うちの父ちゃん
今日の父ちゃんは朝から機嫌がチョー悪い。
私には、その理由がわかっている。今日、私の姉が結婚式を挙げ嫁いでいくからだ。
時計の針は、そろそろ式場へ向かう時間を指そうとしている。間もなく迎えのタクシーが我が家へ着くというのに、父ちゃんはパジャマ姿のまま、新聞紙とにらめっこの真っ最中。この根の生えた大木はテレビの前のソファーを陣取り、オデコにシワをよせ、カカトを小刻みにゆすっている。お陰で「今日のお姉ちゃんは最高に綺麗だろうねぇ」とか「父ちゃん、恥ずかしいから泣かないでよ」とか、おめでたい朝なのに世間でありそうな会話なんて出来りゃしない。テーブルの上に置いてある湯呑の中身だけが忙しそうに波打っている。一方、母ちゃんはその子供じみた仕草を横目に笑顔で身支度をしている。
「あなた。今日来ていく服、出してありますからね。来ちゃいますよ、迎えのタクシーが。あの子も式場で到着を待ってるんですよ、早くしてください」
鏡に映る母ちゃんの後ろで大きな肩が小さくゆれる。「ああ、わかってる」と不機嫌そうにつぶやくと、大きな音をたてて茶をすする。
「こんなおめでたい日に、そんな顔してちゃダメじゃないの。だいたい、あの子の旦那さんになってくれる『りょうへい』さんのこと、あんなに気に入っていたじゃない」
そう言う母ちゃんに「別にわしは普通だ。機嫌なんて別に悪くもなんともない」なんて返事をしているが、表情と言動が全く一致してないし、さっきから新聞をめくる音がまったく聞こえない。
『りょうへい』さんは、姉の結婚相手だ。彼は近所の工務店で働いていて、姉の職場へは仕事でちょくちょく顔を出していたらしい。その縁で知り合い、職場での知人関係から恋人へと発展し本日に至る。私の家に顔を出すと、みんなの前で明るく楽しそうに振舞うりょうへいさんを見ていると、毎日疲れはて鬼瓦のような顔をして帰ってくる大工の父ちゃんとは、まるで正反対だ。だいたい服装にしたって、パリっとアイロンのかかった作業着を着こなす彼に対して、薄汚れたタオルを首に、地下足袋で帰ってくる父ちゃんとは、とても縁遠い存在のように思えて仕方ない。
りょうへいさんの楽しそうな笑顔……ふと思い出した、これは私がまだまだ小さかった頃の話だ。
ある日、母ちゃんが風邪をこじらせ布団の中で寝込んでいると父ちゃんは、なにを思ったのか、いつもより早く仕事を切り上げて帰ってきた。両手になんとも似つかわしくない、野菜が詰め込まれたレジ袋をぶら下げ、無言のまま台所へと入っていった。そして包丁を取り出すと、ジャガイモの皮を剥きはじめる。もちろん、父ちゃんの家事をする姿なんて見たことないし驚きと物珍しさで、姉も私もままごと気分で手伝いをはじめた。今考えると「何で?」って思うのだが、寝込む母のために作られた料理は、こってこてのカレーだった。でも、母ちゃんは咳き込みながらも嬉しそうに口に運んでいたのを覚えている。
「父ちゃんってば、危なっかしいんだから。絶対に、不器用なのよね」
結局、その日の夕飯は、大半が姉の手によるものだった。
「あの危ない手さばきなんて見ていられないわ」
「あらあら、お姉ちゃんったら、すっかりコック長さんね」
「えへへっ。また風邪をひいたら、私がつくってあげるね。ずぅっと二人の料理をつくってあげるから心配しないで」
「ほほぉ。じゃぁ俺とも、ずっとずっと一緒だな」
世界一幸せそうな顔をして、父ちゃんが笑っていた。
「もちろんよっ」
私がこんなことを思い出していると、ばさりと新聞をたたむ父ちゃんの姿があった。やっと、重たい腰が上がったらしい。
「そういえばね、りょうへいさんを見ていると、若い頃のあなたにそっくりね」
振り向いた父ちゃんは「そんなことあるか」と、口をヘの字にしたまま、服をわしづかみに脱衣所へと入っていった。
「知らないでしょうけど、汗にまみれて帰ってくるあなたの姿……嫌いじゃないって言ってたわよ、あの子。ううん、そっちの方が『お父ちゃん』らしくって好きだって」
返事のない脱衣所の方からは、ネクタイを結ぶシュッっと言う音だけが聞こえてきた。
「仕事中に見かける彼の姿も、同じだって……父ちゃんそっくりだって」
聞こえていないのか、無視するように父ちゃんは玄関へ向かう。
「おい、なにやってる! 遅れるぞ。今日は、あの子の晴れの日だ、早くしないかっ」
いつの間にか、玄関前にはタクシーが待っていた。
私と母ちゃんは、あわてながら家を飛び出し、小走りしながら思わずお互いの顔を見合わせた。
だって、タクシーの前で待つ父ちゃんの顔は、あの日に見たのと同じような笑顔だったから。




