僕と未知の大陸・5
後半、問題のあるシーンを大幅自粛しました
セルマには未知の大陸に関する凡その話をしておく。だが、セルマと言うよりセルマの母グラーン侯爵夫人の周辺には、ミッケリの人間も多い。従ってセルマ自身が知らないうちに、情報が漏れる可能性は高い。ミッケリが恐らくすでに知っているであろう内容と、絵文字の示す内容が僕自身に関係が有り、僕以外の人間が行っても立ち入れない神域が存在するらしいと言う話を、具体的な地名を上げずに伝えた。
「グスタフ様しかお入りになれない場所ですか……ミズホの時も、そのような場所がございましたね」
「うん。あの国の霊山だな」
「そして今度も、どこぞの隠れた神殿ですか」
「ああ」
「ユリエ様のように武術の心得が有るでもなく、異国の言葉がわかるでもない私は……留守番役以外無いですわねえ」
「セルマだから留守を任せられるのだ。未知の大陸に関しては、ミッケリとの応対も必要になってくる。セルマが意識的に父方の実家や親戚筋との関係を強めるようにしてくれた事が、交渉でも色々生きてくるだろう。頼りにしてるよ」
ミッケリはその昔、帝国領から自治権を得て独立した商業都市が核になって出来た国だけに、言語は帝国の共通語と大差無い。多少のアクセントや語彙のずれは有るが、大半の内容はそのまま通じるのだ。
セルマの実父オーレ・トマソンはミッケリの名家の血を受けてはいるが、自分を捨てた生家との付き合いはまるでなかった。と言うよりは嫌っていたようだ。グラーン侯爵夫人がセルマの箔付と自己の勢力拡大・維持のために、亡夫の血縁者との交流を盛んにしたおかげで、セルマはミッケリの支配者層に強力なコネを持つに至っている。
ミッケリの政治に参加する資格を持ち、納税の義務を負う国民は、大半が商人とその家族だ。支配者層は何代も続く豪商達で、特に豊かで勢力の大きい三つの家が三元老と呼ばれている。ミッケリを動かす最高機関は元老会議で、終身メンバーの三元老家の当主の他に、国民による選挙で選出された七名が加わり、総勢十名で大半のことは決められるようだ。
ミッケリの人口で国民は三割にも満たないようだ。残り七割は「滞在者」と「奴隷」が半々らしい。滞在者はおおむね神聖教会が文明国と認めた国家の出身者で「ミッケリにおける犯罪歴」さえ無ければ、特に難しい滞在条件も無い。国民の資格を持つ商家で、俸給を受け取って働く出稼ぎの使用人や、傭兵・船員、他国から流れてきて露店や行商を営む者、などが多いようだ。滞在者は「ミッケリに貢献した」と元老会議で認められるか、政府へ所定の金額以上の寄付をして三名以上の国民から推薦されるかすると、国民に昇格可能だ。
かつて僕の乳母であったドロテアとビョルンは悪事の数々がばれて、帝国を追放された後、ミッケリの国民になった。風の噂では、二人とももう死んだらしい。だが、今でも帝国で違法薬物を売りさばく連中は、ミッケリの者が多い。そもそも、ミッケリの法律には違法薬物と言う概念が存在しないのだ。
ミッケリで奴隷にされるのは、ほぼ例外無く神聖教会の信仰されていない、あるいは元老会議で「未開国」認定をされている地域の人間だ。勝手に拉致監禁して労働力なり玩弄物なりにしてしまっている場合が大半で、特に皮膚の色や髪の色がミッケリの国民とは違うと、奴隷身分から法的には解放されたとしても、差別はついて回る。
ミッケリから見て「格上」の国家である帝国の摂政である僕が、ミズホと特別な関係に有り、ユリエとの間に子を三人儲け、皇族であっても黒目黒髪の者が存在する事が広く知られるようになって以降、差別の一部は緩和されたが、まだまだミッケリの人種差別は酷い。
今のミッケリでは黒目黒髪でもユリエのように完璧な共通語を話せば、奴隷扱いされずに済むようになったが、チャスカの様にたどたどしいと蛮族で、奴隷扱いして差し支えないと認識される様だ。
セルマは……無自覚に、そうしたミッケリの支配者層の価値観の影響を受けてしまっている。チャスカのような『蛮族』を僕が自分のベッドに迎え入れたのが、どうにも気に入らないらしい。
「未開の地の『蛮族』で身分の無いものを御寵愛なさっても……」
そんなことを言いかけた瞬間、思わず僕が睨んだので、驚いたのだろう。それからはそんな言葉は口にしないが、それでも、それがセルマのチャスカに対する評価なのだ。ユリエが居た時は、もう少し理解のありそうなことを言っていたくせに……。セルマとしては早くスコウホイのアンニカを正妃に迎えろ、と言いたい所なのかもしれない。
「もう少しあの言葉がどうにかなった方が宜しいですわね」
「外国語は誰だって、すぐに流暢に話せるってもんじゃ無いだろう?」
「は、はい」
(でも、殿下は外国の言葉にも堪能でいらっしゃるし……ユリエ様はミズホの言葉も良くお出来になるわ。殿下の閨に召されたのなら、貴婦人にふさわしい言葉遣いも出来ないと……やはり不体裁でみっともないわ)
こんな事を考えているが、嫉妬の気持がそこに絡んでいるのは確かだろう。そんな事を考えるセルマ自身は外国語は話せないのだから、よけいに馬鹿げていると感じる。セルマが口にしない偏見については、見てみぬふりを僕は決め込むことにした。チャスカの言葉は急速な進歩を遂げていると僕は感じている。その結果を見聞きすれば、セルマの偏見も薄らぐだろう。
とは言え、偏見を完全に無くする事は、難しいかもしれない……考えてみれば、セルマの婿のラウル・ヤイレはユリエの息子ではあるが、髪が黒くない。灰色だ。
「ルイサのお産はもうすぐかな?」
「ええ、そうです。つきましては……」
お産の面倒をしっかり見てやりたいから、僕との同衾は三月ほど辞退したいと言う事だった。
「ユリエ様にとっても初孫ですが、ミズホをお離れにはなれないようで、私にすべてお任せ下さるそうです」
「ああ、当分ミズホを離れられないんだってな。ルイサの立場に立てば、実の母親の方が気兼ねが無くって良かろうよ」
「ユリエ様もそうお考えになって、私に譲って下さったのだと思います」
それが一番の理由ではないと思うが、僕はあえて反論しない事にした。
名のある貴族の家では、当主の母親が出産も仕切る場合が多いから、セルマも「譲って下さった」発言をするのだろう。そうして話している時にちょうどヌーク子爵邸、つまりラウル・ヤイレの邸からルイサのお産が始まりそうだと知らせてきた。
「セルマ、気になって堪らないのだな? 僕も一緒に行こうか?」
「とんでもございません」
僕はお産の場所に居ても、役に立つわけでもないし、こういう場合、皇族や貴族の家では祖父さんはお産の当日には顔を出さないものだ、と言うような事をセルマに言われてしまう。
「お産が無事にすみましたら、急いでお知らせいたしますから」
お産が済んで二三日して落ち着いてから、見舞いに行ってほしいとも言われてしまった。
「三十歳でお祖父ちゃんか。何かピンと来ないが……お祖父ちゃんなんだよなあ」
「はい。私はお祖母ちゃんですわ」
僕はいそいそ準備してヌーク子爵邸に向かうセルマを見送って、結局自分の住いに戻った。
「おかえりなさいませ!」
深夜にこっそり戻った僕を、寝間着にガウン姿のチャスカが迎えた。
「セルマに追い出された」
チャスカはわけが分からないと言う顔をした。僕とセルマの娘であるルイサのお産が始まった事、セルマは当分お産の手伝いなどで落ち着かないので、僕は三月ほどセルマの所には行かないと言う説明をすると、ほっとした顔つきになった。
「わたしのせいで、おいかりになったわけではないのですね。あんしんしました」
「僕はお祖父ちゃんになるらしい」
「きっと、げんきなかわいいおこさまがおうまれになりましょう」
「うん……チャスカは眠っていなかったのかい?」
「なんだか、ねつけませんでした」
「じゃあ、やっぱり僕と一緒に寝よう。ね」
「はい」
「素直な返事で、うれしいな。チャスカは、いい匂いがするなあ」
「おふろで、なたりえさまからいただいたあたらしいせっけんをつかいました」
「へえ、ナタリエから?」
「ぐすたふさまが、おすきだと、ゆりえさまがおっしゃったにおいだそうです」
「でも、これはチャスカだけの特別な良い匂いって感じだなあ」
同じ石鹸を使っても、ユリエとチャスカでは匂いが違う。共に良い香りだが、ユリエの場合は気分が安らぐような懐かしい感じで、チャスカの場合は気分が華やぐような感じがする。
(以下自粛)
「ああん……へ、へんになっちゃうと、は、はずかしいです……」
「チャスカは可愛いから、恥ずかしい事をいっぱいするのが、楽しいんだ」
「たのしい、ですか?」
「うん」
「なら、いいです。へんに、なります」
「そうそう。うんと変になるんだよ」
(以下自粛)
「明日、僕は仕事を休む日だからね、悪いが付き合ってもらうよ」
そう宣言すると、あとは遠慮会釈なく、若いしなやかな体を貪った。
翌日は昼下がりまで人払いを命じ、朝食から昼食まで、かかりきりでチャスカの面倒を見た。夕方になって、ルイサが無事に男児を出産したと言う知らせがもたらされた。見舞いは明後日以降が良いらしい。
「孫と同じ年の子供を作ってしまったかな?」
チャスカは、真っ赤になって照れる。僕は丸二日以上避妊薬を飲んでいないのだから、有り得る話だ。その時、あの胸飾りに更に絵文字が加わった事に気が付いた。
「今夜は……大人しくしよう。明日はヨハンの邸で、ヤガー君の話を聞かなくちゃいけないものな」
「そうですね」
「でも、ちょっとぐらいなら、良いよね?」
僕が膝に抱え上げて、首筋にキスを落としながら尋ねると、小さな声ながら、チャスカははっきり「はい」と返事をしたのだった。