第12話 弱さと涙
「まずは武器を捨ててもらおう」
城の兵士に囲まれている日高蒼は、彼らを刺激しないように言われた通り刀をそっと地面に置いた。
「次はフードを脱いでもらおうか」
隊長格の兵士が警戒をしながら促した。
蒼は視線を左右に振ってユリアを探す。
ユリアを見つけることはできたが、一人の兵士に捕まっていた。その兵士はユリアの背後に立ち、逃がさぬようにユリアの腕を掴んでいる。しかも、ご丁寧にフードは脱がされていた。
ついつい苛立ちを含んだ舌打ちを漏らす。
自分が兵士に追い詰められてしまった現状に対する苛立ちではなく、ユリアをあたかも敵であるかのように扱う兵士に対して苛立ちが募った。
しかし、流石にこの状況ではどうしようもなく、しぶしぶ蒼はフードをとった。
「メ、魔人じゃない⁉︎」
「あ、ありえねえ⁉︎」
「た、誑かしたのか⁉︎」
「ん、んだと⁉︎」
「か、カオティック⁉︎」
「わ、わっと⁉︎」
「ゆ、夢か⁉︎」
「ス、スパイか⁉︎」
蒼の正体が人間であると知った兵士達に動揺が広がる。
だが、その驚きはいつしか別の感情に変わっていった。
魔人達が、
「人間ごときが、何故ここにいる‼︎」
怒りと憎悪と嫌悪を胸に抱き、
「ふざけるな‼︎ ふざけるな‼︎ ふざけるな‼︎」
口々に二人を罵倒する。
「劣等種如き分際が‼︎」
際限の無い、
「死ね‼︎ くたばれ‼︎ はじけろ‼︎」
負の連鎖が巻き起こり、
「低俗な輩が我々の神聖な土地に立つな‼︎」
「屑どもが、恥を知れ‼︎」
この広場を呑み込んでいく。
兵士達はただただ感情を吐き出しているだけだ。しかし、その行為が人というものの醜悪さを際立たせる。
この世界の人とは関わりが無かった蒼ですら、そのことに嫌悪と怒りを覚える。
なら、産まれてからずっとこの世界に存在している人はどう思うのか……。
何度もそのことに晒されてきたであろう彼女はどんな気持ちなのか……。
その考えを即座に切り捨てる。
「違う。俺が犯人なら、こんな所にいない」
隊長格の質問に対して、蒼は素直に答える。
警戒しているからなのかどうか知らないが、すぐに取り押さえられないのはありがたかった。しかし、いつかは取り押さえられる時が来るだろう。
仮に取り押さえられてしまえば、どんな扱いを受けるかわからない。かといって、敵対して兵士を傷つけることもできない。
俺一人だけなら、もしかしたら逃げられるかもしれない。しかし、ユリアを置いて行くのはどうなんだろうか? 兵士に見つかったユリアを、ユリウスさんは庇えるのだろうか? この状況で国王が人間を庇うのは、無理がありそうだ。
「詳しい話は、後ほど聞いてやろう」
隊長格は蒼を睨みつけるような鋭い眼光を向ける。
この後の展開がわかってしまった蒼は冷汗を流す。最悪、自分一人だけでも取り敢えず逃げ出そうかと蒼は考えたところで、
「ユリ……ア……?」
それは、小さな声だったが、不思議な程よく響いた。いや、不運なことに響いてしまった。
「兄……さん……」
ハッとした表情でユリアは声のした方向を見て、反射的にその人の名前を呼ぶ。
蒼も城の方向を見た。そこには、ユリウスが驚きの表情でユリアを見ていた。 ユリウスの周囲には護衛の兵士もおり、驚きと敵意に満ちた視線を
「何故ユリウス様がここに⁉︎ 僭越ながら質問いたしますが、この人間を知っているのでしょうか?」
隊長格は、城の入り口にいるユリウスに質問した。
その質問に対して、ユリウスは口を噤む。
やはり無理があるのか? 知っていると言えば、何故国王が知っているのか、という疑問を兵士に持たれてしまう。知らないと言えば、自らユリアを否定したことになってしまう。さらに、ユリアがどんな扱いを受けるかわからなくなる。
なら、そうならないように兵士達へと命令すればいいのだろうが……。
兵士の意識がユリウスの方に向いていることを確認した蒼は、スッとユリアに近づいて兵士を退かし、ユリアを抱き締める。
そのまま兵士達から距離をとった蒼は、
「これ以上、俺の妹に近づかないでくれ!」
そう声を張り上げた。
「あの二人を捕まえろ!」
隊長格が周りの兵士に命令し、命令された兵士達は蒼とユリアに迫る。
「もう捕虜なんて嫌だ! 頼むから解放してくれ!」
蒼はそう叫びながら、離宮とは反対の方向に逃げ出した。
ユリアをお姫様抱っこで抱え、長い金色の髪が靡かないようにしっかりと手で抑える。
こいつ軽過ぎだろ、と思いながら、疾走し続ける。
前方には幾つもの民家が等間隔で乱立している。後を追ってくる兵士を撒くために、蒼は細い路地をジグザグに移動する。
両腕にある重みは、今にも消えてしまいそうな程に、儚く思えた。
それを否定したくて、蒼は無意識の内に力を込る。
幸か不幸か、街では未だに魔物と兵士の戦闘が続いている。こちらに気づくことはなく、いちいち注意をしなくても素通りできる。
ただ、追ってきている兵士はそうはいかない。応援を呼ばれるのも時間の問題だろう。
蒼が走り続けると、この天輪の聖地を囲む形で敷かれてている防壁がある。その防壁の近くには、防壁に届く程の高さを持った建物が存在している。
蒼は、その高い建物の裏側……防壁と建物の間に来た。その高い建物を兵士のブラインドにし、空間固定で足場を確保して防壁の向こう側へと渡った。
兵士は蒼を見失う。その周辺を捜す者、建物の内部を捜す者、防壁の外側を捜す者など、兵士は散り散りで捜索を開始した。
防壁の外側は、森になっていた。蒼は青色のローブを空間にしまい、代わりに緑色のローブを羽織る。ユリアには同じ色の毛布を掛けた。
これで少しは見つかりにくくなった筈だ。あの兵士達は、こっちが逃げていると認識しているから、遠くへ行くように捜すだろう。まさか、再び街の方に向かうとは考えねー筈。
土地勘も食料も無いから、結局は戻るしかない。そして、戻れる場所はあの離宮しかない。
メアさんは大丈夫だと思うが、他のメイドは敵になっている可能性もあるんだよなぁ。
考えながらも、離宮へ向けて走り出す。
「……平気か?」
走りながら、抱えているユリアを心配そうに見つめた。
平気でないことは理解しているが、それでも問いかけずにはいられなかった。
「うん……平気だよ」
ユリアは蒼を見上げながら笑みを浮かべる。それは、普段よりも痛々しいもので。
「それよりも、これから何処に向かうの?」
蒼に答える暇を与えずに、ユリアが会話の主導をする。
それは、『それ』について触れて欲しくないユリアの表明なのだろう。
そうと分かっているから、蒼は気づかない振りをして質問に答える。
「ああ。とりあえず愛の巣に」
「……愛の巣って……誰の?」
「それじゃあ、俺とユリアで」
木々を躱しつつ移動しながら、悪戯っぽく笑って見せる。
「えっと……私達はそんな関係じゃぁないよね?」
「実は俺とメアさんなんだ」
「え⁉︎ いつの間に……。てっきりゾドルさんとだと思ってたよ」
「おぇぇ。嫌な想像しちゃったじゃないか!」
「クスクス……冗談です」
先程の痛々しい笑みは緩和され、今度は自然なものを浮かべた。そのことに安堵し、意識を離宮へと回す。
周囲の空間を把握して敵と遭遇しないようにしながら、ようやく離宮の近くまで辿り着いた。
ここからは毎晩花畑に行く時のルートだから、いちいち確認しなくても問題なく行けるだろう。
一応、いつも離宮で着ている黒のローブに着替えた蒼は、窓から侵入した。
「おかえり!」
そう言いながら飛び込んできたメアは、蒼からユリアを奪い取った。
「ぐあッ⁉︎」
タックルじみたメアの体当たりをモロに受けた蒼は、背中から壁に叩きつけられる。
ユリアを抱え込みながらそれまで走っていた慣性を全て蒼に叩き込んでフワリと着地したメアは、ギュッとユリアを抱き締めた。
あまりの痛さに、蒼はメアを睨みつけるように目を細めたが、目の前の光景を見て止めた。
メアが慈しむように、愛らしい人を想うかのように、ユリアの存在を確かめている。
それはまるで家族のようであり、姉妹のようであり、友達のようであった。
「メア?」
驚きが入り混じったユリアの声が三人しかいない部屋に響く。
「なに?」
赤ん坊にかけるような、とても優しい声でメアは聞き返す。抱き締めているユリアの頬に右手を当てて、存在を確かめるように。
「私は……」
メアの胸に顔を埋めたユリアは言い淀む。
「ユリアはユリアだよ」
メアはそっとユリアの頭を撫でる。優しく、何度も。
「うん……」
ギュッと弱々しそうにメアの服を握るユリアは安心した声で言う。
俺は邪魔だろうな……と蒼は静かにこの部屋から立ち去ろうと考えて、
「ミジンコ様はいつまで這いつくばっているのですか?」
ユリアを抱き締めるメアは、顔だけを蒼の方向に向けた。
蒼から話しかけるのならまだしも、話しかけられたのなら無視する訳にはいかないだろう。
「ミジンコだから、這いつくばるしかないんですよ」
「でしたら、間違えて踏んでしまってもしょうがないですよね?」
「……それはそれで一種のご褒美になります」
「ゴリラに踏まれることがご褒美とは、随分とマニアックな性癖をお持ちでいらっしゃいますね」
「踏むのはゾドルさんかよ……それは罰ゲームにしかなんねーよ……」
ゾドルさんに踏まれるとか、需要なんてあるはずがねー。っつーか、供給もあって欲しくねぇな。
「ミジンコ様にとって喜ばしいのでは?」
「メアさんが踏んでくれるのなら、大変喜ばしいと思います」
「…………キモ」
メアはまるでゴミを見るような冷たい目で見下ろす。
蒼はいつものやり取りに安心して、メアとユリアを見る。メアの話題に乗ったが、表面的な話よりも、もっと重要な話があるだろうと思っていた。
もしかしたら、ミジンコは関係無いから何も聞くな! というメアからの意思表示なのかもしれない。元々込み入った話を聞くつもりもなかったし、この辺りで居間からお暇した方がいいだろう。
「ちょこっとお花を摘みに行って参りますわね」
壁を支えに立ち上がった蒼は、部屋の出入り口に向かって歩き出す。
「お花⁉︎ 摘んじゃダメだよ! 可哀想だよ!」
ユリアェ……。トイレに行く、の隠語に天然ボケをかますとは……。
「その通りでございます。命に無頓着な男性はモテませんよ? ああ、だから……」
「ちょ⁉︎ 知っててそっちに味方すんのか!」
雑談をしていられるほど余裕のある状況では無い筈なのだが……と思っていると、
「やっぱりここにいたのか……」
出入り口の方から、どこか安心したような優しい声が飛んできた。
蒼が顔を向けると、そこにはユリウスとゾドルがいた。
ユリウスはユリアへと駆けていき、ゾドルは蒼の方向へ足を進めた。
「少年よ、中々の活躍だったと聞いたぞ。何か褒美があればよいのだが……」
「いえ、当然の如く需要は無いのでいらないです! っつーか、勘弁して下さい! 踏まれるのなら是非ともメアさんでオナシャス!」
「? 何のことだか分からぬが、よくぞユリア様を守ってくれた」
ゾドルは笑顔で蒼の背中をバシバシ叩く。
「フツーに痛いっす」
「何だ? この程度で随分と情けない」
そこはさっき壁に打ち付けられた場所である。
「それなりに理由が……っておい!」
「ユリア様、ご無事で何よりです」
ユリアとユリウスは抱擁し、ゾドルは頭を下げ、メアはそれを見守る。
蒼との会話中にゾドルは離れ、ユリアへと頭を下げていた。そのことを恨みがましく思いつつも、今後の提案をする。
「ゴホン……え〜と、皆さん、今後の予定は? 俺も一応作戦を考えてあるんですけど」
咳払いをした蒼は、周囲の注意を集めてから話を始めた。
彼らの時間を邪魔したくはなかったが、こういうことは早い方がいいだろうと考えて。
「……そうだね。その通りだよ」
ユリウスはどこか自分に言い聞かせるように呟いた。その後、数泊の間を空けて、再び口を開く。
「取り敢えず、君の作戦とやらを聞かせてもらいたい」
「わかりました。その前に質問ですが、兵士はまだ捜索を継続していますよね?」
「……そうだよ」
ユリウスは苦虫を噛み潰したような顔で答える。
「オーケーです。俺の作戦には、白のローブと金の長いウィッグが必要になります」
「なんと、女装癖まで持っていらっしゃるとは……」
「メアさんは俺をどんな風に思ってるんですか?」
「極度の変態だということしか理解できておらず、誠に申し訳ありません」
「……そうですか。……残念ながら、先程の道具は俺が身に付ける物ではありません」
「まさか、その道具を吾輩に無理矢理⁉︎」
「んなわけあるか‼︎」
やれやれといった様子で蒼はため息を吐く。そして、さり気なくユリアに視線を向けた。
ユリアは心ここに在らずと言わんばかりにボーッとしている。メアとゾドルがふざけたのはその所為だろうが、どうやら効果は見られない。
天然ボケ以外では、
「……白ローブと金のウィッグで偽物のユリアを作り、それを担いだ俺がワザと兵士に見つかってから人間の領域まで逃げ切ります」
「……本気か?」
ゾドルは神妙な顔で訊く。
「本気ですよ。俺の目的は施星の国に行くことで、あなた方の目的はユリアの隠蔽だ。それで俺が兵士から逃げ切れば、『人間の捕虜を二人逃した』と思わせることができるでしょう」
そこまで言った蒼は軽く呼吸を整え、再び口を動かす。
「デメリットは人間を逃した責任がユリウスさんにも波及し、尚且つ批判や不満が出てくること。この国のプライドが傷つくこと。大事な人質である俺を手放すことです」
他種族に首都を襲撃され、その犯人を逃してしまったなど恥以外の何者でもない。実際の犯人は漆黒ローブただ一人だが、蒼とユリアも事件の犯人として何も知らない兵士に認定されているだろう。
「これなら、今まで通りにユリアをこの離宮に住まわせることが可能です。もちろん食料と地図は提供してもらいますが、こっちで見たことを誰にも話さないと約束します」
こんなことをしなくても、国王であるユリウスさんならどうとでもできてしまう。兵士らは当然国王の命令なら疑問を抱かない筈だが、逃亡を許したことを自分らの目で確認させた方が信憑性が高い。
やはり、ネックなのはユリウスさんの説得だ。絶対的なメリットを提示しなければならないのに、今のままでは決定打に欠ける。
「……いいよ、それで」
「は?」
「え?」
「なッ?」
ユリウスの肯定に蒼、メア、ゾドルはそれぞれ驚きの声を漏らす。
「それで構わない。ただし、ユリアも一緒に連れて行ってもらう」
「……は?」
「……え?」
「な、何を仰いますか⁉︎ そのようなこと……」
「……本気で言っておられますか?」
蒼は混乱したように驚き、ユリアは目を見開いてユリウスを見上げ、メアは困惑した声で抗議し、ゾドルは静かに問いかける。
「何を驚いている? 君がユリアを欲しいと言った筈だよ?」
ユリウスは蒼だけに射抜くような視線を向ける。
あの時のあれに深い意味はないんだが……。何故ユリウスさんはこんなことを? こんなことこそメリットなんて無いのに。
「……何が目的なんですか?」
「悪いけど質問に答えることはできない」
「答える義務も義理もあると思うんですが」
「…………」
実際その条件でここから出られるなら申し分ない。むしろ一人旅にならない分、心理的なゆとりが生まれるだろう。何よりも、戦力的に申し分ない。
そして、外に出たことがないユリアは、外界では誰よりも俺を信頼してくれるのは必定。つまり、限りなく意見を通し易く、御し易い。
デメリットとしては、今以上にユリアに感情を寄せてしまうこと。いざという時に切り捨てにくくなってしまう。
「まあ、それで施星の国に行けるのなら別に構いません」
「そうか、わかった。君は部屋で待機していてくれ」
「わかりました」
彼らにも話があるだろうと気を使い、蒼は部屋から出て行った。
★★★★★★★★★★★★
離宮にある客間にて、蒼は今まで使用していた客間にあるベッドに寝転がっていた。
ようやく施星の国に行けるという喜びと、言いようのない不安が心の中を渦巻いている。
どうしても素直に喜べる気分にはなれなかった。
ため息を吐きながら寝返りを打って体を横向きにする。鼻が毛布に近づいたことで、甘い香りが漂って来た。
蒼が離宮に来た日からメアと同じ部屋で就寝する手はずになった。相手が女性ということで、蒼はソファーで睡眠を取るようにしており、このベッドで睡眠するのはメアだけである。
つまり、この甘い匂いの元はメアということになる。
「…………」
辺りを見回して誰も居ないことを確認した蒼は顔から布団に突っ込んだ。
戦闘で疲れているし、元は俺のベッドだから…………といった理由があるから仕方がないのだと、己に言い聞かせて。
「アオ君は居るかい?」
「うっひょわぁ⁉︎」
ユリウスが部屋に入って来たことに驚いた蒼は、素っ頓狂な声を上げてベッドに正座する。
「随分と面白い挨拶の仕方だね。それが君の世界の挨拶?」
「違いますよ。いきなり入って来たから驚いただけです」
「なるほどね。つまり、ヒトには言えないヤマシイことをしていたのかな?」
「別にヤマシイ訳ではなく、ロマンの限界到達点を天元突破して最奥まで突き進むという理論の定理を確認していたのであります」
「ああそう。そんなことよりも、少し時間いいかな?」
「聞いといてからの流しとか、扱いが酷過ぎンゴ! まあ、時間は空いているから別に構いませんよ」
それなら失礼するよ、と言葉を投げかけたユリウスは、部屋に入ってソファーに腰掛ける。
二人の間には沈黙が支配している。ユリウスが何らかの話をしに来たのだと予想し、蒼から声をかける。
「……それで、何か話があったのではないのですか?」
「……ユリアは君と一緒に行くことになった」
「……それは本人の意思ですか?」
「そうだ」
ユリアが自らの意思で決めたのなら、そのことに関して蒼が口を挟むことではない。
「こんなことなんて私はしたくなかった」
ユリウスは何処か遠くを見ながら呟いた。こんなこととは、会話の流れからして、ユリアを連れて行って欲しいというものだろう。しかし、ユリウスはもっと遠くにある別のものを見ているような気がした。
「…………」
「それでも、たった一人の家族だから、絶対に守りたい」
「…………」
「それが、籠に閉じられた小鳥のようだとしても」
「…………」
ユリウスの独白に、蒼は口を挟まず聞きに徹する。
何処か遠くに向けられていたユリウスの視線は、次の瞬間には蒼に向けられていた。
「アオ・ヒダカにお願いがある。国王としてではなく、私個人のお願いだ」
ユリウスは立ち上がり、蒼の目の前まで進む。そして、カーペットに膝と掌を付け、頭を下げる。
「ユリアのことを守って欲しい!」
「なッ‼︎ 何してんですか‼︎ 国王が土下座なんてしていい筈がない‼︎ 早く頭を上げて下さい‼︎」
「私にとってたった一人の家族なんだ。国に支障が無い限り、私は自分にできることをしたい」
「わかりましたから、一先ず顔を上げて下さいよ」
ユリウスの前に膝をついた蒼は、手をユリウスの肩に当てて立ち上がるように促す。
「……了承したと解釈していいんだね?」
顔を上げたユリウスは射抜くような鋭い眼で蒼を見る。中途半端な覚悟では許されないと言わんばかりに。
「……はい。全力を尽くします」
「本当に?」
「ええ。真実しか言わないと取引しましたからね」
「ふっ……そうだったね……」
ユリウスは薄く笑い、ゆっくりと立ち上がる。
きっとユリウスさんは俺が想像している以上に悔しいのだろう。自らの手で家族と離れることを選択し、しかも何処の誰だかわからない男に妹を任せることになってしまった。それが妹にどんな影響を及ぼすか未知数だ。
どれ程の苦悩や葛藤がそこにあったのかは想像することしかできない。それでもユリアを守って欲しいと頼んできたのだ。
だから、頼みを叶えてあげたい。家族と別れる辛さは十分わかる。この世界に来てしまったことで、母親である晴海と離れ離れになってしまったから。当たり前だと思っていた人と離れるのは、辛いことだから。
「キミはすぐに出れる準備をしていてくれ」
ユリウスは蒼に言い、部屋の出入口へと向かう。
「わかりました」
「ああ、それと……」
部屋の扉を開けるために手を伸ばしたユリウスは、何かに気づいかのように蒼へと振り返る。
「……私の頼みを聞いてくれて、その……ありがとう……」
ユリウスは照れたように視線をあちこち泳がせ、ぎこちなく笑った。
そのぎこちなくも優しい笑みは、何処かユリアと似ていた。愛想笑いではなく、心から笑った時のユリアに。
ユリウスの珍しい一面を見たからか、笑みがユリアと似ていたからか、蒼は目を丸くしたままユリウスが部屋から出て行くのを見送った。
ユリウスが出て行ってから、蒼はゆったりとベッドに寝転んだ。
頭に浮かんでくることは先程のユリウスとのやり取りと、母親の晴海のことだ。
ユリウスはかなりの覚悟でユリアのことを頼んで来たのだ。ユリウスと初めて会った日、蒼は軽々しくユリアを監視役にして施星の国に連れて行くとユリウスに提案した。
あの時の言葉はなんと愚かだったのだろうか。あまりにも自分勝手な発言をしてしまったことに今更後悔の念が押し寄せる。
深く踏み込むまいと思っていたのに、焦った結果があの度し難い程に愚かな話合いだ。いや、話合いにすらなっていなかった。
蒼は焦りに身を任せ、ユリウスは悠々と余裕のある態度で言葉を受け流していた。対等ですらないのに取引を持ち出した。
他人を気にする余裕などないから、自己利益を優先しようと考えている。しかし、その行動に後々後悔をしている。
どっちつかず、中途半端な自分に友達を助けることなどできるのか、と悩む。
「はぁ……」
気がつけば溜息が漏れていた。
こっちに来てから溜息が多いな、と自嘲気味に笑う。
そして、晴海のことは当然気になっていた。この世界に来てから忘れた日は一度もない。だが、あまり考えないようにしていた。
こっちの世界で一ヶ月近く経つということは、元の世界でもそれぐらいの時間が経過しているだろう。
その期間、晴海はどうしているのかが心配だった。
まるで恋人のように蒼にベッタリと接していた晴海。
蒼にとっては度が過ぎる距離だと思っていたが、今となっては何処か懐かしい。
蒼が行方不明となって、晴海が塞ぎ込んでいなければ……と心配になる。
最悪の可能性も頭によぎり、首を振ることでそのイメージを打ち消す。
友達の為にも、晴海の為にも、一刻も早く元の世界に帰らなければならない。
すべきことを再確認し、今後どのように行動するのが良いかを考え始める。
思考に没頭していると、部屋の扉からノックの音が鳴り渡る。
「失礼します」
ノックに返答する間も無く、メアが入室する。
「どうしましたか?」
思考を中断し、ベッドに預けていた体を起こした蒼は、努めて平常な声音で尋ねる。
「荷物を整理しましたから、それを運んで頂きたいのです。では、私について来て下さい」
要件だけを伝えたメアは、蒼を気にする素振りを見せず、廊下を歩き出す。
「唐突だなぁ……」
呆れた様に呟き、一先ずメアの後を追う。
「…………」
「…………」
歩を緩めないメアと少し間隔を空けて蒼は後を追う。
お互いの間には会話が無く、何とも言えない空気が漂っている。
蒼はメアとの距離を測りかねていた。物理的な距離ではなく、精神的な距離を。
メアは明らかに、ユリアが蒼に同行することを快く思っていない。
その元凶である自分をどう思っているのか……蒼はそこまで考えたものの、思考はこれ以上先へと進んではくれない。
「…………」
「…………」
規則正く鳴る足音が廊下を木霊し、窓から射す日の光が二人を染め上げる。
「…………」
「……珍しいですね」
漂っていた空気がメアにより不意に破られる。
「え?」
メアから話かけられると思っていなかった蒼は、不意の出来事に間の抜けた声を洩らす。
「ヒダカ様が黙っていることが珍しいと思いました」
歩くペースを崩さず、前を向いたままのメアが淡々と口を動かす。
「いや、ほら! 後ろから見てもメアさんは綺麗だなぁと見惚れていました」
誤魔化す為に相手を褒める……蒼の常套手段の一つだ。もっとも、綺麗だと思っているのは本当のことだが。
「……そうですか」
なん……だとッ⁉︎ 何時もならツンツン毒毒……略してツンドクで罵ってくる筈なのに‼︎
メアの予想外な反応に驚いた。何時もなら、『今朝も言いましたがヒダカ様に褒められた所で全くと言っていいほど嬉しさは皆無なので止めていただけませんか?』と返すだろう。
「……何か失礼なことを考えていませんか?」
ようやくメアは振り返って、蒼を睨むように目を細めた。
「べ、別にツンドクで罵られたいだなんて思ってないんだからね‼︎」
「…………キモ」
「べ、別にキモくないしぃー。『あいつってあのグループに居るくせに顔普通だよな』とか言われたとしても、キモいとは言われてないしぃー」
「自虐ですか? 誰かに罵られるだけでは飽き足らず、自分で自分を虐めるとは……流石はヒダカ様ですね」
「すごいですか? 誰もできないことを平然とやってのける俺。そこに痺れて憧れましたか?」
「…………うざ」
メアは汚物を見る様な冷たい瞳で蒼を睥睨する。
やっと普段通りの君に戻ったね(キリッ! ……とかできればいいんだけど、仮に言ったとしても『…………ゴミ』とか言われてしまうのがオチだろう。
「ようやく着きました。これでヒダカ様と同じ空間を共有しなくてすみますね」
「フッフッフッ、甘いですね」
「……何がでしょうか?」
「残念ですが、俺はメアさんの匂いをすでに共有してるんですよ! ベッドありがとうごさいました!」
「……はぁ。私が寝ていたベッドは毎日取り替えていましたが?」
「……え? じゃあ、あの匂いは?」
「シーツの柔軟剤の香りでしょう。まさかヒトのベッドの匂いを嗅いで悦に浸るとは、本当に気持ち悪いですよ」
「バカな‼︎……」
やっぱり普段の君が一番素敵だよ(キリッ! ……とか言えればいいんだけど、仮に言ったとしても『…………クズ』とか言われてしまうのがオチだろう。
そして俺は知っている。今のメアさんの顔は、ガチで気持ち悪いと思っている時の顔だと。
「……ところで、何故ユリアの部屋の前に居るんですか?」
メアが案内した場所はユリアの部屋だった。
「話題を逸らしましたね。まあ、私にとってもその方がありがたいです」
荷物を運んで欲しいと言ったメアさんは、ユリアの部屋に連れて来た。つまり……。
「ユリアの部屋に俺の私物はありませんよ?」
「運んで頂きたい物はヒダカ様の物ではありません」
やはりユリアの私物を俺の『空間』に収納しろ、ということらしい。そして、ユリアの私物を運ぶということは、本当にユリアが同行するのだろう。
……メアさんはそれでいいのだろうか?
「……ユリアの物を俺の空間に仕舞うんですよね?」
「ええ。話が早くて助かります」
「……本人の了解は取ってあるんですか?」
この蒼の質問は、ユリアが同行することに本人であるユリアは了承しているのか? と言外に含んでいる。
ユリウスからユリアのことを聞いているが、一応メアにも確認を取る。
「……はい」
メアはそう言いながらユリアの部屋の扉を開く。だから、メアがどんな表情をしていたのか、わからなかった。
「失礼しまーす」
明るい声を出しながらも、気後れした様子で蒼は部屋に入る。
辺りを見回したが、誰も居ないことを確認して、無意識に胸を撫で下ろす。
「…………」
「それで、何を仕舞うんですか? 下着なら喜んで手伝うんですがね」
ある程度茶化しつつメアの様子を探る為に視線を向ける。
メアはそれを無視して部屋の中を歩き出し、クローゼットの前で止まる。
「これをお願いします」
「えっと……クローゼットごと空間に入れろと?」
「これをお願いします」
「…………」
「これをお願いします」
「いや、NPCみたくループされても……」
「これをお願いします」
「……ハイ。ワカリマシタ」
「これをお願いします」
「まだ言うか⁉︎ 俺了承しましたよね⁉︎」
「早くしてくれませんか? 本当にヒダカ様は愚鈍でいらっしゃいますね」
「…………」
蒼はメアを睨みつつクローゼットを空間に入れる。
「で、他には?」
「…………ありませんよ」
あまりにも弱々しいメアの声。それに驚きつつも、口は挟まない。
「何もないんですよ……もう……」
消え入りそうな声で呟いたメアは、どこか遠くを見つめる。
「…………」
その様子を見て、さらに心苦しさを覚えるが、それでも口を開いた。
「そうですか。まあ、ユリアが同行してくれるなら好都合ですからね」
「……それはどういった意味でしょう?」
メアは今までの雰囲気から一変し、険しい表情で蒼を見る。
「ユリアは優しいですからね。周りに誰も居なければ、どうとでもできます」
その表情を正面から見返しつつ、何かを企んでいるようなニヒルな笑みを見せる。
「何をなさるおつもりで?」
メアは蒼を睨みつけ、剣呑な雰囲気を醸し出す。
「…………」
蒼は何も答えず、壁に寄りかかる。
純白で無機質な空間に漂う不穏な空気。そこに、さらなる波紋が広がる。
「ユリアを使えば、ユリウスさんと交渉できると思いませんか?」
そう口走った瞬間、一気に空気が張り詰める。メアは目を細め、蒼を威圧した。
「お嬢様があなたに屈するとでも?」
「ええ。ある程度は信用されていますから、ユリアを性格を鑑みれば、俺への攻撃を躊躇うしょう。襲撃者にすら本気で攻撃してなかったですしね。それに無警戒の時を狙えばいいだけですし」
感情を込めずにそう答える。
本日の襲撃で襲撃者と対峙したユリアは、敵を殺さないレベルの魔法しか使わなかった。それは甘さなのか、優しさなのか、臆病なのか、恐怖なのかは本人にしかわかるまい。
「何を企んでいるのですか?」
「…………」
「……もしや、お嬢様の信用を得る為に、今まで仲良くしていたと?」
「そうです。仮に敵になったとしても、一番与し易いですから。それに、ユリアの〈スキル〉はかなり厄介ですからね」
ユリアのスキルについて、大体のあたりはつけてある。恐らく、[魔法]を適当な位置に具現化できる、というものだろう。
本来は行使者の周囲にしか具現化できない[魔法]を、ユリアは好きな位置に具現化できる。厄介で済むレベルではない。
もしもユリアと戦闘を行った場合、蒼は負けるだろう。しかも、ユリアと戦う事態になったということは、敵はユリアだけではない。
「……そのようですね。本当にあなたというヒトは面倒くさい」
呆れたような口調ながらも、メアの視線は一層強まる。
「そのようですね」とメアは納得した。それは、メアのスキルで蒼の言ったことが真実だという証明にほかならない。
「……ユリアを止めるなら、今の内じゃないですかね?」
メアを見据えながら、なるべく優しい口調で言葉を紡ぐ。
蒼が何かを企んでいるから、そのことをユリウスに報告すれば、ユリアを止められるのでは? ……メアには蒼の言葉がそう聞こえた。
ユリアの外出を止められることは、メアが最も望んでいること。しかし、メアはその言葉を否定する。
「……一体何を企んでいるのですか? あなたが自らの利益よりも、他人の感情を優先するとは到底思えません。取引に従って、真実をお話下さい」
「…………」
「また黙秘ですか? これまでは見逃してきましたが、これ以上は取引反故とみなします」
「俺はちゃんと真実を話てきましたよ。ただ、取引項目で黙秘をしないとは言っていません。つまり、俺は真実だけを言っているから、取引反故になりません」
メアは、包み隠さずに全てを話すことが真実を話すことだと考えている。いわば、真実の前には、黙秘は存在しないという考えだ。
蒼は、言葉にしたことが真実であれば問題なく、黙秘は何も言葉にしていないから大丈夫だと考えている。いわば、真実と黙秘は両立するという考えだ。
「それにメアさんこそ忘れていませんか? ここでは俺の方が、地位が上だということを」
メアが何かを口にする前に、言葉をぶつける。
「……失礼しました。これまでの無礼をお許し下さい」
不承不承といった様子ながらも、メアは綺麗なお辞儀をして見せる。それに伴い、蒼を包んでいた圧迫感は消え去る。
冷静に戻ったメアは、一つの疑問に思い当たった。何故、蒼はメアにさっきの話をしたのか、という疑問だ。
もし、蒼がユリアをどうにかするつもりなら、それをわざわざメアに伝える筈がないからだ。
「ヒダカ様は何故あのようなことをおっしゃったのでしょうか?」
「ん? ユリアの同行を止められるかと思いまして」
「先程も申し上げましたが、ヒダカ様が自分の利益よりも他人の感情を優先するとは思えません。それに、今更決定は覆らないでしょう」
半ば呆れ顔で否定するメア。そこにはさっきまでの鋭い棘はないが、胡乱気に蒼を見つめる。
「まあそうでしょうね」
淡白に言い放つ蒼に対して、メアは一つの可能性に思い当たる。ユリアと二人きりになれば、どうとでもできるという先程の蒼のアピール。わざわざメアに話たということは、メアへの牽制又は脅しではないのかと。
「ヒダカ様は私を脅迫しているのですね? 目的は何ですか? それも何故私に?」
「いや、まあ、メアたんとにゃんにゃんしたいなーとか?」
ぶっきらぼうに言い放つと、メアは無言のまま蒼から距離を置く。その瞳は無機質で、もはや蒼を写してすらいなかった。
「いや、ほら、と、取り敢えず荷物は持ったので、他の部屋にでも行きましょうよ。今の話は聞かなかったという方向で」
蒼は焦ったように身振り手振りを交えて弁解にかかる。
その蒼を見ながら、メアは考えをまとめる。
(ヒダカ様は己の目的の為なら、あらゆる方法を使ってでも達成しようとする恐さがある。だから本当にユリアを……)
「ヒダカ様。私と取引をなさいませんか?」
「内容は?」
待っていたと言わんばかりに蒼は聞き返す。
「お嬢様を護ることと、危害を加えないこと。対価として、私を好きなようにして下さって結構です」
「何故その取引内容にしたんですか?」
「私の一番の願いはお嬢様の安全です。対価を私にした理由は、ヒダカ様にとって、お嬢様よりも私の方が有用性が高いと判断しているのでは、と思ったからです」
「へえ……では、何故そう判断したんですか?」
「お嬢様はヒダカ様の言うことをお聞きになるでしょう。しかし、ヒダカ様は私を脅迫してきた。ですから、私の方が有用性が高いと判断しました。ロリコン野郎ではなかったのですね」
「ちょっ! 誰がロリコンだ! 俺は年上が趣味なの!」
蒼は大袈裟にツッコミを入れるが、内心では驚いていた。
なるほど、確かにユリアの有用性がメアさんよりも高いなら、メアさんを脅しはしなかった。折角ユリアが同行してくるのに、その脅しの所為でユリアの同行が無かったことになる可能性があるから。
つまり、メアさんを脅した時点で、ユリアよりもメアさんの方が有用性が高く、取引が目的だと気づかれた訳だ。
メアが言った有用性が、何の有用性なのかはわからないが。
「それはそうと、俺はメアさんの取引を受け入れます。とはいえ、魔人のメアさんを同行させる訳にはいきませんから、次に俺とメアさんが出会った時にユリアが無事なら、俺はメアさんを好きなようにするってことで良いですか?」
「はい、それで構いません。そろそろお嬢様の元へ参りましょう」
メアはなんでもないかのように振る舞い、ユリアの部屋から出て行った。
メアを見送った蒼は、壁に背中を押し付けたまま、肺に溜まった空気をゆっくり吐き出す。
これでメアさんとの取引が完了した。後は施星の国の王を引きずり出し、メアさんの能力で召喚のことを聞き出せば、ようやく元の世界に帰ることができる。
ユリアと仲良くしていた理由は、当然仲良くしたかったという感情的な部分もあるが、信用を得ることと感情移入させるという理由もあった。
そうすれば、万が一魔人が敵になったとしても、与し易いであろうユリアを使って切り抜けられるかもしれない。
そして、仮に祐摩達がこの国に攻めて来た場合、彼らが俺の友達だと知れば、ユリアは危害を加えないだろう。
その時に祐摩達が負けたとしても、ユリアの計らいであいつらは生かされるかもしれない。ユリウスさんは容赦しないだろうが、妹からの頼みなら聞き入れる筈だ。
俺がユリアと仲良くすることで、ユリアは俺に信用を寄せる。そして俺の友達という立場にいるあいつらにも、それなりに信用を寄せるだろう。
ユリアはユリウスさんにかなりの影響を与える存在だから、そのユリアとの関係が深くなればなるほど、俺とあいつらの生存率が上がる筈だ。
「……はぁ」
身の内から湧き上がる罪悪感に堪えきれず、蒼はため息を吐く。
さっきも他人の感情を弄んだことに後悔していた。それなのに、メアと取引をしたいが為に、感情を蔑ろにしてしまった。しかも、命の恩人であるユリアを再び利用して。
矛盾していることは理解している。彼等を助ける為と言い訳をして……友達を免罪符にして、自らの行為を正当化させている。
それが、酷く腹ただしい。
「……クソッ‼︎」
悪態をつき、思わず壁を殴りつけようと腕を振ったが、壁に到達する前に腕から力を抜く。
自分が招いた苛立ちなのに、それを物に当たって溜飲を下げようなどという子供じみた真似はしたくなかった。
しかも、それをユリアの部屋に当たり散らすなど以ての外だ。
「……クソッ……」
もう一度悪態をつき、身の内をくすぶる罪悪感から逃げるようにメアの後を追った。
★★★★★★★★★★★★
離宮の地下に存在する一室。日の光が入らない為、蛍光灯がぼんやりと辺りを照らしている。
その部屋には、六つの人影があった。
「本当にいいんですか?」
確認の意を孕んだ蒼の言葉に、ユリウスは答える。
「ああ。その方が、お互いにとってプラスになると思うんだ」
その言葉を聞いたユリアは目を伏せる。
お互いにとってプラス……それは誰と誰を指しているのか。その疑問を無視する。
「今までありがとうございました」
蒼は深く頭を下げた。決してお世辞ではなく、本心から出た言葉だった。
「うむ。これからも精進するのだぞ、我が弟子一号よ!」
ゾドルは快活に笑いながら、蒼の背中を力強く叩く。
「痛ぇ……そもそも、弟子になった覚えは無いんですが……」
「ははは。そう照れなくても良かろう」
ゾドルは快活に笑いながら、蒼の背中を力強く叩く。
「いや、叩くのをループされても困るんですけど……」
「良いではないか! 良いではないか!」
ゾドルは快活に笑いながら、蒼の背中を力強く叩く。
「……シショーノデシニナレテヨカッタデス」
「そうであるか! では、師匠として一つだけ言っておこう」
そこまで言ったゾドルは急に真面目な表情になり、話の先を続けた。
「大切なモノを前にしたら、決して逃げてはならない。それを肝に銘ずるのだ」
以前、誰かにも似たようなことを言われた気がする。そう思いながら、力強く頷いた。
「それともう一つ。今日の戦闘のことだが……」
「分かっています。今日の相手とは相性が良かったから勝てただけです。慢心するつもりはありません」
「分かっているなら良い。少年……いや、アオ・ヒダカのお陰で守れた命があった。ありがとう」
ゾドルから謝辞を貰ったが、それは蒼の罪悪感に拍車をかけた。
襲撃者の能力を探る為に、兵士が傷つくのを黙って見ていたからだ。いくら自分の身を守る為だからといっても、あまり誉められた行為ではないだろう。
「いえ、俺は大したことしてないです」
そう言って、蒼は誤魔化すように視線を有らぬ方向に向けると、メアと視線が合う。
メアは軽く頷いてみせた。それは先程の取引のことだろう。蒼も頷き返す。
「それで、何故この部屋に?」
暗いだけで、何も物が無い部屋を見回した蒼は、今更ながらの疑問をぶつけた。
「ここから直接人間の領地に行くからだよ」
ユリウスからの答えに、蒼は怪訝な表情を浮かべる。
「……転移みたいなものですか?」
「まあ、そんな感じかな」
ユリウスは笑顔をたたえて言葉にする。
「それは、"その人"の能力ですか?」
蒼は警戒したまま、"その人"……この場で一人ローブを被って顔を隠している人物に目線を寄せる。
蒼がこの部屋に入った時には既にこの人物が居座っており、微動だにしないことから、置物か何かだと勘違いをしてしまいそうになる。
物が存在しないこの部屋で転移するとなると、それは能力でしか有り得ない。だから、最もこの人物が怪しいと睨んだのだ。
「そのことについては言及しないでもらいたい」
ユリウスは蒼からの疑問を切り上げると、ユリアに向き直った。
ユリウスが質問を躱してくると予想していた蒼は、特に抗議することなくただ見守る。
「おまえが望むように生きなさい」
ユリウスは優しく微笑み、ユリアの頭を撫でる。
「うん……。私は大丈夫だから……」
ユリアは花顔を精一杯笑みに変える。
「……お元気で……」
「うん、メアもね……」
ユリアとメアは何とも言えない顔で挨拶を交わす。
お互いに言いたいことがあるのだろうが、実際に声に出す言葉が見つからず、口を噤んだまま目を泳がせている。
「吾輩はいつも味方だ」
ゾドルはユリアの肩に手を置く。
「ありがとう、ゾドルさん」
その後もぽつぽつと言葉を交わす彼女らを蒼は遠巻きに見ていた。
「ヴィルンという街の近くに送るから、ギルドに加入して冒険者になることをオススメするよ」
「ギルド⁉︎ 冒険者⁉︎ そんなのがあるんですか⁉︎」
ユリウスが発した単語に、蒼は興奮気味に食いついた。
「? あるけど……」
怪訝な顔で見てくるユリウス。蒼は己を叱咤しつつ弁解を図る。
「……失礼しました。その二つにちょっと憧れていましたので……」
「へえ、君らの世界にもあるのか」
「あ、あはははは……」
ゲームや小説で出ててくるもので、とても憧れていました! とは流石に言えず、苦笑に留める。
「二人の身分証は作ってあるし、貨幣も渡してある。後は二人次第だ。幸運を祈ろう」
ユリウスは笑みを浮かべながら、蒼に手を伸ばす。
「俺みたいな奴を保護してくれて、ありがとうございました」
伸ばされた手に、自らの手を重ねて握手を交わす。
「確かに君みたいな奴を保護しても、利益は無かったから私は大損だね」
ユリウスは、悪戯を考える子供のような笑みをたたえる。
「相変わらずな言い草ですね。そのせいでMになったら責任取って下さいよ」
「相変わらずな面白い冗談だね」
「そりゃあピエロを名乗っていますからね」
二人は握手をしながら、いつものような冗談を交わす。
シリアスな雰囲気でお別れを言うよりも、冗談を言う方が"らしい"と思ったからだ。しかし、次の瞬間に神妙な顔つきになったユリウスは、蒼に鋭い視線を向ける。
「一つ質問なんだが、君にとって、国とは何のことだ?」
「……え?」
不意の質問に言葉を詰まらせながらも、頭の中で単語を思い浮かべる。
領土、国民、制度、政治、文化、風俗、権利
「ユリア、次に私と会った時は、成長したおまえを見せてくれよ」
「うん! 約束する!」
ユリウスから言葉を受けたユリアは、決意を胸に抱いたように強く頷く。
先程の出来事をユリアは吹っ切れたのか、はたまたやせ我慢をしているのかは、蒼にはわからなかった。
「それじゃあ、頼む」
ユリウスが声をかけると、それまで闇に溶け込むように沈黙を貫いていた人物が、空気を撫でるようにゆっくり手を動かし始めた。
いきなりの出来事に体を強張らせた蒼は、警戒を強めながらローブに覆われた人物を見る。
その時、蒼とユリアの周りに文字のようなものが浮かび上がる。
「これは‼︎……」
見たことのある光景に、思わず声を上げる。
それは異世界に召喚された時に起きた現象であり、施星の国から天輪の聖地近辺の森まで飛ばされた時にも起きた現象だ。
幻想的な美しさを持っているが、異世界へと飛ばされた蒼にとっては、怒りの対象でしかない。
その現象を見て、この人物が四人を異世界へ召喚し、さらに蒼をここまで飛ばした人物ではないかという一種の閃きのようなものが頭に浮かぶ。
「待て‼︎ お前が……」
その人物を問い詰めようとした。しかし問い詰める間も無く光が拡散し、咄嗟に目を瞑った。
「くっ……」
呻くような声が漏れ出た。それと同時に、ヒュゥ、という風が耳元を通るような音が聞こえ、冷ややかな何かが全身を撫でていく。
ゆっくり瞼を開くと、辺り一面には草原が広がっていた。夜の暗闇を月の光が照らし、草本は風に靡いて踊るように揺れ、風は遠く遠くへと駆け抜ける。
「……寒い……」
ローブを空間に仕舞い、代わりにコートを取り出して着込む。
幾分か寒さが緩和した所で、周囲に存在する物を確認する為に首を左右に回した。
左側は森になっており、右側には街があった。
街は外壁に包まれているが、外灯などの人工的な光が、外壁の存在しない上空へと昇っている。
宴会でもしているかのような、騒がしくて楽しい感じの声が風に乗って街の方から聞こえてくる。
これらのことを考えれば、街には人が存在しており、ある程度は賑わっていることがわかる。
あの街がユリウスの言っていたヴィルンという街だろう。
「……ここが、外の世界……?」
か細い声が背後から聞こえてきた。ヴィルンの街に見入っていた蒼は、ハッとして振り返る。
背後にはユリアが佇んでいる。その目は好奇心というよりも、哀愁に彩られている気がした。
何故そんな目をしているのかが分かってしまったから、かける言葉がない。
「……私が……いけなかったのかな?」
ユリアは誰に問いかけるでもなく、ポツリと漏らす。
おそらく、今日の出来事のことを言っているのだろう。
曇った瞳で虚空を見つめるユリア。目に映る光景に懺悔しているのか、または後悔しているのか……もしくは恨みつらみなのか。
「……なんで……いつも、こうなっちゃうの……かなぁ……」
「………………」
「……もう……いやだよ……」
崩れるように膝をついたユリアは、どこか諦めているような口調で呟く。
銀の月光が、そんな彼女の頬を伝う涙を明確に照らし出していた。
「っ⁉︎」
さすがに驚きを抑えることはできなかった。この場の空気から逃れるように、視線を明後日の方向へ向ける。
だが、聞こえてくる音から逃れることはできない。
「……うっ……くっ……」
静かに嗚咽を漏らす小柄な姿を再び視界に捉えた時……その時に表出した感情は、同情と憐憫だった。
あまりにも哀れで可哀想だと思った。
捨てられた子猫のようにただ泣くことしかできないその姿が。
気がつけば、ユリアの側へと歩み寄っていた。
蒼は立ったまま、しゃがみこんで肩を震わせているユリアを見下ろす。
その頭に手を伸ばして……。
しかし蒼にできたことはそこまでだった。
__俺はユリアのことを何も知らない。そんな奴がユリアの心の傷に干渉していい筈がない。その傷はユリア自身の傷で、本人だけのものだから。
だから、蒼は何もできなかった。
自分にできることが無かったから。
自分はするべきではないと思ったから。
今まで散々ユリアを利用した罪悪感が胸を締め付けたから。
「……うぁっ……ひっく……」
声を押し殺して泣いているユリアがあまりにも弱く見える。
それが、なぜだか、ひどく蒼をイラつかせる。苛立ちは、何もできない自分自身に……ではなく、目の前のユリアに対して。
失望にも似た感情も湧き上がっていた。
蒼はユリアのことを強いと思っていた。




