僕の微妙な感情・3
フレゼリク・レオポルドはアンニカと一歳しか違わない。三日三晩ぐらい新婚の妻と過ごすべきかもしれなかったが、どうもこの唯一の嫡男が非常に気がかりだった。
気がかりと言えば僕の最初の子供、ユリエが生んだ亮太も気がかりだったが、こっちは母親が同じラウル・ヤイレの所に厄介になっていて、それなりに気楽に暮らしているように思う。ラウル・ヤイレとセルマの娘ルイサの夫婦は、共に亮太にとって片親違いの兄と妹であり、身近な存在でもあったのだから、孤独感と言う面ではフレゼリク・レオポルドよりかなりましだろう。ルイサによれば、平民の女性と深い仲になりつつあるようだが……僕が即位すれば、その女性の人柄を見て貴族に列する事も亮太と結婚させる事も出来ない話ではない。ルイサとラウル・ヤイレが悪く言わないのだから、それなりに見どころが有る女性なのだろうから。
母親に似たのか、フレゼリク・レオポルドは人付き合いがうまい方ではなく、本音で打ち明け話を出来る人間が殆ど存在しないらしいのが気になる。セルマの産んだミゲルとは同じ年だが、交流は無い。一番気の合った亮仁は、今はミズホ暮らしだ。絵を描くことが一番好きで、その対象は野の草花が多い。好きな学問は植物学で、修道院の画僧のような暮らしぶりだ。学問同様、武術の鍛錬もまじめにやっているから、体はそれなりにたくましく健康にはなっているが、誰かとの浮いた噂も無く、生まれついての婚約者ワッデンのサスキア王女と文通をまめにしているのが、唯一の異性との交流らしい。
「昼食はフレゼリク・レオポルドと食べてくるよ。帰国後一度も話をしていないしね」
アンニカは僕がずっと嫡男と朝食を共に食べて来た事は承知のはずだった。何しろ昨日は僕も励んだが、女の側はもっと負担が大きかったはずだ。アンニカも静かに休む時間が必要だろう。
僕が自分の執務室に行くと、ワッデン国王からの親書が届いていた。そろそろ後継者であるサスキアの結婚を進めたいと言う催促だった。
「サスキア王女が王位を継ぐ事になっても国の安定が揺らがないようにしたい、そうした御意向のようです」
僕がワッデンを訪問したころほどでは無いにせよ、今も王自身の健康状態は良いとは言えないらしい。
「僕の再婚の直後というのは、特別な意味が有るんだろうな」
「新しいお妃をお迎えになっても、帝国とワッデンの絆は確かだと言う再確認をなさりたいのでしょう。それに、王女もお年頃ですので、御父君としてはやはり御自分の目の黒いうちに王配殿下をお迎えしたいお気持ちが強いかもしれませんな」
サスキアは表向きは兄の先王と王妃の唯一の嫡子と言う事になっているが、その実、現国王と兄の正妃の不倫関係で生まれた子だ。僕は王に聞かされて事情を知っているが……サスキア本人は知らないかもしれない。イヴァルには事情を説明してあるが、他の者は知らないはずだ。
「急な話だが、ワッデンの国王陛下からこんな親書が来た」
僕は昼食時にフレゼリク・レオポルドに届いた親書を見せた。
「やはり……自分が必要とされている所に行くべきですよね」
僕がアンニカという新しい正妃を迎えた事で、自分のポジションが微妙になったと感じているらしい。ここはハッキリ言っておくべきだろう。
「アンニカに息子が生まれたって、僕の跡継ぎはお前だからね。そこは揺らがない」
「でも、出来の良い弟でしたら……」
「出自を無視すれば、出来の良い者は沢山いるかもしれない。だが、この国は特別な場合を除いて、最年長の嫡出の男子が皇帝の位を継承してきたのだ。だから、どうしたって跡継ぎはお前だよ」
「父上は……不老で不死でいらっしゃるようだから、子供たちの方が皆先に亡くなるのでしょうし……そもそも無駄な心配でしょうね」
「それは、嫌だなあ……ゾッとする話だ」
「……ごめんなさい」
帝国の一般の人間が望む不老不死がなぜ「ゾッとする話」に結びつくのか、余り理解はしていないようだ。
「なぜ、ゾッとするかわからないか?」
「……ええ。実を言えばそうです」
「何年たっても自分だけが生きていて、気が付くと親しい人、大切な人がドンドン死んでいなくなってしまう。そんな置いてきぼりの状態が延々続くなんて、うれしくないさ」
「ですが、父上は次々と新しい者たちと新しい関係をお作りになれる方ですから……今度お妃に迎えられた方は、かつて母上の養い子のような立場の方だったと伺っています。普通なら、それほどの年齢差が有るとちぐはぐな感じに見えると思うんですが……父上は、息子の僕から見ても新しくお迎えになった方と並ばれても、全然違和感がお有りになりません」
それはそうでも、恋人・妻・親・兄弟・子供、そんな人たちに置いてきぼりを食らい続けるのに耐えられる自信が無かったりする。
「ごめんなさい。良くわかりもせずに、勝手な事を言いました」
「わかれと言う方が、無理かもしれん……な」
フレゼリク・レオポルドは、ふわっとした笑みを浮かべた。ああ、アネッテの微笑み方にそっくりだ。
「やはり、ワッデンに行く事にします。サスキア殿にも会いたいし」
「……そうか。では、準備をさせよう。だが、無理はしなくていいんだぞ」
「多少なりとも、お役に立てる場所で生活すべきかもしれない、そう思います」
「お前は、僕にとって大切な息子なんだ。その事は忘れないでくれ」
「ええ。父上が僕に向けて下さったお気持ちの有りがたさは、わかっているつもりです。ありがとうございます。僕も、もう十四歳ですから、何とかやってみます」
事が動くときは、一度に動くものみたいだ。
フレゼリク・レオポルドの婚儀とワッデンへの移住の支度をはじめてすぐ、グラーン侯爵夫人が亡くなった。僕は父上が心配だった。
「そうか。カレンがな。皆、もういないのだから、そろそろ、かな」
父上はため息をつかれたが、その心中は思いの外静かだった。
「グスタフ」
「はい」
「アンニカの祖母だがな……あれに良く似ておったよ」
「スコウホイの王女であった方ですね?」
「マリオンだ。エリクに取られてしまったがな。それでウルリカが生まれた」
マリオンという人は元来は王女に生まれついたのに、国が亡び娼婦に売り飛ばされてしまったのだ。細かな経緯は知らないが、大宰相に身請けされて妾になり、ウルリカを産んですぐ亡くなった。ついてない人だったと思うのだが、父上はそのマリオンという人を公式愛人に迎えようと考えたことが有ったらしい。
「そうですか。その、マリオンと言う方とお会いになるときは、あの建物を使われた、なるほど」
高級娼婦だったマリオンを何日か買い切り、あの建物で共に過ごした、そんな事が幾度か有ったようだ。だが、マリオンの素性を知った大宰相が身請けしてしまった。そういう事のようだ。父上も身請けをする準備をしておられたが、タッチの差で遅れを取ったようだ。
「大宰相とは、ずいぶんと色々因縁がお有りになったのですね」
「馬鹿な事も、色々やったがな」
大宰相が目を付けた女官やメイドを先に御自分がお抱きになったり、母上に対する大宰相の気持ちを十二分に承知の上で見せつけるように庭で事に及ばれたり……おやおや、まあ、確かに馬鹿げている。
「色事以外は、何でもエリクに負けっぱなしだったが、お前と言う息子を授かった事で、あれより優位に立てたな」
「大宰相は、僕には色々と良くしてくれました」
「エリクはお前に惚れ込んでいたからな。お前を自分の娘の婿にしたくてならなかったろうが、孫が皇后になれば、あの世で喜んでくれるだろう」
それからモナの母をはじめ、もう会えない御自分の子を産んだ女性たちの想い出話をなさった。
「あの、以前お前を摂政にした時の勅書を入れた場所に、子を産んだ女どもについてまとめてある。産んだ可能性が有る女についても、最近書き足しておいた。随分とまあ、沢山の女と関わったが、恐らくもう大半は生きておらんだろう。どうするかは全部グスタフに任せよう」
そこまでおっしゃると、いきなり寝息を立てられた。お話なさりたかったのだろうが、御体が持たないのだ、恐らく。僕はあの秘密の薄い引出しを開けて、その書付を持ってきた。はっきり御子を産んだ者はモナの母や『大女亭』の主を含めて十五人、可能性が有るのは十人らしい。父上の手を取って意識を探ったが、浮かび上がる面影や思い出などで姿形は鮮明にわかったが、それがこの二十五名の女性の内、誰であるのかは探りきれなかった。
僕は一度自室に戻ると、セルマの所に使いを出した。相変わらず女子修道院に立てこもっている恰好なので、顔を見に立ち寄ることもできない。娘であるルイサは葬儀その他の手配を手伝っているらしい。
祖母の葬儀で忙しい妻に置いてきぼりを食らっているらしいラウル・ヤイレの所で、夕食を取る事にした。居候の形の亮太も同席するらしい。亮太は一応子爵だし邸も有るが、殆ど母・ユリエの実家レーゼイ家に管理を任せきりだ。あちこちの学術系のサロンや勉強会には小まめに参加する様だ。そこで知り合った平民の女性と意気投合したらしい。
「新大陸で何か新しい事がしてみたいものです」
「何かって、何が良いんだ?」
「身分とかしきたりとか関係ない所で、思い切り何かやりたいんです」
「あの大陸にだって、それなりに歴史もしきたりも有るんだ。それも相当なもんなんだぞ」
「そうなのですか?」
僕はあのアイリュ帝国の事情などを搔い摘んで話した。
「何処でも身分にしきたりですか。でも、帝国とは事情が違いそうで、何か新しい事は出来そうですね」
「ならばヨハンの邸にいる連中に教えを乞うた方が良さそうだな。言葉も覚えた方が良いし」
「あのう……彼女を……マーシャを連れて行っても良いでしょうか」
「ああ。明日にでも、一緒に行こうか」
翌日、僕は午後丸々時間をヨハンの邸で過ごした。チャスカとキリャに会って話をしたし、マーシャ・レスコと言う、燃える様な赤毛で緑がかった灰色の目の、どこかちょっと風変りな女性と初めて会った。彼女は僕が皇太子だと知って驚いていたが、それよりも僕があの大陸の言葉を自由に話すので非常に驚いていた。
「殿下は全くご自由にあちらの言葉をお話しになるのですね」
「マーシャ、貴女は……別の世界の記憶が有るんじゃないんですか?」
「え、ええ。なぜ、そうお考えになりましたか?」
「身分制度から貴女の発想が完全に自由だからですが……さっき、僕らの測量した海岸線の図を見ながらサンフランシスコはどこ、って英語で呟かれたからです」
「エ、エエッ、英語がお分かりに? って言うか異世界の言葉が?」
「僕は二十一世紀の日本から、ここへ生まれ変わったんですが、貴女は?」
「に、二十一世紀……の日本ですか? 私は1947年生まれで……二十世紀までしか知りません」
「マーシャル・プランが発表された年ですね」
「そう、そうなんです。父親がって言うか、あっちの父がマーシャル将軍を尊敬していたんで、私の名前を付けたのです」
「ほう。こちらの世界には、どんないきさつで?」
マーシャは大学三年生の十月のある晴れた日に地震に巻き込まれ、気が付いたらトリアのはずれの一軒の食堂の庭にいたらしい。体の状態その他に変化は無く、能力その他も特に変化は感じなかったと言う。帝国の言葉は食堂を手伝いながら、必死で学習したものらしい。
「大学では何を学ばれてました?」
どうやら僕でも名前を知っている名門大学で農学を専攻していたようだ。
「それにしても、殿下は赤ん坊からやり直しでいらっしゃるのに、なぜ私はそのままの身体条件でこちらにトリップしたのでしょう?」
「なぜなんでしょうね……」
「何処の生まれかは内緒だなんて言っていたのに、父上にはすぐ打ち明けたんだな」
マーシャの連れの亮太が拗ねてしまった。
あの金の笏の副作用らしいのだが、地球の英語まで流暢になったのは我ながら驚いた。マーシャは母国語が懐かしいのだろう。英語で色々しゃべりまくったから、言葉が皆目わからない亮太は完全に仲間外れになった恰好で、気分が良くなかった様だ。
「ごめんなさいね、リョウタ。生まれた国の言葉が懐かしくて、つい、しゃべり込んじゃった」
「いや、良いんだ。ちょっと仲間はずれみたいでさ……拗ねちゃっただけだから」
亮太はぞっこんみたいだし、マーシャは亮太を憎からず思ってくれているようだった。ともかくも僕は何の身元証明も保証も無い状態の彼女に、僕の権限で早急に帝国の国籍を与えた。マーシャは大いに感謝してくれたようだった。
マーシャと亮太が帰ってから、僕は離れがたい気分のままにチャスカの部屋で泊まろうとした。すると、チャスカに諭されてしまった。
「新婚の花嫁さんを、一人になさってはいけません」
「分かった。気をつかわせてゴメンよ」
「御正妃様のお気持ちが穏やかでないのは、キリャやお腹の子にも良く無いと思います」
「そうだな。それは確かにそうかも知れない。じやあね、また、昼でも一緒に食べような」
「マーシャさんは、亮太様の良い奥方様になられるでしょうね」
「チャスカもそう思うか」
「はい。賢くて優しい方のようですから」
「ありがとう。チャスカがそう言うんだから、確かだな」
名残惜しい気持ちはそのままに、僕はチャスカを抱きしめてキスすると、チャスカは綺麗な微笑みを浮かべた。今の状況で、こんな笑顔が出来るなんて……凄いと思った。
「妬いてくれないから嫌われているのかな、ってちょっと心配になっちゃったけれど……」
「そんな、私の一番大切な方はグスタフ様です」
「うん。ありがとう」
僕は離れがたい気持ちをねじ伏せて、アンニカの眠る部屋に戻った。