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僕と彼女のこれから・5

「幾らなんでも、そろそろ本当に結婚式を挙げて頂けませんか? 国内的に、言い訳し辛くなって来ましたし、エミナも二十四歳です。せっかく人並みの年頃に婚約させて頂きましたのに……それとも、別の方と御結婚なさるとか……」


 言葉は丁寧だが、ザファル君の声は機嫌が悪かった。エミナと週末を過ごすようになってから、毎日のように電話を貰う事は無くなったが、隠れ家の方に交換手を通さない直通電話をかけて来るようになったのだ。


「無い無い、絶対無い。僕はエミナにゾッコンなんだから、それは有り得ない。いや、その、平日はエミナも学問やら研究やら忙しいんだよ。週末は大抵一緒なんだけどな」


 既に即位して九十年、ルンドに転生して百二十四年目になった。僕とエミナはちょうど百歳差なのだが、全然そうは見えない不自然な状況で、その不自然さも僕らは当たり前に受け入れつつあった。かつての僕がそうであったように、エミナ自身の老化も完全に停止したようだった。

 僕らだけの極めて特殊な条件の所為も有って、エミナ自身は全然結婚をあせっていない。僕と会う時以外は本腰を入れて、このルンド全体に有用な食料増産に関する研究を行っている。特に砂漠の緑化の研究は、既に多方面の専門家に高く評価されつつあった。

 

 エミナに言わせると、今年の結婚なんて有り得ないのだ。

「結婚? まだ、そんな時期じゃないわ」


 確かに、僕の方はそんな時期ではなさそうだった。

 この五年でガブリエルの病状は一進一退を繰り返したが、確実に病状は悪化していた。つい先ごろの恒例の年末年始の時期も、トリアに来る事が出来なかった。年末にひどく吐血したのだ。僕や子供たちは再び手術を勧めたが、やはり拒否された。

「痛みや出血を一時的に点滴や薬で抑える事は出来ても、やはり開腹手術しか根本的な解決になりません」

 ガブリエルが診察を拒まない出自の者の中で、可能な限り腕の良い医師を探して治療にあたらせたが、どの医師も言う事は同じだった。二十一世紀の地球なら腹腔鏡を使うような治療法も有るが、まだ、ルンドの医療はそこまで発達していない。


 トシエとマサエも近頃は年齢の所為か疲れやすくなって、夜更かしが出来ない。

 昨年の大みそかから今年の元旦にかけてのカウントダウンはガブリエルやレイリアの子供らの不参加が有って、盛り上がりそうにないので、黄金宮では職員達の立食パーティー以外の行事は行われなかった。

 年越しの瞬間も今年はエミナと一緒にすごした。

 黄金宮や役所の新年の休暇は三が日だけだが、二日目の朝に、エミナに言われた。


「貴方、テージョに今すぐにでも、行くべきだわ」

「そう?」

「自分で見てごらんなさい、かなり今の症状はいけないんじゃないかしら?」


 テージョのガブリエルの寝室に意識を合わせる。ガブリエル本人に合わせると、ネガティブな感情に意識を奪われそうになるのが、実は怖い。そうした恐怖感は同じ能力を持つ人間であるエミナ以外には、理解してもらえないのだと思う。ヤタガラスやモナは穢れた想念ならば覗いたり接触したりする事自体拒否する。ケツァールだと穢れた想念に囚われた人間だと、側にも寄れなくなるらしい。

 穢れを内包した人そのままでありながら、他者の想念を覗く事の恐ろしさは、自分がその穢れに大いに毒されるからであり、それが親しい人間ならば感情の暴走に巻き込まれそうになるからだ。


「貴方は半ば意識的に覗き込まないようにしてきたのね。正しい判断じゃないかしら」


 以前エミナに言われた通りだったのだろう。ガブリエルの感情を覗き込むのが怖いのなら、定点観測のように病室を毎日一定時間観察するべきだとアドバイスしたのも、エミナだ。

 僕は毎日、数分程度覗くだけだが、エミナはあの胸飾りのアラームの効果だろう、緊急事態が発生すると僕よりも早く反応するのだ。ガブリエルの強い感情を落ち着かせ、子供らに強い負の感情を起こす事のないように気を付ける必要が有る。僕やエミナのこれからの活動に有形無形の悪影響が及ばないようにするためにも、細心の注意が必要なのだろう。


「かなりの吐血だな……分かった」

「定期航路の客船が正午に出港よ。急いで支度しなきゃ。貴方は黄金宮に電話連絡をしなくちゃね」


 エミナはテキパキと荷造りし、ブランチの支度を始める。僕は各方面に電話で連絡を入れる。黄金宮の侍従や宰相のラルフさん、それにユキヒコの邸にも電話を入れて、トシエとマサエにも僕がテージョに向う事を伝えておいて貰う。

 エミナは『これぞ日本の朝ごはん』って感じのものを出してくれた。若布と豆腐の味噌汁、焼き海苔にアジの干物、卵焼き、青菜のお浸し、芋の煮ころがし、そして梅干しと炊き立てのご飯。

 梅干しなんてこの世界には存在しなかったのだが、梅と性質の似たプラムを探し出し、紫蘇と風味の変わらないハーブを使って、ちゃんとエミナは梅干しを作り上げた。そしてそれをイップ商会の販売網を使ってミズホにも輸出している。そんな商売にまで絡むようになってきているくせに、エミナはイップ親子に自分がアルラトの大君主の姫である事も、僕と特別な関係でいずれ結婚する事も打ち明けていない。


「だって、イップさんに何も聞かれないもの」


 そう言って平然と笑っている。こう言う良くも悪くも度胸が有ると言うか肝の太いと言うか、そういうところは田中美保には見られなかった性質だ。エミナに言わせると、僕もクソまじめで小心だった井沢亮太とはかなり違っていると言う。

「良くも悪くも曲者で、複雑になったわ。あ、でも、魅力的だとも思うわよ」

 僕がエミナを見て感じる事と似ている。元の人格を強烈に感じさせるのに、そこからパワーアップして複雑になった感じ……というと良いのかも知れない。


「頑張ってね。子供さんたち全員が納得するような、立派なお父さんで居なくちゃいけないから大変でしょうけれど、でも大事な事よ」

「やっぱり……」

 葬式になるだろう、と口に出して僕は言う事が出来なかった。

「貴方の良心と良識に照らして、最良だと思う方法を取って。きっと……一月や二月かかるでしょう。私、以前から約束も有るから オヌンダガオノの食料の増産と農地の開拓に関して、やっておきたい事を片づけてくるわ。何か有ったら、いつでも話しかけてね。私は、貴方のパートナーなのだから」

「ありがとう」

 エミナは僕をギュッと抱きしめてから、肩をポンと叩いた。気分が嘘のように落ち着いた。

「さあ、行ってらっしゃい」


 僕はそのまま、エミナが荷造りした荷物を積み込ませ、馬車に乗って港に向った。 

 船では余り、眠ることが出来なかった。僕が転生する直前の事故の夢で眼が覚めて、その後も短い夢を幾つも幾つも見た。ガブリエルの血を吐く姿、ユリエの息を引き取った瞬間の姿、アネッテの死に顔、アンニカの死に顔、チャスカの死に顔、セルマの死に顔、母上の、大宰相の、ヨハンの、父上の、ヤガー君の、ルイサの、キリャの、フレゼリク・レオポルドの、碧子の、死に顔、死に顔、死に顔……


(大丈夫?)

 エミナの温かい力強い波動に、僕は救われた気分になった。

(死に別れた人たちの顔が次々、浮かぶんだ)

(貴方のこれまでを支えてくれた、大切な人たちだもの。忘れられるはずもないし、忘れてはいけないのよ、きっと)

(うん、そうだな)


 その後は穏やかな眠りに入る事が出来たようだったが……テージョに船が入港する直前に覗き見たガブリエルの病室の様子は慌ただしかった。息子たち、娘たちが既に病室に詰めかけている。


「そ、そうですか。皇帝陛下は、父上は、こちらに向けて既に出港されたのですね。はいはい。はい」

「もう、手の施しようが有りません」

「せめて、最後までお苦しみにならないように、手を尽くしてくれ」

「ははっ、最善を尽くします」

「父上のお乗りになった船が入港したぞ」

「急ぎお迎えに上がれ」

 

 船が着岸するや否や、僕はレイリア王家の馬車で急ぎガブリエルのもとに急いだが、僕が部屋に入ったのは最後の大吐血の直後だったようだ。


「おお、お気付かれました」

 医師が奇跡だと驚くぐらいだから、本当に稀な事なのだろうが、ガブリエルはしっかり僕の姿を認めて、うれしそうに微笑んだ。僕は枕辺に子供らを集めた。

 酷く苦しいはずだったが、ガブリエルの顔はどこまでも晴れやかだった。

 最後まで自分の希望を貫き、僕と産んだすべての子、孫に見守られる中で落ち着いて別れの言葉を述べながら息を引き取ったのだから……人々が言うように、まずは大往生と言えたのかも知れない。


 荘厳な葬儀が行われ、レイリア中が喪に服し、全ての学校・役所・商店が半旗を掲げた。半旗について提案したのは、自分ももう老境にさしかっているラルフ・ヤングだった。


 帝国のラジオは葬儀の当日は一日中特集番組を放送し、全ての友邦国、自治州、自治国でも聴取された。ガブリエルの真っ直ぐさ、勤勉さ、暖かさを示す様々のエピソードが一般の人たちから大量に寄せられ、それらが一つ一つ紹介されていたのだった。

 働きはじめたばかりのころ、優しい労いの言葉を貰って感激したと言う郵便局員や、兵士、デパートの店員と言った一般の人たちの想い出は、僕の知らない物ばかりだったが、それでも「ああ、あのガブリエルらしい」と思わせる様な内容だった。


「女王様がレイシズムを克服できていたら、もっと長生きできたろうに。惜しい事をしたなあ」

 電話で話した時のラルフさんの言葉は正しいだけに、僕には反論の余地は無かった。一般の人に悟られないように努力はしたが、だが確かに、彼女はその偏見を訂正しようとは全くしなかったのだ。それが命取りになるとは、何とも皮肉だ。


 葬儀の参列者は予想をはるかに超えた膨大な人数となった。そして、それは歴代レイリアの君主の中でガブリエルが『最も民に愛された君主』であった証拠だとされた。


 全ての儀式が終了し、ガブリエルの亡骸はレイリア王家の霊廟の一角に設けられた、美しい薔薇色の大理石製の石の棺に収められた。彼女自身が気に入って生前に制作を依頼した彫刻家の傑作だ。その彫刻の表情がまるで出会ったばかりの愛らしい乙女だったころの様子そのもので、僕にしては珍しく、ひどく感傷的な気分になって、墓の中に佇んでいた。

 母の死に伴って王となったセバスティアン一人だけが、僕の隣に寄り添うように、立っている。

 霊廟の内部への立ち入りは、被葬者の配偶者と王自身、そして祭祀を取り仕切る大司教しか入れないと言うのが、このレイリアのしきたりらしい。他の子供らは霊廟の外から祈りをささげ花を手向けるしか無いのだ。


「父上が心から悲しんで下さって、母上は満足なさっているでしょう」

「だが、苦しかったろうな。最後まで手術を嫌がって……ガブリエルは本当に頑固だ」

「父上が愛された他の方たちとどこかでお会いした時に、刃物が入った醜い体では嫌だ、などとおっしゃってましたよ。負けず嫌いな方ですから」

「僕なんて前世の事故でグシャグシャになったのに、この体に生まれ変わったんだ。関係無い。そんなの」

「そういえば、前も父上はそうおっしゃいましたね。それでも母上は、手術は嫌だと仰ってましたっけ」

「ああ」

「本当に、頑固な方ですね」

「ああ、本当に。困ったものだ。だが、可愛い人だ」

「何も自慢は出来ないけれど、他の方たちより沢山の父上の子を生んだ事だけは誇らしく思っている、そうおっしゃってましたね。一番最後に父上に何をおっしゃったのですか? 私には聞き取れなかったのですが」

「最後の言葉か……『どうか私を忘れないで下さい』だったよ」

「忘れないですよね、父上」

「ああ。忘れないさ」


 トリアに戻っても、どこか抜け殻になった様な奇妙な脱力感が有った。


(親しい人との別れは、いつだって特別で、つらい。何だか泣きたい気分だ)

(泣いていいのよ。声を出して泣いたって、良いと思うわ)

 エミナの言葉は、僕を解放した。


 エミナはどうやら新大陸北側の西海岸、地球で言うとカリフォルニア辺りの土地を調査するためにオヌンダガオノ港から無事に上陸したようだった。

(前世の母、マーシャ・レスコの思い描いていた開発される以前のカリフォルニアってこんな感じだったのだろうなと、しみじみ感じ入っている所)

 地元の人たちは、山地の松やナラなどの落葉樹が生える山地と乾燥低木林、そして砂漠と言う多彩な状況の中から自分たちに有用な植物を丁寧に選り分け、賢く使っているらしい。

(ドーッとグレープフルーツの生い茂る巨大な果樹園、なんていう具合にするのが正しいとは思わないけれど、美味しいかんきつ類がチョッとくらい有っても良いかもね。野生種は香りや薬効成分は強そうなんだけど、果肉はあまり無いのよ)

 地球のグレープフルーツはカリブの島で発見された物が品種改良されたのだそうだ。

(ルンドはルンドなりの品種改良で、また良いものが育成できそうでしょう?)

 現地の人々と話し合って、農業試験場を作るらしい。新大陸の自然に適した有用な植物を積極的に育てようと言う事だろう。ワサハク本人はすでに故人だが、子や孫たちの中で帝国で学んだものが五人ほど、事業に賛同してくれたらしい。

(ケツァールがずっと一緒にいてくれたから、皆すぐに信用してくれて、交渉もスムーズだった)そうな。

 灌漑設備さえ整えば、非常に作物を作りやすい場所が広がっているそうなので、周囲の守備隊や港の駐屯部隊にもエミナのプロジェクトに協力するように、僕自身が直接に無線を使った電報で指示した。

 ちなみに、新大陸の電話はモナのような電波が苦手な存在の事も考えて、導入されていない。通信と言っても各港の無線程度だ。


(この土地で何か、とても重要な出会いが有る様な気がするの)


 エミナのその言葉が、一体どんな事を指しているのか、この時の僕には、全く見当がつかなかった。

王位を継いだのはセバスティアンです。すみません

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