僕の五十年・3
「久しぶりだね、ヤタガラス」
「お前が新しい嫁を迎えると聞いたんでな、様子を見に来たんじゃ」
ヤタガラスはチャスカが亡くなり、正三郎もミズホに戻って亡くなったので帝国での居心地が悪くなったらしい。
「美味い団子も牡丹餅も、餅も無いなんて、我慢できん」
そんな言葉を残して、この二十年ほどはミズホに戻っていた。ひたすら食べ物の所為にしていたが、それだけでは無かろう。それでも僕に関係する船はすべて沈没する事は無いし、僕の投資先が倒産したりする事も無いのは、ヤタガラスのおかげなんだろうと思っている。
僕は即位してすぐから帝国中に馬車鉄道を導入させていった。
動力が馬であるだけで、各地の駅や交通局の制度は僕の知る鉄道の物をもとに整備している。おかげで物流と人の行き来はより活発化し、思いもよらぬほど経済・産業が活性化した。圧力鍋と蒸気機関で鉱山の排水をするポンプは既に実用化されている。まだ内陸部の河や内海のような風の少ない穏やかな場所限定だが蒸気船の航行もようやく始まった。地球の歴史と順番が多少違うが、蒸気機関車は放っておいても、その内登場するだろう。
更に僕は、十九世紀にフランスなどで盛んに用いられた腕木通信も導入した。おかげで千キロ程度の距離を、十五分程で情報の伝達が可能になった。先ずは帝国本土全体の通信網が整備され、更にワッデン、そして新大陸のアイリュ・テツココでも導入が開始された。僕独自のアイデアで、通信所は軍の駐屯所に併設した。その駐屯所には近代の警察の機能を持たせ、更に各村落に交番や駐在所を配置した。その為、帝国での犯罪率、ことに凶悪犯罪は激減した。帝国国内を女性が一人で旅をする事も可能なぐらい、社会全体が平和で安定した状態になったのだ。
今年から郵便事業も開始したが、出だしはまずまずだ。これが可能になったのは、義務教育が行きわたり、国民の大半が文字の読み書きをするようになったからだと言える。
僕のこれまでの治世で、帝国の文化レベルは十七世紀から一挙に十九世紀のレベルに突入したと言って良いだろう。ここから先は……あまり積極的に介入するのは避けようと思うのだが、大量破壊兵器による大量殺戮は可能な限り避けたいと思っている。
先日民間の新聞社が出来たし、デパートがオープンした。これから加速度的に様々な変化が起こるのだろう。
だが、こうした変化はヤタガラスにとって、恐らくは居心地の悪いものだったのだろう。
「何やら近頃のトリアは賑やかすぎると言うか、落ち着かん」
久しぶりなのに、ずっとしかめっ面だ。
「牛丼を作るから、食うか?」
僕は御前会議が無い日は気晴らしを兼ねて、自分勝手に自分の昼食を作る。だが、今は妻たちが亡くなり子供らも手元にいない状態なので、せいぜいマサエとトシエに食べさせる程度だ。ユキヒコとヤスヒコは三日に一度ぐらいは顔を出すが、幼い二人は食べ物は帝国風と言うか洋食っぽいのが好きらしい。牛丼好きのヤタガラスが留守だと、自然、僕も牛丼は御無沙汰なのだった。
「おう! 食べるぞ。つゆだくで頼む」
「よしよし。葱は?」
「あー、多目に」
「卵も二つ乗せるか?」
「おー、そうじゃ。それが良い」
相変わらず七歳児の姿で、どんぶりを抱え込んで夢中な様子は、なんだか和む。デザートには黄な粉白玉を出してやった。ケーキ類より、こっちの方が好きなのだ。
「ほー、すると嫁はその、帝国には普段は住まんのか」
「そうだな。別居通い婚って感じかな。夏の休暇は一緒に過ごす。あと年末年始の儀式は帝国で一緒にこなし、春と秋に農業やら漁業の視察なんかを僕が役人や専門家を投入してテコ入れする。特に適正な課税と飢餓対策だな。産業振興はその先だろう」
「夫婦らしく共寝は?」
「夏の休暇と、冬の十日間ほどに限定だ」
「後は、別居か」
「ああ。あちらは小国とはいっても、それなりの歴史も有るし、女王をいきなりやめる訳にも行かんのだよ」
「お、そうじゃ。お前のずっと待ってる嫁は、あと十何年かそこらでこっちに来るのか?」
「そうなんだ。その件も有るから普通に皇后にして黄金宮に住んでもらうって訳に行かないよ」
「そのう、女王と言うか嫁には事情は言ってあるのか」
「うん。それで良いってさ」
ヤタガラスは気に入らないと言う顔になった。
「モナは何と言う取る?」
「最近話をしてない。スコウホイ大公のネストルの邸には、毎日顔を見せるらしいが」
「アンニカの件が、ひかっかっとるのか」
「そうなんだろうな。モナも……大した神じゃないから、僕ももっと気を付ければ良かったんだが」
「グスタフの力が大きくなりすぎたんじゃ。恐らく。モナも我も良くわからんものが増えてくるんじゃろうか、これからは……ワッデンから急に消えた亮太の嫁じゃった女も、良くわからん女じゃったしな。この世界とのなじみが良くなかったようじゃから、元の世界に早めに戻ったんじゃろうよ」
ヤタガラスはマーシャがあまり好きじゃなかったようだ。彼女の出現自体も予想外で、何か場違いな印象を受けたらしい。
「マーシャは元の世界にもどれたのかどうか、怪しいな。確かにテオレル帝国より高度な文明の国に生まれ変わりはしたようだが……亮太もキルデリク十二世もあのマーシャの弟として一緒に暮らしているようなんだ。しかも三人ともこのルンドでの記憶をはっきり持っている状態らしい」
「そうなのか。あの女子、そんなにええ女子なのか? 我は亮太の気持ちも先のワッデンの王の気持ちも、さっぱりわからん。しかも、弟か。ふーむ。面妖じゃなあ」
「美保は生まれ変わって、その三人に育てられるみたいだ」
「では、ますます、こっちに来るのは確定じゃろう。前世の記憶を持つ者に育てられるんじゃから……その方が今のグスタフの力に見合うと言う事じゃろうか? 力ある神の考えなど、我には分からんよ」
ヤタガラスにとって、美保がマーシャの娘として生まれ変わるのは訳の分からないことらしい。
「僕の力が無駄に大きくなりすぎて、ルンド全体の有り方が不味い方に歪んでいるのかな」
「んー、違うと思うがな。ただ、変化が早すぎる。モナにとっても我にとっても。ほれ、アイリュとテツココが思いがけぬほど、すんなりグスタフの力を受け入れて国の力が増し、民が飢えから解放されたじゃろう。あれがなあ、全くの予想外じゃった」
「そうか。また、何か大きな動きが有るかもしれんよ。何しろ今度結婚する女王の国は暗黒大陸と呼ばれている土地と、南方大陸と呼ばれている土地に縁が有るんだから」
「んー、我やモナの予想では、アンニカとチャスカがお前を支える両輪となって、もうちょっと長続きすると言う事じゃったんだがなあ。アンニカが予想外に早死にして、チャスカの力とキリャの力の有りようが変わったんじゃな。多分」
キリャもヤチャイも元々は向こうの土地で力を発揮するはずが、テツココとアイリュと言う二つの大陸の支配者が僕自身を信じ受け入れたために、事情が大いに変化したのだとヤタガラスは言う。キリャの夫・ヤガー君はあの土地の神の祝福を受ける男であるが、僕が彼に大宰相の役目を与えた事で、テオレル帝国の力が神霊的な面で見ても強大になったのではないかとも言われた。
「グスタフよ、今度の女王の国が縁を持っとると言う土地、広い広い土地なんじゃろう? それもお前がどうにか面倒を見てやれと言う事じゃろう。暗黒大陸とはずいぶんな呼び方じゃが、それだけそこの民は貧しく希望に乏しい暮らしをしておるんじゃろう。そこに光をもたらすのが、お前の役目なんじゃよ、きっと」
「困ったなあ……僕の前世での知識が多少なりとも役立つとして考えてみると、どっちの大陸もアイリュやテツココのような核になると言うか、中心的な力になる様な大国が存在しないんだ。ミッケリでは奴隷と香辛料の調達先程度にしか見られていないのは……国ってものがまだちゃんと成り立ってない段階だからだよ」
「なら、グスタフが良いと思う事を遠慮なくどんどんやれば良かろう」
「いや、それほど話は簡単じゃない。自然条件は厳しいはずだし」
「知恵を皆で絞れば、なんとかなろうよ」
「うーん、僕の知恵じゃなあ、確かに不足だ。工学とか土木とか農林水産業とか医学とかの専門家が来てくれないもんかなあ……」
「ほれ、お前が時折会うと言う爺さんにねだれば、なんとかならんかの?」
「じゃあ、今から一緒に行ってみるか?」
「我が会えるじゃろうか?」
「ともかく、一度行ってみよう」
一緒に、あの爺さんの姿が見えるはずの場所に行ってみた。
「なんじゃこりゃあ!」
ヤタガラスが叫んだ。僕もちょっとびっくりした。
『現在緊急メンテナンス中。復旧まで十日ほど待て』
日本語でこんな一文が空間に浮かんで見えた。
「ケッ、マジですか」
「ど、どういう意味じゃ、これは」
「あの爺さんは神でも何でもなくて、凄く文明の進んだ所の機械仕掛けのからくりみたいな物、って言えば良いかな。そのからくりが上手く働かなくなったから、待てってさ」
すると目の前でその一文の『十日ほど』が『三日』に変化した。予定より早く復旧かよ。はいはい。
「日にちも経ったことじゃし、あの面妖なめんてなんすとやらが終わったかのう」
「うん。見てこようか」
改めて見に行くと、爺さんの姿が無い。あの石だけが有る。掴むと一瞬ノイズのような画像が頭に浮かんだ。そして見た事も無い形状の建物の静止画像が出て、後はいきなり若い女性の音声だけが聞こえた。
「時空管理局の決定をお伝えします。貴方の現在の時空における適合度が我々の当初の予想よりはるかに高いため、貴方の自発的行動を認可します。質問は現段階で回答可能なもののみお答えします。ご了承ください」
は? 本当にそういう事なのか? 声の主は生身の生命体なのか違うのか、僕には判断がつかない。
「時空管理局とはいかなる組織なのかな? 設立時期とか理念とかメンバーとか、本部の所在地とか、差し支えない範囲で教えてほしい」
「時空管理局は、高度な知的能力を有する生命体の国家の連合体で運営する機関の一つです。設立時期は貴方の生まれた地球においては二十一世紀より、概ね五千年後となります。掲げる基本理念はすべての高度知的生命体の平和的共存です。最大多数の最大幸福を目指すと言えば理解しやすいでしょうか。所在地は地球の外ですが、まだ具体的には申し上げられません」
「僕の個人的な愛情問題その他は、どう決着がつくのかな?」
「貴方に最も適合すると思われる資質を有した生命体のそちらへの到着は、当初の予定通りです。現在はルンドにおける適正度を上げ、貴方とのチームワークにより適合した存在となるように、バージョンアップの最中です」
「今、結婚話が発生していて、それを進める予定だけど、OKなの?」
「最終目標が当組織の理念に合致するもので有れば、自由行動は認められています」
「僕の適合度が高いって、どういう点で判断されたの?」
「貴方は『最大多数の最大幸福』を念頭に為政者として誠実な努力を払ってきました。更にこれから予想される大量破壊兵器に対する用心深さも、大いに評価されました。これから更に、二つの未開発段階の大陸の管理を行う立場に立つでしょうが、常に『最大多数の最大幸福』を念頭に貴方の内なる信義則に則った行動を取られるように、最大限の努力を払って下さい。他に質問が無ければ、来年まで定期通信は行われませんが、宜しいでしょうか?」
「新しい大陸二つの運営を行う上で、農林水産業、鉱工業、医学、教育などの方面のサポート人員が欲しいが、派遣願えるだろうか?」
「試験的に派遣した人物の運用成績が良好であったため、当組織内で適切な人員について検討中です。準備が整い次第派遣されますので、よろしく」
「派遣される本人たちは、時空管理局について認識してるわけ?」
「混乱を防ぐため、地球の十九世紀末期から二十世紀の人材を派遣しますから、当人たちは時空管理局の存在は全く知りません。中には特定の宗教教育による偏向も有るかもしれませんが、貴方の力量なら十分に矯正可能でしょう。ちなみに当時空管理局の存在はトップシークレットです。秘密事項の取り扱いはくれぐれも慎重に願います。では、また来年お会いしましょう。クリア・エーテル!」
「クリア・エーテル!」
僕もつい、応えてしまった。微かに笑い声が聞こえたように思ったのは、気の所為なんだろうか?
それにしたって……銀河パトロール隊員か? いや、あの有名なSFが遥かな未来に古典として高く評価されているとか、そう言う経緯かも知れない。
ヤタガラスは僕の質問しか聞きとれなかったらしい。ひどく不機嫌な顔つきになってブツブツ呟いている。
「時空管理局? 訳が分からん」
僕は、こんな状況をどこかで予想していたような気がした。