僕の大航海・8
シンチ・ワイナは南方の都・ハトゥンカカの超保守派を完全に抑え込むまで、僕に居て欲しそうだったが、僕も父上の事が気がかりだ。来月にはどうしたって、懐かしいトリアに向けて出発したい。
ハトゥンカカとは大岩を指す言葉のようだが、何でも大昔、美しい月の女神が大岩に降り立ち、皇帝の妻になったという伝説が有るらしい。現王朝はその直系子孫を名乗っている事情もあって、そのハトゥンカカの月の大神殿を手厚く保護してきたらしい。
「皇帝と皇太子以外の男は内部に入ることを禁じられています」
「ふーん。大神官も女なの?」
「はい。大抵は皇帝の未婚の姫が務め、次代は未婚の皇族の姫から神力の強い者が選ばれてなります」
「今の大神官も、次の跡継ぎも親類とか、従姉妹とか姉妹とかだったりする?」
「今の大神官は私の大叔母で、跡継ぎは私の腹違いの姉です」
ここでシンチ・ワイナがげっそりした顔つきになった。
「何がそんなに厄介なんだ?」
「歴代のコヤの御体が、月の神殿に安置されておりまして……」
「皇帝同様、利権を握り込んでいる連中が居るって訳?」
「はい。実は……」
歴代皇后のミイラたちは個別に御殿を持っている訳じゃなく、ズラッとその月の大神殿に並んでいる状況らしい。一応建前上、この国じゃ皇帝は『生ける太陽の神』で、皇后は『生ける月の女神』らしい。従ってそのミイラも神聖、そういう事みたいだ。
聞いただけで鬱陶しいが、確かにシンチ・ワイナではミイラを放り出せないだろう。自分でやると、月の女神の祟りを受けそうで怖いって事らしい。どうやら皇帝の御霊より怖いと認識されていたようなのだ。僕を男子禁制の聖域に連れて行くので、ミイラをぶっ壊せって事みたいだ。月の神殿の全部の利権を毟り取るのは無理にしても、歴代の皇后の分として握り込まれていた領地と人員は自分の所に欲しいらしい。
「母上も、祀られてるんじゃないの?」
「ちゃんと白い布にくるみ、神域の土に戻しますから、良いのです」
何でも生前のシンチ・ワイナの母親はそうするべきだと考えていたらしい。
「じゃあ、母上の生前の考え通りにするから、構わないと言う事なんだね」
月の大神殿の大神官が厄介な人物で、面と向かって対決すると呪いをかけられそうで怖いらしい。その影響力を弱める為にシンチ・ワイナは北の都・リャンカで暮らしている、と言う事情もあるようだ。呪われなくったって、ミイラをバックに無駄にオーラを振りまいている婆ちゃんに睨まれるのは気分が悪そうだ。
これも乗りかかった船か。結局全行程十日前後を裂いて、月の神殿の問題処理にあたった。猛烈に気の強そうな大神官の婆ちゃんが金の笏に触れて、もんどりうって悲鳴を上げた後、うんとおとなしくなっちゃったのは可笑しかったが、ミイラのカラカラ壊れる様子は、気分良くないもんだ。
お礼にと貰った大神殿の秘宝が、巨大なエメラルドを十個も乗っけた銀色の冠だった。てっきり銀だと思っていたが、帝国に戻って分析させたら、なんとプラチナだった。というおまけが有った。
「月の大神殿の巫女百人はお好きになさって下さい」
なんて、また言われちゃったが、確かに綺麗なお姉さんが五十人ほど。後は織物に関して特殊技能が有る年かさの女性だ。僕はチャスカとヤガー君を立ち会わせて、全員と個別に面接し、進路希望や家族の状況について聞き取り調査をした。
大神官の婆ちゃんに、終生仕えたいと言う希望者五人以外は、全員原則出身地や家族の所に戻るのが希望だったみたいだ。たまたま、東の新しい港の周辺の出身者に四十代のアルパカの織物の名人のオバサンが居たので、故郷で工房を作らせる事にする。
神殿に捧げるために磨いてきた技量を、これからは外貨獲得のために使ってもらおうと言う訳だ。オバサンが面白そうな事を始めると言うので、弟子分の女の子も三十人ほどついてくる事になった。このオバサンはなかなかに良い人材だったかもしれない。弟子の少女達は全員適齢期だから、築港にあたる男たちで自由民にする予定の連中と結婚したらどうか、なんて事も考える。まあ、そのあたりは本人同士に任せて、僕がそこまでお節介を焼くのは止めるが。
「誰も、閨には召しませんので?」
シンチ・ワイナはやっぱりそういう発想だったみたいだ。歴代皇帝は美人ぞろいの月の大神殿の巫女から、気に入った女を自分の侍女やら側室やらにしちゃう場合も珍しく無かったらしい。
「チャスカが居るし、他の探検隊員は奥さんや恋人と離れて仕事をしているんで、とてもそんな気持ちにならない」と僕が言うと、非常に不思議そうだった。
「船の都合も有るから、悪いが来月の頭に戻るんだが、ロカ皇子はどうしようか?」
「どうぞ、お連れ下さい。あれは父親の私よりパカヤカシックを慕っております。それに御国はあまたの知恵者が集う大国だそうですから、あれの知恵も豊かになりましょうから」
ロカ皇子の皇太子としての立場は確定らしい。ピニャ皇子本人は母親と大人しく暮らすことを条件に、他の庶子たちと同列の扱いに格下げみたいだ。
「そのピニャ皇子にも会っておきたいな」
優れた皇子だと言う噂も聞こえてくるので、僕は気になっていた。まだ七歳だと言うが、会ってみると、なかなかにしっかりした少年だと感じた。チャスカとキリャも同席させたのだが、キリャが初対面のピニャ皇子に向ってしきりに何か訴えているので、僕が抱き上げてみると、ピニャ皇子が気に入ったみたいだ。
「この子は僕の娘なんだが、抱っこしてやってくれるか?」
ピニャ皇子には同腹の弟や妹が四人居るせいだろうか、なかなか抱っこが様になっている。キリャの婿はこの子かな?
「大層可愛らしい姫ですね」
ピニャ皇子の方も、まんざらでもなさそうだ。僕の機嫌を取ってるとか言うあざとさは全く感じられない。本当に可愛いと思っている様だ。確かにキリャは凄い可愛いが。
「ロカは僕らと一緒に、海を渡って、学問する気らしいが、君はどうしたい?」
「私は、罪人の孫ですので……」
「君のお祖父さんの件と、君自身の将来は、まったく切り離して考えてくれていいんだよ。希望が有るなら言ってごらん。君の父上に話は通すし、必要なら説得もする」
本当は古臭い因習にまみれた土地から抜け出して、海の向こうで自分の力でやってみたい。そんな希望が強いようだった。
「私もロカのようにパカヤカシックの御国に、行ってみたいです。そして色々な事を見て聞いて、学びたい。でも、父上、いや皇帝陛下はそれを許して下さらないでしょう」
僕の行為の所為で、ピニャ皇子がとばっちりを食らったことでもあり、僕はシンチ・ワイナを説得した。シンチ・ワイナよりピニャのお袋さんの方が、実は厄介だったみたいだが、男の僕が皇帝の後宮にも行けないので、チャスカがキリャをつれて訪問し、説得にあたったようだ。
「キリャを連れて行って、助かりました。ピニャ皇子御本人が、グスタフ様のお供をして海を越えたいと言う希望なのだと納得して貰いました」
赤ん坊のキリャが居た事で、場が和み、ピニャの弟や妹とも話が出来たらしい。
「ともかくも、足元をしっかり固めなさいよ。内輪もめは厳禁だからね。財政的にもしばらくは税を免除して、民心を掌握するんだよ。まあがんばれ」
律儀にまだ建設途中の東の港まで見送りに来たシンチ・ワイナに、僕は忠告をした。
「それはそうと、この新しくできる大きな港は、どのような名がつくのですか?」
「そうだなあ。西の港がグスタフ港だから、こっちはフレゼリク港にしよう。僕の父の名であり跡取り息子の名だ」
そのフレゼリク港はその後、順調に国際貿易港として発展して行くが、この時はまだ、やっと桟橋が一つできたきりだった。僕ら家族三人とアイリュのロカとピニャ、正三郎以下第一次帰国分の探検隊員十五名、オヌンダガオノのワサハクとイシュカレの息子のチャノガ、乳母やら二人の皇子の召使いやらが十五名、総勢三十七名でレーゼイ商会所属の船、ユリエ号に乗り込んだ。
複雑な気分になる名前だが、まだまだ元気な家康師匠は最新型の大型帆船に自分の娘の名前を付けているそうだ。ナタリエ号と言う船はユリエ号と同レベルの最新型らしい。知らなかった。
「お久しぶりでございます」
挨拶に来た船長以下四人の男は見知った人物だった。
「おお、ハルドル船長じゃないか」
随分と前の話になるが、ヨハンを連れ戻して神聖教会の大本山から逃げる途中で、僕に協力してくれたあの、ハルドル船長だ。家康師匠に頼み込んで大型の帆船に幾度も乗り込んで操縦を学び、北の小さな船の船長からめでたく大型船の船長に転身したらしい。
「どうも、その、商船学校なんていうのは苦手ですんで。実地で叩き込む方が性に合ってました。ですが、卒業生の連中は、若いのになかなか大したもんです」
トリアの商船学校の卒業生が三人、この船で働いているそうだ。たたき上げの老人と三人の若者はなかなかに良いチームのようで、安心して長い航海を任せられる。
モタ隊長はその後、人生の大半をアイリュ帝国とテツココ王国で過ごし、多くの学校を作ったのだったが、僕はそこまで彼が新しい大陸での仕事に夢中になるとは、まだこのころは思ってもみなかった。モタ修道士の人柄を慕って、多くの若い修道士が集まり、新しく大きな修道士会が出来た。国や民族の壁を越えて、全ての人間が尊重されるべき存在であり、その為に日夜活動するのが正しい神への道であると言うのは実にユニークな会則だった。そして僕などの思いもよらなかった事だが、死後モタ隊長は正式に神聖教会の聖者とされた。
ヤガー君は修道士にはならず、僕の元で大いに働いた。帝国の貴族となったが、モタ修道士との深い信頼関係は終生変わる事が無かった。
新しい大陸は僕が恐れていたような徹底的な文化の破壊も、民族の殲滅も免れたのだった。だがその為には僕自身の帝国での治世が多いに影響しているのだったが、それはまたおいおい話す事になるだろう。
ユリエ号の船室に入ってようやく、僕とチャスカの二人きりになれた。考えてみれば丸一年近く、男女の事が一切無いままに、僕らは忙しく過ごしていたのだった。僕は隊員たちと隣り合わせのスペースで寝ていたし、チャスカは女だけで固まった一角で寝ていた。
船の中では未成年の男子達の部屋は一つだった。室長は一番年長で、一番しっかりしているヤガー君が務めた。さして広くも無い部屋でトリアに到着するまで共同生活を続けるうちに、ワサハク・チャノガ・ロカ皇子・ピニャ皇子は自然になじむことが出来たのだった。
「久しぶりだねえ」
「本当に、そうですね」
「チャスカの言葉が流暢になってから、初めてだね」
僕は、帰国したら待っているであろうあれこれを話題にするのはやめようと決めた。
「御帰国なさったら、また、お忙しいでしょうね」
「うん。そうだね。でも船に乗って居る間は、のんびり出来るよ。嵐なんかに出くわさなければ良いけどな」
約一か月の間、僕とチャスカは旅の若い貴族の夫婦のような暮らしぶりだった。波が荒く、丸一日船室からほとんど出ない様な日も幾日か有ったわけだが、そんな日は長い親密な昼寝で丸一日をつぶした。
「チャスカはとても優秀な生徒だね。いや、驚いた」
僕が豊かな黒髪を手に巻きつけ、口づけをあらゆる部分に降らせてやりながらそうささやくと、体中をピンク色に火照らせて照れる。僕の与える刺激に対する反応は旅に出る以前より複雑になり、鋭敏になり、深いものになった。時間の許す限り寄り添って眠り、互いの肌の匂いが一つになって、夢の中でも感じられるほどだった。
激しい波に揺られていても気にならなかった。船員たちの動きは統制がとれていたし、船長は落ち着き払っていたから、船が予定通りの航路をちゃんと進んでいるのは確かだった。
一度、アフリカに相当する謎の多い大陸が見える小島に寄港した。ここは神聖教会に常に忠実な立場を取って来たレイリア王国の商人たちが開いた港だ。
レイリア王国は温暖ではあるが土地は痩せていて食物自給を十分行える状態では無く、早くから漁業と交易で生計を立てる者が多かった。国土面積自体も帝国の十分の一程度も無い小国だが、従来は香辛料や塩の取引でかなりの利益を生みだしていた。
ただ近年は国民の識字率が低い所為もあるのかして、農業や軍の近代化が全く上手く行っていない。国全体の経済規模は交易の取引分を加えても、帝国内のスコウホイ公爵領を下回る程度だろう。レイリア商人の商売を傾かせたのは、トリアの市場だと言われている。ミズホや他の東方の諸国の商人が、レイリア商人の手を通さずに直接に帝国に商品を持ちこむようになったからだ。
トリアの港を整備した僕なんかは、この島のレイリア商人たちからすれば憎い商売敵だろうが、港の使用料金をちゃんと支払ったおかげだろうか。ユリエ号は難癖はつけられなかった。一応、レーゼイ商会ミッケリ支店所属の船だからだろうか。
丸一日、僕らも子供らも南の島でのんびりした休日を楽しんだ。名産のオレンジ類に新鮮な魚介類、島の牧場で飼われている美味い牛の肉、バナナ、マンゴー、そしてコーヒー。全部美味い。たらふく食うだけ食って、また、僕とチャスカはやりたい放題で自堕落な昼寝の時間を続けた。
「あと、十日ほどでトリアなのですね」
「そうだな」
「そろそろ、お輿入れなのでしょうか、アン二カ様の」
「うん。多分な。ゴメン」
「ずっと前から、お輿入れは決まっていたと色々な方から伺っています」
「それはそうなんだが、でも、ごめんよ」
「……子供が……また出来たような気がします」
「そうか。それは嬉しいな」
「喜んでくださいますか?」
「当たり前だ。帰国したらすぐに医者に見せないとな」
トリアについたら、きっと目の回るような忙しさだ。それだけはハッキリしている。