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短編集ページ  作者: 小森
部屋から出ない3人の兄弟
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思い出は夢より曖昧 長男の話

 

 ――小さな紅葉が目の前で揺れていた。


 子供達の靴が石畳を駆ける。ランドセルをベンチに預け、身軽になった彼らは自由に夕暮れの中を走っていた。


 ああ、羨ましいな。


 少女は少し高い石段を登って、満足そうに手を振っている。


「かーくん。みてみて」


 涼ちゃん。駄目だよ。危ないよ。そう言いたいのに、言えない。


「涼ちゃん。駄目だよ。危ないよ!」


 少女にもとに、少年が走り寄る。足元に散った紅葉が舞い上がって軌跡を描いた。一字一句、違いの無い台詞に驚き、目を見開いたまま、赤い世界で遊ぶ二人の子供達を見つめる。


 あれは、誰だろう。

 楽しそうに笑っている男の子。はしゃいでいる女の子。

 ふたりだけで。ふたりだけでも。彼らは笑っている。

 あの子が笑っている。

 あれは。あれは。あの子は。あの女の子は。俺は。


 ――小さな紅葉が、目の前で揺れている。


 その少女は手のひらを穏やかな空気に浸し、遠くの誰かに向かって手を振っていた。涼夜。呟いたはずの名前は、唇を震わせぬまま消えて行き、余韻さえも残してくれない。


 ――小さな 手のひらが 目の前で 揺れていた




 ……………………………………………………


 目を閉じたまま、冷えた空気を吸い込む。

 真っ暗な部屋でただ1人だけの意識は、薄く四散して黒い箱に飲み込まれている。カーテンの向こうから透ける緩やかな光がそれを引き戻し、夢と現実の隙間からゆっくりと住人を目覚めさせた。


 うすぼんやりとした意識を体に馴染ませようと、瞬きを繰り返す。朝だ。眠い。目をすがめながら、布団から這い出ようと試みるが、指先が外気に触れた途端にやる気をなくした。寒いし眠いし布団の中は暖かいし今日も1日平和なようだし野菜は高騰してるし。うん。なんかもう、眠い。

「ねむ、い 、な」

 だからもう、寝てていいよね。そう結論付けて、掛け布団を頭まで引き上げながらホッと息をつく。冷たい空気よりこちらの方が断然いい。天国だ。寝返りを打って、さあもう一眠り、というところで。

 pipipipipipi………pipipipipipi!!

 問答無用の文字をそのままに、携帯のベル音が鼓膜を襲撃した。

 誰だ。何だ。メールか。電話か。何を訴えたいんだお前は。ていうか寝かしてうるさい。掛け布団を引き剥がしてベットを降りる。寒い。携帯なんて嫌いだ。こいつには心遣いとか言うものが無い。酷すぎる。

 若干の混乱を残しつつも、卓上で喚いている無骨なデザインのそれを掴みあげ、折りたたみの隙間に爪先を差し込んで押し開けた。

 着信。四季涼夜。

 一瞬で色々なものが爆発した。野菜、世界平和、眠気。やばい。ディスプレイに表示されたのは唯一にして至高の存在、愛すべき従姉の名前である。大変だ。出なきゃ。出よう。いやもう本当に大変だ。こんな朝っぱらからの電話だなんて、なんらかのイベント性を感じる。もしかしたら一緒に出かけようとか大変な誘いかもしれない。いやもう本当に大変だ。出よう。

「もしもし」

「8時」

「ああ、はい、8時」

「起きた?」

「ああ、はい、起きてます」

「わかった。じゃあね」

 え?

 唐突な夢の終わりにたじろぐのは一人だけだと言うのか、見えない向こう側からは性急に済ませようという意思が透けて見えた。

「いや、ちょっと待とうよ。電話の目的は?俺の睡眠時間を削ること?」

「そうだけど」

 本気か。この女。

 完全なる不意打ちである。

「つまりデートの誘いでは無かったと」

「あたりまえでしょうが。恥ずかしいこと言わないでよ。あんたまだ寝てるでしょ。切るわ」

「起きてるよ!切るなよ!」

「なんなのもう」

「こっちの台詞だよ」

 相手の意図が分からず、携帯電話を持ったままベットに腰を降ろした。長期戦を覚悟する。

「昨日だけど」

「うん」

「アンタ言ったわよね。明日8時に起こして。電話して、ってさ」

「ごめん。言ってない」

「馬鹿。言ったわよ、馬鹿。言われたから電話してんのよこっちは」

「いやごめん。言ってない。もしくは覚えてない」

「この真性が…。ともかく切るわよ。私は電話した。あんたは起きた。終わり」

「えー!?やだー切るなよ。ばかー。ば」

 慈悲も無く電話は切れた。というか本当に切った。なんという奴だと思いながら、物言わぬソレを凝視する。頭の中と胸の中がごちゃごちゃとうるさい。そして、信じられないのだが。本当に信じられないのだが。

 会いたくなった。しかも、こんな内容の電話一本で。寂しいだなんて、言える歳でもないのに。




「でも、実は寂しいのか、な?」

 そう独り言を投げて、目線を上げて太陽の昇る住宅街をカーテン越しに見やった。こんなに沢山の人がいるのに。この部屋に居るのはひとりだけ。でも、本当は違う。部屋のドアを開けて、階段を降りて、玄関を出て。そしたら、外。ここは外側と、繋がっている。本気を出せば誰にだって会いに行ける。例えばバスに乗って、坂の前で降りて、石の階段を上って、並木道を抜ければ、彼女に会える。知っている。知ってるけど、やらない。

 だって、あの小さかった女の子にも、もう俺以外の沢山の人がそばに居るのだ。世界は俺達ふたりだけじゃない。それを知ってるから、会いに行ったりなんかしない。


「別に、いいんだけど」

 いや、違う。嘘っぱちだ。自分でも分かってる。

 どうだっていいと言いながら、小さな遺恨の針を残すのが、自分の悪い癖だ。いつだって、大事なことは最後まで手元に残して、相手に伝えようとはしない。心の中だけで思っている。

 好きだという言葉を、胸の中に仕舞い込む。

 好きだよ、好きだよ、と。その言葉だけを仕舞い込んで、いつも通りに蓋をする。

 いつだって。最後まで。俺だけはいつまでも、君が好きだよ。

 絶対に言わないけど。


 ……………………………………………………




 小さな紅葉が、目の前で揺れている。

 彼女は手のひらを穏やかな空気に浸し、遠くの誰か。いや、俺に向かって、笑いながら手を振っていた。

「炬」

 その笑顔が嬉しくて、俺も手を振り返しながら微笑んだ。

 風に吹かれた紅葉が舞い散る。赤い世界で、俺達はふたりだった。


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