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僕と碧い鳥と大地の臍・3

『大地の臍』の内部には幾つか涼しい洞窟が有った。うんと奥の方にはこの地域の部族にとっての神殿のような場所も有るらしい。

 天然の中庭には食べられる木の実や野草の類が生えているし、泉から始まった小川の先の方にはエビの仲間やワカサギぐらいの大きさの銀色の魚や、ブラックバスに感じの似た十五センチぐらいの魚が泳いでいる。他にもかなり大きなスズキの仲間かなと思うような魚もいる。


「魚と木の実で、どうにかこれまで過ごせました」

 火のおこし方は、地元の人が身振り手振りで教えてくれたらしい。虹色の大蛇さんのおかげで、皆に親切にして貰えたのだと言う。時には鳥の卵や芋の仲間かと思うようなもの、何かの動物の肉を恵んでくれたりもしたようだ。

「それにしたって、どうやって海岸からこの大変な場所まで辿り着いたんだい? そもそも、なぜこの大陸にたどり着けたのかも謎だが」 

「アルラトで、声を聴いたのです。大蛇ばば様の声だと思うのですが」

 幾度も『大地の臍』に来いと夢の中で、呼び掛けられたのだと言う。いきなり夢で『大地の臍』と言われてもアティアに分かるはずも無い。そのうちに……

「碧の卵を孵してやれ。護りの力を少しだけ返してやれ」

 そんな言い方に変わったそうだ。

「碧の卵を孵す力が私に有るとしても、どこへ行けばよいのか分からないし、分かったとしても、こんな閉じ込められている身の上で一体何をどうしろと言うのかと、夢で訴えました」

 すると、ある日、アルラトのハレムの庭の池に小船が浮かんでいたのだと言う。

「それに乗ればどこかに行ける。上手く行けば海に出られるかもしれない、瞬間そう思ったのです」

 不思議な事に、いつも影のように付き従っている腕っ節の強そうな宦官も侍女達も、その時はいなかったのだそうだ。

「望まない子を身籠って、何となくぼんやりとですが、死んでしまっても構わないと思っていたせいも、有ったかもしれません」

 小船に乗った途端、凄まじい勢いで池から水路、運河を抜け、海に出た。更に凄まじい速さでその小船が進み、気が付くと僕らの船も入った入り江に到着していたらしい。

「腰みのだけのお爺さんが、丁寧にあいさつをして、私を舟から降ろしてくれたのですが……」

 そこから先は虹色の大蛇さんの言葉が頭に響いて、意識を失い、気が付くと『大地の臍』の内側の泉に面した洞窟の中だったらしい。


(大蛇さん、一体全体なぜアティアをここに連れて来たんだい?)

(輝く碧の卵が『大地の臍』の中に有ったのだ。理由など知らんが。孵すには力が必要だが、つがいの黒い鳥の力では護る事は出来ても、孵す事は出来ん。必要な力を持ち合わせているのがこの世界でアティアだけだった。だから呼び寄せた。この世界にアティアの子もその次の子も必要だが、アティアとつがいの男との縁はよじれている。あまたの穢れで損なわれている。アティアもつがいも浄める必要が有るのう)

(つがい、ってあの大君主国の世子を? どうやって浄めるんですか?)

(そうよな。ちょっとばかり無理をして、連れ出すしか無いのう)

(そんな簡単に連れ出せるもんですか?)

(あの土地を揺らせば簡単だが、その際に多くの人が死ねば死の穢れを帯びる故、良い方法では無いのう)

 アティアはケツァールとヤタガラスの護りが有るので、舟が使えたが、世子には無いので地の力しか使えないそうだ。

(地震を起こしちゃうんですか?)

(ここから地の中をそのまま進んであの土地に出れば、どうしてもそうなる)

(地震を起こさず世子を連れ出すのは、無理なんですか?)

(揺らすのが一番楽なのだ。だがのう、死の穢れは厄介じゃ。いっそ飲みこむ事にするか。不味そうだが)

(世子を飲み込んでしまうんですか? それで死なないのかな?)

 笑う蛇の顔を、僕は初めて見た。だが、本当に大蛇さんは笑ったのだ。ニヤリと。それから急に体が細くなった。それまで単線が通るトンネルぐらい有りそうだった太さだったのに、ただの水道管ぐらいの太さになっちゃったのだ。

(チョッと、行ってくる)


 ズッ、ズッ、ズッ、ズッという規則正しい音と共に、長いホース状の体が真っ直ぐ突き刺さるようにして地に潜って行くようだ。

 チョッと、と言うには時間はかなり過ぎた。

 僕らは僕らの宿泊用に割り当てられた洞窟で勝手に煮炊きして、持参した食料で昼も夜も食べた。アティア専用スペースよりちょっと下流のきれいな小川で皆、体を清めたり、涼しい洞窟内部で昼寝したり、付いて来た海軍の連中も皆、のんびりして過ごした。


「食べられると伺った木の実を二種類ほど試食しましたが、結構いけますねえ」

「これなどはオレンジのような味で、こちらはナッツのような味で、毎日食っても悪くなさそうです」

「そこで取れた魚は、塩焼きしてみました」

 更に缶詰やらクラッカーの類や野草類のサラダやら、なかなかの御馳走になった。ヤタガラスはケツァールとイチャイチャするのに忙しくて食事なんてどうでも良いのかと思ったが、そうでもなかった。

「美味い。こりゃあ美味い。おう、これも美味い」

 何だかいつも以上にはしゃいで、にぎやかだった。

「アティア、大蛇さんは大君主国の世子をここに連れてくる気みたいだが、君の気持としてはこれからどうしたい?」

「そうですねえ。あの、ハレムには戻りたくないです。食べ物は美味しかったし、あの国では恐らくああいうやり方が女の人を大切にするって事なのかもしれませんが、何か根本的に間違っている気がします」

「世子本人は? どう?」

「例えば、帝国で誰かに紹介されて……と言うのであれば、友達にならなれただろうと思いますが、今はとてもそんな気持ちにはなりません」

「顔を見るのも嫌か?」

「会いたいと思った事は一度も無いです。でも、この子の父親ですから……」

「人さらいの親玉と、被害者って感じか?」

「そう言い切るのは、何だか可哀想ですけど」

「可哀想? ふうん」

「あの人の父方のお祖母様もお母様も帝国の人で、さらわれて売られてきた人らしいんです。だからでしょうね。帝国の言葉が流暢に話せるんです。何と言うか歪んだ環境で育ったから……」

「多少変でも仕方が無いような気がするのか?」

「ええ。本人にもどうにもならないのに。可哀想だと言う気は……するんです」


 相手を可哀想と思うのは、明らかに好意を持ち始めた証拠だとは思うが……拉致監禁されている内に生じたストックホルム症候群的な心情に過ぎないのかも知れないし、僕にはどう判断すべきか良くわからない。

 まあ、政略結婚なんかだと、そういうのもザラ、いや、ましな方なんだろうが。だが僕は僕なりに頑張って成果も上がったから、好きでもない相手と政略結婚でくっつけなんて、身内に強制する必要性も無いのだ。だから、息子まで生まれたのに「好意を持ち始めた」なんて程度なのは、やっぱり間違っているとつい思う。


「じゃあ、アティアは帝国に一緒に戻るって事で、良いかな?」

「はい。懐かしい皆様にお会いしたいですから。お願いいたします」


 夜はケツァールとアティアは『女の場所』と定められたエリアで眠る。するとヤタガラスがすねた。七歳児のくせに色事はヤル気まんまんだったのかと可笑しかったが、どうも、そこまで考えてはいなかったようだった。


「好いた女なら、隣におるだけでも嬉しいだろうが」

「そりゃあ、そうだな」

「長い長い間、生き別れとったのじゃぞ」

「じゃあ、アティアが帝国に戻ったら、好きなだけケツァールとイチャイチャしたら良いさ」

「出来るかのう?」


 洞窟に柔らかい草を敷いただけの寝床はヒンヤリして、心地良かった。ヤタガラスは体を丸めてスヤスヤ寝ている。どう見ても七歳児にしか見えないのが、やっぱり不思議と言えば不思議だ。遠くで虫の声、カエルらしき声、後は正体不明だが、何か生き物の声がする。だが、空気がヒンヤリしていて、平和だ。そんな事を思いながら僕も深い眠りに入ったようだった。


「どうぞ、このあたりの木の実ですが、滋養に富んでいます」

「ありがとう、頂くよ」

 そんな会話が耳に飛び込んできたとき、洞窟の中は差し込む朝日で明るかった。明け方は一番空気が冷たい時間だ。僕は毛布をひっかぶった。

 アティアが木の実を勧めているのは……ひょっとして? 僕が耳を澄まして考え込んでいると、赤子の声がした。機嫌の良い声だ。喃語と言うのか、気分が良いと「あっあっ」とか「くー」とか「ばあ」とか意味のない音声を発するのだ。言葉を話す準備なのだと聞いた記憶が有る。赤ん坊は気配や人の気分に敏感だから、機嫌が良いと言う事は、大人同士の纏う気配が尖っていない、穏やかなものである事を示していると言えるだろう。

「ん? なんじゃ? グスタフ」

 ヤタガラスがのびをして目をさまし、僕が聞き耳を立てているのを奇妙に思ったのだろう。

「しっ、静かに」

 僕はアティアと男の会話が途切れさせたくなかった。


(ありゃあ、アティアの産んだ赤ん坊の父親じゃな?)

(多分ね)


 最初からテレパシーにすれば良かったのだ。


「お口に合います?」

「見た事も無い変わった形だから、少し身構えてしまったけれど、とてもおいしいよ。それにしても、ここはどこなのかな?」

「ドーン大陸の南端より更に南の、南方大陸と言う場所のようです」

「本当か!」

「ええ。ここはその南方大陸の聖地なのです」 

「テオレル帝国の皇帝、いや、皇帝陛下はアティアを探しに出かけられたらしいが、今頃いったい……」

「昨日の内に、海軍の皆さんと御一緒にここにおいでになりました。まだ、お休みなのだと思います」

「先ほど、馬のいななきが聞こえたような気がしたが」

「海軍の船でこの大陸までおいでになり、そこから先は馬のようですよ」

「そうか。馬を連れてくるぐらい、きちんと支度をなさって来たのだな。我が国の者にはどこにアティアがいるか、見当もつかなかったのに……」


(なあ、グスタフ、やはり間違い無くあの男が大君主国の世子じゃな)

(そうだろう。大蛇さんが、連れてきたのがいつだったのか全然気が付かなかったけれど)


 二人の話の声は穏やかだ。会話は完全に帝国の公用語で、男の話しぶりは帝国の人間と変わらない。


「この子にまだ、名をつけていません」

「そうなのか。生まれてどれほどたつのだ?」

「五か月ほどではないかと思うのですけど、はっきりしません。ここは暦も有りませんから」

「アルラトの王宮ならば、星占い師の言葉で生まれた子の名前は決まるのだがな」

「生まれた日がはっきりしませんもの、どういたしましょう。大伯父様に付けて頂こうかしら」

「まて、先例は有る。初代様、二代目様は父君がお付けになったのだ。だからその先例に習えば良い……我が嫡男なのだから『導く者』を意味するムルシドと付けよう。我が息子だからムルシド・ビン・ザファルとなるな」

「世子様のお名前のザファルとはどういう意味なのですか?」

「勝利と言う意味だ。だが、私では国を勝利には導けないようだ。なあ、戻って来ては貰えまいか? テオレル帝国の皇帝陛下には改めてお前を我が妃として迎える事を認めていただくように、お願いする。今や、妃はお前だけなのだが、どうだろうか? その子を父無し子にはしたくないのだ」

「私だけが、妃とは……どう言う訳で?」

「ハレムは空っぽだ。元から私自身のハレムは、空だったがな。父上は戦が始まってすぐから病の床で、もう回復はなさるまい」


 ガヤガヤと向こうから、士官たちが話す声が聞こえてきた。朝食の支度を始めるらしい。

 僕とヤタガラスは、いかにも今起きましたと言う感じでのびをして、アティアとザファル君に朝の挨拶をする。ザファル君は白い肌に銀色の髪、灰色の瞳のなかなかの美丈夫で、背丈は僕ぐらい有る。まあ、この世界では大男の部類だ。絹地にきらびやかな縫い取りを施した大君主国風の寝間着が、なんだかこの場所には似合わない様な気もするが、彼には似合っている。


「おはよう、お二人さん。いつここについたの?」


 僕の砕けた物言いに、ザファル君はちょっと驚いたようだった。だが、友好的な雰囲気をぶち壊すような大人げない言葉は吐かず、年長者に対する君主国式の丁寧な礼をした。アティアと並ぶとなかなかいい感じなのだがな。だが、初めの出会いが良くなかったと言うのは確かなのだ。

 普通に外国からの留学生で、アティアと交際するうち結婚したいと思うようになった……なんて経緯なら、僕だって何の反対もしないが……よじれているんだよな。夫婦の縁が。子が出来たから結びなおすにしても、ちょっとした仕掛けは必要だろう。そんな風に僕は考える。


 ザファル君の話と大蛇さんの話を総合すると、アルラトの宮殿内の自室の寝台で眠っていたザファル君は、虹色の大蛇に飲みこまれる夢を見たと思ったけれど、それは夢でも何でもない現実で、明け方にはアティアと息子の眠る部屋の前に倒れていた。と言う事になるらしい。ケツァールが気がついてアティアが名前を呼んで体を揺すったらザファル君は目覚めた。そういう事らしい。

 大蛇さんに言わせると、ザファル君を飲み込む時は、ちょっと不味い味と香りがしたけれど、体を覆っていた薄い穢れの気配が無くなったので、今はすっかり浄められたらしい。長距離を体を細めて動くのは、ちっと疲れたそうで、これから丸一日寝るんだそうだ。帝国に戻るのは大蛇さんが目をさましてからにした方が、安全らしい。僕らは一日、この聖域の中でのんびりすることにした。水にも食料にも不自由しないから、気楽だ。まだ帝国と大君主国は外交上は交戦状態なのに、僕とザファル君は涼しい泉の前で、のんびり話している。


「大蛇さんの中から、吐きだされたって事か。凄い経験をしたねえ」

「全部が奇妙な夢だと思っていたのですが、現実だったのですね」

「今ごろアルラトは上を下への大騒ぎじゃないか?」

「はあ。帝国側が休戦して下さっているので……さほどひどい事にはならないでしょうが、父が亡くなれば、宰相が何か小細工をするかも知れません」

「ああ、今の宰相は君の父上の腹違いの弟だったね」

「はあ。ですがあの叔父に、うまく国内をまとめる力量が有るとも思えませんから……」


 僕はその日丸一日をかけて、我が帝国の平和的介入と、アティアとの縁の結び直しについてザファル君と率直な意見交換をしたのだった。

誤字、気が付いた範囲で直してますが……お知らせいただければ幸いです。

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