70 願いを込めて空に放つ
「千木良さん、ありがとうです」
「もうよろしいのですね」
カエデは無表情な顔で頷く。
ヒヨリの方を見ると、未だ不安そうな様子で表情は硬かった。彼女のことが気にならないと言えば嘘になる。それだけ、カエデの中でヒヨリの存在は大きくなっていた。だが、ヒヨリにも言った通り、カエデが立ち止まることはない。次やろうとしている所まで協力して貰えればいいのだ。
もちろん、協力してくれない場合もちゃんと考えてはあった。その場合は少し面倒なことになるだろう。
「始まった……」
カエデの頭の中に、肆野だけでなく、壱野、弐野、参野の3人からも発電所を攻撃し始めた映像が送られてきた。
それらを頭の中で見ながら、目の前の美しい夜景を眺める。
カエデはこの街のことが好きだった。でも、魔王である自分は拒絶されている場所でもあるのだ。
やがて、3人からの映像が切れる。
肆野だけは一体何がしたいのか、未だに暴れていた。
目の前の街が暗闇に包まれる。満月の明るさを実感する本来の夜。
こちらの方が魔王には相応しいのかもしれない。でも、カエデはこんな暗くて寂しい世界は嫌いだった。空に浮かぶ満月を見上げれば、神秘的な雰囲気に浸れるかもしれない。しかし、少し視線を下に持っていくと、まるで死神でも潜んでいそうな暗い街が映る。
この生命力あふれる煌びやかな世界から、生き物全てが息絶えたような闇への唐突の入れ替わりは、まるで自分の人生のようで心がかき乱される。
「カエデちゃん……」
ヒヨリが心配そうな顔で、でも優しく微笑んでくれた。それを見てカエデも何故か安らぎを覚え、一緒になって微笑む。
そして、思いを巡らした。
電気が止まったことにより、不可逆性変異空間は無くなったのだろうか。あんな物が世界を覆っているのなら、それを維持するのに相当な電力を必要とするはずだ。
あの人は言っていた。昔は発電所1か所でこの世界の電力を十分まかなえていたと。人口は魔王戦争の時に一時的に減ったが、今はそれ以前と大して変わらない。科学も強い力がこの世界に働いて、あの人が知っている頃からほとんど発展していないらしい。唯一、科学の発展を感じられるのがあの不可逆性変異空間。魔界の扉の前にあったそれを見た時に説明してくれた。
今は魔力があふれ、1か所の発電所で昔より電力を大量に生み出せるようになった。それにもかかわらず、現在では3か所の発電所を起動している。ほとんど昔と変わらないこの世界が、何故そんなにも電力が必要となったのか。それは間違いなくあの不可逆性変異空間のために違いない。
だから、そんなに電力を食う物に、停電時用の予備の電源装置等があったとしても雀の涙みたいなものだろう。発電所が止まった現在、間違いなく不可逆性変異空間はこの世界を覆っていない。
「ヒヨリちゃん、お願いします」
カエデがそう言うと、ヒヨリは月明りに輝くルビーの槍を彼女に手渡した。
レプリカの槍は渡されてから1分も経たずに消えてしまう。本物のエブドウギの槍の場合はどうなのだろうか。
カエデは受け取ったそれを素早く弓にセットし、その切っ先を空へと向ける。
彼女の周りに渦を巻くようにして風が舞う。
目を見開く。
願いを込めて。
想いを込めて。
空へと向けて弓を引いた。
ルビーの槍は赤い光の線となり空を切り裂いていく。
稲妻を迸らせる槍、その矛先から風がドリルのように渦巻いている。
そして、あっという間にカエデ達の視界から消えていった。
不可逆性変異空間が無くなれば、槍はこの世界の天井まで届くはず。
一つはレプリカだけど、二つの神器があればそれを壊せる。
カエデは自分の力と二つの武器に絶対の自信を持っていた。
3人は固唾を呑んで赤い槍が消えていった空を眺める。
そして次の瞬間、地震のような地響きが起こった。
「わっ、地震だ!? 成功したの!?」
「何か降ってきました!」
灰色の砂が空から大量に降ってきた。
「この世界を覆う壁を壊せたの!?」
「はい! この世界に充満していた魔力が外に逃げていきます! やった! 間に合った! 間に合った!!」
カエデは思わず敬語を使うのも忘れ、喜びを爆発させる。
10月18日が、あの人が教えてくれたタイムリミットの日。ざまあみろ。
カエデは口元を歪めそうになるのを必死に堪えながら、ヒヨリと両手を繋いではしゃいだ。
「ねえ、お月さまが無くなっているよ!?」
ヒヨリの声でカエデも空を見上げると、いつもあるはずの満月が無くなっていた。しかし、空自体が夜でも薄っすら光っているのか、明るさはあまり変わらない。
あの人から聞いた通りだ。これが本来の空なのだろうか。月も恐らくは太陽もない空。
「壁が復活することはあるのでしょうか?」
千木良が灰色の砂を煙たそうに鼻を手で覆い、空を眺めながら聞いてきた。
「たぶん大丈夫です。攻撃したのは私ですけど、壊したのはヒヨリちゃんの神器ですから」
ヒヨリと一緒に魔力人形狩りした時のことを思い出す。
カエデが彼らを攻撃した場合、魔力人形も共有する記憶にその事実が残らなかった。でも、今回の壁と似たような形でヒヨリの槍を矢として用い、魔力人形を倒した場合は記憶に残っていたのだ。その記憶の中では誰がそいつを倒したかは分からなくなっていたが。
この経験から、神器は所有者そのものと認識されるに違いないと理解したのだ。
魔王であるカエデが壊したとなると、それはいずれ元に戻る。だが、そうでないと認識されたなら、元には戻らないはずである。
「とりあえずは一つ目の目的は達成された訳ですね。それなら、私は今から第一魔力発電所に向かおうと思います」
カエデが予想もしていなかった千木良の発言。
「え……なぜですか?」
「肆野を止めようかと。やはり、彼女のことは出来るだけ早く、止めるべきだと思われますので」
「……」
カエデも肆野のことは気掛かりだった。
偵察に行った壱野から聞いて、トーキョー市に鈴野イクト達がいるのは知っている。恐らく先程の放送も見てくれたはずだ。だが、彼らがどれぐらい当てになるかは分からない。
今回、肆野から送られてきた映像を見て、一刻を争う事態かもしれないとカエデは思っていた。
口調だけなら参野の方がよっぽど荒っぽい。だが、凶暴性に関しては肆野が4人の中でずば抜けている。正直、このままだと何をしでかすか分からない。
「カエデ様、大丈夫ですよ。すぐ戻ってきますから」
「はい……」
「千木良先生、頑張って!」
「ヒヨリさんもカエデ様のことをよろしく頼むわね」
千木良はそう言うと、もう一度だけカエデの方を向き、優しく目を細めた後、トーキョースカイビルの屋上から飛び立っていった。
「大丈夫だよ、カエデちゃん」
「いえ、結果的には良かったと思います」
「んー?」
「この世界から魔力が出て行って、それに気付いたあの人がもうすぐ目覚めると思うのです。あの人に千木良さんは会わせたくないから、これでいいんだと思います」
そう言いつつもカエデは、千木良が消えた夜の闇をずっと見つめていた。
だが、次の瞬間、はっとした表情でヒヨリの方を見る。
「どうしたの?」
「何か来ます!」
大きな魔力を持った者が複数、こちらに向かっているのが分かった。もの凄いスピードでこのビルの下から飛んでくる。飛ぶことが出来るなんて一体何者なのか、カエデは構える。
そして、彼らはやって来た。
カエデから見ると、びっくり箱から飛び出してきたかのように凄い勢いで下から現れる。屋上に辿り着くとそこでピタリと空中に止まった。
赤い法衣を纏った5人の老人達。
皆、足元までありそうな長く伸びた白い髭を持ち、どう見ても百歳は優に超えていそうな程に深い皺で顔を覆い、血走った目をぎょろつかせている。なんとも異様な雰囲気だった。




