僕と新たな出会い・6
母上の葬儀は一年で最も寒い時期に行われた。神聖教会の典礼で行われはしたが、参列者の顔ぶれは様々だった。これまでならミズホの弔問客やミッケリの新教会のメンバーが参加するなど、有り得なかった。
ユリエは急遽戻ってきた。だが亮仁と碧子は儀式のための潔斎期間に入っており、葬儀への出席は死の穢れを帯びるので取りやめるべきだと言われて諦めたようだ。
ユリエとナタリエが姉妹で連携し、煩雑な儀式も多くの弔問客の取りさばきも、すべて滞り無くスムーズに済ませる事が出来た。
慌ただしい毎日に、嘆く暇も無かったが、ひと月たつとさすがに落ち着いた。
「ユリエが戻ってくれて、本当に助かった」
「お役に立てて、ようございました」
「もう、ずっと一緒にいてくれるよね」
「……申し訳ありませんが、ミズホに立ち戻ってやるべきことが御座いますので」
「亮仁を養子にやるんじゃないか。十分だろうが」
「まだ、亮仁の婚姻の話をキチンと決めておりません。碧子の新居の準備なども有ります。それに、宮様が……」
「そんなに宮様が大切か。僕よりも」
「そんな、そんな事は有りません。でも、グスタフ様はお強い方ですが、宮様は御心が弱っておられて……宮様には頼れるものがおいでになりません。まだまだ亮仁では支えられませんから」
「帰ってきたと思ったら、また行ってしまうなんて、ユリエは残酷だな」
ユリエに対して決して好意的では無かった母上の葬儀に、わざわざ戻ってきたのは僕のためなんだと言う事は理屈では分かっている。でも、僕はひたすら恨めしかった。
「私がグスタフ様にして差し上げられる事は、もうほとんど何も御座いませんから……必要とされる場所に参ります」
「違う、それは違うよ。僕ほどユリエが必要な人間はいないはずだ」
「……チャスカを、お抱きになってませんのね」
「誰にもユリエの代わりは務まらないよ」
「私は私、チャスカはチャスカですわ。御遠慮がお有りですか? たとえばスコウホイ公爵に……」
「そんな事は考えなかった」
「いつまでも御不自由をおかけするのは申し訳ありませんし、やはりあの子を閨にお召しください」
「それこそクヌートとウルリカがどう思うか。考えたほうがよさそうだ」
自分の部屋に戻ろうとするユリエを押しとどめ、僕は久しぶりに強引ではあったが追いすがる形で抱いた。昔とは違う。僕が本気を出せば、ユリエの力では抗えない。
「酷い方……」
「ユリエが悪いんだ。体は正直なのに」
「おっしゃらないで」
「そんなに名誉ある撤退を望んでいるの? まだこんなに若々しく瑞々しいのに?」
「ええ。やせ我慢だとお思いでしょうが……醜くなった姿をお目にかけたくありません」
「今なら、間に合うから?」
「ええ。恐らく、ギリギリですわ。私はグスタフ様より十五歳も上なのですよ」
もう一度強引に抱けば、何か大切な物が壊れそうだった。
「……いつ、ミズホに立つの?」
「十日後には、失礼したいと思います」
「今度戻っても、僕とは寝ない……そう決めたんだな」
ついさっきとは、まるで違う固い決意が感じ取れる。僕が更に強引に事に及ぶ事は可能でも、そのせいで僕とユリエの間の大切な絆が損なわれるのは、もっと耐え難い気がしてきた。
「じゃあ、あと九日、いや、出発するまで一緒にベッドで寝てくれ。寝るだけでいいよ。こんな強引な事は、もうしない。そして、一緒に夕食を取ってくれ。頼む」
「ええ、わかりました。そのようにさせていただきます」
自分から僕に体を摺り寄せてきた。これほど互いの肌は馴染むのに、別れ話とは……
「お小さいころは、私が良く抱っこしてさし上げましたのに、今はこんなに立派な殿御ぶりでいらっしゃる」
「ユリエはずっと、変わらず綺麗なのにな」
「いえ、ずいぶん変わりました。髪には白髪も混じっておりますし、これからはもっと……。だって、私はグスタフ様より皇后陛下に近い年頃なのですもの、当然ですね」
そうだ。改めてそう言われてしまうと、確かにそうなのだった。母上は生んでくださった恩は有るけれど、一番僕の面倒を見てくれたのはユリエだった。
「ユリエに……孝行しないといけないか……」
「何だかそれでは、物凄く年を取った様な気がしてしまいます」
「そうか。言葉は難しいな……大好きで、大切で、独り占めしたいって事なんだと思うんだけどな」
僕は、ユリエに沢山キスをした。体中、すみからすみまで。最後に互いの舌と舌を絡ませるような熱っぽい接吻をして、まぶたにキスを落としてから言った。
「おやすみ」
ユリエはいきなり、ストンと眠りに入り込んだようだった。その顔をしばらく見つめるうちに、僕も深い眠りに入った。
「この子を、可愛がってやってください。でも、私の次にですよ」
ユリエがメイド見習いの服装で出てきたので、これは夢なんだとはっきり分かる。この子、というのは同じ格好のチャスカだった。僕が頷くと、ユリエは僕を抱きしめて、まぶたにキスをしたのだった。いつの間にか僕は幼い子供に戻っていた。ああ、夢の中だからな、と僕は夢を見ながら納得したのだった。そして、はっきり意識が戻ると、現実の朝になっていた。
それから十日、ユリエは僕と寝床と夕食を共にした後、ミズホへ旅立った。
「手紙を差し上げますから、泣いてはいけませんよ」
港で船に乗り込む間際のその言葉は、幼いころの僕に向けて言った調子そのものだった。僕は無言で頷くと、ぎゅっと抱きしめた。ユリエの旅が安全で、ミズホでも元気でいられるようにと願いを込めた。
ユリエが立ち去っても、まだこだわりも有ったし、母上の死から間もない所為も有って、一月ほど僕は一人寝を通していた。夕食は毎晩父上と一緒だったし、朝食はフレゼリク・レオポルドと食べ、昼食は官僚連中と一緒だ。葬儀で滞った事務処理も有ったし、葬儀に参列した他国の王族や大貴族らに対する答礼の手配も、まだ少々残っていた。
風呂に入ると、さっさと寝てしまうので、チャスカとはあまり顔も合わせなかった。ようやくすべての外交的な答礼に関するあれやこれやが片付いた頃、住まいに戻ると、ドアの前で倒れているチャスカを見つけて驚いた。熱が高い。他のメイドは通いで、住んでいるのはチャスカだけだ。あとは僕の居室スペースを挟んで反対側に二人の侍従が交代で詰めている。一人に暖炉の火を興させ、急いで医者を呼んでこさせた。
「過労状態であったところに、風邪を引いたと思われます」
どうやら僕が父上の所で夕食を終えた後、更に父上と話し合ったり、母上の遺品の整理に立ち会ったり色々有って、住まいに戻るのが遅かったせいらしい。僕が戻ったら、帽子や外套を受け取って、風呂場に入り込まないにしても着替えを用意したりしなくてはと、律儀に待っていたようなのだ。僕はそんなことはすっかり全部自分一人でやってしまうつもりでいたので、チャスカがそこまで気にしているとは思っていなかった。
「ヤタガラスは?」
「ショウザブロウ殿の所かと。ミズホ風の朝餉が出してもらえると、そうおっしゃっておられました」
意外な事に、正三郎は妻と一緒に帝国に残った。まだなにやら帝国でやりたい事でもあるようだ。僕は住まいと食い扶持を与えて本人の好きにさせているので、ミズホに戻るより自由なのかもしれない。
「この子は、ここで寝かせますので?」
「この子の部屋は寒いからな。明日になったら客用の寝室に移すが、今夜はこれでいいよ」
「殿下はどちらでお休みに?」
「この長椅子でいいさ」
「それでは余りに……」
「いや、いい」
そういうと侍従たちは下がった。
翌日、メイド達に言いつけて、客用寝室にチャスカを寝かせた。そして戻ってきたヤタガラスに介護を頼む。ヤタガラスはチャスカの不調に気付かす、正三郎のところに行っていたことを済まながっていた。
「それにしても、あれじゃのう、せっかくの折に、何も無かったのか」
「せっかくの折とは?」
「抱き上げて寝かせたり、着替えさせたり、口移しで薬でも飲ませるとか」
「馬鹿か、何を考えているんだ」
「バ、馬鹿とはなんだ、グスタフが放っているのがそもそも良くないのだぞ」
「だからって、なんでいきなり口移しだ。『吸い飲み』って道具がちゃんとあるから、寝たままの病人にも水や薬を飲ませることは出来るよ」
「何じゃあ、艶消しだな」
「何か? 僕を色キチガイにしたいのか? 熱のある幼い子を餌食にしろって言うのか?」
「いや、そうではない」
「そういう言い方に聞こえるよ」
「チャスカは待っているんじゃ、グスタフが自分を見てくれる日を」
チャスカの熱は二日ほどですっかり引いた。僕はその後もずっと、いつも通りの日程をこなし続けた。
そんなある日の御前会議の後、一旦僕は住まいに戻った。誰の出迎えも無かったので、そのまま書斎に入ろうとしたら、話し声が聞こえる。チャスカだ。
「わたしは、でんかをおしたいしてますが、でんかはわたしをなんともおもっておられません」
「そうかな。お前はグスタフの子を産むぞ」
「そうですか、うれしいです」
「だがその前に一度、故郷に戻った方が良い。うむ、グスタフと共に祖霊の祝福を受けよ」
「おい、モナ、それは本当か?」
僕はモナに貰った鏡を書斎の机に飾っているのだが、僕の呼びかけ以外、誰にも反応し無かった鏡をチャスカは使っているようだ。
「おお、グスタフか。このチビは、すごいやつだ。見た事も無い色の不思議な鳥の加護を受けている。波動が美しいなあ。早く、このチビの祖霊の地に赴き、一緒に祝福を受けよ。きっと良い事が有る」
「モナ、子供がどうのこうのって、本当か?」
「本当だ。まだ授からんだろうが……ん? 交わっておらんのか、まだ」
「ああ」
「なら、交われ。チビはお前が好きだぞ」
「そんな事を言うがなあ」
「交われば、チビとの絆が強まり、グスタフもチビの祖霊の加護を受ける。良い事ではないか。ではな、うんと可愛がってやれ」
モナは例によって、言いたい事を勝手に言い散らかすと、姿を消した。
チャスカは僕の書斎を掃除していて、机に乗せた鏡も艶出しの布で拭いていたらしい。いつもは鏡は触らなかったが、今日は気が向いてふと拭いたそうだ。
「すると、でんかのあねうえさまが、おすがたをうつされました」
「ふーん、モナが僕の姉だと名乗ったか」
「はい。おおきなけもののかごをうけておいでだと、うかがいました」
「モナに向かって言った事は、本当か?」
「そのう……でんかをおしたいしている、ということですか?」
「ああ。親を思うような気持ではないのか? 僕はお前の父親であってもおかしくない様な年だぞ」
「ちがいます。ちちはたいせつですが、おしたいするのはでんかだけ、です」
夢見がちな黒い瞳を僕に向けるその顔を、これまでになく愛らしく感じたのは確かだった。
誤字三か所訂正しましたが、見逃しが有ると思います。
教えていただけたら、大変ありがたいです