荒くなっているのだ。
巨大な氷を、黒い弾に向けて放てない以上、壱野は自分の目の前に出すしかない。それで、致命傷は免れるものの、目の前で爆発が起こることになるので、その衝撃からは逃れられない。さらに、弱っているとはいえ、さすが魔王。彼女のペースについていくのがやっとだった。それらが、壱野をどんどん消耗させていく。
「私が守るんだ……私が」
壱野は自分に言い聞かせるように、鼓舞するように言い続ける。
迫ってきた黒い弾に、ぎりぎりで巨大な氷を出す。ストリィンヒヴィの攻撃するペースが速くなってきているのだ。
目の前で大きな爆発が起こり、それを必死に耐えながら前を見ると、既に新たな黒い弾が飛んできていた。
「うそ……」
間に合え……間に合え……。
全身から魔力を集める。
だが、どう考えても間に合いそうになかった。
それでも壱野は、諦めず、迫ってくる黒い弾を睨み付ける。
次の瞬間、目の前が暗くなる。
そして、間髪を容れず、そこで爆発が起こった。
「さっちゃん!?」
彼女の前には弐野サツキが立っていた。
ストリィンヒヴィも新たな人物の登場に、何事かと確認するため一旦攻撃を止める。
「やっぱり、来てくれたんだね!」
「カエデ様に言いたいことがある……」
だが、壱野は弐野がいつもと違うことに気付く。
「さっちゃん……なにそれ……」
弐野の背後に禍々しい瘴気のようなものが出ており、そこからさらに化け物じみた巨大な手が伸びていた。その手の真ん中には穴が空いており、他もぼろぼろに見えた。
壱野が初めて見るものだったが、それが弐野の一部であることはすぐに理解する。そして、それがぼろぼろということは、彼女が満身創痍の状態でここに来たことを意味していた。




