第9話 アリシアの憂鬱
12月13日 アリシア
昨日の晩はびっくりしてものすごい声をあげてしまった。
平常心を保つことを信条にしている僕としては不覚のミスだ。
深夜にレオナルドがやって来るくらいは予想していた範囲内だったし、寝ている間も警戒を怠らないつもりでいた。
だけど、昨日は、うっかり熟睡してしまっていたのだった。
男の僕があんなはしたない声をあげてしまうなんて恥ずかしい。
いや、確かに今は女の体かもしれないけれど、いつかは男に戻るつもりだし、男のプライドを捨てたつもりはない。
だけれども、暗がりの中、手首を押さえられ、組み敷かれたあの光景を思い出すと、レオナルドと廊下ですれ違ってもまともに顔を見ることができなかった。
今のぼんやり考え事をしている隙ならば、もしかしたらあいつも僕から札を奪い取ることは難しくないだろう。
だけども、恥ずかしがっているのは向こうも同じらしく、僕と目線を合わそうとしなかった。
なんだか気まずくなっちゃったな。
12月14日 アリシア
レオナルドに呼び出された。
2人きりで話をしたいのだという。
あの夜のことを謝られるのだろうか。
それにしては、待ち合わせ場所が人のいない廃教会というのは大げさだ。
これじゃあ、まるで愛の告白じゃないか。
あいつが僕に?ははは……まさかね。
修行中にさんざん憎まれ口を叩いてきた僕が好かれるわけないじゃないか。
昼上がりの寒空の下、レオナルドと落ちあうと、老朽化できしんだ扉を開き、教会の中に入った。
ほこりっぽくて蜘蛛の糸も張っている。静かだ。
秘密の話をするにはふさわしい場所だった。
ここならば、あんなことやこんなことも……って何を考えてるんだ僕は!
こんな妄想をするようになるなんて最近の僕はどうかしてる。
話を切り出したのは向こうだった。
「俺、好きな女の子がいるんだ」
「そっか」
僕への告白じゃなくて良かったと安心しているのが半分、そんなことを相談するなんて意外だという驚きが半分だった。
「去年もボラムの街で剣術大会に出たんだけどさ。そのときに宿を貸してくれた家に俺と同い年くらいの女の子がいたんだ。俺は一目ぼれした。誰にでも優しくて笑顔がかわいくて、もしも、天使がこの世にいるとしたら、あんな感じなんだろうな。俺はどんなことをしてでも彼女を手に入れたくなった。だから、俺は彼女の前で優勝して、そして、そのまま彼女に思いを伝えたいんだ」
そこまではほっこりとした顔で語ったが、次は視線を落としうつむいた。
「俺はこれまで、そうやって彼女へ一途なつもりでいた。だけど、あの晩、俺は女の子、そうあんたを押し倒してしましまったんだ。それは彼女へ対する浮気なんじゃないかと思った」
「そんな気にすることないのに。その彼女とやらも、そんなこと気にしてないって」
こっちのフォローを聞いているのか聞いていないのか、うつむいたままレオナルドは話を続けた。
「いや、本当に悩んでいるのはそこじゃない。このまま大会に出れないと、彼女に会うことすらできないんだ。あんたは札を奪い取れと言うが、あんたの身のこなしと己の実力を比べると、あと1週間でそれができるとは思わない。だから、頼みたいことがある。修行だなんて言わずにその札を返してくれ。俺はとにかく彼女に会いたいんだ!」
それは心の底からの悲痛な叫びのようだった。
だが、僕は心を鬼にすることにした。
「そうやって、迷っている間は大会に出ても勝ち目はないわね。大会に出て彼女にいいところを見せたければあたしから札を奪い取ってみまさい。そして、彼女の前であなたの勇姿を見せてやりなさい」