第8話 溝、当然の帰結
空中に跳んだ日高蒼は、右手と左手に一丁ずつ持った二つのサブマシンガンを連射する。発砲音とともに、振動と衝撃が蒼の腕を走った。
大量の銃弾が排出され、前方の床にいるゾドルに、雨のように降りそそぐ。
発砲されたゾドルは左手を前に伸ばして掌を広げた。それから[守護魔法]で具現化させた半透明のガラスのような盾を、自らの左手の前に展開させる。
すべての銃弾は魔法の盾に防がれた。だが、ゾドルの前面から真上にのみ魔法の盾があり、左右と後ろはガラ空きだ。
蒼はゾドルの左側へ素早く移動する。その際に両手のサブマシンガンを消して、右手にナイフを、左手にショットガンを出現させる。
ゾドルは右手に剣を持っている。だから左側を狙ったが、どうやら読まれていたようだ。[火魔法]で具現化された火の玉をゾドルが放ち、蒼は紙一重で避けた。
その隙にゾドルは剣を両手に持ったが、それよりも蒼がゾドルの懐に飛び込む方が早かった。
蒼は右手のナイフで的確に人体の急所を狙って、連続で突きと斬りを織り交ぜて攻撃する。
ゾドルは剣を手放して回避に専念する。超至近距離でナイフに攻撃されれば、剣で防ぐことはおろか回避にも支障が出る。だから割りきってゾドルは剣を捨てた。
蒼はナイフで斬りつけつつ、隙ができた瞬間に左手のショットガンで殴りつけた。
蒼はゾドルに力は劣るが、蒼が物による攻撃を行うなら威力はかなり上がる。ショットガンの打撃をゾドルがガードすれば、少し体勢が崩れた所をナイフで追撃する。ショットガンを後ろに下がって回避すれば、銃口がゾドルを捉えた瞬間にトリガーを引けばいいだけ。
ショットガンはかなり丈夫らしく、殴ったぐらいじゃ壊れないらしい。どんな構造をしているのやら。
ゾドルは避けるどころか逆に踏み込んでいき、蒼の左手首に手刀を打ち込み攻撃を止めた。蒼は一瞬硬直し、ゾドルは左手を引いた。
ゾドルの構えは正拳突き。蒼が苦し紛れにナイフで攻撃したとしても、ゾドル自身が致命傷にならないとわかっているから、蒼の攻撃など気にせずに正拳突きだけを集中して放つだろう。そうしたら蒼の負けだ。
「チッ‼︎」
蒼は舌打ちをしながら思いきり後ろへ下がって正拳突きを回避し、下がりながら右手のナイフを頭目掛けて投擲する。間髪入れずに左手のショットガンを発砲した。
どちらの攻撃もゾドルの[守護魔法]で防がれた。着地した蒼の横から、[水魔法]で具現化された水の刃が襲ってくる。蒼はそれをバックステップで回避し、左手のショットガンを消して、左右の手に一丁ずつ再びサブマシンガンを出現させる。
それから[水魔法]を行使した人物であるメアに向かって走る。
左手のサブマシンガンは前方にいるメアに発砲し、右手のサブマシンガンは右後方にいるゾドルに発砲する。
メアとゾドルはそれぞれ[守護魔法]でサブマシンガンの弾丸を防ぐが、蒼はその隙にメアに接近して両手のサブマシンガンを消す。そして右手に刀を、左手に槍を出現させてメアの背後から迫った。
メアは再び[水魔法]による水の刃を行使させたが、蒼はしゃがんでそれを避け、一気に加速した。この距離でこの疾さなら、防ぐことも避けることもメアはできないだろう。
蒼は刀の峰側をメアに向けて、すり抜けざまに峰打を決めようとした。
「ぐッ⁉︎」
吹き飛ばされた蒼だが、体勢を立て直して着地する。打ち付けられたような痛みや、体に無数の切傷ができていた。
これが[風魔法]の厄介な所だ。攻速が疾く、攻撃そのものが視覚できない。水や火なら視覚できるが、風は大気だから目に映ることはない。
そして、魔法は演算による無詠唱が常識だから、魔法攻撃されるタイミングがわからない。手をかざさなくても魔法を行使できると聞いた。だから、至近距離で演算による[風魔法]を行使されればどうしようもない。今は、の話だが。
まあ、メアさんの好意で連発されないだけマシか。あの時、一気にスピードを上げたからメアさんの体感では追いつけない程のものだった筈だ。なら、最初から読まれていたということになる。
蒼は息を吐いて、気持ちを切り替える。
メアは蒼を視界に捉えながら後ろに下がる。ゾドルは剣を持って蒼に迫って来ている。
蒼はその場に左手の槍を手放した。槍は重力に従って落下し、足元に来た瞬間に蒼は槍の石突きを思いきり蹴飛ばす。
「ッ‼︎」
メアは目を見開き、咄嗟に横に飛び退いた。蒼の蹴飛ばした槍が高速で飛んでいき、メアは魔法を行使する間もなく不恰好ながらも回避して尻餅をついた。
槍が壁にぶつかる直前に蒼は槍を消す。
やべぇ‼︎ 尻餅をついたままのメアさんが凄い勢いで睨んでくる。訓練が終わったら何をされるか。
見なかった振りをした蒼は、斜め右の方向から飛んでくる三つの火の玉を、右手に持った刀ですべて斬り落とす。それと並行して左手に先程蹴飛ばした槍を出現させ、火の玉を斬った刀を消した。
槍の柄尻を右手で掴み、柄の真中辺りを左手で掴んで構える。数メートル先にはゾドルが剣を正眼に構えている。
槍はかなり強い武器だ。近接武器装備中の相手のリーチ圏外から一方的に攻撃が可能。柄の真中を掴めば振り回し易く、刃と石突きによって攻撃判定が二つに増え、変幻自在な攻撃と防御が可能。刃に近い柄を掴めばナイフ程ではないが素早く振ることができ、相手に槍の全長を計られ難い。
さらに、重力、慣性、遠心力といった力の恩恵を受け易く、攻撃力が上昇しやすい。
ゾドルが飛び込み、蒼はすかさず突きを放っての牽制をし、ゾドルは後ろに下がる。
リーチの長さは蒼の方が上だ。あとは、いかにして相手を至近距離に入れないようにするか。近距離武器同士の戦闘になると、ゾドルは基本的に魔法を使わない。蒼に気を利かせているのかどうかは知らないが。
ゾドルの間合いの外から蒼は突きを連続して放つ。ゾドルはそれらを的確に避けている。
刺突をガードするのは難しい。点の攻撃を防ぐ位置が少しでもずれれば、多少軌道が変わっただけで、結局は突きが飛んでくる。点の攻撃を弾くことも当然難しく、避けるのが一番無難だ。
突きはゾドルに擦りもしない。間合いを上手く調整し、蒼の攻撃が当たりそうで当たらないような場所にゾドルは動く。
かといって、突きから横薙ぎに派生させるわけにもいかない。そんな中途半端な攻撃をすれば、槍の柄をゾドルに掴まれて逆にピンチに陥るだろう。
蒼は大振りに横に薙いだ。ゾドルを誘うために。
ゾドルは横薙ぎを躱し、あえて誘いに乗り蒼の懐に入り込む。
蒼は邪魔な慣性や遠心力を殺すために槍を消し、ゾドルが前へ進むスピードよりも少しだけ遅めのスピードでバックステップし、その際に反時計回りに体を横回転させる。そして回転する直前に再び右手に槍を出現させ、柄尻を掴む。
ゾドルが丁度槍の刃に当たる位置に来た時、蒼の回転も終わった。槍を出現させてから反時計回りに体を回転したことで、槍は遠心力の恩恵を最大限受けている。
ゾドルのスピードより遅めのスピードで蒼が下がったことで、回転の終わりという槍の威力が最大になった時、槍の刃がゾドルを襲う。
ゾドルは顔を顰めて[守護魔法]を行使し、槍を防ごうとする。蒼は構わずに槍を振った。
バギンッ‼︎ という音が訓練場を響かせる。ゾドルが行使した[守護魔法]の盾が壊れた音だった。ゾドルは迫ってくる横薙ぎを剣で受けたが、吹き飛ばされる。
ゾドルが吹き飛んだのを確認した蒼は、大振り後の硬直を無くすために槍を消して、また同じ槍を右手に出現させた。右手で槍の柄の真中を掴んだ蒼は、ゾドルに追撃を仕掛ける。
ゾドルが体勢を立て直す前に蒼は接近し、振り上げた槍を振り下ろす。ゾドルは頭の上で剣を横にしてガードした。
蒼は手首を返して、槍の石突きでゾドルの顎を下から掬うように打つ。ゾドルは上体を反らせて回避した。
蒼は槍を踊るように振るっていく。時には緩急つけたり、左右への移動を組み合わせたり、上空から攻撃したりと、連続で絶え間無く槍を操る。
ゾドルは防戦一方だった。槍の刃が上からきたと思えば、石突きが下からくる。刃が左からきたと思えば、石突きが足元を掬いにくる。石突きで突いてきたと思えば、別の方向から刃が飛んでくる。
蒼の一回の攻撃で、二回の攻撃を加えられているようだった。さらに上下や左右の移動を行ってくる。いくら熟練者であっても、この槍の攻撃をすべて予想するのは難しい。
あらゆる方向から槍の刃と石突きが襲ってくる。どちらかを躱しても、もう片方がすぐに迫ってくる。近距離にいる間はずっとそれが続き、反撃の暇は無い。まさに変幻自在だった。
「ハァ、ハァ、ハァ」
「フゥ……」
最後まで蒼は反撃されずに攻撃に徹した。流石のゾドルでもすべては防げず、所々攻撃を当てることはできたが、倒すには至らなかった。
蒼は呼吸を整えながらも、警戒を怠らない。ゾドルも動かずに蒼の様子を確認している。
後ろから水の刃が飛んでくるのを感知した蒼は、背中の真後ろに巨大な盾を出現させた。盾は二メートル四方の正四角形で、厚さは三十センチもあり、個人では装備できないだろう。ちなみに、蒼は『イージスの盾』と勝手に命名している。
水の刃をガードさせたイージスの盾を消して、魔法を行使したメアに向き直り、槍を手放した。
メアは先程のことが尾を引いており、槍がいつ飛んできてもいいように構える。
蒼は何もせずに槍を消し、両手に新たな武器を出現させた。
右手に銃剣を出現させる。マスケット銃のような形をしており、一メートル程の長さがある。銃口の下に存在する刃はトリガーまで長く伸びており、銃身と同じくらいの長さが刃にもある。色は銃、刃すべて真っ白だ。
左手に出現させたのも銃剣だ。ただし、ピストルのような形をしており、長さも二十センチぐらいのもの。刃もトリガーまで届く程長く、色は銃と刃すべて真っ黒だ。
この二つは蒼のお気に入りで、『ブラン=ノワール』と命名している。
銃撃、刺突、斬撃、グリップによる打撃といった攻撃が可能で、遠中近のすべての距離に対応可能だ。
左手にある見た目ピストルの『短銃剣』は、弾丸の連射が可能。右手にある見た目マスケット銃の『長銃剣』は、弾丸の連射はし難いが威力が高い。
この武器の使用理由はカッコイイから。しかし我ながら厨二っぽいよな、とか心の中で呟く。
この武器は超遠距離以外は大抵対応できるが、最も強さを発揮するのは近距離だと思う。二刀流の如く怒涛の連続攻撃を仕掛けつつ、銃撃を織り交ぜることができるからだ。
右手の長銃剣でメアに発砲した蒼は、すぐさまゾドルに向かって駆ける。メアは[守護魔法]で防ぎ、ゾドルはあえて待ちの体勢に移行する。
蒼はゾドルの攻撃範囲に入る直前に短銃剣で銃撃し、ゾドルの左側へと高速移動する。
ゾドルは弾丸を[守護魔法]で防ぎ、剣を蒼に向けて袈裟斬りする。
蒼は右腕を内側にもっていき、長銃剣の刃の部分をゾドルの剣に向ける。ゾドルの勢いに逆らわないように角度を工夫して、柔らかく滑らかに受け流した。ゾドルの剣は外側へ流れてゆく。
蒼はゾドルが攻撃のために踏み込んだ右足に短銃剣で左から右へ斬りつける。ゾドルは右足を引いて斬撃を避けたが、蒼は下がっていくゾドルの右足と短銃剣の銃口が直線上で重なった瞬間にトリガーを引く。
蒼の左手は斬りつけたままの勢いだから、次はゾドルの左足と銃口が重なり、もう一度トリガーを引く。短銃剣の刃は届かないが、弾丸なら問題がない。
「ぐッ⁉︎」
右足と左足に銃弾がヒットしたゾドルは、苦悶の声を上げて蹲る。両足から血が出ているが、弾丸は体内に入ってはいない。
「本日はここまでにしましょう」
メアの声が訓練場を響かせる。蒼は武器を消し、その場で大の字に寝転がった。
「はぁ〜。ようやく終わったか」
「ヒダカ様。お疲れ様でした」
寝転がりながら声を上げた蒼に、メアが近づいていく。
「このまま怪我の治療をいたします」
メアは蒼の隣で膝立ちになり、[治癒魔法]を行使した。
「痛ッ! イタタタッ!」
「やはりミジ……少年は情けないであるな」
メアの治療で痛がっている蒼に、ゾドルが近づいて来た。ってか、足撃たれたのに動けんのか。身体強化してるとはいえ、流石はゴリ……ゾドルさんだ。
「ぐぁ〜ッ! やっぱり痛いものは痛いっす」
「本当に少年は情け……痛ぁぁぁ⁉︎」
メアは近くにいるゾドルにも一秒くらい[治癒魔法]をかけた。当然そのぐらいの時間ではゾドルの怪我は治らないので、単なる嫌がらせだろう。
「二人して情けないですね」
メアは愉しげに言い放つ。まあ、無表情だが。
「くぅぅ。せめて膝枕とかのサービスがあれば!」
「ゴリラ。ヒダカ様のために膝を折りたたみなさい」
「ギャアァァ。止めて! 俺に膝枕していいのは女性だけだ!」
「吾輩、実は女性なのだ」
「んなわけあるかぁぁぁぁぁ‼︎」
いつものようなやり取りで今日の訓練も終了した。
★★★★★★★★★★★★
「やはり訓練後のサウナは最高であるな」
「まあ、女子と一緒だったら最高でしたね」
訓練終了後、治療した蒼とゾドルはサウナに来ていた。
サウナは離宮の中にあり、広さは十畳ぐらいだ。蒼とゾドルは隣同士に座っている。勿論ある程度の距離は保っているが。
「少年がここに来て、もう三週間程になるな」
ゾドルが言った通り、もう三週間程経っている。その間は殆ど特訓漬けだった。朝から真夜中まで、ひたすら戦って、ひたすら薬を飲んで、ひたすら傷だらけになって、ひたすら罵られて。
薬は疲労を取ったり、筋肉が付きやすくなったりなどの効果がある。だからと言って筋肉ムキムキになったわけではなく、必要な筋肉だけを鍛えたから見た目の変化は殆どない。
日頃から罵られることで、精神の修行にも一役買っていた。その甲斐があり、今ではメアさんの罵倒でちょっと気持ち良くなる程に鍛えられた。というか、何かに目覚めてしまう寸前だ。
俺が三週間も過ごしたということは、祐磨、彩音、大雅もあっちで三週間過ごしているということだ。あいつらがどんな状況に陥っているのか、かなり心配している。人が良いから、どんな頼みでも聞いてしまうだろう。何をされているのか、させられているのか。深呼吸で焦る気持ちを落ち着ける。
「施星の国にいる"あいつら"のことを教えてくれませんか?」
蒼は真剣な表情でゾドルを見る。
「……わからん」
ゾドルも蒼を見返した。サウナで見つめ合う男と男。本人達は至って真面目だが、どうしてもシュールっぽくなっている。
施星の国で召喚があったことをゾドルは知っていたから、スパイがいるのか、何らかの能力によるものなのか。ただ、どちらだとしてもゾドルは教えてくれないだろう。
この世界の地理も一切教えてもらっていない。そういった類の本も一切無い。つまり、未だに信用されていないのだろう。
どうすることもできない己の無力さと、召喚なんかした施星の国に対する怒りが、胸の中で綯い交ぜになる。
「それより、少年は随分と能力の使い方がわかってきたようであるな」
ゾドルは前を向き、話題を逸らす。そのことに少し悲しみと怒りを感じたが、天井を見上げながら話題に乗る。丁度自分の中の感情を隠したかった。
「はい。ゾドルさんとメアさんのおかげです」
俺の能力は『空間を操る』ことらしい。自由に物を出し入れできたり、周りの空間を見ることなく把握したり、空中で方向転換したりとか。本当はもっと色々できるが、それらは見せていない。いざという時の切り札とするために。
そして、俺は魔法を使えないとのことだ。魔法属性適性といって、どの魔法をどれ程の適性で行使できるのかを測るものが存在する。測れるのは基本属性だけで、どのくらいの適性があるかをゼロから十までの十一段階で評価する。
その結果、オールゼロだった。つまり魔法は使えない。魔法師は自分が行使できる魔法が何となくわかるらしいが、俺には何もわからない。
ちなみに、ユリアはオール十だ。十が適性最大値であり、数字が高い程魔法が強力になると言う。おまけにチートな〈スキル〉まで持っている。幼女強過ぎだろ。
この世界に魔法が使えない人はいないと言っていた。この世界にとって、俺はかなりの異端ということになる。
おそらく、『空間を操る』能力は〈スキル〉によるものだろう。契約なんてした覚えがないから。
魔法が使えないのに戦闘時に速度が上がった理由は、ここよりも速い速度の位相の空間を己の体に繋げたからとかどうとか。力が上がった理由も同じ理由とのことらしい。当然そんな説明で納得していないが。
この世界には、あらゆる"もの"に位相という位が存在するらしい。詳しく説明されてないから、よくわからないが。
この力は、自分でも殆どわかっていない。それでも使えないよりはマシだ。
「俺、そろそろ用事があるんで」
蒼は前を向いたまま立ち上がる。
「なら、行ってくるがいい」
ゾドルの方向を向かず、そのままサウナから出た。
★★★★★★★★★★★★
今はユリアと一緒に花畑を訪れている。ユリアが淡い光の玉を具現化させて辺りを照らしている。
蒼は黒のローブ、ユリアは白のローブで身を包んでいる。
ユリアはしゃがみこみ、花を愛でる。蒼は少し離れてその様子を眺めるだけ。
最初は笑顔が多い子だと思っていた。だからだろうか、そこになんらかの温かさを感じたのは。
「ほんとにユリアは花が好きだな」
呟くように蒼は口に出した。
「うん。可愛いよね?」
ユリアは振り向いて蒼に笑顔を見せる。
「……ああ。そうだな」
いつからだろうか。その笑顔が、愛想笑いだと気づいたのは。ただ、辛さを堪えるために、それを隠すために浮かべているのだと。一度そう気づいてしまってからは、俺もあまり笑顔を浮かべなくなった。
ユリアに対して気をつかっているのかもしれない。もしくは、憐れんでいるのかもしれない。そのことをユリアはどう思っているのか。彼女は何も言わないし何も訊かない。
その影響からか、最近は中身の無い会話ばかりをしている。
最初は力になりたかった。助けたいと思った。けれど、ただの自己満足だった。何の事情も知らない赤の他人が首を突っ込んでいいことではないのだろう。
彼女にとって、俺はただの人間の一人でしかないのだ。そんな奴が軽々しく内情に踏み込んでいい筈がない。
そう悟ってしまった。いや、彼女を見ていて思い知らされた。
だから、俺は何も訊いていない。ユリアがどんな立場なのか、どうしていつもそんな顔をしているのか、何故容姿が人間なのかといった、色々な疑問があった。ユリアが悩んでいる……もしくは恐れている箇所に触れる疑問が。
踏み込むことを恐れた。いや、踏み込んではいけないと考えた。だから何も訊かない。おそらく、それが最もお互いのためになると考えたから。
その考えはユリアも同じだろう。何も言わずに、いつも愛想笑いを振りまく。つまり、それが彼女の答えだ。
極論すれば、ユリアの身の内はどうでもいい筈なのだ。俺の目的はあくまでも四人で無事に元の世界に帰ること。関係無いと割り切って、利用すればいいだけの簡単な話。
だけど、心はそれを否定する。棘が刺さったみたいな痛みを訴える。
どうにかしてやりたいと思えば、何もできない己の無力さに打ちひしがれる。無神経で無責任なことをするなと理性が強く拒む。
見ないふりをして、ユリアのことは諦めて切り捨てようと考えれば、心が拒絶する。
俺は彼女とどうあることを望んでいるのだろうか。
それがわからないから、取り敢えず今の表面的な関係を続けている。
「アオ。もう戻ろっか」
ユリアは花を眺めつつ口を開く。
基本的にユリアは毎日花畑に来ており、俺も付いて行くことにしている。何で付いて行くのか自分でもわからないが、多分……何となくだけど、ユリアを一人にしたくなかったからだと思う。
俺が側にいても、できることなんてたかが知れている。それでも、これぐらいしかできないから。
「……そうだな」
蒼が頷き、二人で並んで離宮へと戻る。
ユリアと初めて会った日も、同じように森を歩いていた。
その時よりも、ユリアと仲良くなった。その時よりも、ユリアのことを知った。
なのに、その時よりも、ユリアとの壁が高く厚く感じる。
俺は一体どうすればいいのだろうか。
★★★★★★★★★★★★
「ヒダカ様。お客様がお見えです」
二人が離宮へ帰って来た時、玄関にいたメアが、蒼に恭しく礼をしながらそう伝える。
帰り道もポツポツと会話をしたが、やはり表面的なものだった。
「え? 俺にですか?」
「その通りです。すぐに案内いたします。お嬢様、それでは」
メアはユリアに頭を下げて、客間へ通じる廊下を歩いていく。
蒼はユリアに目配せをすると、キョトンとユリアは首を傾げた。
その様子から、ユリアは何も知らないのだと蒼は理解する。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
蒼はメアを追随する。ユリアはそれを見送ってから自室へと戻った。
ユリアと別れて、何処かホッとした自分がいる。そのことに嫌悪の情を抱くが、そう思ってしまうこともまた事実。
自分に上手く折り合いをつければ楽になれそうだが、都合のいい折り合いなどつけたくないとも思う。
はぁ、と蒼はつい溜息を吐いてしまう。
「低脳なヒダカ様でも、お悩みはあるのですか?」
メアは立ち止まって振り返り、蒼の目を見ながら言う。
「……まあ、ある程度は」
なんとか誤魔化すために、曖昧に返答した。あまり触れて欲しくなかったから。
「私はヒダカ様ではありませんから、何に苦しんでいるのかわかりません」
メアは真剣な目で蒼を見つめる。
「ですが、今すぐ決めなくてもよいのではないですか?」
「……そうですかね?」
メアさんに少し棘のある言い方をしてしまった。自分が思い悩んでいることを、踏みにじられたような感じがしたから。
「はい。無理矢理考えて行動した所で、どちらを選んでも後悔するかもしれません。ですから、無理に考え込むのではなく、本当に望んでいることを知ること。自分の思いを知ったら、思うままに行動すること」
そこまで言ったメアは、何かを思うように目を閉じた。
「私は、それが最も大切なことだと思います」
目を開いたメアは、真剣に、慈しむような瞳で蒼を射抜く。
メアさんは何を思ったのだろうか。もしくは、誰かと重ねたのだろうか。
わからないけど、心を込めて言っていることは確かだ。
それは俺のためか、それともメアさん自身のためなのかわからない。ただ、誰のためでもいい。少し軽くなったことだけは事実だから。
「……そうかも知れないですね」
「ええ。焦って考えた所で、それが正しいかどうかわかりません。ですから、せめて後悔しないと思う選択が見つかるまで、自然体でいましょう。その方が自分らしい答えが見つかりますよ」
メアさんは俺を見ているのに、視線はここではなく、どこか遠くを見ている気がした。
やはり、メアさんに何かあったのだろう。そして、俺はそこに触れていいのだろうか?
「……その通りですね。メアさんのお陰で少し楽になれました。ありがとうございます」
「別に構いません。それと、僭越ながらもう一つだけ。踏み込まなければ、決して手に入らないものもあります」
踏み込まなければ手に入らない。おそらく、今の俺が最も欲しがっているもので、俺の中で最も高い壁。
「それが良いものであるとは限りません。ですが、ヒダカ様が手を伸ばそうとするものは、その先にしかありません。……私が言えるのはここまでです」
メアは客間に向かって歩き出す。
俺が本当に欲しいもの。その答えがわからないから悩んでいたのか? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
けど、臆病な俺には手を伸ばす勇気はなかった。予測不能に変化する未来と、不変な未来。俺は間違いなく後者を選択してしまう。
何が正しくて、何が間違いなのかわからない。ただ、メアさんの言う通りに自然体でいようと思う。
悩んだ所で答えなんて出ないのだから。答えが出るのなら、もっと早く出ている。今も悩んでいるなら、まだ答えに至っていないのだろう。だったら、無理に悩み考える必要はない。
歩いて行くメアさんに、頭を深く下げた。解決したわけじゃないけど、心が楽になった。今はこんな感謝しかできないが、悩みが解決したなら面と向かって感謝の言葉を述べよう。
あいつらのこと、ユリアのこと、帰還方法についてなど考えるべきことが沢山ある。改めて大変だな、と思い直し、進んで行くメアさんに追い付くために歩を進める。
「亀じゃないんですから、とっとと来て下さい。すぐそこの扉ですので。……あっ! 愚鈍なヒダカ様にはかなり遠い距離ですよね。気が付かず申し訳ありません」
……毒さえ吐かなければなぁ〜。
蒼は小走りで、扉の前にいるメアに追い付く。
「では、失礼のないように」
メアは扉を開き、蒼を中へと通す。
「へぇ。君がアオくんだね?」
客間のソファーから立ち上がった人物が、朗らかに声をかける。
メアは外側から扉を閉めて何処かへと移動した。
客間には、蒼と今ソファーの手前で立っている人物の二人だけだ。
その人物は二十代半ばぐらいのイケメンな男性だった。腰あたりまで伸ばした金色の髪に、浅黒い地肌、背中にはコウモリのような羽が生え、お尻には悪魔のような尻尾がある。紅色をした瞳で、一件無害そうな鋭い眼光を蒼に放つ。値踏みするような視線に、つい顔を顰めてしまった。
「……えっと、あなたは?」
恐る恐る蒼は尋ねる。
その人物は穏やかそうな雰囲気を醸し出しているが、実際には蒼のことをかなり警戒している。笑顔を浮かべてはいるが、目は笑っていない。
「これは失礼。私から名乗るのが筋でしたね」
金髪の男性は真面目な顔つきで、蒼の目を真っ直ぐ見る。先程のような負を宿した視線ではなかった。
その人物は姿勢を正し、威厳のある態度で口を開く。
「私の名前はユリウスといいます。魔人の王であり、ユリアの兄です」




