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僕の五十年・2

 僕は先ず、レイリアの国内情勢と資産の状況を調べさせた。


「何といいますか、いちいち勿体ない状況です。従来痩せ地と見られていた平原部も、調べてみれば肥えた土地なので、灌漑さえできれば麦の収量は現在の二倍は堅いかと。温暖な気候ですから裏作も可能です」

 調査チームの農業の専門家が言えば、漁業の専門家も言う。

「豊富な種類の魚が居りますのに、レイリアの料理が単調な所為か、国民が食べるのはわずかに十種類程度のようです。食品加工の技術も稚拙で、せっかくの素材の良さを生かせておりません」

「銀鉱山は豊富な鉱脈が有りますが、現在は無秩序な狸掘り状態でして、構造自体危険な上に、些細な罪でとらえた民に強制労働をさせると言う具合で、能率も悪いです」

 ミッケリでの調査にあたった者たちは、負債を帝国の皇帝が金銀で払ってくれるなら大歓迎だとどの銀行も返答したと報告した。鉱山や農地を運営するノウハウが十分に無いし、リスクの大きい新たな資本投下もしたくないと言う事らしい。


「ふうむ。良いものを持っているのに生かし切れていない、残念な国なのだな」

 僕の呟きに対して、ヤガー君が更に追加した。

「後の問題としましては、識字率が低く、法令や規律の遵守は余り期待できそうにありません。のんびりした国柄のようでして、とりあえず食べて寝られるなら、あくせく働かず、夜は酒を飲んで歌でも歌う、そういう国民性らしいです。後は熱しやすく冷めやすいと言いましょうか、気が乗るとそれなりに働きますが、気が向かないとサッパリのようです」

「ほお。労働のためのノリの良い歌なんてあると、能率が上がりそうだな」

「そうした歌の効用は、考えてもみませんでした」


 肝心な、少なくとも僕個人としては一番肝心なレイリア女王ガブリエル・デ・エストレラとのお見合いというか、会見と言うかデートというかをしなくてはならないのだが、僕は夏の休暇を兼ねて帝国とレイリアの国境地帯の小さな城で一月ほど過ごすことにした。二千メートル級の山が連なり、からっとした涼しい気候で夏は過ごしやすい。ここを起点に、僕についてきた連中はレイリアでも最貧の地域とされる山間部の状況を、細かく調査する。気候・土壌などの条件はほぼ同じなのに帝国側の集落は食糧供給も安定し、義務教育も軌道に乗り初め、建物も冬の寒さに耐えられるものとなっているが、レイリア側は飢餓状態のものも少なくないようだ。僕らは医療奉仕と炊き出しを行う。もともと無理やり作っている麦以外の作物の栽培方も知らないので、麦がダメだと、全滅なのだ。後は薬草を掘って、売る程度だろうか。


 これに対し帝国側はトウモロコシやジャガイモ、豆類、ソバ、ベリー類、キノコなどもうまく取り入れ、ガチョウやウズラ・アヒル・ニワトリなどの家禽類や羊・ヤギも飼育され、食物加工品なども味付けの良さで評判を取っている村が幾つも有るのだ。普段は厳しく国境地帯を封鎖しているが、僕の滞在期間はそれを緩めた。レイリア側の薬草売りが帝国側まで下りてきて、売った金で帝国で品物を買い、またレイリアで帝国の品物を売りさばくと言う一種の担ぎ屋が、この所かなり活発に行き来している。


「滞在中の一か月の内で御都合のよろしい時に、おいでください」


 そうレイリア側には声をかけておいたが、実際に女王が来たのは月も半ばを過ぎてからだった。後から笑い話になったのだが、そもそも女王がどう言う装束で出かけるかで紛糾し、意見がまとまらなかったらしい。

 女王は艶の良い黒い馬に乗っていた。達者な手綱さばきで傾斜地を登る様子は、城から双眼鏡越しに見ていて、なかなかの見ものだった。


「思ったより、美人じゃないか。笑うと可愛いし」


 そんなのんきな話をしていた所、急に女王の一行が投石を受け、鎌や手槍を持ち怒号を上げる地元民たちに襲激されている。僕は大急ぎでヘルメットと軽めのプロテクターを纏い、近衛を引き連れ山を駆け下りた。城からは大砲をぶっ放させた。空砲だが。音の威力も有ってか、暴徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


「お助けいただき、ありがとうございます。陛下が休暇にふさわしい、肩の凝らない物をお召しのようだと知りまして、そのようにしてまいりました」


 僕の顔を見てニッコリ気丈にそんなことを言ったのは良いが、急にグラッと重心を崩したと思うと気を失ったので、僕が抱き抱えて馬に乗せ、城に戻った。医者に見せると額に小さなかすり傷を負った程度で夕食まで休めば大丈夫らしい。

  

 しかし女王は、夕食をあまり食べる気になれないようだった。それでも最後のデザートに出したココアムースは気に入ったらしい。心なしが口元が嬉しそうにほころんだので、もてなす側としてはホッとした。


「民の心が離れているとは思いましたが……ここまで酷いとは……」

「僕も、もっと気を配るべきでしたね。申し訳ない事になりました」

「自国領内の民に嫌われているのですもの。陛下の所為ではありませんわ」

「だが、貴女の所為と言う訳でも無い。こう言っては何だが、亡くなられた父君がいけないのだ。娘さんにこれほどの重荷を残して行かれて……」


 涙ぐむ女王は何というか、非常に庇護欲をそそった。だが、僕は、僕を刺すようなまなざしで見つめる一人の青年に気が付くと、自分がすべて引き受ける必要もないのではないかとも思う。僕は言葉を帝国の公用語からレイリア語に切り替えた。文章は大して違いないのだが、個々の単語の発音が相当に違う。


「僕としては、どちらでも構いません。借金の帳消しと財政の立て直しに御協力するだけでも……貴女のお申し入れの通りでも」

「勝手な事ばかり申しまして、まことに恐縮です」

「僕の見た目は年齢不詳でしょうが、本来なら八十をとうに越えたジジイです。若い貴女には、やはりお若い配偶者の方がふさわしいのかも知れない。例えば、そこの彼のようなね」


 女王はハッとした顔つきになった。


「この者は、幼いころから私の警護にあたっている騎士です。フェデリコ、陛下に御挨拶は?」

「初めて御意を得ます。フェデリコ・デ・ピリスと申します」

「フェデリコ君の感情的な問題は、どうなのです? 貴女としては考慮する必要性がお有りなのでは?」

「いえ、一切そのような事はございません。この者は私の臣下ですから」


 フェデリコ君には不本意な言葉であったらしい。


「ならば……女王の地位をお捨てになり、人としての幸福を手に入れられる、そうした選択肢をお考えになった事は有りませんか? 貴女のお気楽な姉君や妹君は、貴女にばかり責任を押し付けておいでなのだから、貴女一人が重荷を背負いこまれる必要も無いでしょう。国家の経営と言う点で行けば、借財をきれいにした後、帝国に編入すると言う方法も無くは無いのですよ。ただ、これは一歩間違うと民族的な感情やら自尊心やらなかなかに厄介な問題も引き起こしかねませんが……」

「どうなのでしょう。今は自国の民に石つぶてを投げられる身であっても……この国の女王として力を尽くし、いつか民に認められる自分になりたい、やはり、そういう思いが強いです。頑ななのかもしれません」


 ちゃんと自覚している、そういう事のようだ。だが、それぞれ独立した国家の現役の女王と皇帝となると、どこで寝てどこで飯を食うかだけでも政治問題になりうる。女王は僕が無言で考え込むのを、別の意味合いに取ったのだろう。いきなり床に這いつくばり、僕の靴にキスをしたのは驚いた。僕は急いで女王を抱え上げる。


「そんな事までなさる必要は無いのです」

「ですが……」

 グレーの瞳から次から次へと涙があふれてくる。僕は何だか切ない気持ちになって抱きしめた。するとフェデリコ君含め、みんな自主的に部屋を出てしまった。お話はお二人でって事か?


「良く泣く人だな、貴女は。外交交渉には似合いませんよ」

 外交交渉と言われて、はっとしたような顔つきになり、僕の顔を見つめた。

「泣きましたのは、母の葬儀以来です。なぜか陛下の前だと、すぐに泣いてしまいます」

「僕と結婚して、貴女は不幸になりませんか? 僕には多くの子供もいますし、色々ややこしいですよ」

「ずっと独身でいるか、陛下におすがりするか、二つに一つだと思っています」


 レイリアと言う国は歴史が古い割にひたすら何というか下り坂の国で、かつては強国ともみなされていたが現状では国家財政は破たん状態だ。貴族階級の派閥闘争は酷いらしいし、農奴制の廃止は幾度も失敗してるし、頼りになるブレーンも居ないようだし、この女王も大変なのだ。

 国内の貴族と結婚すると派閥闘争が火を噴くし、ミッケリの銀行家連中で負債を全部肩代わりできるものは居そうにない。僕以外の君主にはなおさら無理……女王の考えは、まあ、そんな所らしい。

 ミッケリの銀行家に身売りするぐらいなら、確かに僕の方がマシか。少なくとも見た目は釣り合う。僕だって実年齢ではジイさんだが。


「……困ったなあ。思っていたより、貴女が可愛い方なので。僕も……体だけは若い男ですので」

「ありがとうございます。陛下ならきっと、あまたの美しい方、才能にあふれた魅力的な方とも色々お付き合いなさった御経験がお有りでしょうから……私などの申し入れを直接聞いていただけるだけでも有り難い、そう思っております」

「実はあなたを皇后とする訳には行かない事情が有るのです。十五年間限定なら可能ですが……」

「私は、お子を産ませていただければ……それで十分なのです。ですが、その、十五年とはどの様な御事情でしょうか?」


 僕は転生前後の事情と、美保が既に異世界で再び生まれたらしい事。後十六年で、予定通りルンドにワープなり転生なりする可能性が高い事。そうした事情をかなり正直に話した。


「いきなり子供ですか。途中経過が省かれすぎで、正直戸惑いますが……たとえ庶子でも僕の子がいれば何かと安心ですか」

「本当に申し訳ありません。医師の診断では私の体でも妊娠出産は可能だとの事でした。お産で手が回らない状態の間の事も考えますと、陛下にお願いするしか無いと思うのです」


 どうやら彼女なりに僕のワッデンやミズホ、新大陸の保護国に対する政策を分析して、導いた結論らしい。

 他の君主と婚姻関係を結んでもレイリアは逆に荒れるだけだと踏んだのだろう。一方で僕とくっつけば、帝国の優秀な官僚機構と学術的な専門家が連携して、国を悲惨な状況から救い出して貰えるかも知れない……ぐらいは考えているのだろう。


「だからと言って、女王の貴女を側妃扱いには出来ないし……期間限定と言ってもなあ」

「でしたら……」

 女王の提案は確かに実行可能なものであった。

「一種のペテンのようですし、貴女自身も本当にそれで構いませんか?」

「御事情が色々お有りな中で、厚かましいお願いをするのですから……あのう……今夜は」


 そこまで言いさして、これまでの冷静に法律的な案件に関して話を詰めていた時とは打って変わった表情を見せた。まるでそう、初デートの中学生のような恥じらい方だ。


「顔を真っ赤になさって、震えておいでだ。異性とのキスの御経験は?」

「えっと、そのう」

 軽いキス程度なら、された事があるかも知れない。例えばあの、騎士とか誰かに…… 

「答えにくければ、無理におっしゃらなくても良いのです」


 明らかに、ほっとした表情になった。


「今夜は法的に有効な確認書を作成するにとどめましょう。一国の女王である方を頂戴するには、それなりの手順が必要ですからね。ですが、キスぐらいしませんと、僕としても今一つ現実味が湧きませんので」

「ああ、それは……確かにそうなのでしょうね」


 落ち着いた言葉遣いなのに、声が震えた。抱きしめた体はしなやかで、髪からは甘い香りがする。少なくとも嫌われてはいない事がはっきり分かった。どうもディープキスの経験は無さそうだと踏んだので、額に軽くキスをするにとどめる。体を離した瞬間、物足りなさそうな表情を浮かべたので、これなら大丈夫だと確信できた。


 僕は双方の官僚を部屋に呼び入れ、女王の目の前で婚姻関係に関する条件を定めた。


・テオレル帝国はレイリア王国の自主性・独立性を最大限尊重する。

・レイリア王国女王ガブリエル・デ・エストレラは、レイリア王国の元首である立場を一番に優先する。

・テオレル帝国皇帝グスタフ・ステファン・アナス・カール・アブ・ランゲランは個人的な信頼関係と友誼に基づき、レイリア女王に対するあらゆる援助を惜しまない。

・この婚姻関係により出生した子は、レイリア女王およびテオレル帝国皇帝の嫡出子であり、双方の国の法典に基づく王位、および皇位の継承権を有する。

・どちらかの重大な背任行為が明らかになった場合は、話し合いを早急に持たなければならない。

・レイリア女王とテオレル帝国皇帝の関係解消は、双方の立会人同席のもと話し合いにより行われるものとし、一方的な解消は無効とする。


「護衛をもっと増やさないと、お帰りが心配です。レイリアの側と僕の方との手配が整うのに一日はかかりそうですね。せっかくですから明日一日、休暇を御一緒に過ごしませんか?」

「ええ、是非、お願いいたします」 


 お休みを言う別れ際に、僕は小さな白い手を取って恭しく一国の君主に対するキスをした。


「貴女が御自分で御自分を守れるようになるまで、お手助け致しましょう」


 彼女の礼を言う言葉は小さく震えていたが、真情にあふれていた。自分の誠意が彼女に伝わった、その事だけで僕は十分に満足だった。

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