僕と彼女のこれから・1
大陸の西海岸から出港した二隻の船はミズホに入った。
どうも軍関係の船だと人前でのイチャイチャは自粛する事になる。それでも同じ船室で過ごすと、身も心もなじむわけで……ミズホに寄港するころには、何というか彼女より僕の方が別れがたい気持ちになった。
「ねえ、スールの港についたら、本当に一旦お別れするんだよね」
スールはミズホから最短距離、帝国からは一番遠い方のアルラト領の軍港だ。そこにアティア、可能ならザファル君にも迎えに来てもらう事になっていた。ミズホを出てから届いた知らせでは、ザファル君も僕と話を詰めるためにスールに来る事にしたと言う。両親に迎えに来られちゃ、僕としてはエミナを返さないわけには行かない。
「だって……それしか仕方がないでしょ?」
エミナの変に理性的な所が、ちょっと恨めしかったりする。
「あーあ。わかっているさ。君の方は色々後始末やら準備やら、有るし、僕は……僕の方が面倒だな」
「これからは毎日、テレパシーを使ってくれれば簡単に話は出来るわよ」
「僕の金の笏に相当するものって、何かもらってる?」
「翡翠の胸飾りをバージョンアップして貰ったみたい。私が母から受け継いだ後にサイズと形を変換できるようになったの。ほら」
エミナは右の人差し指に嵌めていた緑色の玉製の指輪を外すと、一度振った。すると、かつてチャスカがしていたあの大きな翡翠の胸飾りになった。
「今は、特に文字なんかは出てこないね」
「時空管理局も貴方に名乗っちゃってからは、やり方を変えたのね。私には直接にメッセージを送りつける形に変更したみたいなの」
僕が管理者を名乗る爺さんがホログラムみたいな存在と見破ってしまってから、どうも方針が変わったらしい。バージョンアップした胸飾りは語学習得機能と、危険回避のためのアラームが付いている。
「ここを見て」
示されたペンダントの裏側の箇所に青・黄色・赤の色の異なる光の点が明滅している。
「何だ、これ、何かの警報なのかな?」
「危険な状態、状況を予報するものなの。危険度が増すと光が大きくなるのね。詳細が知りたいときは光のポイントをタッチすればいいの。ルンドでは貴方と私以外の存在には触れる事が出来ないそうだけど。そうね。触ってみて、三つとも。認識しておいてもらった方が良いわ。貴方にもたらされる情報と私にもたらされる情報が同じじゃない可能性が高いと、私は思っているの」
青は一番光が小さい。ドーン大陸の各部族間の抗争が内乱状態を引き起こす可能性を常に含んでいることを示しているようだった。
「タタ族の奴ら帝国に胡麻を擦りやがって、汚いぞ。あの井戸の有る場所は元々我々ンゴカ族の物なのに」
「あの馬鹿なゾゾ族と我がダダ族の子供を同じ学校で学ばせると言うのか、有り得ん。だが拒めば帝国に用水路を閉じられるかもしれんし、支援物資も来なくなる。悔しいが……耐えるしかないのか」
「この川の上流に汚らしいパぺ族どもが住んでいるから悪いんだ。帝国の見張りさえなければ連中を追い出すぐらい簡単な事なんだが。悔しい」
全然見た事も聞いたことも無い人間の断片的な思念だが、どれも隣接する別の部族グループに対する憎しみと差別に塗れている。吐き気を催すほどだ。
「ドーン大陸の部族間の問題は厄介なんだなあ。解決法なんて有るのか?」
「解決法が知りたいと念じてもう一度同じ青い光に触れてみて」
子供たちの声だ。幾つかの民族グループの子供だが、皆同級生として仲良く一緒に授業を受け、給食を食べている。そして次は女性たちの想いが浮かび上がった。
「ともかく、争いが無いのが一番だわ。隣の部族だって化け物ってわけじゃないんだし。だけど、男たちはすぐに喧嘩したがるから、困るわねえ」
「うちの人が言うように、あの村に火をかける必要なんてあるのかしら? あの村の連中にも小さな子供もいるみたいだし……でも、もっと良い方法は無いのって言うと、生意気言うなって叩かれるから……」
「口ごたえするとゾゾ族の村に捨てるぞ、ってお父さんは言うけど、あんな気味悪い爺様に牛五十頭と引き換えに売られるくらいなら、その方がいっそマシなんじゃないかしら? 昨日川で見たゾゾ族の男の子、結構かっこよかったもん」
ドーン大陸での女性の地位の低さ、差別を解消することが、一つのカギと言う事かも知れない。
「家畜と引き換えに女の子を売るなって、法令は出した事が有るけど、実効は上がって無いのかな」
「アルラトでも多いの。家畜と引き換えに親に売られてしまう子は。しかも対外的には家畜は結納品で、女の子は親の配慮のもとにしかるべき相手と結婚したと言う事にされちゃうでしょ……難しいわね。女の子本人の意思が、もっと尊重されるような社会になると、ドーンもアルラトも変わるんだと思うわ」
「学校教育は、一定の成果を上げつつあるんだろうな」
「ええ。でも、まだようやく芽を吹いた程度ね。うっかりするとすぐに元に戻っちゃうかも」
一番小さい青がドーン大陸の部族間抗争の問題だとすると、中くらいの緑は? 大きく光る赤は?
「緑と赤に触れるのが、なんか怖いな」
「でも、そっちの方が問題は深刻よ」
緑に触れると、いきなり今乗っている船の艦長の顔が浮かんで……こんな言葉が聞こえてきた。
「アルラトの異教徒の娘? そんなものを陛下はいずれは皇后に据えられるおつもりなのか? 信じられん。肌の黒い大宰相やら、新大陸の蛮族の妃もいたが……どうなっていくのかなあ、この国は」
艦長を有能な軍人としてしか意識していなかったが、愕然とした。明日からもっと、この男の心理を読むことにしよう。
「色の黒い奴らは近頃いい気になりすぎだ。陛下がお決めになった事だから、逆らえんが。ともかく我が家の人間が肌の黒い奴と結婚しなければ、どうにか耐えられる」
こんな事を思っているのは門閥貴族でも皇帝でもない。国会の議長だ。
「陛下は優れた方だが、皇族の血統に異民族を混ぜられたのは、やはり誤りだったと思う。異民族の宰相が立て続けに二人続いたから、その内、肌の黒いお妃や、罰当たりなアルラトの異教徒のお妃などと言う者が出てきてしまうのだろうか? ともかくも黄色がかっていたり黒かったりする連中が、黄金宮の中の国宝級の家具や備品を弄り回すのは不愉快極まりない。そう申し上げたら、陛下は激怒なさるだろうが……」
宮内卿を務める老貴族の脳内にはこんな言葉が溢れているらしい。黄金宮のメイドにも黄色人種系や黒色人種系の者が増えているのに……何と言うズレた感覚なのか。
「帝国の連中の内なる差別意識は、深刻なんだな……解決法は、何だろう?」
事有るごとに、人種差別は禁じる様に宣伝・啓蒙・教育に努め、法律も定めたが……差別の意識は実にしぶとい。
「即効で効く方法は無さそうね」
続いて一組の男女の姿が浮かんだ。たがいに寄り添って腕を組んで歩いている。女性が従来からの帝国の民族グループで、男性がドーン大陸の血を継いでいるようだ。
「父の方が間違ってる。ああ言うのを人種差別というのよまさしく。全くもう、娘として情けないわ」
「ともかくも『黄金宮直通電話』で教えてもらった所で就職は出来たし、二人で住む部屋も借りられるし、どうにかなるよ」
「そうね。あんな分からず屋の親とは縁切りでいいわ。私たちが間違っているとは絶対思えないもの」
「でも、いつか受け入れてくれるといいね」
僕は去年、婚姻に関する法律を作ったのだが「十八歳以上の男女は当事者同士の意志だけで自由に婚姻を定める事が出来る」という条項のおかげで、親に望まない結婚を強いられる女性は激減したようだ。これらの条項に関しては帝国中の小中学校で授業として取り上げさせたはずなのだ。器量良しの娘を資産家に売りつけようともくろんでいた連中の恨みを買ったようだが、気にしていない。
ドーン大陸の学校でもその授業は行うように通達は出されたのだが……浸透していないようだ。学校の所為か、義務教育の普及度の所為か、親の偏見や因習の所為か……家畜と引き換えに売られる花嫁の問題も含めて、探る必要が有りそうだ。
「帝国では貴方に対する信頼度が絶対的に高い状態だから、公平公正に法令順守で我慢強く待つしかないのかもね。多分、世代が交代しないと本質的な問題の解決にはならないと思うわ」
「皆、偏見を持っていても、僕の手前黙っているのだろうな」
いよいよ赤だ。一番深刻なのか……
が、ガブリエル! 物凄く不機嫌な顔で、王宮のテラスから港を見下ろしている。扇を握り締めていたが、それを……ベキッと折ってしまった。その瞬間「あっ」と言う顔つきになる。無意識にネガティブな感情に突き動かされてしまった、そういう事なのか?
「母上?」
今はレイリアの摂政を務めるセバスティアンが妻デジレを連れてやって来たようだ。デジレは帝国の大学で知り合った聡明な女性だ。デジレが平民でも僕もセバスティアンも全然気にならなかったが、ガブリエルは気に入らなかったようだ。だが、僕はガブリエルの見ている前で、即座に二人の結婚に大賛成したので、そう言い出せなかったらしい。
既にセバスティアンとデジレが結婚して五年以上になり、息子二人と娘一人も生まれている。孫が生まれてやっとデジレを王族の一人と認めるようになったようだったが……。セバスティアンもデジレも折れた扇を見なかったような顔をする。何をどういったって、かえってガブリエルの機嫌が悪くなるからだろう。
「皆、母上のおいでを食堂で待っております」
息子夫婦が自分を困ったものだと見ている視線はガブリエルも敏感に感じているようだ。息子たちが三十を越えるころから、明らかに僕の方が若く見えてしまうようになってきた事を未だに受け止められないみたいだ。それに夏なのに今年は僕が居ない。見捨てられたと感じているのだ。
(息子よりも若々しいあの方に、こんな老婆は不似合よね。わかっているわ。わかっていても……)
そんな思考のループにはまり込んでしまうと、ガブリエルは抜け出せなくなってしまうようだった。おそらく、かつてのセルマがこんな状態になったのではなかろうかと、僕はふと思った。セルマは単に側妃だから修道院に閉じこもるのも勝手だったが、ガブリエルは女王だ。簡単には引きこもれない。かつてセルマを痛ましいと思ったものだったが、ある意味そのセルマより痛ましいのかも知れない。
「貴方の課題と私の課題は別物でしょうが、見当はついたわ。ね? しばらくお別れするしか無さそうでしょ?」
エミナはみんな御見通しなのだ。確かに……仕方ないみたいだ。
「君の課題は、何なの?」
「アルラト国内の貴族の派閥抗争、そして帝国やドーン大陸も関係している宗教問題、そして一番の緊急課題は迷惑な求婚者たちの問題かしら」
「お見合いは断ったんだよね」
「でもいるのよ五人ほど、ストーカーというか精神のバランスの変な付きまとい行動を取りがちな人が。皆従兄ってところが大笑いなんだけど」
「おい、大丈夫か?」
「このアラームに従っていれば、危険人物の現在地がわかるから、避けることが出来るの。父は牢にブチ込んでやると言うけれど、本当にやったら有力者連中が騒ぎ立てて、ややこしい事になるわ。ああ、ミホ・レスコの時に空手と柔道と合気道、黒帯だったから、多少の心得は有るわ。今も鍛練はしているし」
「それでも男が卑怯な手を使うとなあ……僕と婚約したと言うと、どうなんだろうか?」
「おかしくなっている人ばかりだから、たぶん関係無いでしょう。それにまわり回って、婚約した事をレイリアの方に知られたら、厄介かもよ」
「摂政をやっている息子はしっかりしているから、変な事はさせないよ」
「実害って言うより、女王様が壊れちゃうかもしれない、って事を心配するべきでしょうね……だから、やっぱり私は貴方と一旦お別れするわ。その代り、何でもテレパシーで話しましょう。寝る前とか、朝とか」
「抱きしめられないの、嫌だ」
「そんな……そりゃあ、そうだけど」
「こっそり帝国に留学、なんてダメなんだろうか?」
「トリアの学校だとバレバレじゃない? 地方都市で、どこか良い所が有るかしら?」
「幾つもの大学が集中するトリアの方が、バレない様な気もするけどなあ」
「でも、ここ数年は黄金宮には近づかない事にしておくわ」
数年! 僕は悲鳴を上げそうになった。
「観光客とか、どこかの大学生の新入生の見学会とか、建築とか美術専攻の学生も良く出入りするよ」
結局、ストーカー対策の決定打も、僕らは「ここ数年」なんて期間、ずっと離れ離れなのかも含めて、具体的な話は何も詰める事が出来なかった。それでも船は進む。順調に。
アルラトの軍港・スールは砂漠地帯の端っこにある。昼間はモナならとても耐えられないだろう灼熱の暑さだ。ちゃんとザファル君はアティアと一緒に娘を迎えに来た。
港の迎賓館の一番上等の部屋で、僕ら四人は会った。
「何れは、エミナ姫を帝国の皇后として迎えたいのです。どうぞ御理解下さい」
僕は最大級の丁寧な礼をした。
「親が反対したって、その気になればこの子は出て行ってしまうでしょうし、前世、いや前々世からの縁なのですから、反対など出来ません」
「色々ごたついたままなのに、済まない」
「いや、良いんです。エミナ自身が希望して納得しているのですし」
ザファル君がそう言うと、アティアは涙ぐんで言った。
「この子は陛下にとって特別な存在なのでしょう? ずっと……百年以上もお待ちになっていたのだと聞いています。一日も早く、円満な形で婚儀があげられる日が来る事を願っていますわ」
僕は二人の見ている前でエミナの左の薬指に婚約指輪を嵌めた。美保だった時のサイズだったから、合うかどうかちょっとドキドキだったが、ぴったりだ。
「やっと君に婚約指輪を渡せた」
だって、井沢亮太は指輪を渡す予定の前日にはねられて死んだのだから……
「ありがとう! 嬉しい!」
エミナは両親の前なのに、僕にかじりついた。ザファル君がせきばらいをした。するとエミナは急に離れたが、そこで皆、一斉に噴き出してしまったのだった。