6 同居生活
蒸し暑さで目が覚める。俺は薄暗い場所にいた。トランクスと下着のシャツという姿で、ベッドの上に寝ているみたいだった。夜のようだが、近くにある窓のカーテンが開いていたため、思ったより早く目が慣れていく。ここは誰かの家の寝室だろうか。
とりあえず、起き上がって窓の外を確認してみる。この家は丘の上にあるのか、素晴らしい夜景が広がっていた。家の近くには豪邸が建ち並ぶ。
頭が徐々に覚醒していく。確か、別世界に連れて来られたんじゃなかったっけ。でも、ここから見る限り、日本の高級住宅街みたいな場所だと思った。
丘の下にはびっしりと家々の光が煌めいていた。見ているだけで何度も感嘆の声を上げてしまう。少し離れた所に小高い山でもあるのか、そこら辺一帯は暗い。だが、さらにその遠くには一段と光が輝いて見えた。沢山の高層ビルが連なっているのだろうか。相当大規模な都市がそこには存在してそうだった。
ベッドの隣にある椅子に俺の制服が綺麗に畳まれていたため、そこからズボンと長袖のシャツを取って着る。ちょっと暑いけどしょうがない。というか、暑いだろうと思って誰かが脱がしてくれたんだろうけど、まさか天羽が……? 嬉しいような恥ずかしいような。いや、待てよ。彼女一人じゃここに俺を連れてくるのは無理だよな……。
部屋から出ると、廊下には幾つかの扉があった。豪邸かホテルのようにも見える。そのまま廊下を辿ると、下に降りる大きな階段があったので降りていく。
「なんかいい匂いがするぞ。そういや、お腹空いたなー」
匂いに釣られてある部屋の前まで来る。かなり豪華な観音開きの扉があった。微かに聞こえる女の人の話し声。一瞬だけ躊躇してからその扉を開けた。
「あっ」
部屋には天羽百合乃と、恐らく俺をこの世界に連れてきた女の人が食事をしていた。
天羽と見つめ合う。夢じゃなかったんだ。正直、ちょっと泣きそうになるのを我慢する。彼女の方は顔が徐々に赤くなっていく。目もうるっとしていた。
「よっ! 天羽、久し振り!」
嬉しくて声が大きくなってしまった。ちょっと前に会ったわけだけど、その時は挨拶してなかったから「久し振り」でも問題ないよな。それに対して彼女は頷いて、少し微笑んでくれた気がする。
「おう、少年。生き返ったわね」
声がした方を見て、女の人の格好にぎょっとする。黒のネグリジェ、いやベビードールと言ったらいいのだろうか。そんな際どい格好でビールらしきものを飲んで、既に出来上がっていた。缶のラベルに『さんけビール』と書かれているのが読めたから、ビールで間違いないだろう。しかも、よく見たら彼女の前には料理はなく、そのビールだけだった。
「わわわ! 何て恰好してるんだ!」
スタイル抜群の豊満な体にこの格好はやばい。年頃の男の子にこれはやばいです。色々と。
「そうです、サヤカさん。さっきから言ってる通り早く着替えてきて」
天羽さんも相当ご立腹の様子で。
しかし、この人サヤカって言うのね。
「いいってことよー」
なにがだよ。
むすっとしてる天羽の頬に、上機嫌そうなサヤカさんがビール缶をぐりぐり押し付けていた。それに対して、天羽は無言でサヤカさんを片手で押しのけつつ、器用に食事を続ける。
「ははは」
なんだかおかしかった。
「少年。まあ、そこに座りなさい。百合乃が料理作ってくれたからな、食べるとよい。さっき出来たばかりだからまだ温かいはずよ」
天羽が? まじかよ。オムライスにポテトサラダにコーンスープ。
「どれも俺が好きなやつだ」
「そうなの?」
天羽がこっちを見上げてそう言ったあと、はっとした表情をし、目を逸らした。
ほほう。
天羽の目の前に座り、オムライスを一口食べてみる。おいしい。お腹空いていたこともあり、続けてぱくぱく口に放り込む。反応が気になるのか、天羽の手は止まっていた。
「オムライスうめぇ。中のチキンライスうめぇ。ちらっ」
天羽の顔がみるみる赤くなる。俯いたまま彼女も食事を再開するが、先ほどよりも動きがなんだかぎこちない。
でたこれかわいい。
「まさか天羽の作った料理が食べられるなんてなー。ちらっ。はー、おいしー。はー、幸せー。ちらちらっ」
さっきまで普通に食べていた天羽は、今やスプーンでちょっとずつすくって、それをじーっと眺めながら、ゆっくりと口に運んでいた。照れてる照れてる。
そこへ再びサヤカさんがビール缶を押し付けてきたが、顔真っ赤の天羽は、今度は押しのけようとはしなかった。それに対してサヤカさんは「決まったな」とか言ってる。だから、なにがだよ。
「じゃあ、自己紹介でもしましょうか。わー、ぱちぱち!」
一人で盛り上がっている酔っ払いがいる。
「私は見ての通り女神様よ」
「見ての通りって酔っ払いの痴女にしか見えませんが」
いつの間にか俺はサヤカさんにヘッドロックを決められていた。大きな胸が顔に押し付けられる。
「ギブギブ! 色んな意味でギブゥ!」
もう一人の気配がしたと思ったら、俺は解放されていた。
天羽がむすっとした表情で自分の席に戻る。
「私は見ての通り女神様よ」
「はい」
「名前はね、人間の言葉で発音するとトゥトゥンイィかな。可愛くない? そうそう。今度、あの盾出すときは女神トゥトゥンイィの盾と大声で言って出しなさい。そういう名称だから」
「それはちょっと……」
女神様ねえ。でも、死んだ天羽を別世界で生き返らせ、俺と会わせてくれたことを考えると、そういう類のものでも不思議はないか。
「でも、この世界での名前は天羽サヤカね。私達3人は今日から家族よ」
「はぁ……って、えー!?」
「私と百合乃が姉妹。百合乃はいい加減、私のことサヤカさんじゃなくてお姉ちゃんと呼ぶこと。敬語も禁止。で、鈴野行人くんだっけ? 行人は私達とは従姉弟の関係。この街の名門校に通うため、親戚である私達の家に居候することになった。百合乃も最近ここに越してきたことになってる。そういう設定だから」
「でも、サヤカさんほとんど家にいないし、外なんて滅多に出歩かないから、その設定いらないですよね」
天羽がぽつりとそう言った。
「お姉ちゃんは?」
ふて腐れた表情でサヤカさんがまた天羽の頬にビール缶をぐりぐりし始める。天羽、こう見えて結構頑固だからなあ。俺なんて今日やっと名前呼んで貰えたし。でも、普通に仲のいい姉妹に見えるな。今まで妹さんといる天羽しか見たことなかったから、なんか新鮮。
「あのねー。今日、行人を家まで運んだのは私よ。外出てますし。あ、ちなみに暑そうだったから服脱がしたのも私ね。服畳んだのは百合乃」
「ズボンまで脱がす必要はなかったと思いますけど」
「興味津々で見てたくせにー」
「なっ……見てません!」
やっぱりサヤカさんが俺のこと運んでくれたのか。まあ、女神様だし。てか、服脱がされてるとき天羽いたのね。お前、顔真っ赤だぞ。こっちまで赤くなるわ。
「わたひは保護者的存在だから必要なのよ。とにかくこの設定に異論は認められまへん! 人を送る時に色々決めて、一遍に世界を改変するんだけど、その後に細かい修正するのは大変なんだからー」
今の酔っ払い状態のサヤカさんを見ていると、こんな人に世界改変とやらをやらせて大丈夫なのだろうかと心配になる。天羽と目が合うと彼女は頷いてきた。考えていることは一緒のようだった。