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僕の微妙な感情・1

「殿下、一大事です。今朝ほど皇帝陛下が御倒れになりました」


 トリアの港にユリエ号が入港すると、水先案内人と帝国の入国管理官・検疫官を乗せた小舟が近づいてきたのは想定内だったが、皆、見覚えのある男たちで、僕の顔を見ると一刻も早く小舟に乗り移り、桟橋で待つ近衛兵達と一緒に取り急ぎ父上のもとに向かうように促した。


「後の事はヨハン・ベルワルドに任せる。レーゼイ家にも船が到着した知らせを入れておいてくれ」


 僕は気が重かった。死に目には会える、とは聞いていたがいきなりだものなあ。モナにも知らせないと、と思ったとたんに、モナの意識と繋がった感じがした。神の鏡で金の笏を手に入れた事と関係しているのか、鏡無しでコンタクトが取れるようになったらしい。


(モナ、父上が倒れた。会いに来るか?)

(寿命が尽きる寸前だからな。無事に帰ったか。早く、アンニカを迎えて子を作れよ)

(父上に万が一のことが有れば、それどころじゃないって)

(そうなのか? じゃあ、嫁入りが済んでから、葬式なら構わんのか?)

(は? 良く意味が分からんのだが)


 本当にその時は意味が分からなかったのだが、その後嫌と言う程理解させられた。


 僕が父上の部屋に飛び込むと、父上はタイミングを合わせたように目を開けられた。


「おお、戻ったか、グスタフ……」

「はい。おかげさまで無事に戻りました」

「慌ただしい話だが……早くスコウホイのアンニカを正妃とするのだ……死ぬ前に……一目見ておきたい……イヴァル……急ぎ、婚礼の支度を」

 イヴァル・ケニングは恭しく頭を下げ返事をした。

「承りました。今から、早速でございましょうか?」

「そうだ……急げ」

「父上!」


 僕はゼイゼイ苦しげな息遣いの父上の手を握り締め、意識を探った。父上は僕が手を握れば意識を通わせてテレパシーで会話できることを御存知の、数少ない人間の一人だ。


(なぜ、さほど急がれますか?)

(モナの夢を見た。もう寿命が尽きる寸前だと知らされた。アンニカを迎えれば、お前の治世に大きな力となると、以前から知らされていたのでな。本人が身一つで来ても、すぐに式が挙げられる用意がしてあるはずだ。死ぬ前に一目、お前の正妃となったアンニカを見ておきたい。だから、急げ)

(披露は後日でも、式だけでも挙げる、そういう事でしょうか?)

(細かい事はイヴァルと決めろ。ともかくお前の妻となったアンニカを、早く見たい。それだけだ)


 それだけ僕に伝え終わると、父上はすっと眠りに入った。呼吸は穏やかだった。僕も急ぎ部屋を出て、イヴァルがいると言う御前会議のメンバーが集まった部屋に入った。

 皆、僕の無事の帰還を本気で喜んでくれたが、父上の強い御希望で急ぎ婚儀を執り行う件についての実務的な話をすぐに始めた。


「殿下は下船なさって馬で駆けつけられたのですね。お疲れでしょう。幾つかの決裁頂くべき事項だけに話を絞りますので……」


 イヴァルはそう言うと、すでに出来上がっている招待客のリストを渡し、どうするか僕に最終決定してほしいと言った。特に神聖教会とミッケリの招待客が問題なのだ。


「細かい事実関係は明日にでも皆に報告するつもりだが、新大陸で様々な事が有った。幸い流血惨事も戦闘も発生しなかったが、新大陸における権益や、かの大陸で古い伝統を持つ国々といかに付き合っていくかについて、ある程度意見の交換、可能なら擦り合わせもしたい。従って神聖教会とミッケリに関しては、新大陸の権益をどう扱うかに関して決定しうる権限を持つ人物が望ましい。そのあたりを招待状には反映させてくれ」


 僕は西海岸にテツココの高官とミズホの協力を得てグスタフ港を開いた事、金の笏を得た事、ロカとピニャをアイリュの皇帝から託された事、チャスカがワルパの王族であると認定され、強制移住させられていた親類たちも皆、故地に無事帰還した事、東海岸にフレゼリク港を作っている事、まだ残っている探検隊員は引き続き活動を続けている事、などを搔い摘んで伝えた。


 帝国での挙式に間に合う者だけが列席してくれれば十分だと言う内容の連絡が、各国大使に急ぎ届けられた。トリア駐在の帝国と付き合いのある三十五か国全ての大使が兎も角も出席する、と返事をした。大半の国が元首クラスの者が間に合うかどうかはわからないが、可能な限り本国と取り急ぎ連絡を取る、とも伝えて来た。神聖教会は挙式を取り仕切るトリア大司教に加え、枢機卿の一人を列席させると返事を寄越し、ミッケリは三元老の一人を寄越すとの返事だった。

 この御前会議のメンバーとの相談の時点で、アンニカは既にスコウホイ領を出発していたらしい。


 上を下への大騒ぎと言う感じだったが、僕が帰国して僅か三日の内に準備がすべてが整った。恐るべき早業だが、アンニカの輿入れに関しては相当以前から各方面の人間が用意していたのだろう。

 婚礼の前日に僕は三十三歳になった。外国の賓客も締切直前まで列席希望者が増え続け、そのリストアップと警備の目配りだけでも大仕事なので、誕生祝は無用と各方面の人間に言い渡してあったのだが……チャスカがひっそり祝ってくれた。心づくしの料理が並び、家庭的な雰囲気だった。二人きりの誕生祝も悪くは無いと感じる。


「まだ、医者には分からないと言われましたが、モナ様は間違いなく子が出来たと教えて下さいました」

 僕は帰国してから、あの鏡をチャスカに渡した。僕はもう鏡の必要は無いし、僕以外で鏡を使えるのはチャスカだけだからだが、アンニカの輿入れが有れば、チャスカはどうしたって色々な影響をこうむる。チャスカを気に入っているらしいモナが何らかの力添えをしてくれると有りがたいとも考えたのだ。


(モナ、今度のチャスカの子は男か女か)

(おそらく男だ。嫁になる子も生まれるはずだし、楽しみだのう)

(アンニカも子を産んだ方が良いのか?)

(そうだ。同じ年の内が良い)


 僕はヨハンとコルネリアに、チャスカの世話を頼む事にした。

 既に新大陸の未成年組の面倒見は依頼してある。チャスカにとって、故郷の言葉で会話が出来る人間が身近に複数いた方が、気分が楽だろうと考えたからだ。費用は無論僕が持つにしても、探検隊の結成以来、いや、新大陸の渡航計画が話題に上ったころからずっと、ヨハン夫妻は計画立案にも関わっており、非常に頼りになる仲間だった。そしてヤタガラスは僕が頼まなくても自分の末裔であるチャスカを護る気は十分だし、力になってくれるだろう。

 正三郎の所は、留守中に妻が初めての子を出産していた。息子だ。チャスカとの意思疎通は帝国の公用語だが、ヤタガラスが正三郎の妻に懐いているし、帝国以外の生まれで子を産んだ先輩でもあるから、正三郎には夫婦でヨハン夫妻を補佐してやってほしいと依頼してある。


「しばらく、お別れですが、子が無事に産まれたら……またここに戻って来て宜しいですか?」

「もちろんだ。待っているよ」

「アン二カ様への御挨拶は……どのようにすれば、宜しいでしょうか」

「事前に僕に連絡をしてくれ。モナとヤタガラスが会った方が良いと言えば、それでもかまわない気がするんだが……アンニカの周りの人間が、どう言うか」

「セルマ様へは、どういえば」

「僕から連絡はしておく。もしかしてセルマに会うなら、必ずルイサやコルネリアと一緒の時にしなさい。セルマも母親の侯爵夫人の看病が有って、あまり女子修道院から外に出ないとは思うんだけどな」


 セルマは貴族だし側妃だ。挙式に列席する資格は有るが、介護を理由に欠席すると伝えて来た。セルマの産んだ子供らは無論成人して独立もしたのだから、母親とは関係無しに自分の判断で出席するだろう。だが、チャスカは、まだ、貴族の位を持っていない。だから出席は最初から認められないのだ。チャスカの叙爵は僕が皇帝なら、思いついた時にいつでもすぐに行えるが、皇太子の場合はそうはいかない。恐らく、二人目の子を産んでから、と言う事になるのだろう。


「もっと早く、チャスカの身分を引き上げて置きたかったがなあ」

「皆さまが力を貸してくださいますから、私は大丈夫です」


 探検隊員に加わった学者や貴族の子弟は、チャスカに親近感と仲間意識を持つようになっている。ほぼ一年間の共同生活の賜物だ。チャスカはグチもこぼさず、懸命に皆をサポートしたから、当然だろう。


「急ぎの用事はヤタガラスかモナ経由で僕に伝えてくれればよい。分からないことは、ヨハンでもコルネリアでも正三郎たちでも、聞いてみてごらん。後は……」


 チャスカの目が、ちょっと潤んだ。僕に当分会えそうもないのが寂しいらしい。可愛そうに。アンニカに対する恨みがましい気持ちがかけらも無いだけに、僕の胸は痛んだ。


「ヨハンの邸に居る間も、月に一度は、絶対に会いに行くから。キリャを頼むよ。元気な子を産んで無事にこの部屋に戻っておいで……さあ、しばらく一緒の風呂は無理だから、ゆっくり入ろうか」


 チャスカの洗い方はユリエの仕込みだが、細かな手順は多少違ったりする。それにユリエは僕が体を洗うのをめったに許さなかったが、チャスカは変に構えた所が無くて、自然体だ。可愛い喘ぎ声を聞くのがやっぱり僕としては、楽しかったりする。ユリエも僕ともっと年齢が近かったら、また違ったのだろう。ユリエは自ら僕とのこうした関係を断ち切ったが、チャスカはどうなるのだろう? 皺が出来ようが、白髪だらけになろうが、風呂ぐらい一緒に入ってもいいのにと僕は思っている。 


「チャスカがお婆ちゃんになっても、時々風呂ぐらいは一緒に入りたいもんだ」

「シワシワの、よぼよぼでもですか?」

「それでも、チャスカはチャスカだからな」

「その方がグスタフ様は嬉しいのですか?」

「うん。お婆さんになっても、チャスカが僕を嫌じゃなければ、そうしてほしい」

 僕は体を洗いながら、色々と悪戯もした。

「お婆さんだと、こういう事は……無しですよね」

「うん。さすがにやめる」

「……なら、たぶん、大丈夫です」

「ありがとう。でも、今のチャスカは若いから、こんな事をしても構わないだろ? うむ。胸も段々育ってきたし、良い感じだ」

 真っ赤になって悶え、歔くような喘ぎが口の端から噴きこぼれ、少女めいた愛らしい顔が悩ましげな女の顔に変貌する様子を、僕は目に焼き付けた。しばらく見納めだろうから。

 ベッドでは手短かに事を終わらせ、互いの手を握って眠った。夜が明けて慌ただしく朝食が済むと、チャスカはヨハンの邸に向かった。僕は正午きっかりに執り行われる結婚式の支度で、慌ただしい時間を過ごした。


「花嫁の支度が完了しました」

 イヴァルがそう伝えて来たので、僕は礼服姿でアンニカと両親に挨拶に行った。

「殿下!」

 久しぶりのクヌートは、ハゲと肥満がかなり進行していた。それでも紫の目に浮かぶ人懐っこい表情は変わらないが。妻のウルリカも昔の妖精のような美少女から、ドッシリした奥方様になっていた。それでもやっぱり美人ではあったが。


「クヌート、ウルリカ、お久しぶり」

「殿下は、本当にお若いままですね」

 花嫁の両親に驚かれたが、実年齢は僕だっていいオヤジなわけで、妙に気恥しい。アンニカは真っ白いベールで顔を隠している。

「いい加減、落ち着いてもよさそうだけど、いつまでも進歩が無いのかもな。あのちっちゃかったアンニカが花嫁なんだものなあ。感無量だよ」

「殿下、花婿と言うより、親戚の叔父さんみたいですな」

 クヌートは苦笑している。

「まあ、実年齢がそんなもんだからなあ」

「でも、本当にお若いままで。羨ましいですわ」

 ウルリカは自分が「おばあちゃん」になりつつあるのを、しきりに気にしていた。モナの言う通りなら名実ともに、今年中にウルリカにも孫が出来るはずだが……

「じゃあね。アンニカ。またあとで」

 ベールのままアンニカは、深すぎず浅すぎない完璧な礼をした。


 顔合わせの儀式が宮殿内の礼拝所で行われると、僕の手で花嫁のベールを上げた。これから二人で馬車に乗り、トリア大聖堂に向かうのだ。亡きアネッテと僕の婚礼は互いに十四歳の時だった。相手が違うと、同じ儀式も印象は随分と違う。考えてみれば、僕自身もオッサンだから、違って当然か。あの小さかったアンニカが僕の妻になるなんて、改めて感無量だ。


「よろしく、僕の奥さん」

「はい」


 微笑んだ顔はかつてのウルリカに似ていなくもないが、もっと強い印象を与える。そうだな。目力の違い、だろうか。妖精を思わせる繊細な顔立ちなのに、どことなく偉大な祖父・エリク・ベルワルドと似た雰囲気が漂っている。そして、端正で堂々とした美しいオーラが感じられる。確かにこの子は皇后に相応しいのだろう。まだ十五歳なのに、大したものだ。


 八頭立ての屋根無しの馬車に乗り人々の歓呼の声にこたえて辿り着いた大聖堂での最後の儀式が終わると、僕らは誓いのキスをした。そのキスが終わった瞬間、ドッと歓声が沸き起こり、皆が一斉に拍手した。こんな事は僕も初めてだ。僕らは皆に手を振り、熱狂的な祝福の声に応えた。


「初めての夫婦そろっての共同作業は、上手くいったみたいだね」

「ええ。ちょっとびっくりしました」

「僕も、おどろいたよ」


 びっくりしたと言っても、全然動じていない。うむ。ますます皇后向きなんだなと、僕は納得した。


誤字一部訂正しました。見落としがあると思います。お知らせ下さったら、大変ありがたいです。

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