1 転校生
色白の少女が何もない空間に両手を添え、忙しなく10本の指を動かし始めた。ピアノを弾くような軽やかさで、まるでそこにキーボードでもあるかのような動き。
俺は自分の背丈ほどありながら、全く重さを感じられない青色透明の盾を構え、必死に敵弾を食い止めていた。
目の前にいる得体の知れない何かが咆哮する。色白の少女と同じ制服を着たそいつの顔は、とても人間のものとは思えなかった。そして、怒りに任せて魔法の弾を放ってくる。その数4つ。
同時に俺の後ろで光が差す。
少女の周りには、黄金の天使の羽のようなものが出来上がっていた。その数6つ。しかし、実際にはそれらは無数の光の線。
少女はたおやかに両手を広げ、軽く息を吸い、再び指を動かし始めた。
瞬間、天使の羽が曲がる。いや、大量の光の線の先が90度近く屈折し、俺のいる方角に急速に伸長する。
「くっ!」
俺の両脇ぎりぎりをかすめる。そして、再び屈折し、化け物と呼んで良い存在に収束する。
化け物は断末魔を上げたのだろうか?
上げたとしても何十いや何百といった数の銃を、同時に撃ち込んだような音がそれをかき消しただろう。
爆音。振動。衝撃。砂煙。
俺は強力な衝撃波を必死に盾で防ごうとするが、今にもその盾ごと吹き飛ばされそうになる。
大量の魔法の閃光を放ち、それら全てを同時に操作する力。
このときの俺は、その凄さをまだ理解していなかった。
振り向くと少女はずっとこっちを見つめていた。真っ直ぐ。俺を。その後ろの黒を。
「天羽百合乃です」
高校2年の9月頃に、一人の女の子が海外から転校してきた。
それは小学生の頃よく一緒に遊んだ、俺がよく知っている子だった。
彼女は相も変わらずの背筋の良さで、顔も真っ直ぐ前を向き、でも少し緊張した面持ちで、大きくも小さくもない声で自分の名前を言った。
色白で丸顔。以前の髪型はショートボブだったけど、髪はあの頃より少し伸び肩までかかるようになっていた。黒髪だけど重い感じはなく、艶があり柔らかそうな印象も当時のまま。色白な人にありがちな薄い顔で、そして、以前と同じく綺麗な顔立ちをしていた。
最後に会ってからもう7年半が経っていた。前よりも随分と大人びた雰囲気だった。
「7年半前って小3の終わり頃なのだからある意味当然か」
思わず呟く。
それでも、当時の面影が残っていたため、彼女があのときの天羽百合乃であることは分かった。
もう二度と会うことはないと思っていたから、正直驚いた。でも、それ以上に嬉しかった。
「確か鈴野行人の隣が空いていたな。おお、あそこな」
先生が俺の隣の席を指す。
まじか。そういや俺の隣は空席だったんだ。
天羽がこちらに向かって静かに歩いてくる。思わず俺は下を向いてしまう。
何て言おう。何て言おうか。そもそも俺のことを覚えているのだろうか。
そんなことを考え巡らせているうちに、足音が隣の席で止まった。俺は彼女の方を見上げる。
「俺、鈴野行人。ひ……」
久しぶり、覚えてるか? そう爽やかに繋げようとした瞬間、彼女のどこか冷めた表情が目に入り、言葉が詰まる。
えっ、なんですこれ。
元々、彼女はそんなに表情豊かな方ではなかったが、こんな冷たい視線をするような人ではなかったはずだ。
そのまま俺達は見つめ合っていた。もの凄く長く感じられたけど、実際には1秒や2秒ぐらいのものだったのかもしれない。教室全体が氷で固められてしまったかのように止まり、恐ろしく静かだった。
やがて、天羽は何も口から発さず、申し訳程度に会釈してから席に座り込んだ。その座るときの風圧で、優しげなシャンプーの微かな香りが俺の頬を撫でた。