僕と未知の大陸・4
「美しき碧の鳥の認めしおのこ、世界の始原の秘密の扉を開かん。来たれ真の神に愛でられしおのこ、天の鏡の日月の島に来たれ……新たに出現したとおっしゃる絵文字の配列を素直に読むとこうなるのですが……」
ヤガー君は難しい顔をして、考え込んでいる。僕はチャスカを連れて、ヨハンの邸に寄宿しているモタ修道士とヤガー君の二人に新しく胸飾りに出現した絵文字を見せに来たのだ。
「以前、ヤガーが言っていたな。日月の島と言うのは太陽と月が出現したとされる聖地だと」
「ええ。そうです。『天の鏡』と言う名の湖の中央に、かつて天の父と大地の母が共に暮らした神殿が有り、そこで息子である太陽と娘である月が生まれたと言うのですが、その神殿を見た人間は誰も居ないと言われています。普通の人間が見た所では、その島は巨大な岩にしか見えません。小さな浜が一か所だけあり、そこには祠が有ります。そこにささげる供物は香が最も好ましく、人身御供や獣の犠牲は嫌われるとされています。他の神殿や聖地では人の生贄は最も貴重な物とされているので、大変珍しい話です」
「誰も見ていない神殿の話が伝わっているのは、なぜなんだ?」
僕はどうにもそこが不思議に思われた。
「神をその身に宿した者、神の眷属、そういった通常の人ではない、神に等しい存在ならば見る事が出来、中にも入る事が出来る、テパネカの神官の間ではそう言い伝えられています。初代のテパネカの王は中には入れませんでしたが、神殿の姿は見た、とされています」
「ヤガーは殿下なら中に入れると思うかい?」
モタ修道士は興味津々だ。
「そうですねえ……こんな文字が後から出てきちゃうのですから、関係がおありなのは確かなんでしょう。僕にはわかりませんが」
「ヤガー君はずっと難しい顔をしているけれど、何か気になる事でも有るの?」
「この文章は、まだ途中だと言う事ですね。続きが有るはずなのです。この最後の絵文字、息継ぎの印で、まだこれから文章は続くと言う意味なのです」
僕は一番気になる点について、この師弟二人の意見を聞いてみた。
「僕は、未知の大陸に直接赴くべきなのだろうと思うが、どうだろうか? その時はこのチャスカを連れて行くべきなんだよな?」
「殿下ほどの高貴な御身分の方が直接遠方に赴かれるのは、現実問題として難しいのでしょうが、可能ならばお出かけになるべきかと思います。ですが……『天の鏡』と言う湖は、夏でも雪の残る大変高い山々に取り囲まれた場所に有るのが気がかりです。余りに高い場所にあるので、普通に歩くのも困難を覚えるでしょう。絶え間ない頭痛・吐き気・めまい・手足のむくみなどに悩まされる者が多いのだそうです。昔からそうした体の不調は山の神の怒りだと言われてきました」
ヤガー君が言うのは、おそらくは高山病だろう。
「恐らく神の怒りってわけじゃなくて、うんと高い場所は、空気が薄いからだろう」
「そうなのですか?」
「うむ。ま、僕もそう詳しい訳じゃないけどな。ただ、いきなり高地めがけて登るのではなく、少し低い所でゆったり二、三日過ごしてから登れば、若い健康な者は大丈夫だろう。後は水分を取るとか、甘いものを食べるとか、ゆっくり深呼吸するとか……そんな事が多少は効き目が有るようだ」
「ああ、殿下がおっしゃった事は以前、『天の鏡』のほとりで生まれ育ったと言う捕虜の老人に聞いた事が有ります」
「捕虜と言う事は、戦争をしたって事か?」
「アイリュの皇帝が日月の島を我がものにしようとして、テパネカにも出兵を命じた事が有りました。突然の激しい落雷で皇族でもあった軍の総司令官が死亡しましたので、すぐに軍を引きました。結局アイリュの皇帝は目的を果たせませんでした。それでも帰り際に通過した幾つかの村で、人や物を奪い火をかけたりしたわけですが……」
「僕がノコノコ出かけたら、危険かな?」
アイリュという国の皇帝は領土的な野心が強いようだ。
「そうですね。目的地に至る道筋は慎重に選ぶべきでしょう。アイリュの勢力圏に組み込まれていない場所を選ばれた方が無難でしょうねえ」
「今のアイリュの皇帝って、どんな人物か知ってるか?」
ヤガー君の話からは、好戦的で行政能力は低いと言う印象を僕は受けたが、どうなのだろう?
「名はシンチ・ワイナと言いまして、十五歳で即位しました。今は二十歳でしょう。先代皇帝の唯一の嫡出の皇子で、多くの庶子を殺害・排除したようです。あの国では大柄な方でして、と言っても恐らく殿下の御背丈より頭一つは低いかと思いますが、気性が激しく勇猛だと言われています。テオレル帝国やミッケリの人には信じがたいかもしれませんが、皇帝の正妻はその妹である場合がほとんどです。シンチ・ワイナの両親は先代の皇帝と皇后であると同時に、兄と妹の間柄でもありました。シンチ・ワイナの皇后も同腹の妹です。こうした習慣は古くからのものですが、恐らく神聖教会は『姦淫』と言うでしょうね」
「神聖な血族として信じられている一族の中での結婚なら、昔はこちらの大陸でも有ったのだ。今は兄弟姉妹同士の結婚は認められないがね」
「そうなのですか」
「ヤガー君の国じゃどうだった?」
「テパネカでは同腹の兄弟姉妹同士の結婚は避けられます。ですが、腹違いなら……当たり前ですかね」
「ヤガー君の両親も?」
ヤガー君は答えにくそうにしている。
「ああ、言いにくいなら、聞かない。悪かった」
「ヤガー、私は別にお前の両親が兄弟姉妹同士でも、穢れているとか不道徳とか、思わないよ」
「先生……ありがとうございます。僕の両親は、大神官であった祖父の同格の二人の妻の産んだ兄と妹でした。身分が有る者は複数の妻が居るのが普通で、出自が高貴ならば正妻扱いで、身分が低ければ側室とか女奴隷とか言う扱いになります。祖父は真面目な人でしたので、二人の妻を公平に扱い、三人で仲睦まじく暮らしておりました」
「ほう、だからヤガーは殿下に親近感を覚えるのかな?」
「そうですね。そうかも知れません」
確かに僕も公平な扱いを心がけてはいる。ヤガー君のおじいさんが健在なら、話をしてみたいものだ。
「ヤガー君のお父さんの奥さんは?」
「父は……妻は僕の母だけですが、常に十人ほどの若い女奴隷を侍らせていました。ですから、腹違いの弟や妹は沢山います。正確に何人いるのか見当もつきません。そう言う父が……私はどうも苦手です」
「女奴隷は、戦争捕虜なのかな?」
「戦争捕虜は稀ですね。アイリュの皇帝やテパネカの王からの褒美や下されものである場合も多いです。奴隷の価値で違いますが、若い女奴隷の価値は家畜五十頭から百頭と同じと見なされます。奴隷を貰うか家畜や金銀・その他の品物で受け取るかは、受け取る側の希望で選べることが多いのです。祖父は何時も家畜や金銀で褒美を受けとりましたが、父は……若い女奴隷を受け取るようでした」
「ミッケリのような奴隷の取引も有るの?」
「一般庶民の奴隷所持は認められません。貴族や王族同士で申し合わせて、奴隷を交換する場合がほとんどです。価値の低い奴隷には金銀などの財宝をつけて、交換会に出します。ですからミッケリの街中で手枷や足枷をされた奴隷が売られているのは、驚きました。ましてや自分自身が街中で売り渡される立場になるなんて、国にいる時は考えた事も有りませんでした」
ヤガー君もミッケリで奴隷として売られた経験が有るのだ。こんな賢い優秀な若者を売り買いするなんて、根本的に間違っている。改めて僕はそう思う。
ちなみにシンチ・ワイナというアイリュの皇帝の名前は『勇猛な若者』を意味するのだと言う。軍隊を頻繁に動かしているが、統治は上手くいってはいないとヤガー君は言う。軍を動かすために重税を課し、人員を狩り出すのだから、民衆にも恨まれているようだ。その上、最近はその『勇猛』と言うイメージも大きく損なわれているらしい。
「アイリュの軍隊の主要な武器は投石器と青銅製の棍棒ですから、ミッケリの武装騎馬軍団や鉄砲隊にはひとたまりも有りませんでした。シンチ・ワイナは戦場から走って逃げたと言われています」
その後、大量の黄金と奴隷を送ってミッケリ側と和睦したらしい。そして更に、ミッケリが欲しがった東海岸の港とその周辺の領土を割譲したのだと言う。
「チャスカ殿の故郷の村は割譲された範囲の外でしたが、アイリュの軍勢にはミッケリの侵略行為を止める力は有りませんからね……」
「だが、ミッケリもまだ、広大な大陸を治める力を手に入れてはいない。そういう事だね」
「はい。ですから、その御前会議で殿下にお祝いの言葉を述べられた貴族の方のお考えも、わかる様な気がします。チャスカ殿と共に、日月の島で何かを手になされば、あの大陸の諸国は殿下を『真の神に祝福された指導者』として敬い、従うでしょう」
「何かって、何だろうな?」
「伝説の通りなら、三つ又の黄金の笏です」
「へえ、黄金宮内で僕の使っている印は摂政の象徴で、この帝国の軍事・司法・行政権を示す三個の宝石をつけた笏だが、こんな感じの格好かな?」
僕はチャスカの身分証を外して、二人に見せた。ヤガー君は師匠と一緒にしばらくじっと観察していたが、恭しい動作でそれをチャスカに返すと、こう言った。
「形も何も伝わっておりませんが、天と地上と地下を示す三個の聖なる石がはめ込まれているとは言われています……単なる偶然だとは、私には思えません。殿下こそがこれまですべての人間が立ち入ることを拒絶されていた天の父と大地の母の神殿にお入りになり、聖なる黄金の笏を手にする方だと、そう考えております」
「ならばヤガー、是非殿下はその神殿においでになるべきだな」
「ですが、遠距離の航海に加え、高い山々の間の秘められた湖を目指されるのですから……大変な事ですよね。綿密な計画が必要でしょうし」
「じゃあモタ殿とヤガー君に、その計画を立てて頂こうか」
その時、ちょうどヨハンも所用を済ませて帰宅したようだ。僕に挨拶のためにこの部屋にやって来た。
「兄上、皆で御一緒に夕食でもいただきながら、相談と行きませんか? 皇帝陛下にはつい先ほどお会いしたので、勝手ながら、あちらでの御夕食はお断りしておきましたよ」
ヨハンは僕の言いそうな事が、あらかじめ見当がついていたらしい。
「分かった。今夜の内にある程度相談をまとめるか」
コルネリアの心づくしの食事は美味かった。両親との縁が薄かったコルネリアは自分で暖かな家庭を築きたいと言う思いが強いようだ。大貴族の夫人としては珍しい事に、夫であるヨハンの食事には、必ず自分の手作りの一品を添えるらしい。ヤガー君に聞いて用意していたのだろう。穀類を使った塩味ベースのスープと鶏肉料理はチャスカも好物だ。どうやらあちらの大陸の御馳走にかなり近い味わいらしい。
モタ修道士は酒豪で、僕もヨハンもいくら飲んでも酔わないたちだ。ワインを酌み交わしながら、大洋を航行するための船の手配や探検隊のメンバーの選定についての話が弾んだ。
「いやあ、今夜のワインはことのほか美味いですなあ」
僕もまだ見ぬ大陸に思いをはせて、大いに気分が解放された。その気分の延長で黄金宮の住まいに戻って来て、風呂に入ろうとした。当然のようにチャスカを呼ぶと「こんやはセルマさまがおまちのはずです」と言う返事が返ってきた。
『一日おきルール』を自分で破るのも不味いだろう。正直言って、今から部屋の外へ出るのは面倒だが、セルマは律儀に僕を待っているんだろうから、行かない訳にもいかないなあ……
手早く髪と体を洗って、身支度を整える。チャスカは当然のようにして、手伝うのだが……
「じゃあな、行ってくるよ」
「いってらっしゃいませ」
恭しく頭を下げるチャスカからは、いかなる種類の負の感情も、僕には読み取れなかった。
誤字訂正、結構ありました。見落としがまだまだありそうですね。
教えて頂けましたら、感謝感謝です。