腐肉なれば腐乱せし
※暗めの話 ※流血、暴力、不道徳表現
「僕が病気だというなら貴女は腐った肉ですよ。かの者は微笑を浮かべ、サーベルをその者へと突き刺した。刺された御者は嘲笑を浮かべ、中指を天へと突き立てる。身分の違う彼等は共に言う。『死は甘美なる安らぎである。くたばれ、クソ野朗』 神に仕えし二つの命。消えるのはそのうち、一つか、二つか」
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「くたばれクソ野朗」
神に命を捧げし二匹の子羊は、声をそろえて言い放つ。
そして、その場にて死したのは、年若い少女であった。身にはサーベルが深く沈んでいる。生き残った青年は、それを見てせせら笑う。
「もう、口も利けぬだろうて……」
対であった少女が死して、青年の邪魔をするものはいなくなった。血溜まりの下に広がるはずの呪印を前に、彼はひざを折り、平伏する。そのまま一言、二言を唇から紡ぐと、大理石の床が生きているかのように波打った。呪印が浮かび上がり、真っ赤に染められた広間を、その文様が埋め尽くす。血と、光が交じり合い、部屋は邪気と神気に満たされた。混沌。相容れぬはずの二つが融合し、それを呼び寄せる。引き出されたのは、この世界で神と呼ばれる者。もしくは、魔と呼ばれる者。
「かような場所に我を降り立たせ、求むものはいかなるものか。生か? 死か? 答えよ」
その声は甲高く、幼児のような甘みを含んでいた。青年はひたいに大粒の汗をかきながら、それでも視線を据えて神からの問いに答える。
「我が王に、世界を救う、絶対の力を」
「よかろう。ならば契約を」
「御方の慈悲に感謝いたします。では、この場にて私の血肉を捧げましょう」
「いらぬ」
神はさも不快であるかのように拒絶の言葉を吐き捨てて、青年に向かい、冷ややかな視線を投げた。
「な、なぜ……!?」
青年は慌てた。供物をはねつけられたということは、契約せぬと宣告されたも同じであったから。
「もしや、粗相を? 申し訳ございません。どうか、お許しくださいませ。貴方様の力添えがなければ、我らの未来は、もはや無いに等しい。ですから、私が選ばれた。この身体も、魂も、貴方様に捧げる為にある」
冷や汗をながしながら、青年が早口でつらねる。しかし、神はそれを無慈悲にあざけって、軽薄な笑みを顔に浮かべた。
「おまえの肉体も魂もいらぬわ。我が喰らうは、別のもの」
そう言って、青年の背後を指で差す。示す先にあったのは、数分前、青年がこの舞台から蹴り落した、少女の死体。
「我はあれを所望する」
青年が、音の無い悲鳴を上げた。
高貴と呼ばれた青年は、ひとりの少女を死体に変えた。
神と呼ばれる魔は、ひとつの死体をその手に乗せた。
神は言った。世界を救うための、契約を交わそうと。ただし。
「力は全て、この娘に与えよう。おまえが身勝手に殺した、この哀れな娘になァ?」
賽は、あらぬ方向へと投げ捨てられたのだ。青年の目の前には、希望という名の、絶望がある。底の見えぬ崖の下へ、賽は吸い込まれ、落ちていく。
「ふふふふふ……あはははははっ!! 人間ごときが我を呼び出したりするからじゃッ!! 目覚めればこの娘、まずお前を殺すだろうなァ? お前の次は王族かァ? それとも貴族かのう? ふふふ、街中で大量虐殺もありうるなァ? 骸から怨みの念が形をなして立ち上っとるわ。さんざん酷い目に合わせたのだろう? お前ひとりを殺して満足するとは思えんぞォ?」
青年は天を仰いだ。神など何処にも居ないのだと気づいたが、なにもかもが遅すぎた。腰のベルトに差し込んだナイフの柄を、知らぬまに右手が掴む。何故か今、少女の燃える瞳を思い出した。
結局、貴女と心中じみた事になってしまったな。
彼女はしくじった私を見て嘲笑うだろう。いっそ、その顔をはやく見たい気もした。死は、甘美なる安らぎである。自分のではない言葉が耳に触れた。仇敵であるがゆえ、誰よりも長く共にあった。その奇妙な運命のせいで、少女の声音を思い出すのは思いの外に容易だ。
光をなくした瞳で、青年は再生された少女の声に続き、空言を浮かべる。
「くたばれよ、クソ野朗」
そして、喉に刃をあてがい、掻き切って、世界の終末を己の血で飾ったのだった。