僕と彼女のこれから・3
「陛下、申し訳ございません。実はアイシン帝国のお客様でいらっしゃるようなのですが『金に糸目はつけないから最高の部屋をと言ったのに、なぜただの特等室なのだ。追加料金を払っても構わんから貴賓室に入れろ』と大層な剣幕でして」
「で、実際払いは良さそうなの?」
「何といいますか、成金趣味なのは確かで。あの国の服装の決まりなどわかりませんが、指にはやけにたくさんの宝石の指輪を嵌めていますし、重そうな翡翠やら黄金やらの首飾りをジャラジャラしています。先ほどは分厚い札束をテーブルに出して見せましたから、払いは良いでしょう。一応当社の案内に記されている特例条項の部分をお示しして『特別な事情が有るので御希望には添えません』と申し上げると、あちらは帝国の言葉は日常会話がどうにかなる程度でして、ちょっと面倒な約款とか規則などは文字が読めず、こちらの説明も明確には理解して頂けないようでして……」
つまり、船のスタッフにはアイシン帝国の言葉が理解できる者が居ないので、上手く説明出来ず、困っているようなのだ。
「あー、じゃあ、そのアイシンの成金さんを呼んでおいで、僕が話そう」
やってきたのは辮髪に帽子をちょこんと乗っけた小柄な老人だった。って、なんだ。南方大陸に行く途中で世話になった……
「イップ大人じゃないか。久しぶり」
「アイヤ! 皇帝陛下でいらっしゃいましたか! これは大層御無礼いたしました」
三跪九叩頭の礼をいきなりすごい勢いで始めた。いかついボディーガード二人は主人の様子に驚き、土下座の姿勢だ。
「このイップ・ダッワーめの事を御記憶なさってお出でとは、感涙の極みでございます」
僕は長たらしくなりそうな儀礼的な挨拶はやめさせ、船長が説明できなかったこの海運会社の約款などを説明する。イップ大人は南海から住いをアイシン帝国南部の港に移したらしい。僕が厄介になった邸は、現在、南海の真珠取引専用の支店と言うか支社と言うか、そう言う状態らしい。
「ははあ、なるほど。貴賓室は皇族・王族など国家元首級の方の応接、ないしは国防上に重要な場合、ないしは緊急性を要する重大事案の発生時を除き、通常は乗客の使用を認めないのですか」
「そうなんだ。船中に急に流行病の患者が出た場合の隔離とか、ひどい怪我人の治療とか収容とか、と言う場合も有る。その場合はここが臨時の病院になるわけだ」
「あの気の効かん船長め、貴賓室の方が幾度どこのどなたか聞いても『他のお客様の個人情報は一切お伝えできません』とかなんとか抜かしおって、何も教えんのです」
「すまんが会社を設立する時にそういう規則を作って、船長はきちんとそれを守っているだけの事だ」
「すると、この会社も陛下が運営しておられるので?」
「筆頭株主だが、運営は信頼している者たちに任せている。それはそうと、どうしてこの船に?」
聞けば十七番目の息子がミズホの大学を卒業後、帝国に来て商売で一山当てつつあると言うので、様子を見に来たのだそうだ。ついでに観光業で賑わう、夏のレイリア王国を見ておこうと考えたそうだ。
「そうか、十七番目の息子さんはトリアで大評判の『豚まん』の店のオーナーか。しかし、衛生管理その他もろもろ条件の厳しいデパートによく出店できたね」
「ミズホで一山当てましたので、親元に戻ると思っていましたら、帝国に行くと言いまして……勝手に結婚して国籍まで取ったと知らせて来ましたので、魂消てこちらに来た次第です。幸い、息子の嫁はまともな女で、国籍を取ったおかげで、デパートへもスンナリ出店出来たようですが……」
帝国国民になるには原則的に言って、母国での犯罪歴が無い事、帝国の新聞・ラジオを理解できる程度の語学力がある事、帝国に貢献できる技能・能力を有する事が求められる。母国での犯罪は政治宗教がらみなら、事情は考慮されるし、技能・能力は帝国で目新しい事なら何でもOKな感じだ。ただ、言葉が不十分では帝国の法令をキチンと理解して守れるとは思えないので、この点は最も厳しい。
「ミズホは友邦国だから、帰化する者も多いけど、アイシンの人は珍しいと思うな」
「何でもアイシンからの帰化人、第一号だそうです。あの子は南方においでになった時の陛下のお姿を拝見して、大人になったら帝国に住むと言っておりました。子供の言う事だからと、当時は軽く考えておりましたが……本気だったのですなあ」
そんなことが有った翌日、僕は黄金宮に戻る前にイップ大人と共に、あの『豚まん』の店のオーナー、イップ・フーシン、苗字がイップなので帝国式ならフーシン・イップだが、ともかくもその若者に会いに行った。
キンキラキンの親父さんとは違って、シンプルな仕立ての良い服を着て、結婚指輪以外は何も宝飾品をつけていない。滑らかに帝国の言葉を話し、身のこなしも洗練されている。自分の力で未来を拓いて行こうと言う気概も感じられる。僕は一目で彼が気に入った。帝国で知り合った奥さんはミズホ系の女性だそうだ。
「妻の実家がレストランの経営でそこそこ成功していますので、出店に関しては色々助言も貰いました」
フーシン君に言わせると、アイシンの食べ物屋は美味い所は多いがゴミの対策がなっておらず、店舗の掃除や食器の清潔さに問題が多いのだと言う。
「確かに、デパートにはコバエがおらんかったな」
「この清潔さに慣れてしまうと、コバエがいて当たり前の食べ物屋は勘弁してほしくなるよ」
僕はイップ親子に或る提案をして、その案に賛成してもらった。
秋になって温かいものが恋しくなると、あの『豚まん』屋はますます大繁盛で、大学街に新たに出店した二号店も好調らしかった。トシエとマサエは、二号店で始めた電話予約制度を利用して、度々買っている。よっぽど気に入っているようで「いくら食べても食べ飽きない」そうだ。
そんなある日、僕は二人を街中へ誘った。
「まああ、素敵!デートですの?」
「陛下が街に誘って下さるなんて、何十年ぶりかしら」
三人で仲良く馬車に乗って、着いたのは、とあるレストランだ。
「まあ、何だか貴族の小さな別邸みたいな」
「隠れ家みたいで、素敵ですね」
真っ白く塗られたドアを開けると、いきなり拍手喝さいだ。トシエとマサエはびっくりしたらしい。
「勤続五十周年、おめでとうございますー」
子や孫、職場の仲良しらが一堂に集まったのだ。
ヒサエの長女・カホとカナエの長女サホが花束をそれぞれの祖母に手渡す。二人とも小学一年生だ。
ユキヒコ・ヤスヒコも、ヒサエ・カナエも 皆、自分が望んだ相手と結婚し、子供にも恵まれた。まずまず幸せに暮らしているのだろう。
「ああ、そうですわね……今日は五十年前、初めて黄金宮でお仕事を始めた日ですわ」
「そして六十年前の今日は、亡き母に連れられて初めて陛下にお目にかかった日です」
「そうね。それ以来、黄金宮でお仕事をしたいって、二人とも思ったのだものね」
「そうそう。絶対陛下のお傍でお仕え出来るような人になりたいって、思ったのよね」
そう言えば、僕の即位二十四年目、五十八歳の時にラウル・ヤイレの庶子・タマエがまだ五歳と六歳の二人の娘を連れて来たのだった。つまりトシエとマサエはユリエのひ孫だ……その子達が孫のいるお祖母ちゃんになったのだ。僕の過ごしてきた歳月の長さが、改めて強く意識される。
地球の飲茶レストランみたいなワゴンが来た。皆は初めてなので、興味津々だ。回転テーブルの設置は僕の提案なのだが、イップ大人にもバカ受けして、どうやらアイシンやミズホで回転テーブルを売り出すらしい。
この店はイップ親子と僕の共同経営で始めた、トリア初のアイシン帝国風料理のレストランなのだ。サーブするのは複数の言葉を理解できる留学生を中心に、吟味して雇い入れたウェイトレスだ。
マオカラー風の七分袖で地模様入りの黒の長い上着に黒いズボン。全体的に地球のベトナムのアオザイに形が似ている。スリットから脚が覗くチャイナドレスも僕は好きだが、未婚女性が公共の場で膝より上を晒すのは、挑発的と思われてしまうだろうから、この程度に抑えた。髪はきちんと束ねるか結う事になっている。
「うわあ、美味しそう!」
先ず最初が評判を呼んだ豚まんの小型のものだが、次々シュウマイや餃子、湯葉巻き、などの蒸し物が続く。小さなせいろの蓋が開くたび、皆が歓声を上げる。どれも小ぶりで色合いに気を使ってある。ウェイトレスが小皿に手際よく盛り付け、回転テーブルにどんどん乗せて行く。
チャーシュー入り粽や魚の蒸し物レタス包みは、大人に受けた。子供たちはプリンなどのデザート類が気に入った子が多いようだった。
「どれも彩りが綺麗で、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく、素晴らしいです」
「初めてみるものばかりでしたが、豚まんのほかも美味しいものが一杯でした」
最後に薫り高いお茶がサーブされるが、あれ? あの子は? エミナ? おいおい……
(人が悪いなあ。いつトリアに来たの?)
(貴方がテージョに発った日かな。この秋から大学院生よ。試験に合格するかどうかちょっと自信がなかったものだから、決まったらその内教えようと思ってたんだけど)
(住まいは?)
(大使館付き武官で、百人以上いる父方の叔父の一人の家が、帝国大学の正門のすぐそばなの)
(このバイトの件は叔父さんには報告済み?)
(してあるわ。と言うか社会勉強したいと言ったら、叔父さんとオーナーのフーシン・イップさんが友達だからここを紹介してくれたの)
(フーシンさんは君の素性や僕との関係も承知?)
(ラガリ叔父の姪だとしか知らないの。叔父は父との関係も聞かれた事が無いから、話して無いって)
(聞かれてないのに、話す事も無いか)
僕はつい、苦笑してしまう。表情の変化をカナエに気付かれたので、すぐ元の表情に戻ったが。
(そうそう。嘘はついてないでしょ?)
(ラガリ叔父さんは、僕の事は?)
(込み入った事情その他も全部、打ち明けてあるわ)
(会いたかったら、どこに行けばいいかな?)
(監視者探知システムを発動させるから、それまで待ってね)
(いつ、そのシステムは発動するの?)
(多分明日の時空管理局との交信が出来たら、大丈夫なはずよ)
そこで一旦、交信は途絶えた。皆が茶を飲み終わって、店を出るタイミングになったからだ。帰りも三人で仲良く馬車に乗って黄金宮に戻ったわけだが、夕食は「食べ過ぎてしまいました」というトシエ・マサエのために、僕があっさりしたリゾットを作った。手料理を振る舞う事も、近頃は稀だったのだ。
「あれ以上は何も食べられないと思っていましたのに、これなら入りました」
「あっさりして、良いお味ですね。また作り方をお教えください」
その後は安眠を誘うカクテルを出す。
ブランデーにレイリア産のオレンジのリキュール、アルラト産のザクロのシロップ、卵黄……強めにシェイクする。このシェイカーも、僕がこの世界に持ちこんだ物だ。黄色い甘口の薫り高いカクテルが三人分……作ってから、このカクテルの名前を思い出して、一人で勝手に悶えた。
「まあ、滑らかなのど越しで」
「良い香りで、甘くておいしい」
「良かった」
「このお酒には、名前が有りますの?」
「有ったけどね……思い出せない」
僕は嘘をついた。
二人は風呂に入って寝ることにしたらしい。無駄に酒に強くて寝つけない僕は、一人で庭に出ていた。エミナと話がしたかったのだ。
(カクテルを作ったけれど、名前が恥ずかしくて、聞かれても『思い出せない』って、嘘をついた)
(どんな恥ずかしい名前?)
(Bosom Caresser)
(ちょっ、それって)
(胸を愛撫する人だの、密やかな抱擁だの、訳すだろ? つい、君の顔を思い浮かべた)
(もう、なんて人なの。でも、美味しいなら、今度飲ませてね)
(ああ、無論ね。Between the SheetsだのKiss of Fireだの、こっぱずかしい名前のナイトキャップを作ってあげるよ。味も美味いよ……本当はいける口だよね?)
(さあ、どうかしら? 田中美保は飲める口だったけれど、今の私は分からない。酔ったら介抱してね)
(無論だよ。ああ、もう決めた)
(何を?)
(君の叔父さんち、大使館のすぐ隣だな?)
(そうよ。官舎だから)
(その裏手、空き地になっているだろう?)
(ええ)
(そこに僕の隠れ家を立ててしまう事にする。そうしたら、君が住む官舎と、塀越しに行き来できそうじゃないか。うん、そうしよう)
(すごいアイデアね)
(皆に秘密の隠れ家デートを、しよう。うん、それが良い)
ものすごく上手い事を考え付いたと、僕は大いに満足だった。風呂に入るときもずっと鼻歌を歌いっぱなしの僕を、ひょっとしたら見習い侍従や護衛の兵士はいつもと様子が違うと、いぶかしくは思ったようだったが、その理由を知るはずもない。
その夜は明かりをつけてベッドで建築関係の本を何冊か開いたまま、僕は眠りに入っていたのだった。