複雑すぎる僕の家庭事情・4
「ぶしつけかと思いましたが、やはりこうなりました以上、自分自身で御報告申し上げるべきかと思いまして。それにこのウルリカを早くお目通りさせるべきかと」
軍人であった時代の大宰相は奇襲攻撃が得意だったとか聞くが、まったく……驚かされる。何しろ書庫から戻った途端、僕の所にやってきたのだから。どうやら黄金宮のいたる所に情報網を張り巡らせているようだ。
「その、僕の口から何と言って良いか……ハハハ」
「全く、左様でございますが、その、例の件は全会一致で認められましたので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
大方の予想通り、査問会は全員一致で大宰相を皇后の公式愛人に認定した。
人を恐れず何でもズバズバ言うはずの男が、妙に遠慮した照れくさそうな顔つきが何ともおかしい。最初はおかしかっただけだったが、段々腹が立ってきた。その……この男の脳裏に母上とどうやって夜を過ごそうかなどという妄想がチラつき出したからだ。チッ、母上をものにできそうなのがそんなにヤニ下がるぐらい、嬉しいか!
僕はわざとらしく咳払いをして見せた。
「あっ、これは御無礼を。これ、ウルリカ、皇太子殿下に御挨拶申し上げよ」
「はい。皇太子殿下、初めて御意を得ます。スコーネ侯爵エリク・ベルワルドが三女・ウルリカにございます。以後、何卒お見知りおき下さいますよう、お願い申し上げます」
何というか、鈴を転がすようというのはこういう声を言うんだろうか、実に愛らしい声だ。そうか、大宰相はこの声を僕に聞かせたかったのだな。殆ど白に近いプラチナブロンドの髪に紫の瞳の愛らしい顔だちだ。何というか、好奇心いっぱいで僕の顔を見ている。ほう? 僕を気に入ってくれたようだ。それは重畳。
「ウルリカ殿はお幾つかな? 女性にお歳を伺うのは本来はマナー違反だろうが」
手紙にも肝心なその情報が抜け落ちていた。
「恐れ入ります。これは、当年とって五歳と相なります」
何でも母上も御贔屓の高名な星占い師が、僕との相性は最高だと請け合ったとか。当たるも八卦、当たらぬも八卦、僕は全く信じてないが、母上は気になさるのだ。
大人たちの思惑をよそに、どうやらウルリカ嬢はお茶を楽しみたい気分のようだ。
「昨日焼いたケーキをお出しするように」
ユリエと僕で楽しみ半分、気晴らし半分で焼いた小ぶりなケーキを出させた。
元来のこの国の菓子は、やたら甘くてしつこかったので、僕は自分で好みの物を半ば道楽で作ることも有る。上手くできるとレシピをまとめ上げ、厨房に詰めている菓子職人たちに作り方を教える。近頃は僕の作った試作品を食べ、レシピを見ただけで、おおよそ失敗なく再現できるようになった。
今日のケーキは地球で言う所のマドレーヌに近いもので、ナッツ入りとドライフルーツ入りの二種類だ。焼き型は貝殻型の他に花型の物も作らせてある。小ぶりな焼き菓子は、愛らしい女性たちの口にふさわしいサイズだ。後は大宰相が好物のハーブとクリームチーズの小ぶりなサンドイッチが出た。ユリエが気を利かせてくれたらしい。
言わばイヴァルが司会役で、大宰相親子と四人でティータイムとなったのだが、話題は重い物だった。
「セルマ嬢はいかがでしたか? 殿下」
「父上がお勧めになるのですから、それなりの方なのでしょうね」
「御器量などは?」
「綺麗な人でしたよ」
(侯爵夫人がめったに人に会わせないから、よほど美しいか逆に醜いかと思ったのだが、どうやらそのどちらでも無さそうだ。十人並みの上といった所だろうか? その程度ならウルリカの方を気に入って頂ける可能性は大きいかもしれないな)
何とまあ、大宰相ともあろう人が、これじゃあ妓楼の亭主かなんかみたいだ。そのウルリカちゃんは、ケーキの事で頭が一杯と言うのが何とも年相応で可愛い。
「こちらが気に入ったのだね。ほら、もう一つお食べなさい」
ナッツ入りの方を、もう一個ウルリカちゃんの皿に乗せてやる。
「ありがとう!」
「これ、ありがとうございます、であろうが」
「良いのですよ、心から言ってくれた言葉だと僕には伝わりましたから」
「とても美味しいお菓子で、驚きました」
「そう? 僕と僕に仕えてくれているメイドのユリエで工夫して作ったのだよ。よかったら、バスケットに詰めてあげよう。そうすればお家でも、食べられるね」
「はい。ありがとうございます」
「この菓子は、殿下のお手製でございましたか」
「僕がレシピを書き上げ、試作しました。内々では評判が良かったので、昨日、厨房のほうで多目に焼かせたと言う訳ですよ」
(はああ……妙な特技もお持ちなのだな。ウルリカはすっかり菓子に夢中だ)
「是非とも、そのレシピを頂けませんか? 我が邸の者たちにも作らせてみたいと思いますので」
ウルリカちゃんはきらきら眼で僕を見つめている。素直な尊敬の念が見て取れる。ははっ、可愛いな。
「殿下、とっても素敵なお菓子を頂戴したお礼に、一曲歌を歌わせてください」
「ほう、それは良いな。伴奏は?」
「恐れながら私が、そこのスピネッタをお借り致します」
スピネッタというのは小型のピアノに見えなくもない鍵盤楽器だ。
「ほお、大宰相が。それはますます楽しみだ」
大宰相親子の息はぴったりだった。三曲短いわらべ歌や子守歌の類を歌ったが、ウルリカちゃんの透き通るような声と余技というにはあまりに見事なスピネッタ。いや、良い物を聞いた。
「あのう……」
本当にこの大宰相にしては珍しい。ここに来た肝心の目的の話を切り出しかねている。
「側妃の件ですか」
「はあ。さようでございます」
「そうですね……二つに一つでしょう」
(やはり、な。いや、そうおっしゃるとは思っていたが)
ここで、は? とか聞き返さないのはさすが大宰相だ。
「双方の話を同時に受け入れるか、どちらも拒否するか。釣り合いから言っても、そうなりませんか?」
「確かにそれ以外、有り得ませんね。で、殿下御自身は今現在はどうお考えで?」
おいおい、イヴァル君、君の主は誰なのか、はきちがえていないかい?
まあ、いいさ。
すべての官僚はどうしたって、この大宰相閣下の支配下にあるのだから。僕はまだ、帝国の政治体制の中で、ただのお飾りに過ぎないのだ。
「ならば、ぜひ、我が娘も御もとにお置き下さいますようにお願い申し上げます」
「大宰相、親としてのあなたはどうなのです? 本当にそう願っておいでですか?」
「はい。英明なる殿下の御もとならば、複雑な出生の事情を抱えましたこの子も、無事に一生を送る事が出来ましょう」
いつもは鉄の意志と剛毅果断な気性に相応しい強い光を湛えているグレーの瞳が、今は珍しく潤んでいる。確かに、滅んだ王家の血筋を受けた愛らしい少女が幸せに生きて行くのは、なかなかに難しいのだろう。
「よろしいでしょう。僕なりに最善を尽くしてお引き受けすると約束しますよ」
何だか、自分で自分の首を絞めたような気がしないでもない。だが、この国の皇太子という立場にある以上、有力者と強いきずなを持つことが出来れば、やはり幸運なのだ。
「ウルリカ殿、また逢いましょうね」
「はい。お約束下さいますか?」
「ええ、今度はおひとりでも構いませんよ。でも、前もって予定を知らせてくださいね」
「はい。そういたします」
「いきなり押しかけまして、まことに、御無礼いたしました。不束者では御座いますが何卒、ウルリカをよろしくお願い申し上げます」
深々と礼をして、大宰相は娘の手を引いて去って行った。この日の大宰相は最後まで娘を思う親そのもので、僕は彼をちょっと見直したのだった。
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