僕と未知の大陸・6
「確かに、また追加分が出現したのですね。前回までが『美しき碧の鳥の認めしおのこ、世界の始原の秘密の扉を開かん。来たれ真の神に愛でられしおのこ、天の鏡の日月の島に来たれ』でしたね。今回は『碧の鳥の護る娘と共に、秘められし神の住まいに至りて黄金の笏を得よ。されば輝く石の在り処を知り、あまたの国の王、王の王となる事を得ん』ですかね。これで、終わるのかどうか、私にははっきり分かりません。文のおしまいを示す絵文字は見受けられませんが、必ずしもその絵文字が入ると言う訳でも無いらしいので……」
「また、何かの条件が整えば、追加分が出るのかな?」
「そうですね」
ヤガー君の体に触れて意識を探っているわけではないが、彼が色々な絵文字の文章の実例を頭に浮かべて、考えをまとめているのは見て取れる。
「殿下とチャスカ殿の縁がしっかり結ばれた。そういう事なのだと思いますが、追加条件は、お子が生まれるとか、現地に赴かれるとか、でしょうか?」
「僕の姉が……」
僕はモナの話と、モナが鏡を通じて、チャスカは僕を連れて共に故郷に戻るべきだと伝えた件を、かい摘んでヤガー君とモタ修道士に話した。
「いやあ、驚きますな。ああ、スコウホイで布教活動をしていた修道士に、人に変じる不思議な狼の話を聞いた記憶は有りましたが……そのような方が、殿下の実の姉君、皇帝陛下の姫君であられるとは……帝国はうんと古い御国なだけに、神聖教会が出来る以前から存在する神霊たちと、様々な関わりが有るのかもしれませんな。皇帝の御血筋は開祖様以来、脈々と続いておられるのも、そうした神霊たちの祝福も有るのでしょうか」
「モタ殿」
「先生」
僕もヤガー君も、モタ修道士が神聖教会の悪名高い『異端審問』の犠牲になりはしないかと、心配になったのだ。
「このお邸なら、教会の間者はいるとも思えませんが」
「だが、教会の信者は幾人かいる。あなたに危険が及ぶような発言は、よくよく気を付けた方が良い。僕の住まいには教会の熱心な信者は一人もいないが、それでも盗み聞きや覗き見されないように、万全の対策を取っている」
「あー、そうですね、この邸は警備が甘いかもしれません」
いきなりヨハンがそんな事を言って入ってきて、驚いた。
「驚いたな、ヨハン。気配が読めなかった」
「兄上の所のショウザブロウに、忍びの術というのを教えてもらっています。で、忍び込みにくい、盗み聞きや覗きが出来ない構造の部屋を準備したので、そこで大事な計画や相談はする事にしたらどうでしょう?」
僕とチャスカ・ヤガー君・モタ修道士はヨハンの案内で、入り口が石造りの小さなトンネルになっている円形の大きな部屋に出た。
「この邸はかつて、近衛連隊の詰所だったので、こうした見張り台、兼、軍馬の飼料置き場だった円形の石の塔が、東西南北に一つづつ配置されています」
以前からあった石造りの塔を再利用した部屋は、きちんとした書斎と言った体裁に整えられていて、もと飼料置き場だった名残は見た所わからない。窓は十メートル程も上の位置に、幾つか有り、風向きや外光量を調節する滑車を使った仕組みが出来ていた。中央には煙突を備え付けた薪ストーブが有る。考えたのはモタ修道士の友人の建築マニアでナウム・タトリンという人物らしい。元来は船大工の家の息子だが、新しいことを色々やってみたくて、帝国で遊学中だそうな。
「グラーン侯爵夫人のサロンに毎日、行くようです。まだ彼には建築の話以外は何もしていませんが、そのうち船の設計や選定で相談に乗ってもらうつもりです」
モタ修道士の話に呼応して、ヨハンはこの部屋の設計を依頼した経緯について話してくれた。秘密を保ちやすく、使い勝手の良い書斎兼研究室を求めているとナウム・タトリンに相談すると、この邸に幾度も通って熱心に仕事を仕上げてくれたと言う。
「ミッケリの人間ですが、自分を評価し、正当な報酬を与えてくれる人間と交わした約束は守るでしょう。アンホルト子爵は気前の良い方で、仕事も自由にさせて頂けたので、あれも大いに喜んでました」
で、その気前が良いと言われたヨハン本人は、上機嫌で僕らの座った円卓の上に、一枚の図面を広げた。
「鬼才ナウム ・タトリンの最新作です。モタ殿に紹介して頂いて以降、この部屋の依頼以外にも、幾度か話す機会が有ったのですが、今日は話が弾んだので、この図面を託されました。懇意の学者連中や船大工の意見が反映されているようですが、素敵な船だと思いませんか?」
精密に描き出された一隻の帆船の図面は「素敵」なのかどうか、僕には良くわからないが、完成予想図は確かに美しかった。モタ修道士は少なくとも、その図面の船が「素敵」だと感じているようだし。探検隊全体の統括はモタ修道士とヤガー君が担当するとして、船の建造については巨額な資金も必要ではあるし、ヨハンに任せて置く方が話が早いだろうと言う事になった。
「船の建造の費用は僕の方で手当てできると思う。ヨハンは対ミッケリ対策も、是非抜かりなく願うよ」
「ですが、はっきり敵対するのも上手くないですよね。兄上はせいぜい、セルマ様の御機嫌がうるわしいようにお心配りいただきませんと」
「ああ。まあ、セルマは昨夜生まれた孫に夢中だろうがな」
「兄上はいつ、ルイサを見舞いに出かけられますか?」
「明日にでも、どうかな」
「僕とコルネリアも、お供させてください」
「無論構わんよ」
「実はコルネリアが懐妊したので、後学のために色々教えていただきたいのです」
「そうか、ヨハン、お前も父親になるのか……コルネリアの父上には、僕から知らせておくか?」
「はい。それが無難でしょうね」
コルネリアの実父は隣国ワッデンの現・国王だ。何かそのうち口実を作って、父と娘の久しぶりの対面もさせてやりたいと思う。
翌日、僕はヨハンとコルネリアの夫婦を連れて、産後間もないルイサを見舞った。ルイサが大好きなオレンジのゼリーを手土産に持って行った。ベッドの上のルイサは思いの外元気そうで、安心する。
「まあ、季節はずれですのに、うれしい!」
「シロップ漬けにしてあったオレンジで作らせたのだよ。どうかな」
元々はユリエと僕で考えたデザートだ。今回はチャスカに作り方を教えがてら、手伝わせた。無論そんな事を口にすると、母親のセルマの機嫌が悪くなりそうなので、口にはしなかったが。
「美味しいですわ、とってもおいしい!」
ルイサが喜んで立て続けに三個も食べるので、母親のセルマは「みっともない、おやめなさい」と言うが……僕がなだめると、黙った。
そこへ、ルイサの夫でユリエと亡きドランメン伯爵の嫡子であるラウル・ヤイレがやってきて、「やあ、美味しそうですね」と嬉しそうに言うので、食べさせる。「懐かしいですね」と言わずにいてくれたのは、ラウル・ヤイレらしい細やかな気配りと言うものらしい。幼いころから、常に微妙な立場に立たされれ来たラウル・ヤイレは、自分の母ユリエと妻の母セルマの危うい均衡についても良く承知している。だが、ラウル・ヤイレにしてみれば懐かしい母の味なのだ。
ルイサの産んだ男の子は、スヴェン・ヤイレと名付けられた。そうだ。ユリエの夫と同じ名前だ。その先代のドランメン伯爵スヴェンとは一度も話をしたことは無いが、やはりどうしたって僕の中に複雑な感情を巻き起こす名前ではある。ドランメン伯爵家の場合、当主はラウルとスヴェンという名を一代ごとに交代で名乗ってきた。まあ、それが帝国の貴族の風習通りの名前の付け方なわけだ。
「陛下……スヴェン・ヤイレでございます」
乳母から受け取った新生児を、ラウル・ヤイレは僕に差し出した。僕は受け取って抱いたわけだが……僕の孫であり、あのスヴェンの孫なのだ。
「別の名も考えましたが……しきたりどおりにすべきだと言うセルマ義母上のおっしゃることも、もっともですので」
「ほう、セルマがね」
そこに僕はつい、セルマの悪意を感じてしまった。気の所為では無かろう。僕はつい、セルマの顔を凝視してしまった。時間にしてわずかではあるが、ラウル・ヤイレが何事か感じるには十分すぎたかも知れない。
「ドランメン伯爵家は古い家柄だ。しきたりに従うのも大事な事だろ。なあ、スヴェン・ヤイレ」
僕の呼びかけに応えるかのように、濃い灰色の髪とグレーの瞳の新生児は目を見開いて、僕を見つめた。そして、微笑んでいるような表情をうかべた。一般的には生まれたての子が微笑むはずがないとされるが。
すると、その表情を見たルイサが「まあ、嬉しそうな顔。この子、きっと父上が大好きなんですわ」などと言う。
「生まれたての赤子にそのような事がわかるものですか」
セルマの言葉は微妙に刺々しい。
「でも、やっぱりニッコリしているように見えますわ」
「僕にも陛下のお顔を見つめて、微笑んだように見えます」
ラウル・ヤイレは妻の肩を持つ。
少なくとも生まれ立てのスヴェン・ヤイレは小さな手をゆっくりと開いたり閉じたりしながら、僕の顔を凝視しているように見える。そして、その口元はますます嬉しそうな感じにキュウっという感じに上がってゆくのだった。僕もこんな体験は初めてなので、不思議な感慨に囚われる。この子は確かに僕の孫だと。
そろそろ授乳の時間だとセルマに促されて、僕が遠慮がちなラウル・ヤイレの手にスヴェン・ヤイレを返すとぐずつき始め、乳母に抱かれたとたん大きな声で泣きはじめた。
「ほら母上。この子は父上が大好きなのですわ。恐れ入ります、もう一度抱いてやっては頂けませんか?」
「ルイサ!」
セルマの声が、より一層尖った感じになった。
「ああ、良いよ。おいで、スヴェン・ヤイレ」
僕の手におさまったとたん、新生児は静かになり、そのうちスヤスヤ眠り始めた。僕の手からそっと乳母に渡すと、静かに眠ったままの状態で、部屋を出て行った。
その後はもっぱら懐妊がはっきりしたコルネリアの話になった。医師の見立てでは夏には生まれるらしい。
「まあ、ではもう、つわりは始まっているんじゃないの?」
お産をすませたルイサは先輩ぶっているのがちょっと面白い。
「幸いただ眠かったり、いつもと違う物が食べたかったりする程度で、余り苦しい事は無いですわ」
「まあ、そうなの? 羨ましいわ」
ルイサのつわりはそれなりにしんどかったようだ。
「それにしても、これ、うまいなあ」
ヨハンもゼリーをしっかり食べた。コルネリアも美味いと思ってくれたらしい。
「本当に。作り方を教えて頂きたいですわ」
「じゃあ、あとで教えてあげるよ」
「まあ、ありがとうございます」
コルネリアが弾んだ声を上げると、一瞬セルマは険しい表情になった。
「セルマもお掛けよ。ね? そう堅苦しい行儀だの格式だの、内輪の者しかいない所で気にしなくても良いじゃないか」
僕がベッドの脇の長椅子の座面の隣に手招きすると、一応従ってくれた。
「お産が始まってこの方、大変だったろう? でも、おかげで母子ともに健康で何よりだった」
僕はセルマの膝の上の手に、手を重ねた。何を考えているのか、知るべきだと思ったからだ。
(私の苦労を少しはお分かり頂けているのかしら? このゼリー、確かユリエ様がグスタフ様と御一緒にお作りになったって昔聞かされた物と同じよね……今日のは、誰がお手伝いしたのかしら? あのチャスカ? お仕えするようになって間もないと言うのに……お産の事が終わったら、スコウホイのアンニカ様をお迎え頂けるようにしなくては……)
アンニカ本人は僕にとって妻になる女性と言うより、亡き妻の養い子と言う感じが強いが、美しく賢く気立ても良い。それは間違いない。だが、その周りのスコウホイの者たちが、セルマとは上手くなじまない可能性は高いと思われる。
スコウホイは神聖教会に対する反感が強い土地柄だ。
教会主流派と常に融和的な政策を取って来たミッケリとは大違いなわけで、アンニカが正妃として輿入れとなれば、それなりの人数の反神聖教会的な信条の人間が大挙してやってくる。しかも、スコウホイの人間は静かなミズホの人間とは違い「間違っている」あるいは「理不尽だ」と思うとすぐその意見を表明する。そして自分の間違いを納得しないと、そう簡単には謝らない。真面目で正直だが、理屈っぽい。頑固さは隣国ワッデンの人間と良い勝負だが、ワッデンの民は身分とか家柄に対する「遠慮」が多少あるのに対して、スコウホイの民は相手が貴族だろうが皇族だろうが容赦しない。そんな連中と、セルマが上手くやって行けるだろうか?
僕の心配をよそに、セルマはアンニカを迎え入れる事が、何らかの救いになるかのように思っているが……それだけ、チャスカが気に入らない、そう言う事なのだろう。いずれにしても、面倒な事だ。
僕は思わず、ため息をついた。