僕の気がかり・1
僕の百歳の誕生日が迫っている。現在の僕の正妻でもあるレイリア女王ガブリエルは子供らを連れて、黄金宮に滞在している。十人の子を連れたガブリエルは堂々とした母親ぶりだ。近頃は僕の直接の助けが無くても、危なげなく女王としての職務を果たせているようだし、母親としても自信に満ちているように見えるのだが、今度のトリアの滞在ばかりはちょっと雰囲気が違うかもしれない。雰囲気が違うと言えばマサエとトシエもそうだ。近頃は、ふと僕の顔を黙って見つめる回数が増えたような気がする。
ガブリエルもマサエもトシエも表向きは誕生祝の話をしながら、ルンドにやってくると言う美保の生まれ変わりの事をひどく気にしているのだろう。だが、その日が近づくにつれ、かえって美保に関する話題を避けるようになっている。
『祝・御生誕百年祭』なる文字が新聞紙面や、デパートの広告、商店の看板、食べ物屋のメニューで目立つ。ラジオ放送が昨年から試験的に始まったが、まだ、放送時間は朝昼晩三回の限られた時間だ。内容は天気予報・ニュース・歌・ラジオドラマといった所だが、音質もまだまだだ。それでも、僕は昨年初めて誕生日の日に帝国国民各位への感謝のメッセージを放送してもらった。
「普段なら電波が上手く届かない所でも、陛下のスピーチだけやけにはっきり聞こえた」とラルフさんに言われた。電波が大好きな太田さんは、それがなぜなのか解明したいと考えているらしいが、僕を実験動物扱いにもできないんで、ちょっと悩んでいるらしい。
電波は人外の存在に色々予想外の作用を及ぼすようだ。ラジオや電話網が発達してくるにつれモナとの会話が減った。ヤタガラスも自分一人だと体調の不良を感じるらしいが、ケツァールと一緒だと帝国の都市部でも平気だと言う。ケツァールもヤタガラスと一緒なら平気だそうだ。
「なんかこう、トリアは空気がビリビリゾワゾワして心地悪い。グスタフに話すべき事が有っても、ふと忘れてしまう。近頃そのような間抜けた事が増えた気がするのじゃ」
モナは電磁波・電波の類がよほど合わないらしい。
昨年末、僕はわざわざスコウホイ大公になっているネストル、あのアンニカの産んだ息子だが、その息子が作ったラナの小さな別荘に出かけて三日ほど滞在した。その別荘には電話も無いし、ラジオも無い。急ぎの知らせは伝書鳩か狼煙だが、どちらも極北に近い土地の真冬のブリザードが吹き荒れる日にはお手上げだ。そこで晴れた時しか使えないが、それでも厳冬期にも正確な情報が送り出せる古風な腕木通信を復活させた。スコウホイの北部地域に限った現象だが、腕木通信も十分現役なのだ。
そうでもしないと、電波や電磁波が嫌いなモナとは会話を交わしにくいし、下手をするとスコウホイ北部の守り神的な存在であるモナがどこかに移住してしまうかもしれないのだ。
モナは冗談抜きでアイスランドやグリーンランドに相当する場所も移住を視野に入れて探検している。だが、その辺は空気や水の感じは気に入ったが余りにも人が少なすぎでちょっと面白みに欠けるそうだ。活火山の側の天然温泉は少し興味が有りそうではあったが。
「お前が言う所の新大陸とやらの北の方は気分の良い所であったぞ。民もおかしな文明とやらに染まっておらん者ばかりのようでな、気が合いそうじゃ」
ルンドの北米大陸に相当する辺りは、意識的に手を入れていない。そもそも現在もアメリカ合衆国やカナダに相当する国家が存在せず、スポット的に沿岸部の幾つかの港を帝国が管理しているだけだ。
幾つも存在する少数民族の文化を最大限に尊重し、温存する方向で行こうと僕は思うのだが、それでも知的好奇心の旺盛な若者はどこにでもいるものだ。中には大変な才能の持ち主もいる訳で、そうした人物には世に出るきっかけは与えるべきだと思い、希望する者には無償で教育を施す、と言う事を徹底している。
そういう訳で各帝国の港には、小学校から高校相当の学校が有る。その先は帝国本土の大学に進学するのだが、寄宿舎代、学費・給食費を全額僕名義の資金で負担し、別途公務員初任給の半額程度の奨学金を毎月支給している。優れた研究にはまた更に別の支援金も与える。基本的にドーン大陸での制度と同様のものだ。おかげで地熱や氷雪、植物、動物に関する研究も進んだし、民族学あるいは芸術に関する成果も出ている。
資金はドーン大陸のダイヤモンドビジネスで相当に稼いでいるから全く困らない。だから少数民族から税を取る必要も無い。
あの南方大陸の老人にも以前言われたが僕の事は『光を背負った男』と呼ぶ部族が多い。まあ、嫌われてはいないし、信用もしてくれているのだと思う。
皆義理堅い人々で、金が出る鉱脈や油田の在り処をこっそり僕に教えてくれたりするのだが、開発すると大規模な自然破壊にもつながりそうなケースばかりで、地域の皆の伝統的なのんびりした暮らしぶりとの調和を考えると、悩む。結局開発はしていないが、予備調査の結果では、どこも大変有望だ。
面白いのは母系制の部族が多く、お婆さんやおばさんの発言権が大きい。多くの部族同士で集まって行う大規模な祭りも有ったりする。その意味では、女性差別の酷い部族が多く、気を抜くとすぐ部族間抗争が火を噴くドーン大陸よりは平和だ。そうした人々の気風も、モナは気に入ってしまったのだ。
「スコウホイからあっちの大陸に移住するのも悪くないのう」
聞いた話では『あっちの大陸』北部の夏祭りのイベントで、多くの若い男女が集まって、セイウチやトナカイの皮で出来た敷物を皆でピンと引っ張り、その上を交代でピョンピョン飛ぶ遊びが有るそうな。そう、地球で言うトランポリンだ。モナはその遊びがひどく気に入ったようだ。
色鮮やかなさまざまな民族衣装を着て、皆精一杯おしゃれをし、トランポリンで飛び、歌を歌い、皆で御馳走を囲み、大変なにぎわいらしい。どの民族グループも真冬は外界と遮断されるような超過疎地に住んでいるので、この夏祭りはお見合いパーティーか集団デートのような意味合いもあるそうな。盛り上がった一夜の結果、子を身籠る女もいるそうだが、それを「ふしだら」とは誰も言わないらしい。子は独り立ちするまでは原則的に母親の物で、父親は特段の義務も責任も負わない。代わりに成人した男は母親と母を同じくする姉や妹、その子供らに対する扶養義務を背負っている。
まれに男女のカップルが幼い子を協力して育てる事も有るらしいが、それは男の肉親が死に絶えた場合の例外的なケースらしい。本当に仲睦まじくて二人でいたいからというのも、皆無ではないそうだが……「本当に珍しい」事であるらしい。
「楽しい夏祭りじゃったから、また行きたいもんじゃ」
「スコウホイの民の悩み事は聞いてやらないのか?」
従来モナは夏の間は、スコウホイ北部の人々の悩み事相談に応じていたのだ。それを放り出す気らしい。
「グスタフがおれば十分じゃ。ネストルの住んでおる城から困り事の相談のための電話が出来るんじゃろ?
皆それを使えば良いのではないか?」
確かに……帝国国民なら誰でも使用を許されている『黄金宮直通電話』をかければよいのだ。僕は一種のコールセンターというか行政全般に対する苦情申し立てや、自力では解決できない厄介な問題の相談に乗る部署を立ち上げている。ラジオや鉄道の駅、乗合馬車の停留所でも宣伝しているから、かなり浸透してきているようだ。公衆電話は役所や交番で帝国国民である事を証明するパスポートや配給証明書・在学証明書などを提示し、住所氏名を記載すれば、誰でも使用できる。
これまで相談が殺到したのは不作の年の納税時期と、伝染病の流行期だった。いずれも別途対策本部を立ち上げて応対にあたったが。不作の時期の農家の納税に関しては、原則免除だ。こんな国は他には存在しないせいもあって、帝国への編入を望む地域や自治州になる事を希望する国が、近頃多い。特にドーン大陸の小国では、王や貴族の身分や資産をある程度保証されれば、後の領地運営は帝国に丸投げするのがはやりのようになっていて、昨年だけで二十以上の小さな王国が帝国の自治州に組み込まれた。
「帝国の国民になれば食いはぐれずに済むというのが、知れ渡ったせいでしょうかね、すごい勢いですよ」
ラルフさんは苦笑していた。
「税が払えるのに払わない者には厳しいのは、知られていないのかな?」
「でしょうね。だから不正蓄財で資産を膨らませた連中まで帝国国民を目指すみたいです」
だからだろう。トリアでも肌の黒い人間の数が大いに増えた気がする。
一方でモナを信じて大切にしてきたスコウホイ北部の人たちは真面目で素朴で、ドーン大陸の奴隷貿易で富を蓄えた連中のような強欲さとも無縁な人が大半だ。黄金宮に直通電話を懸けるにしても、皆丁寧でよその土地の人間より恭しい口調だと言うのは、スタッフの間では常識だと聞いた記憶が有る。
「あの電波やら言う物も色々便利に使えるんじゃろう?」
「ああ。まあなあ」
「帝国は開け過ぎたのじゃな。どうも居心地が良うない」
「モナは……本気で移住を考えているのか?」
「ああ。あちらの大陸でならまだまだ人の役にも立てそうだし、森はデカいし、大地も空気も清らかじゃ。人々の魂もな……おお、そうじゃ。言うのを忘れるところじゃったぞ。お前のつがい、生じてもお前の目の前に現れるにはしばらく時がかかるやもしれん。あの電波とやらが鬱陶しいのう。他にも何か有ったんじゃが、忘れてしもうた。世の中、このように疎ましい事が増えてくると、早めに子供でも作っておかねばならんかのう」
「モナ!」
「ああ、まだ、大丈夫じゃ。あの清らかな土地に行けば、寿命も延びようぞ」
そうしたいきさつもあって、モナは当然僕の誕生日には顔を出さない。だが、どこからか祝福の遠吠えは上げてくれるそうだ。
誕生日の前夜、僕は妻であるガブリエルと共に、かつて父上がお使いだった部屋で休んでいた。幾ら見た目が二十代でも、三十代の終わりに近い妻に合わせるぐらいの事はするので、近頃は本当に隣で寝るだけの夜が多い。
「どうなさいました? いま、モナ! と叫ばれましたが……姉上様に何か?」
ガブリエルに揺り起こされるまで、僕は自分が叫んだと言う意識は無かったのだが。
「そうか。モナを呼んでいたのかな……」
夢だったのだろう。狼の姿のモナが何かを言いたそうにした、そんな情景を見た記憶は有る。
「何だったかな……」
お前のつがいだが……モナはそう言った。言ったと思う。
誕生日当日は朝から大騒ぎで、僕は座っているだけだが皆が色々忙しくしている気配は十二分に伝わってくる。各友好国、自治国・自治州からも使者やら贈り物やら、大変だ。つい最近まで交戦状態だったアルラト大君主国まで使いを送ってくるのだから、もうこのルンドで帝国と戦争をする国など無いのではないかと思う。
「偉大なる皇帝陛下、御生誕百年、まことにおめでとうございます。我が主君の心からの敬意とお慕いする気持ちをお受け取りください」
アルラトの使いが持ってきたのは、特産の青緑色の宝石の極上品の玉を幾つかと、大蛇・ケツァール・ヤタガラス・大地の臍を織り出した見事な絨毯だった。
「御祝辞は改めて今晩のお電話で直接、主の口から申し上げたいとの事です」
そう。今や帝国は大君主国とは極めて友好的な関係になったのだ。つまり結論から言うと、アルラト大君主国と我が帝国は無事に平和条約を締結した。
それに基づいて現在、我が帝国は君主国の近代化に惜しみない援助の手を差し伸べている。
と言うのも、アヘン中毒で色ぼけな大君主が死亡したのだが、死後に分かった新事実に帝国の皆は驚いていた。何と大君主の母親は、亡き父上の行方知れずの末の庶妹だったのだ。妹とは言っても親子ほど年が違うし、父上とは殆ど接点も無かったが仮にも帝国の皇族が行方知れずである事が、お亡くなりになる間際まで気がかりであったのは確かだ。
その父上の庶妹は四歳ごろミッケリの実母の住まいから拉致され、アルラトの豊かな奴隷商人の所である種の英才教育を受けて育てられたと言う。それだけ大変な美少女だったのだろう。その後、後宮に送り込まれてすぐに産んだ子が亡き大君主と言う事になるようだ。
あの色ぼけ大君主と僕が従兄弟同士って言うのはびっくりだ。こうした記録は宦官どもが握っていて、後宮を廃止するまでザファル君も知らなかったのだそうな。
それだけでもびっくりなのに、ザファル君を産んだ母親が、どうやらイヴァル・ケニングが生涯一度だけ浮気した相手に産ませた庶子かも知れないと分かって、更に驚いた。
「母親のおかげで、御国と我が国は二重に深い縁を背負っていたのですね」
今やザファル君は自国の近代化の牽引役だ。ルンドのケマル・アタチュルク? 調子が良かった頃のパーレビ国王? そんな勢いだが……国民の間の経済格差と農地改革にはよくよく気を付ける様に、それに秘密警察の類をあんまりのさばらせない様に、と言う事は僕としては念を入れて伝えている。
後宮の廃止と軍政の近代化と奴隷制度の廃止だけでもアルラト中大騒ぎだったが、不完全ながら今年から四年制の義務教育が始まり、農地改革が進行中だ。
「下手すると暗殺されかねません」
毎晩話す直通電話でさっきもザファル君は笑っていたが、確かにまだまだその危険は大きいのだった。
「御報告が一つ有ります」
ちょっと照れたような感じの口調だから何かと思ったら、何と、息子のムルシドの次の子供がアティアのお腹に出来たそうだ。
「そういえば、大蛇さんがこの世界に必要な子だと言っていたなあ。どんな子なのだろうね」
その後は多少の雑談をして、電話を切ったが、切った後でふと思った。
「出産予定日が……いや、まさかな」