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僕の五十年・1

 即位して五十年の間に、帝国の富は膨れ上がり海外の領地や保護国も増えた。子供らは皆結婚し、孫が生まれた。だが、時の流れは無慈悲なものだ。この五十年、僕の外見はずっと二十代前半の状態のままだ。


 ユリエが僕の即位後三十年経って、トリアのレーゼイ邸で亡くなった。と言うのも、その前年にラウル・ヤイレと亮太が相次いで亡くなったのだ。共に五十歳は過ぎていたから、ルンドでは特別に短命と言う程でもなかったが、母親としては衝撃に耐えられなかった様だ。葬儀を済ませてからずっと寝込んでいて、そのまま亡くなったのだから。八十歳の誕生日の前日だった。

 何というか、もう、本当に小さくなっていて……幼いころの記憶と重ねると、随分長い時間が過ぎたのだと改めて思い返されて、切なくなった。


 セルマは女子修道院で亡くなって、僕は葬儀に出ただけ、と言う素っ気無い別れになってしまった。死後、娘のルイサから手渡された日記帳には、僕との思い出や僕に対する気持ちが切々とつづられていて、涙なしにはとてもじゃないが読めなかった。そのルイサはラウル・ヤイレと死に別れ、嫡子スヴェン・ヤイレとその家族と共に暮らしている。もう見た目はすっかりお婆ちゃんだ。


 その先は……親しい人たちとの別れが続いた。クヌートは九十まで生きたが、妻や娘・息子の方が先に亡くなったので晩年は寂しかっただろうと思う。アンニカの弟は独身で病死したから、アンニカの産んだネストルがスコウホイ大公として後を継いだ。ネストルは祖父のクヌートを大切にしていたのが、せめてもの慰めだろうか。


 アンニカは健康そのものと見えていたのに、落馬したのがもとで亡くなった。まだ、二十五歳だった。僕が帝国中を巡行するには馬に乗れた方が良い、と言ったのがきっかけで熱心に乗馬の訓練を始めていたのだったが……こんな事は全く考えていなかったので、ショックだった。

「アンニカの心に醜い波動が宿るようになって、護りきれなくなった」

 モナにはそんな風に言われてしまった。それならそうと教えてくれていれば、もっと用心深く過ごさせたものを……無邪気で正直なアンニカの中に醜い波動を宿らせたのは、僕自身だろう。乗馬の稽古の最中、ふっと醜い波動に心を持って行かれたのが命を落とした直接的な原因だそうな。配慮不足をモナは詫びたが、僕はしばらくモナとも会話をしなかった。人間ならば誰にだって、嫉妬も独占欲も有って当たり前だ。なのにセルマは長い事修道院に籠り、アンニカは命まで落とした。

 どっちの原因も僕なのに……こんな罰の当て方は間違っている。僕は神とやらを恨んでいた。

 最初の皇后アネッテも二人目のアンニカも若くして亡くしたため、もう、皇后を迎える気になれなかった。

 チャスカはアンニカの残したネストルの養育を懸命に行い、黄金宮の女官のまとめ役も務めてくれたが、五十代になって無理が祟ったらしく、ある日突然に亡くなっていた。心筋梗塞とか脳梗塞とか、そんなものだったのかも知れない。


 イヴァルの死後はヨハン、ヨハンの死後はヤガー君が宰相を務めている。ヤガー君はチャスカの産んだキリャを嫁に迎えたが、今の所この夫婦は元気だ。ヤチャイは請われて僕の弟・ロルフ大公の婿となった。ミゲルはテツココのレンカ王女と結婚し、トリアで学んだアイリュのロカ皇子はテツココのユカテコ王女と結婚し、帰国して父の死後即位した。今も夫婦ともに健在のはずだ。ピニャ皇子の方は帝国貴族となり、かつてヤガー君が務めていたあちらの大陸とミズホと帝国の通商に関する仕事を主に行っている。妻は亮太とマーシャの娘・シャルロッテだ。

 あのマーシャは亮太とワッデンで離婚し、亮太が娘のシャルロッテを連れて帝国に戻ったのだったが、亮太は死ぬまで再婚しなかった。マーシャの消息は離婚後、ある日忽然と途絶えたと言う。もしかして元の世界に戻ったのかも知れないと噂されたが、何も本当の事は分からなかった。ただはっきりしているのは、マーシャのおかげでワッデンの食糧事情は大いに向上し、もうここ二十年ほど餓死者は出ていないと言う事実だ。奇妙な事にマーシャ失踪の直後、キルデリク十二世が急死した。生前の亮太は、この二つの事件が関係が有ると信じていたようだった。


 一方でフレゼリク・レオポルドはサスキア王女と五十歳で死に別れて以降もワッデンに残り、まだ若く経験不足の王である一人息子キルデリク十三世を補佐している。


 正三郎は六十を過ぎたら、爵位を返上して家族ともどもミズホに戻った。だがもう彼も亡くなっている。彼は亡くなる前に、ラウル・ヤイレの庶子・タマエを黄金宮の奥向きに仕えるように手配した。ユリエもナタリエもチャスカも亡きあと、女官のまとめ役はタマエが務めた。タマエは僕の即位の年に生まれたから、今年もう五十歳だ。タマエはヨハンの息子のエリクとの間に娘を二人儲けたが、結婚はしなかった。その二人の娘は

三十一歳と三十二歳で、幼いころからずっと僕に仕えている。


「はあ、何だよ。爺さんの話では即位後すぐにも話が出来るって聞かされていたのにさ、嘘ばっかり」

 僕はアネッテとアンニカの墓参りの後、一人で空を見上げて毒づいた。

「二人の墓の後ろ側に回り込んでみろ。あの石があるぞい」

 いきなり五十何年ぶりの爺さんの声が聞こえた。だが、供の近衛兵達には聞こえないらしい。


 確かに……二人の皇后の墓の真後ろで、死角になりやすい所に、台座とあの巨大なダイヤを思わせる石が何とあった。爺さんもそこに立っているのだが、他の者には見えないようだ。僕は近衛兵を下がらせた。


「なあ、アンニカはあんまりじゃないか、あんな死に方」

「たまには、想定外と言う事も有るんじゃよ」

「マーシャはどうなっちゃったんだ?」

「二十一世紀の日本に生まれ変わった。亮太も一緒じゃ。キルデリク十二世も後を追ったぞ」

「三角関係なのか」

「マーシャと亮太は双子の姉と弟、キルデリクは一歳年下の弟じゃよ」

「それじゃあ、結婚なんて無いんだな」

「ともかくも、その石に触るんじゃ」

「僕はもう八十四歳だよ。あっちの世界の美保が生きているとも思えない」


 鼻歌が聞こえる。イーグルスの『ホテルカリフォルニア』?


「美保ちゃんもこの曲、好き? あなた、いずれはあの人の所に行っちゃう定めらしいけれど、お願いだから、あんまり早くいかないでね。頼むわ」

「七五三ぐらい、いいや、できれば成人式」

「二十歳過ぎでの結婚はあの世界では、遅いじゃないか」


 畳の部屋に女ひとりに二人の男が気楽な格好で座っている。年のころは三人とも二十代の終わりか三十代に見える。三人は小さな布団の上の赤ん坊を見つめて会話しているのだ。


「それにしたって、精子バンクの精子を使うって、ドライすぎるな」

 少し声が高い男が亮太の生まれ変わりらしい。

「だって、大事な弟たちとずっと一緒に暮らしたいけれど、女の子を一人、あの人の為に産んであげたいじゃない? だから一番高価な精子を使ったの。皇后は優秀な方が良いものね」

「美保って名前は、あの人の前世の恋人の名前だよね。何だか複雑だな」

 背の高い方の男がキルデリクの生まれ変わりらしい。

「三人とも結婚しないで、死ぬまで家族として暮らしたい。せっかくこうして姉弟に生まれたんだし。二人ともそう思うんでしょ?」

 男二人は頷いた。

「父親役の男が二人いるから、シングルマザーでも、美保は大丈夫だって安心感が有るわ」


 そこで映像が途切れた。僕のかつて暮らしていた街とも家族とも違う。二十一世紀の日本とは言うが、僕のいた世界とは違うのかもしれない。


「爺さん、あの三人はしっかり前世の記憶が有るみたいだが、赤ん坊……美保はどうなんだ?」

「前世など覚えていたいと強く願わぬ限り、大抵は薄れるもんじゃよ。美保がどうなるかは、まだきまっておらんが」

「僕次第って、言いたいんだな?」


 この日の夜、僕はしょげて元気が無かったみたいだ。仕えているマサエとトシエがひどく心配した。そこで僕が今日見た情景について語ると……


「ならば、きっと百歳にお成りの時に、その美保様がこの世界においでになるお支度が整うのですわ。御年三十四歳で御即位遊ばして、今年は五十年目の式典ですから……」

 マサエがそんなことを言う。

「八十四歳なんだ。体だけ変に若いが。心は爺さんだから、昔が懐かしいし、時々寂しくてたまらなくなる」

「でしたら、百歳にお成り遊ばすまで後、十六年ですか。マサエも私もどうにかその日まで無事にお仕えして、後は美保様にお任せできるように準備いたしませんといけませんね」 

 

 マサエとトシエは殆ど黒に見える濃い茶褐色の髪と目をしており、記憶の中の優しいユリエとよく似た雰囲気を漂わせている。ずっと、結婚もしないで僕に仕えてくれている。おかげで今の僕は心身ともに落ち着いている。二人は一年違いでそれぞれ息子を一人づつ生んだ。ユキヒコ・ヤスヒコと名付けた二人の息子は、ヤガー君の所に預けてある。ヤガー君に言わせると「賢い」そうだが、まだまだ先は長いだろう。


「まあ、ずいぶんと凝っていらっしゃる」

「解してさしあげなくては」


 姉妹二人がかりのマッサージはひどく心地良い。すべてが終わると自然と眠くなってくる。


「それでは、私どもはこれで」

「待って」

「御一緒が宜しゅうございますか?」

「うん。頼むよ」


 僕がねだると、二人は左右から寄り添い、川の地になって一緒に眠る。ただひたすら人肌が恋しい気分だけだったので、後はぐっすりだった。


 正直な話、もう結婚はコリゴリという気分だったのだが、レイリアの女王から一つ風変りな申し出が有って、それをどう処理するかでここ数日御前会議は紛糾していた。

 大宰相のヤガー君、今じゃキリャの夫でれっきとした皇室の一員で侯爵だが、ヤガー君は申し出を受けろと言うのだ。


「レイリア王国は先王の馬鹿げた浪費癖により、ミッケリの幾つかの銀行から相当な借財を負っておりまして、いまだに全く返済のめどが立ちません。ですが陛下ならお手元金だけでこれらの借財を綺麗になさる財力をお持ちです。レイリアは小国ですが、航海術に優れた者を輩出しております。トリアの商船学校の教官に迎えた者の中でレイリア出身者は全体の三割を超しております。何より、非常に潮目に恵まれた漁場や、港を幾つか暗黒大陸の陸伝いに抱えておりますのと、未知の南方大陸の探検者が幾人かおりますのが魅力です」

「そういう条件が魅力的なのは、僕もわかる。だけど結婚するのは僕だ。正直その女王様がどんな人か全然知らないからさ、場合によっては資金提供だけ、って言うのはダメか?」


 すると外交官としてレイリアに滞在していた経験の有る者達がこんな話を始める。


「先代のレイリア国王はひどく器量好みでして、愛人・妾は美女揃いでした。常時十名以上いたこうした女たちに好きなだけ贅沢させたのが、国が傾いた原因です」

「多くの女と付き合いましたのに、無事に成人した子供はわずかに娘五人でした。粗製乱造と言う奴でしょうな」

「さようさよう。一番まともで賢い娘が、今の女王です。しかも生母は正妃です。他の娘たちは、王族と名乗るのもおこがましいような者たちばかりと聞き及びます。器量は十人並みと言う所でしょうか」

「不出来な娘たちはミッケリ辺りで、派手に遊び、また借財を増やしているようです」

「なぜ、このトリアでは遊ばないのかねえ?」

 遊ぶにしても、買い物にしても、トリアの方がバラエティー豊かじゃないかと思うが……

「帝国では誰も、破産しかけの小国の王女など敬意を払いませんからな。それに資金の調達も出来にくいのでしょう」

「ミッケリですと、帝国では禁じられている様々な事が、金さえ出せば可能らしいです」

「さようさよう、危険な薬物も人身売買も全く野放しですからな」


 馬鹿な妹だが姉だかが、皆ろくでもない事をやって、女王は困っているのだろう。

 御前会議の真っ最中にレイリアの女王からの親書が届いた。それだけ、あちらは必死と言う事か。早速その親書は皆の前で音読された。


「偉大なるテオレル帝国第百十一代皇帝グスタフ・ステファン・アナス・カール・アブ・ランゲラン陛下、レイリア女王ガブリエル・デ・エストレラの心からの敬意と御挨拶を御受け下さい」


 そんな書き出しで始まる親書の内容は、概ね御前会議で出たものだった。遠回しな言い方だったが、先王の失策と浪費で国家財政が破たん状態である事、このままではめぼしい港、鉱山、農地などはミッケリの銀行家に差し押さえられてしまう事、ここ数年国内は凶作続きで、民の怨嗟の声を聞きながら有効な手が打てずに居る事、などを述べていた。

 更に女の自分から結婚の話を持ちかける厚かましさを詫びながらも、はっきりこう述べている。

「……どうぞ我が夫君として、我がレイリアの民に慈悲を賜りますように」


 僕の即位四十周年記念のパーティーにそう言えばまだ、十歳の王女だったガブリエルは居たはずだが……特段の印象は残っていない。聞けば国内の貴族や外国の君主からの求婚は、これまではすべて断ってきたと言う。どの派閥からも距離を置くと言う姿勢の表れだろう。


「会うだけ、会うか。借金の肩代わりだけになるか、結婚になるかは分からんが」

 会ってみなくては、その女王の本音も何もわかりはしないのだから。 

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