第6話 陽だまりの中で
「アリシアちゃん。そこの上の棚からシナモンをとってくれる?」
「はあい」
アリシアは、やや低くなってしまった身長を補うべく、背伸びをして香辛料の入ったバスケットに手を伸ばした。
たった、2年しか与えられていない破滅への執行猶予期間。
その間に送ることのできる平穏な日常生活のありがたみを彼女は実感していた。
(もし、今こうして料理の手伝いをしている最中にゴルドがやってきたらどうなるだろう…)
アリシアは頭の中でシミュレーションをはじめた。
(狭い家の中で戦うとなると、大立ち回りはできないだろうから、剣は使い物にならない。台所にありそうなもので、護身用に使えなのは小型のナイフくらい。ドアや机も使いようによっては相手をひるませることができる。あとは……)
「アリシアちゃん?」
おばさんが心配そうに顔をのぞき込んでいた。
「あ、はい。ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて……」
アリシアは、あわててバスケットの中からシナモンを探して手渡した。
「好きな男の子でもできたのかしら?」
予想外の言葉にアリシアは「あわわ」と驚いて、バスケットを思わず落としそうになった。
「冗談よ。どういう反応するかなと思って、言ってみただけ」
おばさんは生温かい目でアリシアを見ながら笑ってみせた。
(女の子の姿になっていたことをすっかり忘れていた。普通の人から見たら、僕が悩んでいる姿も、ただの恋煩いに見えてしまうのだろうか)
そう思うと、自分が悩んでいることなど、ちっぽけなもののようにアリシアには思えたのだった。
「さてと、朝食の準備ができたから、あのバカを呼んできて」
あのバカ。
おそらく、レオナルドのことを指しているのだろう。
瞬時に察してしまう自分もひどいものだとアリシアは軽く反省しながら、家の外に出た。
毎朝、自己鍛錬のために近くの山で剣の素振りをしている。
アリシアはそう聞かされていた。
「やあっ!とぉっ!」
山から遠く離れたところからでも分かるくらい、威勢のいい掛け声が響いていた。
(うちみたいに暗殺術に片足突っ込んだ流派ではなさそうだ。どちらかというと礼儀や精神を重んじる武道の類か)
アリシアは、当たっているかどうか定かではないいい加減な推測をしながら、レオナルドの姿を探し、そして、木がまばらな陽だまりの中に見つけた。
「えいっ!はあっ!」
レオナルドは息をはずませながら、大きなわら人形に木刀を叩きこむ。
寒い季節の割には薄着でうっすらと汗をかいている。
「ヘタクソ」
アリシアは思わず口を挟んでいた。
「なんだと!俺のどこがヘタクソだっていうんだ」
突然の訪問者に驚きつつも、間髪いれずに、レオナルドは言い返す。
「構えが隙だらけ。後ろから攻撃されたら一発でおだぶつだよ」
「ふん!女になにが分かるんだ!おふくろの前ではいい子ぶりやがって!いつか、本性を暴いてやろうと思っていたんだ!」
かっとなって突っぱねながらも、レオナルドはうつむいた。
迷いがあるようだった。
「どうすれば強くなれる……」
「脇をしめて肩の力を抜いたらいい。それを意識するだけでもマシになるよ」
アルスは思いだした。
レオナルドと過去にどこかで会ったような記憶があったのだ。
だけど、それがどこだったのかが今の今まで分からなかった。
剣術大会の予選で戦った対戦相手。
我流と思われる流儀でやみくもに力任せに得物を振り回していた。
ちゃんとした師匠の元で指南を受けた経験がないことは明らかだった。
しかし、基礎も技術もないにも関わらず、時折みせる動きの鋭さには目を見張るものがあった。
辛うじて勝利を収めたものの、アルスは冷や汗を流したものだった。
(そうか。あいつか……)
アルスの脳裏には一つの考えが浮かんでいた。
(こいつに剣術を仕込んでみるのも悪くない。少しでも強くなったら、ゴルドが襲撃してきたときに足手まといが一人減って、戦いやすくなる)
そこまで考えて、アルスはふと我に返った。
一家を巻き込むことを前提にしている自分自身に対して嫌悪感を覚えたのだ。
(だけど、最悪の事態に備えておく必要があることには違いない。あらゆる可能性を想定して、どんなことが起きても、被害は最小限に抑えないといけない)
使いなれないたどたどしい女言葉でレオナルドをアリシアは誘ってみることにした。
「あたしの訓練を受けてみない?強くなることは保障するわ」
「いいのか?」
「もちろん!」
レオナルドが明るい顔を見せたのは初めてだった。