僕の大航海・5
「ほれ、これを持って行け」
チャスカとキリャの入ったカプセルの前で、問題の金の笏を渡された。よくわかんないが、イギリス王室のアフリカの星って呼ばれるデカいダイヤを嵌めこんだ物と、サイズ的に似通っている。長さは1メートル弱で、嵌っている宝石類が呆れるほど超豪華だ。
「何だよ、これ、結構重い。軽く1キロは有るなあ。持って歩くのは面倒だな」
「うんと小さくも出来るから、こうやって首にかけておくのはどうじゃ?」
「アクセサリーの類は面倒で好かん」
「まあ、そう言うな」
それにしても、どこの技術なんだろうか? 1メートル弱の金ぴかの笏が、手のひらサイズになってチェーン付きのペンダントに化けたかと思えば、更に小さくなって、親指の頭ぐらいの大きさのイヤークリップ、さらにはリングに化けるのだ。だが、サイズダウンした割に重さは変化が少ないような気がする。一日中くっつけていたりしたら、肩が凝りそうだ。鬱陶しい。
「うっかり落としそうだな、硫黄の入った温泉とか落とすと変色するか壊れるかしそうだし」
「なになに、大丈夫さ。この笏の方で個体識別して、グスタフから離れないからな」
「何だよ、それ、気持ち悪いな」
「一種のタグなんじゃよ。つけておいてくれると、お前やお前の家族の安全は保障されるんじゃから、な?」
「はいはい。どうせ僕は『神』と称する誰かの実験動物みたいなもんなんだろうよ」
「……神の加護とか、恩寵とか、思わんか」
「生憎、二十一世紀の日本人だったものでね、そう言う発想は馴染まないよ。で、爺さん自身も一種のホログラムとかアンドロイドだったりしたら、笑うけどな」
「わしはわし自身が何者かという疑問を、解明すること自体禁じられている」
「あんまり突っつくなって?」
「そうしておいて欲しいもんじゃ。次回はお前さんが即位後、必要に応じていつでも会えるぞ」
「ふーん。まあ、いいか。僕も思いの外たくさんの人間の運命を左右するような立場に立たされちゃったわけだし、責任を果たさないと、人として不味いとは思ってる。でもまあ、誰かに代わって欲しいよ。正直な話」
「不老不死の皇帝は、望みではないか」
「全く望まないな。適切な後任者が出現したら、喜んで交代するよ。ああ、でも、僕の子供らが酷い目にあわずに済むようには、手を打っておきたいけどね」
爺さんは困ったらしい。かなりの時間、無言で部屋をのろのろ歩き回っていた。もしかして予想外の僕の反応で、一時的にシステムに異常をきたしたのか?
このキリャとチャスカの入れられたカプセルは、何千年、何万年後の人類、あるいは地球外の極めて高度な知的生命体の高度な文明によって作り出されたものかもしれない。そんな気がする。
「神ねえ。ピンとこないや」
爺さんは僕のつぶやきには反応しないで、二人をカプセルから外に出した。キリャは眠ってるし、チャスカは眠そうだ。
「なあ、変な副作用出ないだろうな? 精神崩壊とか」
「それは無い。大丈夫じゃ。眠気が取れたら、頭もスッキリするはずじゃよ」
「……わかった」
「その笏、身に付けておけ」
「はいはい。そうします」
僕は幾度か爺さんの前で、笏の形の変形と、装着の練習をさせられた。
「うっかり忘れると、どうなるんだ?」
「笏の強烈な波動で、うっかり触れた者が精神に異常をきたす場合も有る。大抵は軽い痛み程度だろうがな。この笏はグスタフ以外の物が触れることを、拒むんじゃ」
「ふーん。そういう風に個体識別の変なシステムが出来てるのか」
僕の言葉に対するリアクションは何も無かった。そしてまた、爺さんはスッと消えてしまった。
気が付くと、もう、船頭との約束の時間が近い。僕らは丸い岩の外に出て、持ってきた水を飲み、トウモロコシのパンや果物や干し魚を食べて船を待った。チャスカは眠いうえに舌がもつれる様な感じがするみたいで、上手く言葉が出ない状態らしい。
船が無事に迎えに来て、皆の待つ岸辺についた。僕が金の笏を出して見せると、皆一斉に拍手喝采と言う感じだった。ヤタガラスが面白半分に笏に触って、悲鳴を上げて転げまわった。
「ああ、これは僕専用の笏だから、誰か別の物が触ると、強烈な波動で痛みを感じたり、酷い場合は精神に異常をきたしたりするらしい。一種の危険物だから、くれぐれも触れないでくれよ」
「魂消たぞ。手が焼け焦げたかと、おもうた」
その様子を見れば、触ろうとする者は出ないだろうと思われた。
「笏はそれで良しとして、ヤタガラス、客って、誰だった?」
「この子じゃ。何やらとんでもない面倒な生まれの子の様じゃが」
ヤタガラスはじっとこちらを見つめている、一人の幼い男の子を指さした。
朝の内に岸辺に戻ったヤタガラスが、日当たりの良い葦の原っぱで葉をなぎ倒して、その上で寝転がるうち、奇妙な夢を見たそうだ。
「見た事も無い風変りな形の石の大きな建物から、幼子を抱きかかえた女が階段を駆け下りて来るんじゃ。その周りを幾人かの男が守っておるが、石つぶてでやられる者、重りの付いた縄のようなものに足を取られて倒れるもの等々あらかたやられてしまうのじゃ。それでも幼子と女はどうやら逃げ延びたようじゃ。じゃが、女はその子を抱きかかえたまま、息絶えたらしい。その子は震えて女のそばを離れると、とぼとぼ歩きはじめたが、力尽きた。夢はそこで終わったな。恐らくその子が客人なんじゃろうと思って、探したら、この子が岸辺の葦の中に倒れとった」
僕が手招きすると、五歳前後と思われるその子はトボトボとやってきて、素直に僕に抱かれた。
上質の象牙を思わせる様な肌の色で、その賢そうに光る黒い目が印象的だ。真っ直ぐな艶の良い黒髪を肩の少し下ぐらいまで伸ばして、三つ編みにして後ろに垂らしている。大きなピアスと言うのか耳飾りも金製だ。胸飾りも金と翡翠を使ったかなりでかいものだ。色々いわくありげな家庭環境の子だろう。
「僕はグスタフと言うのだが、君の名前は?」
頭の中に浮かんだ言葉は僕にとって未知の言語だったが、何のためらいもなく口から出た。爺さんの所為か笏の所為か、僕の能力が増強された所為だろう。子供はホッとした顔つきになり「ロカ」と答えた。恐らく寛大を意味する名前だろう。
「そうか、ロカか。良い名前だ。君は由緒ある家の子供だと思うが父上の名は?」
「シンチ・ワイナです」
その名前を聞いた探検隊員の間に、どよめきが起きた。アイリュ帝国の若き暴虐の皇帝の名前だからだ。
ロカはその反応にびっくりしたらしい。
「僕たちでもシンチ・ワイナの名前だけは知っている。有名だからな。だが、その皇子のロカが、なぜこんな所まで来たのかな? 誰かに狙われていたのかな?」
「パヤチャは私がコヤの子だから、悪者には邪魔なのだと言いました。そしてクイコチャに行けば黄金の髪のパカヤカシックに助けて頂けると言いました」
クイコチャは、どうやらこの湖を指すらしい。ヤガー君に聞くと、アイリュ帝国ではこの天の鏡の事をそう呼ぶとか。神の湖、と言う程の意味のようだ。パヤチャは途中で絶命した忠義な婆やらしい。
「コヤって……」
「帝国で言う、皇后陛下です」
チャスカの言葉が、急に明瞭になって、僕は魂消た。ああでも、僕もアイリュの言葉が急にわかるようになったみたいだから、驚くことは無いのか。
ロカはアイリュの皇帝シンチ・ワイナの唯一の嫡出の男児、そう言う事らしい。他に庶兄やら庶弟やらウジャウジャいるらしいが、ロカが知っているのは五人ほどのようだ。
「ロカ皇子の母君は、御出産の折に亡くなられたと聞いています」
言葉自体は僕もチャスカも不自由は無くなったが、政治的な背景や知識となると、まだまだヤガー君の助けが必要だ。
ヤガー君の解説では、近親結婚が当たり前のアイリュでは、ロカの母親は当然のようにシンチ・ワイナの妹だった。ロカの母親の死後、すぐに別の妹がコヤ、つまり皇后になったが、子を産んでいないようだ。幾人もの子を産んだ寵愛されている側室などが、複数いるらしい。それぞれ出身地域の派閥を背負って、権力闘争に励んでいる模様だ。
「なんじゃ、そりゃ。遠征なんぞしている場合じゃないだろうが」
「そうですよね。殿下のような細やかな配慮をなさる方からすれば、信じられない行き当たりばったりな統治であり遠征でもあるわけでして、アイリュ帝国は崩壊が近いと見る向きも少なくありません」
「ミッケリの連中が来なくても、自滅していたかもなあ」
「でしょうねえ。ですが、僅かなミッケリの兵に大敗北したことで、弾みはついたでしょうねえ」
「そこでグスタフが、嫡出の皇子を擁して、ダメダメな皇帝に肩入れしてやれば、事は面白いように上手い方向に転がってゆく、そういう事じゃろう」
まあ、ヤタガラスの見方は能天気だと思うが、多少の影響は有るだろう。
「殿下は伝説の笏を手に入れられました。それを掲げれば、アイリュの皇帝も、テツココの大王も、真の神の代理として認め、平伏しましょう」
ヤガー君はそういうが、僕にはそこまで簡単に事が運ぶとは思えなかった。
「そう、上手くいくかなあ」
帝国の言葉で交わされた会話は、ロカ皇子にははっきりとはわからないまでも、自分や父親の事が話題になっているのだと察している。難しい顔つきになって考え込んでいる。賢い子だ。
「とりあえず、君の父上にお会いできるようにしようね。僕を信じて、待っていてくれ」
アイリュの言葉で語りかけると、健気にも「お願いいたします」と言った。それから疲れ切っていたらしく、僕に抱っこされたまま眠ってしまったのだった。
まずはベースキャンプに戻り、無事に金の笏を手に入れた事を待っていた連中にも報告する事になった。湖畔の村を出発する前に、村人に金の笏を示し、僕の署名を入れた証書を皮のケースに入れて渡した。証書はミッケリの商人や傭兵が見ても、明白に帝国の正式の公文書だとわかるような体裁になっている。帝国側と事を構えると様々な不都合が生じると、ミッケリ側は十分承知のはずだ。
「馬に乗った白い肌の連中が来たなら『ここはテオレル帝国の領地だ』と言うように。そうすれば、あまりひどい事はされずに済むだろう。それでも、まだ君たちの手に余ることが有れば、麓の海の畔のイシュカレの居る神殿に逃げ込みなさい。そこには大きな船と馬に乗り『雷の棒』で戦う事のできる者が沢山居る」
雷の棒とはこの土地の人たちが銃を指して言う言葉だ。
湖の畔を出発し、ベースキャンプで待っていた連中と合流した。そこで医療奉仕を続ける事を希望した十名を残し、イシュカレが治める街に戻った。天の鏡とは概ね片道五日程度の距離と考えて良さそうだ。ロカ皇子は、僕かヤガー君の馬にかわるがわる乗せて来た。
イシュカレは僕がアイリュの皇子を連れ帰ったと知ると、驚いた。
僕はそんな事より、測量グループの割り出した事実に驚いていたが。
ルンドの北米大陸と南米大陸は地球の物より相当に南北が短く幅が太いみたいだ。特にパナマ地峡のあたりの長さが相当に短い。いずれにしても、東と西の海岸、つまり太平洋側と大西洋側の距離が一番狭い、パナマ地峡に相当するポイントは早めに正確に割り出しておいた方が良さそうだ。
僕が勝手にメキシコシティーあたりだろうと今まで思っていたテツココ王国の首都も、もっと南方のエリアを考えるべきみたいだ。グアテマラとかホンジュラスあたりのマヤ文化の栄えた地域の感じかも知れない。あるいはメキシコ湾やカリブ海の位置関係や大きさも多少違うのだろう。
イシュカレの話から分かった事も有った。
「アイリュ帝国の都は二つありますが、先代と当代の皇帝は北の都を好んでいるようです」
と言う事は、インカの場合エクアドルの首都になったキトが第二の都市だったはずだから、案外イシュカレの居るこの場所から遠くないのかも知れない。少なくとも、当初僕はクスコに相当するもっと南方のエリアに進まないとアイリュ帝国の皇帝に近い人間には接触できないと思っていたのだ。
「皇子を擁して、都に威儀を正して進軍なされば、たちまちのうちにアイリュは殿下の膝に屈しましょう」
おやまあ、イシュカレまでそんな事を言う。
イシュカレが言うには、彼が自分の情報網を使って、南方のアイリュ側の廷臣の一人と連絡を取り、緊密に相談をして迎え入れる準備をさせると言うのだ。公式な国交が無い国の者をどうやって呼び寄せるのかと思えば、その廷臣はアイリュの皇帝周辺には内密に、イシュカレの管理する土地にやってきて、交易をしていると言う。交易で設けて、アイリュ国内での勢力拡大のための資金にあてているようなのだ。
なんとその廷臣は、亡くなったロカ皇子の生母の兄、つまりロカ皇子の伯父にあたるのだそうだ。
「その伯父・トルチャと言いますが、勇猛な戦士として若いころは鳴らしましたが、なかなかに細かな事にも気が回る男でして。私の見る所、皇室の嫡流を尊ぶ気持は強いのではないかと思います」
ロカ皇子の生母、つまり先の皇后は皇帝よりも格上の血統と見なされていたらしい。毛並みの良さはロカ皇子が一番だが、財政や軍事を握る有力な豪族や廷臣が別の皇子を次期皇帝に推しているという。
「ロカ皇子の庶兄にあたりますピニャ皇子の母は、シンチ・ワイナの最も寵愛する妃です。ピニャ皇子を頭に五人の子を産み、その権勢は正妃であるコヤを凌ぐと聞き及びます」
おーおー、嫌だね。どこの国も宮廷で後継者争いが絡むと、ドロドロだ。
「トルチャめをこの地に呼び寄せますので、どうぞ殿下はごゆるりと御滞在下さい」
イシュカレはなるべく長く僕を留めて、既に始まったミズホとの交易を本格的に軌道に乗せたいのだ。最初に正三郎が持ち込んだミズホの織物や細工物・陶磁器はテツココの大王に献上され、その繊細な美しさがテツココの貴婦人たちに馬鹿受けだったらしい。イシュカレはその後、商品を黄金を使ってミズホで買い付けてもらい、都で売りさばいたようだ。もっと儲けるには、沢山の船を行き来させる必要が有るが、テツココには外洋に漕ぎ出せるような船自体存在しないし、操船方法もわからない。当然船主である僕が頼り、と言う事なのだろう。
「ミズホとの定期航路が軌道に乗るように力は貸そう。お前さんもアイリュ側との交渉を真剣に頼むよ」
僕がそう言うと、イシュカレは大いにやる気を出したようだ。
それにしてもイシュカレの意識の中では、僕は金儲けの神様かなんかの様に思われているのはどうにも閉口したが、可笑しいと言えば可笑しいのだった。