複雑すぎる僕の家庭事情・1
個人と公人としての立場がはっきりしない毎日は、それなりに鬱陶しい物なんじゃないかと思われます。
そもそもこの国の皇太子って時点で、通常の家庭生活とかプライバシーとか、ちゃんと存在するのか怪しい状況なんだが、六歳になっても僕はユリエに身の回りの世話をして貰っている。おかげでユリエはこの国の適齢期を完全に超えてしまったのが、僕としては悩みの種になっていた。
「ユリエ、ごめんね。僕のせいでお嫁に行きそびれて」
「よろしいのです。殿下はまだお小さいのですから、そのような事はお気になさらなくて」
いやいや、やっぱり、まずいだろう。僕はユリエに惚れ込んで居るけれど、十五歳の年齢差は有るし、身分制度の壁は厚い。皇后は個人の感情や事情は抜きに国家事業として決められるようなものだし、側妃は他国との同盟のための制度だからユリエを据える事は無理だ。不安定な愛人の立場には置きたくないし……
癪にはさわるが、男振りも人柄も良くて、できれば金持ちの貴族をユリエと結婚させるしかないかな……などと、近頃は考えている。ユリエが爵位持ちの貴族の夫人になったその後なら、公式愛人への道も開けるかもしれない。
「結婚したい人、いないの?」
「おりません。私、理想が高いですから。こちらで末永く働かせていただければ、それで十分幸せです」
いやあ……それで十分幸せって言いきられると、僕としては心が痛む。
何しろ妹のナタリエはイヴァルとの間に既に長男・長女を儲け、エリート官僚の妻としてまずまずの幸せな暮らしを送っているのだから。宮廷をめぐる贈収賄には抜け目なく目配りをし、国家予算の無駄には容赦なく大なたを振るう辣腕家が、愛妻には猫なで声で「ナタリエちゃん」と呼びかけ、何でも言う事を聞いてしまう状態なのはあまり知られていないが、事実だ。
イヴァルが僕にあんまりきつい宿題や課題を与えると、僕は時々「ナタリエに、ちょっと話を聞いてもらわなくちゃ」と言ってやる。すると瞬間、イヴァルが半べそをかくのだ。面白い。見るからにイケメンの秀才面なので、時々苛めたくなる。って、僕はサドだったか?
「殿下!」
「イヴァルちゃんたら忙しいせいか、最近僕につらく当たるんだって、泣きつく事にしよう」
「ですが殿下なら、この位、お茶の子さいさい、軽くお出来になります」
文字の読み書きは二歳で完全クリア、三歳からは通常の貴族が書く程度の社交的な手紙や招待状ぐらいは楽にこなせるようになっていた。四歳からは高等文官採用試験の受験対策そこのけの高度な内容になってきた。それは、別に良いんだけどさあ……時々、非常につまらない糞暗記を要求するのだ。
「面白くも無い帝国法の大法典の書き取りなんかで、貴重な昼寝の時間を犠牲にできるか!」
「ですが、殿下、来月からは御前会議にも御出席あそばすのですから、法典の理解は必要不可欠です」
「書き取らなくても、暗記なら出来るって」
「一字一句、正しく覚えていらっしゃいませんと、執政官たちの論議について行けないかと思いますが」
「じゃあさ、イヴァルちゃん、君が鬱陶しい会計報告その他もろもろのお仕事が済んでからで良いよ。多分明後日あたりかな?」
「はあ。そのつもりです」
「明後日に、試験してくれればいいよ。覚えていなかったら、言われた通り書き取りするから。ユリエと一緒にお茶飲んだり、昼寝しながら適当に斜め読みした方が、むしろ効率良く頭に入ると思うんだ」
(ちっ、美人なお姉さまとお昼寝? 生意気ですよ、殿下)
そうそう。本当はイヴァルは僕の守り役になってすぐ、しっとり系美人のユリエにモーションをかけたのに、何の反応もしてもらえなかったのだ。何せユリエったら僕一筋なんだもんな。そこでイヴァルは諦めたみたいで、可愛い系の妹・ナタリエに攻略対象を変更したら、あれよあれよという間に話が進んで結婚してしまう事になったのだ。そうした経緯が有るので、ユリエと一緒に風呂に入っちゃったり、添い寝してもらったりする僕が、時々妬ましくなるらしい。
そうは言っても、帝国に対する忠誠心に揺るぎは無いし、皇太子としての僕の資質を高く評価してはくれているのだが、それはそれ、これはこれ。まあ、男心も微妙に揺れるのだ。
(いかにも全部わかっている、ってお顔ですね。本当にわかっておられるから、実に始末が悪い。綺麗なお顔が悪魔に見えますよ、時折)
そうか? そんなに苛めたつもりは無いんだがな。そうだ。こうした時は相談事を持ちかけよう。
「なあ、イヴァル、ユリエの嫁入り先、何処が良いんだろうなあ」
「姿形も見苦しくなく、頭もほどほどに良くて……何より人柄の良い男となりますと……」
「爵位持ちで、豊かで、人柄が良い男なんて、余りいないな。ま、ユリエを大切に出来るなら良いか」
(殿下は将来はユリエ殿を公式愛人になさりたいと、お考えかな?)
やっぱり、イヴァルはそう思うよな。実際そうなんだが。
公式愛人、これはこの帝国の独自の制度で、地球の絶対王政下での公妾に近いものだ。
実態は乱れまくりなんだが、建前上は一夫一婦制がこの国の婚姻制度の基本だ。
皇帝だけが例外で、正当なる後継者を得るために婚姻した相手を皇后とし、近隣諸国との同盟の証として側妃を迎える。通常は側妃は四人程度だ。側妃の産んだ皇帝の子供は絶対帝位にはつけない。母親の故国の王族となるか、帝国の貴族の一人となる。
正当な後継者を得た後は、皇帝にもそして皇后にも愛人を選ぶ自由が認められる。
その中で生活や活動にかかる費用が公費からの支出として認められるのが、公式愛人だ。公式愛人はこの国で出生した貴族階級に所属するもので、人柄・見識共に国政に参与する資格が有ると査問会で認められなければいけないのだ。相当なカリスマ性やら気品やらが無いと勤まらない。
歴代皇帝のなかで、公式愛人を持たなかった者は稀だ。逆に、歴代皇后で公式愛人を持った者はわずかに二人しかいなかった。だが、つい先日、母上は公式愛人の認定を申請したのだ。