僕と碧い鳥と大地の臍・1
「困ったなあ。アティアだけが……戻ってこられないんだろうか」
僕はそんな独り言を言ってぼやいた。チャスカの墓の前で。特に命日と言う訳でも、記念日と言う訳でも無いが墓参りだ。何か頭の中身を整理したい時、チャスカの墓に行くと妙案が浮かぶと言う事が幾度かあって、以来頭の中がごちゃついたりヒートアップしたりすると出かけている。生きている時のチャスカは癒し系のキャラだったが、亡くなってからも、そうした傾向は残るものなんだろうか?
周りには季節ごとに緑系の色合いの花が咲く。そんな風にしたのは娘のキリャらしいが、緑色ががった白の待雪草の仲間からエメラルドグリーンのとげなしサボテンの仲間まで、四季を通じて何かの緑色系統の花が傍で咲いているようになっているのだ。今咲いているのは香りの良いとげ無しのバラの仲間らしい。シャーベットグリーンと言うのか、この色のドレスがチャスカは良く似合ったな……などと思いだした。きっとキリャもそう思っていたからここに植えさせたのだろう。
バラの香りを思い切り吸い込んでから、墓の前で目をつぶっていると、碧色系統の不思議な色の鳥が鉄さび色をした大地を飛翔し、その向こうに黄金色に見えたと思うと赤く変化する平らな山? いや、岩だ。あれ、どこだっけ……ああ、大地の臍なんていわれる聖地だ。その周りを、何だあれは、蛇かな? 巨大な虹色に煌めく蛇が、平らな岩山の周りを取り囲んでいるのだ。
久しぶりに見たが、アティアとあの霊鳥ケツァールがどう結び付くのか? しかもそれがあの大地の臍とどう関連するのだ? デカい蛇は一体何なのだ?
バサッツと羽音がして、黒いカラスもといヤタガラスが降り立った。すぐにあの七歳児スタイルになったが。そういえば長らく頑固にミズホの宮家の子供みたいな恰好だったのが、気が付けば最近は帝国風というか完全な洋装だ。国会のメンバーが皆申し合わせたように着る様になって、一挙に帝国の昼の礼服として定着した黒いフロックコートとぴったりした黒いズボン、貴族的なカラスで良いじゃないかと僕は思う。まあ、以前の指貫なんていうのも悪くなかったんだが。
「やあ、久しぶりだね」
「我のつがいの護りを背負ったはずの娘が災難に遭ったと聞いたのでなあ」
「護りを背負った? アティアが?」
「何じゃ、キリャから聞いておらなんだのか」
「ヨハンの孫なのに、なんでまた?」
「あれは真はラウル・ヤイレの孫じゃ」
「と言う事は、ユリエのひ孫か!」
「そうとも言うな。ラウル・ヤイレは、タマエの他にチャスカの従姉妹との間にも娘をこさえた。そのラウル・ヤイレの娘がヨハンの腹違いの兄の息子とくっついて生まれたのがアティアなんじゃ」
アティアの母方の祖母はチャスカの従姉妹だから当然だが、父方の祖母もワルパの王族の血筋だそうだ。ヨハンの庶兄の一人がアイリュとミズホの交易に関わる仕事を正三郎の下でしていて、その縁でワルパの女性との間に息子が生まれた。それがアティアの実父なのだと言う。アティアの両親はワルパで知り合い「一旗揚げる」ためにドーン大陸に行って、風土病で死んだらしい。幼いアティアはワルパの祖母の所に預けられていたので無事だったようだ。
「最初はワルパとの縁が強いキリャが育てるという話も有ったんじゃが、ユキヒコとヤスヒコを預る事になったじゃろう? それで縁続きのヨハンの邸に引き取られたんじゃが、ヨハン夫婦も息子のエリク夫婦も気に入って養女になったんじゃ。ヨハンにしてみれば実の兄の血も、仲の良かったラウル・ヤイレの血も受け継いだ愛らしい娘じゃからなあ。思い入れも有ったんじゃろうよ」
ヤタガラスによればあのチャスカの御先祖ゆかりの胸飾りは、あの一族の霊力の強い女性に代々受け継がれるものらしい。母から娘と言うパターンが一番多いが、娘じゃなくて姪とか孫とかに引き継ぐ場合も有るそうだ。ともかくも受け継いだ女性が次代のもっとも霊鳥の加護にふさわしいと言うか、馴染むと言うか、そういう女の子を後継者として選び、死後すぐに後継者にはあの胸飾りが渡される。本来はそうしたものらしい。かつてはそうした女性は神殿に入ったものであったようだが……アイリュの介入や何やかやで、形式は変化したんだろう。それでも霊力と加護の部分は動かせないようで、キリャの娘よりあのアティアが霊的にはふさわしいと言う事だったらしい。
「それにしても、何で……ウルルなんだ? 蛇も訳が分からんしな」
墓でのヤタガラスの話を思い返してみたが、あの脳裏に浮かんだ情景の説明は全く無かった。延々とアティアが生まれるまでの経緯について教えられただけだ。アティアが両親双方からワルパの血を受けている事と、僕との間には直接的な血縁関係が無いと言う事は理解した。だが、具体的な救助の話もしなかったし、ウルルの話も出なかった。例によって僕に言いたい事だけ言うと、ふっといなくなってしまったのだから。
「何ですの? ウルルって」
マサエに不思議そうに聞き返された。トシエは無言でマッサージを続けている。
「レイリアの船乗りたちが南方大陸と呼ぶ場所にあるはずの、その土地の聖地だ。ものすごく大きな一枚岩なんだ。と言ったって無論僕は本物を見た訳じゃないが」
「で、そのウルルがどうしましたの?」
チャスカの御先祖ゆかりの霊鳥・ケツァールらしき鳥が飛んでいたのだと話すと、トシエもマサエも声を揃えてこういった。
「まあ、陛下、ではそこにお出かけになりませんと!」
そして蛇の様子を僕から聞いた二人は、それは土地の祖霊で、別の土地の祖霊であるケツァールとの関係が悪くは無いという事なのでは無いかと言う意見を述べた。この二人は勘が鋭い。確かに二人の言う通りなのかもしれない。
「もうそろそろ、今年も不思議な石の所で、何かお告げが貰える頃ではありません?」
「アティア様の件も含めて、御相談なさったらいかがでしょうか?」
確かにそうすべきなのかも知れなかった。僕は翌日、あの石の所で時空管理局の決定だか命令だか指示だか聞いてみることにした。
「僕は九十七歳になった。即位して六十三年経つ。美保はどうなんだろうか?」
「以前からの予定通りの期日に間に合わせます」
「赤ん坊なの? すでに大人なの?」
「新たに生じる個体に美保としての知識・能力・記憶を投入します。貴方と肉体的・精神的な条件は似ています。寿命も老化も貴方の条件に合わせます」
「今の課題は、アティアの奪還だが」
「あー、他の捕虜は奪還できますが、彼女だけはスペシャルケースです」
「取り返せない、そういう事か?」
「今はお答えできません。現在戦闘状態にある国家とは双方の死傷者を可能な限り抑え、平和条約が締結できるようにしてください。奴隷制度の廃止は、恐らく可能でしょう」
「美保が出現したとして、現在の正妻であるガブリエルは、どうなる?」
「実現可能なプランで、適切なものが見つかります」
即位後六十六年、僕が百歳でもガブリエルはまだ、三十六歳のはずだ。
「アティアは諦めて、他の捕虜を取り返した方が良いんだな?」
「万事お任せします。常に最大多数の最大幸福を志向して、活動に励んで下さい。では、また来年お会いしましょう。クリア・エーテル!」
話は強制終了だ。南方大陸の件も聞きそびれた。何がクリア・エーテルだ、と思ったが、僕に任せると言うんだから、僕なりにやるしか無い訳だ。
「……ともかく、取り返せる人間だけでも手堅く取り返しておこう」
「承知いたしました。アティア様の方も、可能な限り脱出の可能性を探りますが……」
時空管理局との定期交信のすぐ後、僕は大君主国との国境にいる情報将校と直通電話で話していた。
「宮殿の宦官連中にも根気良く接触を試みてくれ」
「……あっ? すみません。ただいま無線が入りました。ああっ!」
「どうした?」
「アティア様は、昨夜既に大君主の世子と一夜を過ごされたそうです」
「な、なんだって?」
「……ええっと、宦官長からの弁明ですが、最大限の敬意を払い、並みの女奴隷ではなく、あくまで妃としての待遇なので、悪く思わないで頂きたい。御子が出来た場合は、御子の御身分も尊い御出自に見合った物となるように最大限の力を尽くす事を誓う。以上ですが、そのう、どういたしましょうか?」
「……分かった。アティアをそれなりに鄭重に扱う、そういう意味だろう。だが、アティアの意志は恐らく無視されているはずだ。当初の計画通り、取り返せる人間は全て取り返し、アティアが妊娠していようが何だろうが、帝国に戻るように、引き続き活動を続けてくれ。そのうち、きっちり落とし前はつけねばな。頼んだぞ」
「ははっ!」
その三日後、アティア以外の拉致された若い帝国国民は奪還された。どうやら宦官長が意図的に警備を緩めたらしい。代わりに……アティアを世子のハレムに残すことを認めろ、と言う事か。
「アティア姫の行方は如何に?」
「世子の妃に?」
何処から漏れるのか新聞の紙面にはそんな文字が躍っている。
「極めてデリケートな段階なので、報道も差し控えてもらいたい」
僕は各新聞社にこのルンド始まって以来と思われる報道管制を敷いた。だが、これが一つの問題提起となり、これ以降「報道される事によって被害者の生命に危険が及ぶおそれがある」誘拐事件などは自主的な報道規制が行われるようになった。
僕は引き続き情報収集にあたらせた。どうやらそれなりに鄭重に扱うと言う宦官長の言葉には嘘は無さそうだが、僕としては女性を閉じ込めっぱなしと言うハレムの制度自体が、人権無視もいい所で不愉快だ。しかもアティアは拉致されてそこに収容されているのだし。
「どうやら御懐妊だと言う話が伝わって参りました」
そう、情報将校との定期的な電話の報告で告げられた時は、覚悟はしていたが不愉快極まりなかった。
「アティアの精神的な状態が非常に心配だ。万が一の事が有れば、ただではおかんと宦官長に言っておけ!」 将校に怒鳴っても仕方がないのだが、イライラする。
アティアが拉致されて二百日経ったが、事態は動かない。僕はいい加減イライラしてきた。だが、短気を起こして総攻撃をかけて、肝心のアティアの身の上に危険が及ぶようなら、元も子もない。連日我が海軍は君主国の沿岸部に艦砲射撃を加え、貿易ルートを封鎖し海外の資産を差し押さえている。
「食料不足は相当深刻らしく、大君主国側からの難民が押し寄せていますが」
「可能な限り食料の配給を行うように」
各国境の担当者には、難民の人道的な取り扱いを徹底するように命じている。
大君主国内部の農村は働き手を失い、相当な面積の畑は荒れ放題らしい。それがどの程度大君主個人に響いているのかは疑問だが、兵の士気が下がりっぱなしというのは事実だろう。その内、国の乱れと衰えを招いたのは大君主の失策の所為だと言う機運が、有力な廷臣を中心に持ち上がり始めたようだ。
僕はそうした連中を側面から支援するように、情報将校に命じておいた。
「大君主を幽閉し、世継を即位させる動きが本格的になってきました」
「良い傾向だ。色ボケ、アヘンボケの暴君はさっさと駆逐しないとな」
やがて、年を越え僕の即位六十四年目に入った。
「大変です!」
情報将校の緊急連絡は声が切迫している。
「アティア様が大君主の宮殿から逃亡された模様です」
「何処へ逃げたのか、見当はつかないのか?」
「宮中の船着場から、運河に出て、更に海に出た模様ですが……そこから先が、どうにも」
「誰か手引きした者が居るのだろう? 帝国の者か?」
「どうやら違うようです。身近でお仕えしていた者らしいですな」
「アティアが寵愛されるから邪魔だと感じた別の女が、手引きしたと言う線は?」
「その線を世子は疑っているようでして、厳しい取調べが始まってはいるようですが……」
「だが、アティアの行方は知れん……そういう事か」
「はあ」
アティアの身を案じる者はトリアにもミズホにも新大陸にも多いが、誰にもアティアがどこへ向かったのか見当はつかなかった。
「ヤタガラス、お前のつがいの護りを背負っているにしてはアティアは災難続きじゃないか」
「災い転じて福……となるはずなんじゃがなあ……」
「おいおい、そんなのんきな事を言っている場合か?」
「鳥たちが言うには、碧の鳥の力は虹色の大蛇の助けで蘇ると言うんじゃが、どこの祖霊なのかのう、虹色の大蛇とは」
「そうだよ、ウルルだよ!」
「うるる? なんじゃそら?」
「南方大陸にあるはずの聖なる場所だ」
一縷の望みを持って、僕が帝国海軍の部隊を南方大陸に向けて派遣したのは、その翌日の事だった。