僕と新たな出会い・5
僕は久しぶりに大宰相とゆっくり話をした。
「回顧録の執筆は随分はかどっているように聞いているが、その後、調子はどうかな」
「胸を張っておのれの仕事だと言えるような事柄について書くのは、簡単ですが……不始末やら、失策について反省しながら書くのは、しんどいものが有りますな」
「ならば……書きやすい年までで、後は後世の者に評価を任せると言う事でも構わないのではないか」
「兄上、僕が父の手助けを致しましょう」
ヨハンが思いがけない事を申し出た。
「二人の考えは、かなり違う部分も有るのではないかと思うが、大丈夫だろうか?」
「さよう、ヨハンも私もそれぞれ意見が違います。互いの記憶なり日記なりつきあわせて、事実関係のみ書き記すにとどめましょう。それぞれの評価は後世に任せましょう」
「だが、当事者としての意見なり感想なり、有るだろう?」
「では、ヨハンの見解も書き添えると言う事にしましょうか。両論併記という奴ですな」
「ああ、それだって全然構わないさ」
過去の記録がともかくも残ればよいのだから、当事者の大宰相のやりやすい形で十分だと思う。
ヨハンの邸で夕食を食べたわけだが、その際、やはりスコウホイのアンニカの話が出た。
「殿下は歳をお取りにならない稀有な方ですから、娘のウルリカより孫の方がふさわしかったのでしょうな」
「父としては兄上の正妃に自分の孫を迎えていただけるのならば、大変に嬉しいようです」
「クヌートとの約束も有るし、ヤタガラスに言わせると魂の相性が良いそうだから、次の正妃はアンニカで決まりだよ」
「ありがとうございます、殿下。ですが、今、殿下は御不自由なさっているように陛下からチラッと伺いましたが……」
父上も話題にお困りになったからって、そんな事を大宰相に話される必要も無かろうに……
「うむ。ユリエがいないとね、色々不便だ」
「父上、余りそのような話は……」
「おお、嫁も居るのに無神経だったな」
「兄上に、失礼ですよ」
「良いんだ、ヨハン。確かに不便なんだ。だからって気心の知れない者を、僕の部屋に入れたくないしな」
コルネリアが珍しく、口を開いた。
「ユリエ殿がしつけておられた、異国の女の子はいかがなのですか? 確かにまだ、言葉などはおぼつかない感じも致しましたが、大層愛らしい子ではないですか」
「ほう、そのような年若い者が殿下の御部屋に?」
大宰相は興味津々だ。
「ええ。あのヤタガラスさまの御縁に繋がる血筋なのだそうです」
「ああ、僕も見たよ、その子なら。昔のユリエ殿にどことなく面差しが似ているような気もしたな」
ヨハンもいらぬ事を言う。
「ドランメン伯爵夫人が認めたのなら、将来有望と言う事でしょうかな?」
「そういえば、お父様、その子はユリエ殿が黄金宮に上がられたばかりのころの衣装を頂いたのですって。うちの邸の者たちが噂していました」
「あの子は生まれ育った村の者たちと一緒に、ミッケリの武装した連中に無理やり船に詰め込まれて、奴隷にされてしまったのだが、たまたま逃げ出して、僕が保護した。それだけなんだよ」
「ミッケリが『未知の大陸』を発見して、そこで得られる財物を教会に献上すると言う話は聞きましたが、そうした有無を言わさぬやり方ですか」
大宰相はあまりこの件に関して、知らなかった様だ。
「我々やミッケリの人間にとっては『未知の大陸』であっても、向こうにしてみれば独自の歴史も文化も宗教も存在するのだ。それを勝手に破壊して良いと言う事にはならないと僕は思うよ」
「教会の連中は、自分達と違う宗教は認めませんからね」
「異教徒の国・ミズホの王族扱いとなった僕なんて、教会からしたら『悪魔』なんだろうよ」
「教会のような了見の狭い考え方は、おかしいと思います」
コルネリアは教会に毒されていないようで、良かった。
「あの子、チャスカはその『未知の大陸』の王家の血筋の者かもしれないのだ」
「ほほう、ならば殿下、その子を側妃となさって、『未知の大陸』への進出の足掛かりとなさいますか? ミッケリを排除する良い手立てとなるかもしれませんな。ふうむ」
大宰相は、どうしても教会以外の宗教の国は『進出』して構わないと考えがちだ。体の弱った老人とあまり議論もしたくなかったので、適当に切り上げたが……チャスカがミッケリの勢力を排除する手立てになりうると言うのは正しいのだろう。
考え込んだまま馬車に揺られて黄金宮の住まいに戻ると、他のメイドの姿は見えず、かなり夜遅いのにチャスカが一人で出迎えた。父上に言われた事や、ユリエの言葉を気にしている所為か、めっきり娘らしくなったと思う。確かに、同じ年頃のかつてのユリエと体の大きさは同じぐらいなのだろう。だがユリエが十代のころ、僕は幼児だった。今の僕の身長は6フルト4イルチ、地球の日本式で言うなら1メートル93センチだろうか、そんなところだ。だから、容易に抱き込めてしまえる……って、何考えてるんだか。
「ユリエに何か言いつけられたのか?」
「はい。でんかのお、おせなかを、おながしして、おからだを、お、おふきして、おめしかえの、お、おてつだいをせよと」
「いや、良いよ、自分でやるから」
「……そいぶし、も、ごようめいが、ありしだい……いつでも、う、うけたまわる、ように、もうしつかって……おります」
「なあ、チャスカ、意味わかっているのか?」
「はい」
「ユリエに聞いたか?」
「ゆりえさま、にも、みなさま、にも、う、うかがいました」
「困ったなあ。まあいい。僕が自分でするから、部屋に戻りなさい」
「はい……」
「戻りなさい」
「はい」
困ったものだ。ユリエが旅立った翌日から、僕が風呂に入るとチャスカが付いてくるようになった。この押し問答を繰り返すようになってから、セルマの所に三度ばかり逃げ込んだが、セルマにまでチャスカを抱けば良いと言われてしまう始末だ。確かにユリエはセルマに相談したって言ったものなあ……あーあ。
げっ、何だ? 露出過多のベビードール?!
僕が風呂に入っている間に着替えた。いや、着替えさせられたのだろう。
こんなの、このルンドでも有ったのか!
「お、おい、チャスカ、その恰好は何だ」
「これが……でんかも、おすきなはず、と、えりしゃさん、と、みるらさん、と、ふるりあさん、と、さはるさんが、おしえてくれました」
エリシャ・ミルラ・フルリア・サハル……全員亭主持ちで、孫までいるおばちゃんのメイドたちだ。四人がかりで、チャスカに色々吹き込んだらしい。それにしても過激な衣装だな……
「み、みぐるしい、ですか?」
「いや、可愛いが、そんな恰好、他の男に見せるなよ」
「おつかえする、でんか、にしか、おみせ、しません」
「チャスカ、自分の部屋に戻って寝なさい」
むき出しの肩に僕のガウンをかけてやり、廊下を隔てたチャスカの部屋まで一緒に向かう。
「ん? 鍵がかかっているな。誰がかけたんだ……」
「で、でんかの、おへやで、ごいっしょ、する、からって……たぶん、えりしゃさんが……」
僕は、つい、ため息をついた。思いっきり読まれているなあ。
「分かった。じゃあ、おいで」
「あ、あのう……」
「何だ?」
「わ、た、し、ゆかで、ねます。ご、めい、わ、く、ですから」
何でそんな風に言うのか、手を握ってみるとはっきり分かった。僕がチャスカを保護して宮殿に置いているが、好みのタイプではないのだろうから、一緒に寝るのは迷惑だし、不快だろうと感じたようなのだ。
「体が冷えて風邪をひく。まず僕の部屋に戻ろう」
僕の部屋に戻ると、自分でハーブ入りの茶を淹れた。穏やかな眠気を呼ぶ香りだ。チャスカにも飲ませ自分も飲むと同じベッドに入ったが、背中を向けて眠ってしまう事にした。
「パカヤカシック!」
「イリャ!」
「ティクシ・イリャ!」
多くの人間が、口々にそんな言葉を叫んでいる。見た事も無い山、見た事も無い海、一体どこなんだろうか? 長く続く海岸線だ。遠くにかなり高い山々が連なっているのが見える。僕、うん、僕だと思うんだが、赤と黄色と紫の派手な色合いのマントを羽織ってデカい金色の冠をかぶって、ジャラジャラ重たい金の胸飾りをしてる。隣に似たような色合いのマントを羽織ったチャスカが立ってる。チャスカは重そうな翡翠のネックレスや腕輪をドッサリしているようだ。
「ママ!」
「パチャ・ママ!」
目が覚めると、陽が射していた。パチャ・ママという言葉だけ意味が分かった様な気がする。地球では後に聖母マリアと同一視された大地の女神だ。
僕はそっとベッドを抜け出し、冷たい水を一杯飲んだ。すると、誰かがドアをノックした。僕が開けると、侍従が息を切らして立っていた。
「大変です、殿下、皇后陛下が、皇后陛下の御容態が」
「急変したのか」
「はい」
「エリシャ! ミルラ! 急いで来てくれ」
僕は年かさのメイド二人を呼んだ。侍従は引き取り、チャスカはベビードール姿でベッドから飛び出した。目を覚まして異常事態の発生に驚いたらしい。駆けつけた二人に、勝手にチャスカの部屋に鍵をかけないように命じながら、服を着替えはじめる。僕が不在の時間が長くなりそうなので、手紙や来客の取次などについて話を詰めておく。
これで当分、メイド達のお節介は止むだろう。
大宰相は宮殿に近いヨハンの邸に滞在しているので、母上の容体が急変したと至急知らせた。ヨハン夫婦に付き添われて、大宰相もすぐにやってきた。
医師は「手を尽くした」そうだが、為すすべが無かったらしい。ずっと高い熱が引かず、母上は呼吸するのも苦しそうだった。そのうち、僕の子供らも含めて母上の血縁にあたる者の大半が集まった。セルマはすぐに来たが、侯爵夫人は最初は遠慮していた。
「来て頂け」
僕がセルマに特に言って、やはり来てもらう事にした。確かに侯爵夫人とは腐れ縁だろうが、互いの孫はこだわりなく交流しているのだから、その方が良いと言う気がしたのだ。母上の意識がハッキリしていたなら、非常にイヤがっただろうが……
グラーン侯爵夫人は泣いていた。涙が止まらないようだった。
「お前が本気で泣くとはな、ソフィーエも驚くだろうよ」
父上の口調は皮肉っぽかったが、穏やかな表情をなさっていた。
「恐れながら、皇帝陛下の宮廷は『黄金の百合』と『咲き誇る薔薇』に彩られておりましたからなあ……あのころを思うと懐かしい気分になります」
「エリクも主役の一人であっただろう」
「憎まれ役では有りましたが、陛下のおぼしめしにより充実した日々を送らせていただきました……それにしても、お苦しそうですな……もう少し楽にして差し上げる方法はございませんのかなあ……」
母上の苦しそうな様子を目にしていると、大宰相も静かな気持ちで見送る心境になれないだろう。
「グスタフの力を我の力と合わせると、少し母上の苦しさが和らげられるがの」
ヤタガラスがそんな事を言った。父上が試せとおっしゃるので、言われるままに右手で母上の手を取る。左手をヤタガラスに繋ぎ、目をつぶって母上が穏やかに寝ておられる様子を思い描いた。
おおっ、と言うどよめきを耳にして僕が目を開けると、母上の呼吸は穏やかになり、熱も引いたのだった。
「ああ、グスタフ、父上は? おいでかしら?」
母上の声は、とても小さかった。僕は場所を父上と交代する。
「ソフィーエ、エリクもいるのだぞ」
その言葉を聞くと、母上は父上がお座りの側の右手はそのままで、震える左手を伸ばし、消えそうな声でエリク、と呼んだ。大宰相は左手をしっかり握った。
「私は……至らぬ、妻でした」
「それはお互い様だ、ソフィーエ、お前はグスタフとロルフを産んでくれた。感謝しているよ」
「エリク……あなたには、迷惑ばかり掛けたわ」
「いいえ、飛んでも有りません。良かれと思っての事ではありましたが、私の勝手でいたしました事で、かえって御迷惑をおかけしました。申しわけ御座いませんでした。幸せな時間を頂きましたし、ヨハンという跡継ぎも生んで下さいました。ありがとうございます」
「良かった、本当に……良かったわ」
それが母上の最後の言葉となった。二日間眠り続けた後、母上は息を引き取った。