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複雑すぎる僕の家庭事情・3

まずはセルマを観察しに行きます。

 皇帝とその家族の住まう宮殿は黄金宮と呼ばれ、文字通り金ぴかの無駄に豪勢な建物だ。もっとも、皇帝の権威づけとか外国使節に対する虚仮威しとしては必要なのだろう。僕にはバロックだかゴシックだかさっぱりわからないのだが、帝政ロシアの宮殿とヴァチカン宮殿を足して二で割ったような感じかなあ。


 ともかく豪勢だけど、住居としては甚だ不便だ。特に水回りが酷い。トイレはおまるのままで我慢しているが、風呂は僕が色々うるさく注文を出して、日本の風呂場に近いものを作り上げた。それまでは木の樽か大きな瓶に湯を入れてドブンとつかるだけだったのだ。


「おまるの中身を適当にぶちまけるのは、不衛生だよなあ」

 

 街中でも、道路にぶちまける不届きものが多い。僕が即位したら、絶対やめさせたい困った習慣だ。

 僕の住まいでは試みに生石灰を使って庭に掘った穴にぶちまけた排泄物を消毒させたら、うまくいき、土壌の改良剤にもなった。その糞尿処理のおかげで、黄金宮内の果樹園の収量も大幅に伸びるという嬉しいおまけも付いた。生石灰自体、ありふれた石灰石を比較的単純な構造の窯で焼けば得られるものなので、大いに有効だ。


 この世界には公衆衛生って言う概念自体が存在しない。清潔な環境が疫病の蔓延を防ぐと言う事も、大半の人間が理解していない。その重要性を理解できている貴族なんて、皮肉な事に父上の公式愛人であるグラーン侯爵夫人ぐらいのものだ。

 僕が実験的に導入させた生石灰の利用法に着目したグラーン侯爵夫人が、自分の領地で大々的に活用し始め、それが次第に帝国全土に広がりつつある。彼女の影響力は強い。僕の力だけではこうも早く広がらなかっただろう。ちょっと癪に障るが事実だ。


 侯爵夫人の主催するサロンは、様々なジャンルの学者や文化人が集う。そこに出入りできるものは、それだけで一流の文化人と見なされると言って過言ではない。


 僕が直接侯爵夫人と会話をしたのは、ほんの二回ほどだ。

 彼女が六回目の僕の誕生祝に顔を出した時、母上は良い顔をしなかったが、僕はまあ、無難に応対しておいた。その時たまたま、戦場での傷病兵の治癒率を上げるには寝床の清潔さが重要だという話をして、やけに盛り上がった。


「そうですか。きちんと洗って、日に干すか、できれば火熨斗を寝間着やシーツに当てるのですね?」


 僕を真剣に見つめる侯爵夫人は、確かに美しかった。特に目が良い。父上がぞっこんなのも理解できた。母上も『黄金の百合』に例えられる美女だが、侯爵夫人は会話を生き生きと楽しむ事が出来る人で、それが多くの人を惹きつけるのだろう。母上は堂々とした貴婦人だが、肩肘を張った感じがどうしても付きまとう。


「そうです。それだけで実際悪臭やカビなども防げますが、寝ている患者の傷の治りも良くなりますし、褥瘡の発生率もうんと下がるかと思われます」


 長い間、亡くなった亭主殿の介護をした実体験から、僕の言葉に合点がいったようだった。彼女は僕を肉体的には幼いが「賢者」だと評価してくれているらしい。


 つい先ほど父上の居室ですれ違った時も、わざわざ向こうから足を止め、「我が娘をお気に召して頂けるかどうか、母親としましては心配です」などと話しかけてきた。僕に娘を気に入ってほしいと、本気で思っているようだ。だが、セルマという少女は母親の目から見ても、非社交的で口下手でおしゃれには関心が薄く、貴族の令嬢としては読書を好みすぎると言う事らしい。貴族社会では変人扱いされて浮いてしまうのではないかと、心配しているのだ。いや、もうすでに変人扱いらしいが。


 大体がこの国では女子の識字率は男子の半分にも満たず、貴族階級でも女性は、季節のあいさつの手紙やパーティの招待状が書ける程度の学力で十分とされてしまう。いわゆる料理・裁縫・育児以外の技術とも無縁だ。四則演算ですら三桁以上はあやふやなのが普通だ。

 薬学・生物学の範囲となると「魔女の知恵」とか言われてしまいそうだし、土木や工学となると関心を持つ女性自体少ない。貴族の夫人が関わってもどうにか奇異に見られずに済むのは、美術工芸のジャンルぐらいのものか……だが、侯爵夫人はあらゆる事柄を学ぶのに熱心だ。国政に参与する上でも重要だと感じているらしい。

 直接接してみると分かるが、華やかな外見とは裏腹に侯爵夫人は知的好奇心が強く、元来が学究肌の人なのだ。


 さて、そのセルマを密かに観察してやろうと、今日は書庫に出向いたわけだ。

 イヴァルに付き添われて入った秘密の小部屋ののぞき窓から、書庫の閲覧者用のすべてのデスクが見渡せる。僕はセルマの読んでいる本が知りたくて、望遠鏡を使った。将来的には柳腰のほっそり系で、まずまずの美少女って感じの子だ。髪と目はこの国では多数派の茶褐色だ。


「何々……『恋愛論』、それから『アリサとアクセル』、『恋の病の治し方』……」


 たしか『恋愛論』は異国の侯爵夫人か伯爵夫人か忘れたが、女性の立場から恋愛についてのあれこれをまとめた随筆だったと思う。『アリサとアクセル』は互いに聖職者同士の男女の往復書簡集だったか? プラトニックラブの究極の形、みたいな内容だったかな。途中に信仰について、とか、魂について、とか結構堅苦しく論じていて、僕はさほど面白味は感じなかった。ただこの二人が実在の人物で、互いに死ぬまで手紙を交換し続けたって事実は興味深いとは思うが。『恋の病の治し方』は帝国の貴族であった男の性愛に関する実録らしいが、自分の絶倫ぶりを自慢しているような内容で、具体的には複数の女とベッドでどう楽しむかとか、どうすると性的な快感を強く得られるかとか言った話が延々と続く。十一歳の少女が読むにしては刺激的すぎるかもしれない。まあ、その三冊すべてをすでに読破した六歳児って言う時点で、僕もおかしな存在であるわけだが……


 書庫の本は、稀観本・珍本といったものでない限り、爵位持ちの貴族やその家族なら借り出す事が出来る。入り口に座っている係の役人に申し出れば良いのだ。だが、セルマが実際に借りて行ったのは『ダンス入門』と『初歩の乗馬』だった。どちらも図版入りの実用書の類だ。先ほどの三冊は本棚に戻してしまった。興味はあっても借り出すのはためらわれた……そう見るべきだろうか?

 僕のテレパシーの力はさほど強くはない。歳と共に増幅している実感は有るが、今の所は面と向かって至近距離で接しないと、相手の心理は読み取れない。観察しただけで、じれったく感じた所為だろう。セルマの心情なり感情なりを、もっと知りたくなった。

 特に書庫を出て行く時、セルマがやけに大きなため息をついたのが、強く印象に残った。


「イヴァルはあの子をどう見る?」

「以前、メイドや庭番と話しているところを見ましたが、『姫様』と呼ばれるのを嫌がっているようでした。自分は元来平民だから……と言ってましたね。今は皆、お嬢様と呼ぶ事にしたようです。母親の立場にその……」

「釈然としないものを感じているのだな。相手は皇帝とはいえ、愛人だから……娘としては複雑か」

「はあ。仰せのとおりかと」


 僕はますます、セルマという女の子に興味が湧いた。


 

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