僕と女王と国家の問題・1
僕があの時空管理局について知ったその同じ年の冬、レイリアの都テージョの大聖堂でレイリア女王ガブリエル・デ・エストレラと僕は無事に結婚式を挙げた。
婚儀に先立ってレイリアが背負っていた負債は、僕名義の個人的な資産で全て肩代わりした。
「レイリアを女王ごと買い取ったも同然ですな」
結婚の日程が決まった段階で、御前会議に出席している者がそんな事を言ったので、僕はムッと来た。
「物には何によらず言いようと言う事が有るのだ。そんな言い方をされると、自分が女衒か奴隷商人にでもなった様な実に嫌な気分だ。レイリアの女王に対する侮辱でもある。僕を敵に回す覚悟が無いなら、そんな言い方は止せ」
不快な発言をした貴族は礼を失した点については陳謝したが、事態の認識そのものが間違っているとは思っていないようだった。
「民衆にさほど支持されているとも思えない無力な女王の利用価値など、知れているのでは?」
「絶世の美女、と言う訳でも無いようですしな」
僕がレイリアを保護国として暗黒大陸や南方大陸の利権を手に入れれば十分なのであって、女王との婚姻までは不要、ないしは無駄と考えているらしい連中はかなりの数に上るようだった。レイリア王家の存在は厄介事の種でしか無いと言う立場なのだろう。
「それでも陛下御自身がお気に召したなら、臣下があれこれ言う立場ではないですが」
「お気に召したなら、原則的に御別居と言うのが、私などには理解できません」
「さようさよう。私なら寝ても覚めても好いた女とは一緒にいたいと思いますぞ」
確かに、寝ても覚めてもという熱っぽさは僕に無い。だが、あの不器用で正直で賢明な女王が気の毒だとも、可愛いとも思う。
「手助けをしてやりたい、そう感じた。物好きと言う者も居るかも知れんが。もっとも、ガブリエルが為政者として一人でやれるようになれば、関係も変わってくる可能性は有る」
「婚姻関係の解消、なども有り得る、そう言う事でございましょうか?」
年若いまだ未婚の貴族が、軽い感じで聞き返した。反射的に腹が立つと言う事は、僕はやはりガブリエルがかなり気に入っているのだと自分でも改めて自覚した。
「解消前提ではまとまる話がややこしくなる。どう転ぶにせよ、帝国にもレイリアにも有益な方法を模索し、最善を尽くすと言う事は約束する」
僕の才覚で稼いだ金を僕がどう使おうと、僕個人の自由、と見る者もいたにはいたが、新聞の『無駄な買い物?』というタイトルの風刺画を示されて、僕はムッとした。
そこにはレイリアと刻まれた腕輪をして透け透けの衣装で踊る女奴隷の後ろ姿と、寝そべった東洋の砂漠地帯の君主の格好の男が脂下がっている様子が漫画風のタッチで描かれていた。良く見ると男の服には皇太子時代の僕の紋章がついている。
「その絵に表されたような見方をする者は、やはり多いと申し上げねばなりません」
ガブリエルの値打ちについて新聞社の連中は疑問視している。そう言う事なんだろう。
トリアの新聞はまだ一紙で、瓦版に毛が生えた程度のゴシップ専門の絵入りで単色刷りだ。厄介な事にこの『トリア絵入り新聞』は大した人気で、各鉄道馬車の駅頭で販売されているのだが、売り上げは毎月右肩上がりらしい。
「無礼な新聞社に罰を加えますか?」
そんな質問もされたが、この新聞の記事を書いた連中は自分が正しいと信じているのだろうし、国家の機密を漏えいしたと言う訳でも無いので、無視することにした。
ともかくも最悪な気分の内に、御前会議は散会となった。
「全く、何て奴らだ」
僕が夜、ベッドサイドで『トリア絵入り新聞』を見て怒っていると、マサエとトシエが覗き込んできた。
「あらあ、陛下はもっとずっとずっとハンサムでいらっしゃるのに!ひどいわ」
「これじゃあ、まるで太鼓腹のおじさんじゃないの!」
「最近パレードなどなさいませんから、若い平民の中にはお姿を拝見した経験のない者が多いのかも知れませんねえ」
「一度でもお姿を拝見すれば、この絵が色々とおかしいのはすぐにわかりますわ」
「レイリアの女王様とは、このトリアでのパレードはなさいませんの?」
「すべきかな」
「民にお顔をお見せになるべきですわ。陛下がこんなに素敵な方だって、もっと皆に知らせましょうよ」
「マサエもトシエも、いやじゃないのか?」
「え? なぜですか?」
「ええ、なぜですの?」
二人一緒にハモって聞き返す。
「だって、そのう……」
「ああ、陛下はお優しいから……そりゃあ、ちょっとばかり妬きますけど、でも、私は私なりに精一杯御奉公しておりますもの」
「陛下が、毎日お元気でいて下さるだけで、私幸せですから。陛下を独り占めできるのは、きっとその内おいでになる美保様だけですから、私もちょっとしか妬きませんわ」
焼き餅をちっとも焼かないのはどうかと思うが、程よく焼かないと自分も回りも不幸になる。それがこの姉妹の哲学らしい。幼女のころから馴染んできた所為か、僕に向ける愛情は時に父親に対して向けるものに似ているようだ。
二人は僕と男女の仲になったのもほぼ同時期であったせいか、何でも可能な限り二人平等に扱って欲しいと言う。そして彼女たちはずっと僕を『陛下』と呼び、過度に立ち入りすぎないように細心の注意を払っているようだ。
「陛下は素敵な方ですから……うっかりすると、大変ですもの」
「そうそう。寝ても覚めてもずっと御一緒にいたいなんて、思うと危ないです、自分が壊れてしまいます」
彼女たちの語る恋愛論やら生活哲学やらに頷きながら、僕は穏やかな気分で眠った。そしてその翌日レイリアに向けて出発し、こうして無事に挙式も済ませた、と言う訳だ。
慣習により、僕は花嫁である女王を抱きかかえ、馬でテージョの目抜き通りを行進し、王宮に入った。
「女王陛下、皇帝陛下にうーんと可愛がってもらいましょうねー」
「お二人とも、今夜からガンガンお励み下さい!」
「皇帝陛下、お子さんはドッサリお作りなさいませよ」
なんだかその手の、下ネタががったヤジというか、声援が多数飛び交っている。殺気は感じない。首都テージョの市民は王家に対する親愛の情が伝統的に強いようだが、困窮する地方の民心は落ち着かないと聞く。
先日の襲撃事件も有ったので、僕もガブリエルもこっそり鋼鉄製のプロテクターはつけている。僕は帽子に偽装したヘルメットも被っているが、相当重たい。式典が夏なら耐えられなかっただろう。
帝国の情報将校や諜報活動の専門部隊を早めに潜入させたせいで、困った事態は回避出来ているようだ。だが、僕が信頼する将校たちがピリピリしまくっている。と言う事は、事態は楽観できないと言う事だろう。
僕の移動に伴い連れて行った軍勢はせいぜい一万人程度だが、最新型の軍艦を見せびらかしつつ、トリアから海路で直接テージョに入った。万が一を考え、両国の国境五か所にそれぞれ山岳戦の専門部隊を偽装して配置した。
ちなみにこのルンドで、山登りとスキーの特殊訓練を積んだ部隊は我が帝国にしか存在しない。一兵卒の末端に至るまで読み書きができるのも、帝国軍だけだから、実際の戦闘となれば相当な威力を発揮するだろう。
僕は自分に割り当てられた部屋で、将校たちの報告を聞いた。爆発物を投下しようとした者が居たらしいが、未然に捕えたと言う。その事をレイリア側にどう報告するかと言う件での相談が有った。
「この国の官僚機構は腐敗しきってますから、信頼できません」
「軍事・警察権を女王陛下が掌握できておられませんので、有力者の私兵が出しゃばり、すべての事柄が恣意的に情実に基づき処理されるのです」
「そうか。酷いとは聞いていたが、大変だな」
帝国の能率的で合理的な機構に慣れると、前近代的な組織ともいえない粗末な組織は全くあてにならないと思われるのだろう。しかも、組織の人員の士気もモラルも低いとなれば、当然の反応だ。
「皇帝陛下の御身辺も最大限の警戒態勢で臨みませんと」
「苦労を掛けるな」
「近頃、平和な事態が続きすぎ、兵たちもたるんでおりましたから、良い機会です」
「その意気で頼む」
僕は安全対策に関して、総てを任してもらう事になっているので、容疑者は早速秘密裏にこの城の地下牢に収容し、僕自身が取り調べにあたる事にした。ガブリエルと宰相他数名にだけ事態を知らせた。
「外国勢力を引き入れて困窮する民を食い物にする奴は、女王だろうが何だろうが死ぬべきだ」
何だろう、どっかで見たような人種だ。視野の狭い正義に囚われていて、周りがちゃんと見えない向う見ずな若者……そう、かつてのクヌートに似ているのだ。
「僕は困窮する民を食い物にした事は、一度も無い。だから新大陸の国々は僕に従ってくれるのだし、スコウホイにもワッデンにも飢える民はもはや存在しない。皆これまでになく平和な暮らしを送っているはずなのだがな。従って、このレイリアからも飢える者を無くす事は大いに可能だ。そうは思わないのか?」
「ずるい銀行家どもも恐れる不老の悪魔の言う事なぞ、まるで信じられん。愚かな女王をたぶらかす事など、さぞ容易かったろうさ」
「良く知りもしないでガブリエルを愚かと決め込む君の方こそ、どうなのかねえ。君が命がけなのはわかるが、誰かを殺害しないと通せない正義など本当の正義かどうか、怪しいもんだ」
「抜け目ないやり手の皇帝陛下が、えらいきれい事をおっしゃる」
「きれい事を意地でも通すのが、僕のやり方だ。結局後から見れば、それが問題解決の一番の早道だったりするものだ。きれい事を通すには、我慢強さと慎重さが必要なのさ。君のように反対者らしきものは、とりあえず皆殺しなんて発想では、上手く行く物もぶち壊しになるだけだ。まあいい。君は再教育の必要が有る」
僕はその若者を、帝国に戻る商船に乗せトリアの黄金宮内の北の離宮の塔に放り込む事にした。他にも既に幾人かの不穏な破壊活動を企む連中をとらえさせ、同様に放り込んである。
全員、再教育を行う思想犯で、食事その他はクヌートの前例に倣っている。
「……ざっとご説明すると、そうした経緯です。皆、自分の家族や友人が飢え死にしたり、不当に強制労働に狩り出されて亡くなったりした者ですね」
「私は、そうした地方の厳しい実情を、全く存じませんでした。お恥ずかしい限りです」
「先の宰相以下、老臣たちが貴女に何も知らせていなかったのですね。これからは貴女の安全は僕が守るように努めますので、貴女も自国の実情を知り、改善策について色々考えてください。出来る事から、少しづつでも確実にやって行きましょう」
僕は王家の前例だとかいう、新婚初夜の検分役の女官のばあさん連中を排除した。まだそんな古めかしい悪習がこの宮廷では生きている。困ったものだ。
「帝国軍には騎士と言う者が存在しないそうですね。貴族では無いものまで皆、読み書きができるとか……あのすばらしい軍艦を操るのも、皆学校で教育を受けた将兵と聞いて驚きました」
「騎士と言う存在は、もうこれからは実戦では役に立たないでしょうね。もっとも戦争など無い方が良いのですが」
「でも、陛下御自身は剣の名手ともお聞きしますが」
「剣より、ミズホ風の組手の方が得意ですよ」
「組手、ですか?」
「自分の体一つで身を守る方法です。御婦人でも知っていると、つまらぬ暴力から身を守れるから、覚えて損は無いですね」
色々な話をしたが、一向に初夜の実効的な進展は無かった。僕は構わないのだが、女王はどうなのだろう?
「まあ、小鳥が鳴きはじめました。どうしましょう!」
夜明けが近いようだった。
「どうしますか?」
「あのう、やはり、その……お願い申し上げます。不束者でございますが」
「御経験は?」
「御座いません」
「では、慎重に、参りましょうね」
やはり最初は、キスから入った。そうでなくては、感情がやはり伴わないからだ。絶世の美女ではない、と人は言うが、やはり僕はこの女王が気に入ったようだ。支配者・為政者としては少々お人好しで、経験不足だが、僕を信じてくれるのだから、誠意を尽くして行こうと決めた。
「貴女はとても可愛い」
「本当に? 本当にそう思って下さいます?」
「ええ。本当ですよガブリエル」
それなりの状態になったシーツを検分した女官のばあさんどもは、女王が恙なく皇帝と初夜の儀を終えたと納得したはずだ。それから更に二日、僕らはかなり濃密な時間を過ごした。聞けば一番子の出来やすい周期だそうだから、ガブリエルの希望がかなったかもしれない。そんな気がした。
軍艦二隻をテージョに残し、年末年始はトリアで共に過ごす事を約して、僕は海路で帰国した。見送りに来たガブリエルは、数日の間にめっきり女ぶりが上がった、僕にはそんな風に見えたのだった。