僕と新たな出会い・3
ルンドと地球の大きな違いの一つが、シナイ半島に相当する土地が島になっている事だ。紅海の水が真っ直ぐ地中海に繋がる。スエズ湾もアカバ湾も湾ではなく、海峡だ。おかげでアフリカに相当する大陸の沿岸部を回ることなく、帝国側から真っ直ぐミズホの海域に繋がる大海に出ることが可能だ。だが、逆にそのことが災いして、アフリカに相当する大陸の南半分は未知の状態で放置されたままな訳だ。ルンド的な大航海時代はこれからかもしれない。
ヤタガラスは自分の末裔であるらしきチャスカに対して、父性的ともいえる愛情を示している。ユリエとチャスカの意思疎通もヤタガラスの助けを借りて少しづつだが、スムーズになってきた。それは良いのだが……御前会議から戻ると、チャスカが黒いひざ下丈のメイド服を着て、真っ白いレースの三角巾をかぶっているのに驚いた。黄金宮では見習いメイドは三角巾で、一人前になると丸い帽子を銀のピンで留めつけるようになる。
「私が黄金宮に上がった最初の年に着ておりました衣装です」
「似合うな。ああ、身分証をちゃんと渡してやったのだな」
メイドやメイド見習いは、首から担当部署を示す身分証を下げているのが決まりだ。別に部屋から出なければ身分証は必要無いが、食べ物や燃料を受けとりに外部の部署に出たり、共同洗濯場を使ったりする時に必ず提示しなくてはならない。幾つかの護衛や歩哨が立つポイントを通過する際も必要だ。
父上の部屋の者の身分証は深紅の地に皇帝の冠が図案化されたマークがついている。僕の部屋所属の身分証は同じ地色に摂政位を示す皇国の軍事・司法・行政権を示す三個の宝石をつけた笏を図案化したデザインだ。他の皇族は深紅の地色だが、爵位に応じた星の模様がついている。大公のロルフは三個、他の者は二個だ。
表向きの決まりでは、父上の部屋のメイドと僕の部屋のメイドと大公であるロルフのメイドが共同の洗濯場で鉢合わせした場合、最優先されるのは父上のメイドのはずだが、実際は僕の所のメイドが最優先、次はロルフの所となる。不思議に思ってかつてユリエの師匠役も勤めた老メイド長に尋ねた所、こんな答えがかえって来た。
「皇帝陛下のメイドは数が多うございますし、陛下御自身の大切な御品は陛下専用の洗濯場でお取扱いいたします。一方、摂政殿下のメイドは常に五人以下で御用をこなしておりますし、急ぐべき御事情が有る場合がほとんどです。大公殿下には十名のメイドがおりますし、国政に関わるお忙しいお立場ではないですから」
何でも、僕が静かな環境で効率よく物事が運営されていないと、自分で何でもやってしまいそうになるので、有能な者を五名選りすぐり配属しているらしい。
「摂政殿下の御部屋に配属するものは、一人一人が並みの貴族の邸の取り仕切りなら楽々こなせる水準に達したものばかりです」
その言葉を聞いて、僕はこの老女の判断にますます敬意を表したのだった。
メイド長の補佐役を暫定的にユリエの妹ナタリエがこなしているが、しっかりした後継者はまだ、育っていないのが実情だ。考えてみれば、現在僕の所に配属されているものはユリエ以外は夫がいて子がいて孫もいる者ばかりだ。男の侍従は常時三人ばかりいるが、皆経験不足なので古参のメイド達に教育される立場だ。生まれた家の格式と僕の部屋での序列は、まったく別個だと僕が常々言っているので、大貴族の息子でも僕の所で三年ほど修行すると、見違えるように気働きが出来るようになり、良い結果に結びつくようだ。
僕の部屋を取り仕切り妃同然と見なされているユリエが、自分の服をチャスカに与えた意味は大きい。これで宮中で表だってチャスカをいびったりするメイドや女官は出ないはずだ。もっとも、陰で何をやるかわからん連中は宮殿内にもいるので、用心は常に必要だが。恐らくヤタガラスの父性的愛情が大きな守りとなるだろう。
チャスカの手を取って、意識の疎通を計ると、興味深い事がわかった。
(この国の王の中の王の宮に仕える役目、うれしい)
どうやら故郷の国において神聖視されている『王の中の王』の住まいは生ける神の神殿のような素晴らしい場所と考えられていて、そこに村や町で選抜された少女が奉仕ないしは奉公に上がる制度が有ったらしい。
(チャスカは王の中の王の宮に近づいてはいけない、と父に言われた)
(なぜ、いけないと?)
(聖痕を宿していると知られたら、神の供物にされると言われた)
(聖痕? それは何?)
(私の背中に二つ有る、碧の痣)
(どんな意味が有るのかな)
(私にはわからない。父は神官や巫女に知られたら大変だと言っていた)
(僕に、その聖痕を見せてくれる?)
チャスカは真っ赤になって、頷いた。上質の生成りの絹を思わせる肌、黒々とした大きな瞳と長いまつ毛、少し口角が上がりくっきりとした小さな唇は花びらを連想させる。可愛いなあ……自分でも思ってみなかったような種類の感情が、いきなり湧き出てきた感じで、ちょっと戸惑った。今の『可愛いなあ』は肉欲を伴っていなかっただろうか?
僕はユリエとヤタガラスを呼び、チャスカの上半身を裸にした。あばら骨がむき出しで痛々しいほどのまだ幼い体の背中に、確かに奇妙な痣が二個ある。左右対称に肩甲骨のすぐ下に、緑色いや碧色というべき一種の金属的な光を宿したホクロというのか何というのか、良く見るとそれぞれが三日月形なのだ。
チャスカが微かに身震いした。どうやらチャスカの国の文化では少女であっても男に肌身を晒すのは、その者が自分の主であるか将来の夫で有る場合しか許されない、極めて異例の事で、肌を人目にさらすこと自体、相当に『恥ずかしい』らしい。可愛そうに、僕に言われたから、じっと我慢しているのだ。
「もういいから、ユリエ、元通り着つけてやって」
ユリエはチャスカを隣室に連れて行った。
「なあ、ヤタガラス、あの痣の色、あんたのつがいの羽の色か?」
「色だけではない。あの小さな点にだけ、強いつがいの気配を感じた」
「やはり、そうか。チャスカの父親は、あの痣の意味を承知していた。そしてそれが神官たちに知れると、チャスカの身が危ない、そういう事かな」
「御家騒動のようなものがチャスカの国の王の所でも、有るのやもしれん」
「神の供物って、言葉を感じたんだが、人間を生贄にするのかな」
「どうも頻繁に人間を生贄にする国らしいぞ。日照りでも大雨でも、不作でも豊作でも」
ふーむ。ますます僕の知っている中南米のいくつかの文明に似ている気もする。
「捧げる神はどんな神なんだろうな」
「太陽の神と大地の神、水の神が多いようだ。生贄になる人間は清らかな存在が選ばれるらしい。チャスカの母は生贄に選ばれたが、清らかな時期に大干ばつも水害も無かった故、村に戻された者らしい」
「清らかな時期って、子供って事か?」
「んー、良くわからんが十四歳を過ぎると清らかではないらしいな」
チャスカの聖痕が帯びた気配は、恐らくその国の『王の中の王』の気配と同じものでは無いかと言うのがヤタガラスの意見だった。ヤタガラスのつがいが今も神聖な存在として、国の人々に強く意識されているならば、有り得る話だ。
「チャスカは『王の中の王』の隠れた血縁か、重大な障害、あるいは正統性を揺るがす存在、そんな所かな」
「恐らく、そうじゃろう。どうやら神官どもが政に大きく関わる国柄のようじゃ。千年ばかり前のミズホも巫女が大きな力を持っておったから、似ておるかの」
「チャスカの故郷の神官にもこっちのソフス・ネスみたいな、私利私欲まみれの奴がいるかもな」
「力のある悪い神官が、チャスカを見つけたら殺すだろう、父親の言葉はそんな意味じゃろうか?」
「僕もそう思う」
それから数日して、ミッケリの軍艦三隻と武装商船一隻が未知の大陸を目指す事に決まった、そう言う情報がもたらされると、ヤタガラスは短い手紙を残して、いきなり黄金宮を出て行った。
「こっそり船を沈めてくる。心配無用」
ミッケリは神聖教会の影響力の強い土地柄だ。迂闊な事をするとヤタガラスは『悪魔』として傷つけられるのではないかと心配だったが、出て行ってちょうど一月目に、無事に黄金宮に戻ってきた。
「おい。この一月音沙汰なしで、心配したぞ」
「すまん。夜も昼もカラスの姿で、色々やっておったんじゃ」
セルマの実父オーレの実家にあたるサロマキ家で、たまたま見つけた空き家状態の伝書鳩用の小屋を根城にして、ミッケリの情報を探ったらしい。店の看板や樹に止まってじっと耳を澄ますと、重要なニュースを色々拾う事が出来たようだ。ミッケリではかつてのガレー船から帆船へと主力が切り替わりつつあり、どの商会も帆船の操船知識を持つ者は高額で召し抱えるので、各地から船乗りが集まって来ていたと言う。また、海になれた傭兵も大量に雇用されていたようだ。
それらは皆、未知の大陸を武力で制圧するための準備だろう。
「じゃが、船が全部沈めば、どうにもならぬよ」
ヤタガラスは、新造の軍艦二隻と改装した軍艦と商船各一隻をシロアリの力を借りて、沈没させることにしたのだと言う。まだ船が造船所にある内から防腐防カビ加工をした塗装面の目立たぬ部分をこっそりはがし、継ぎ目には錆びた金属片や釘を突っ込むと言う事を根気よくやったらしいが、進水式を終え海に浮かべた後も、まだ様々な機器の取り付けが残っている。その段階で集中的に、人目に触れにくい床下の構造材にシロアリを仕込んだらしい。そしてシロアリが活性化するように特殊な作用のあるキノコも一緒に突っ込んだと言う。更には構造材にそのキノコの汁を塗りつけたりもしたらしい。
「シロアリどもが昼となく夜となく、船の構造材を食い散らかしてくれれば良いのじゃからな」
真夜中に大きな音を立てて四隻ともバラバラに壊れたのを無事確認して、ヤタガラスは戻ってきたそうだ。
「我がやったと言う証拠はなかろう」
そうヤタガラスは言ったが、造船場に現れる黒いカラスを不審に思った者が恐らくいたのだ。一月も立たないうちに『不老の悪魔』が『異教の邪神』に船を沈めさせたのではないか、そんな噂がミッケリや神聖教会の大本山で飛び交うようになったらしい。だが、証拠は恐らく見いだせなかったのだろう。シロアリを使った手口も恐らくはバレてはいない。まあ、僕が命じた訳じゃないし。
御前会議でもミッケリの沈没船の話題が出た。
「神聖教会の坊主が『不老の悪魔』が怪しき光を発して船を焼いたとか、世迷言を言っておりますぞ」
シロアリでぐずぐずになった構造材がバラバラになった夜は、激しい暴風雨で、雷も鳴ったらしい。だからそんな風に言うんだろうか。
「ざまあみろですな。大金を投じた新造戦艦二隻も、他の二隻もバラバラだそうですから。当分ミッケリの三元老は資金を工面する気にもなりますまい」
「ミッケリや教会の呪われた連中に対して神の鉄槌が下されたとか、邪な企みを真の神が打ち砕いたとは言わないんだね」
僕がニヤニヤして言うと、御前会議のメンバー達は手を打った。
「おお、そうですな。そうなのかもしれませんなあ」
「ならばこれからはミッケリで商売をしても、色々とケチがつくかも知れませんな」
ただでさえガレー船から帆船への切り換えで帝国に後れを取った感じの有ったミッケリは、ますます帝国に引き離される事になった。単に四隻の船がおかしな沈み方をした、それだけではない。その後のミッケリの連中の事態の収拾の仕方に誠意が見られなかった、人を呼び寄せておいて、あるいは使っておいて、びた一文払わなかった、そういう評判が船大工や船乗り・傭兵、あるいは各種の職人、貿易商の組合・ギルドに広がってしまったのだ。
「商売するなら、これからは帝国だな」
「おうよ。トリアが一番だ」
珍しく『大女亭』に行くとおっしゃった父上のお伴をして、名物の黒ビールとタラのコロッケを味わった。店は以前にもまして大繁盛している。近頃はミッケリに見切りをつけて移住してきた商人なども、良い客であるらしい。
「不老の悪魔殿下に乾杯!」
「乾杯!」
その声を聴いて、父上はお笑いになった。
「お前はますます有名になったな」
「僕が船を沈めた訳じゃ無いんですけどね」
「それはそうと、お前、あの新しいメイド、どうする気だ?」
「折を見て船団を仕立て、生まれ故郷に送ってやりたいと思いますが」
「ほう? そうなのか?」
父上は面白い物でも見たと言う顔つきをなさった。
「てっきり、ユリエの後釜に据えるのかと思ったのだがな」
「……ち、父上」
「まともなものを食うようになって、付くべきところに肉が付いて来たではないか。月の物は始まったか?」
「さあ、存じませんが」
「そうか、お前が知らぬのか、ハハハ」
父上は声を立ててお笑いになった。僕は……憮然とした表情だっただろうと思うが……