第4話 2年後の約束
夜更けすぎ、アリシアは荷物をまとめて、鍛冶屋の家を発った。
これ以上、この家に居たらみんなに迷惑をかけてしまう。
そう判断してのことだった。
(ごめんなさい。本当はお礼の一つは言わなきゃいけないんだと思う。だけど、そんなことしたら、やさしいこの家の人たちはみんなして僕のことを引きとめてくれるだろう。そうなると、きっとその言葉に甘えてしまって、結果的にみんなに迷惑をかけてしまう)
アルスは幼いころから、剣術の達人となるように親から厳しく躾けられてきた。
愛だの情だのといったものはなるべく排し、朝も晩も、ひたすら戦うことだけを考えながら生きてきたのだ。
だからこそ、夕方に味わった家族団欒はアルスにとっては衝撃だった。
修羅の道しか知らなかったアルスにとって、家庭とは殺伐としているものだという彼の常識だった。
そして、その常識がたった一晩の食卓で崩れ去っていったのだ。
(本当はあの家族にもっと甘えたかった。だけど、僕にはそれを享受する資格はない)
雪が降り積もる中、村の出入り口である門の前に大きな人影をアルスは見つけた。
その人影の正体はアルスが予見していた通りの人物だった。
「やあ、鍛冶屋の家のお嬢ちゃんじゃないか。どこに行くつもりだい?」
(ゴルド……)
アルスは心をかき乱されつつも平静を装った。
「街に買い物にいくつもりです。薬草を切らしてしまって……」
「こんな夜更けにかい」
「ええ」
横を通り過ぎようとしたとき、ゴルドはおもむろにアルスの腰に手を回し、抱き寄せた。
必死に抵抗するが女の体では引きはがすのは無理だった。
「気が弱いくせに無理に強がろうとするあたりは、あまり変わってないね、アルス坊ちゃん」
「アルスって誰ですか?私の名前はアリシアです!離してください!」
女の体ではこんな甲高い声を出せるのかと自分でもやや驚きながらも、アルスは村娘の演技を続けながら抵抗した。
「そうだよ。この目つきだ。この子犬のように怯えた目つき、これこそまさしくアルス坊ちゃんだ」
「私はそんな人じゃありません。離してくださいゴルドさん!」
そう言って、アルスは「しまった!」と思った。
「なんで、俺の名前がゴルドだって知っているんだ。この村では本名を名乗らずに捜索してきたはずだが……」
痛いところを突かれ、アルスは沈黙してしまった。
「錬金術師の作った怪しい薬でも飲んで別人になりすましたとかそのあたりか。しかしまあ、坊ちゃんがこんな可愛い女の子になっていたなんて驚いたよ。おおかた、あと2年もすれば俺好みのいい女に育つんじゃないか。そうだ。いいことを考えた。道場には生きていたことは黙っておいてやるから、俺の女にならないか」
それはアルスにとって、ぞっとするような提案だった。
男に慰み者にされてしまう。しかも、こんな魂の汚れた男に。
「嫌だ!誰がお前の言うことなんか!」
「あの一家を皆殺しにすると言ってもか?」
「なっ!」
それはアルスにとって、自分の命を取られる以上にクリティカルな脅し文句だった。
「卑怯者め……」
「なんとでも言えばいいさ。俺は欲しいものを手に入れるためには手段を選ばない」
そういうと、ゴルドは右手で数字の2を作った。
「2年後だ」
「2年後?」
「2年後の今日に、お前を迎えに来る。その間に逃げようとは思うなよ。もし、そうしたら、あの一家の命はないと思え。お前は逃げることのできない甘ったれ小僧だということは知っている。おっと、今はただの小娘だったな」