二十二歳の僕と過ぎ行く日々・3
久しぶりの宮様、というか珠宮聡子内親王殿下は以前の美少女から美女って感じに変化していた。一生独身かもって聞いていたが、本当にそうなりそうで、今も巫女としての役目を変わらずつとめている清らかな御暮らしぶりらしい。
「新しい邸の風呂はもっと湯量が豊富になりました」
宮様の邸に一泊お世話になることになった。立て直した場所で掘り当てた温泉を大きな露天風呂に引き込んだみたいだ。ユリエがアイデアを出したと言う『打たせ湯』なんかも作ってあって楽しいが、やっぱりデカい湯船に満ちた乳白色の湯と夕焼けで赤く染まる御山、これが最高だ。絶景の独り占めっていうのも悪くないが、ユリエと一緒の方がやっぱり楽しいだろうな。宮様の手前、そんな話は出来ないが。
食事も御一緒した。宮様が御簾なしで顔を晒す男って原則として親族だけらしいが、僕は親族扱いだ。まあ、確かに互いにテレパシーで会話できる数少ない相手ではあるし、神霊の存在を身近に感じているから、彼らに嫌われるような『不埒な行い』に及ぶ恐れは、まず無い訳だが……
夕飯の後、琴の演奏なんてしてくれて大サービスだ。
するとヤタガラスがやってきた。正直助かった。妙な雰囲気になりかけだったと思う。僕がっていうより宮様が。変な流し目モードだったし。まあねえ……年頃の女性に『生涯恋愛禁止』ってきついんだろうと思う。ミズホの巫女は神の花嫁、と言う訳でも無いわけで、清らかじゃないと神力が落ちると信じられているからにすぎない訳で……はっきり言って、神力と関係あるかどうかはわからない訳だし。
ともかくもヤタガラスが乱入して、僕の膝の上に乗っかって、勝手にお菓子をパクつき始めたから、雰囲気が大きく変わった。おかげで僕も宮様を傷つける言葉を一言も吐かなくてすんだ。
「我が助けてやって、良かったろう?」
「アハハ、やっぱりそうか」
「誰も傷つかん方が良いからのう」
「そういやあさ、ヤタガラスって彼女とか奥さんとかいるの?」
「つがいは生き別れた後、どうなったのか良くわからん。ずいぶん昔じゃから。それからは独り身だ」
「ええ? 七歳児の格好のくせに? 良くわからんなあ」
「この幼いおのこの姿は、楽じゃし、人が嫌わないし、菓子やら飯やら食う時に具合が良いから、この形を取っているだけじゃ」
「髭オヤジじゃあ、好物のお菓子が出ないって事?」
「うむ。酒になるなあ。酒も悪くないが、やはり菓子の方が好きじゃ」
「つがい、って相手は鳥なの? 人なの? やっぱり神なの?」
「おそらく鳥の形の神霊じゃなあ。美しい心地良い波動だった……」
ヤタガラスの説明によれば、若いころって、いつなのか皆目不明だが相当な大昔みたいだ。で、その若いころに「力の続く限り飛び続ければどこまで行けるか」という酔狂を起こして、実行したらしい。
「見たことも無い花が咲き、実が実る森が有った。その森で一際大きな木に止まると、そこで一羽のそれはそれは美しい鳥を見つけたんじゃ。輝くような不思議な羽の色でのう。碧かと思えば深い蒼にも時には黄金色にも見える。腹のあたりはこれまた驚くように鮮やかな紅じゃ。長い尾羽が飛ぶたびにヒラヒラ舞うようじゃ。本当に、綺麗じゃった」
ヤタガラスはその美しい鳥に幾日もついて回り、ついにつがいになったそうだ。
「言葉を交わすとか?」
「鳥じゃもの。言葉というのではないなあ。グスタフは生まれてこの方ずっと人型じゃから、わからんかのう……ともかくも、ひどく心地良かったんじゃ互いに。そして離れることなど考えてもおらなんだ」
「それがまたなんで、離ればなれに?」
「突如、山が火を噴いた。地が揺れて、森が燃えた。大風がおこり、我は巻き込まれてしまった」
丸木舟に乗っていた若い男に救われたらしい。魚とりの最中だったようだが、何か感じたらしい若者はけがの手当てをして、魚をつぶしたものや貴重な真水まで分け与えたらしい。そして、ミズホの一角の若者が住む漁村にたどりつき、以来、その男の子孫を守護する事にしたそうだ。
「と、言う事は、その男はミカドの御先祖?」
「んー、そうじゃな。今このミズホに住む人間は全部、あの男の子孫じゃ」
「ヤタガラスはどこで生まれたんだい?」
「人のつけた名前は知らんが、島だ。あまり大きくは無い」
「どっちの方向なの、ミズホから見て」
「南じゃろう。渡り鳥がそういっておったから。じゃが、ずいぶん前に海に沈んでしまった」
火山の火口が有る小島であったらしい。だから火山性のガスにヤタガラスは強いらしいのだ。
「つがいには、その後、会ってないの?」
「色々な鳥たちや、人間どもの噂話を聞いてはおるのだが、誰もあの不思議な色の鳥を見たことが無いようじゃった。昔は西の大陸も行ったものじゃが、あの教会とやらが出来てから面倒でのう」
「ああ、ひょっとして、帝国で言う人に化ける鳥型の悪魔って、ヤタガラスの事だったのかな?」
「さあなあ。帝国の事は良く知らん。寒すぎて、乾きすぎて、つがいがおらんことははっきりしておるから、行くのを止めたのじゃ」
つがいと暮らした森は暖かく、もっと湿気が多い空気であったらしい。熱帯、ないしは亜熱帯のジャングルであったのかもしれない。そんな気がする。つがいとの間に子供ができたかどうかだが、不明だそうだ。
「むつみあって幸せだった故……子が出来たとしてもおかしく無いが、な」
宮様との「交渉」はうまくいった。ヤタガラスが同席してくれたおかげだ。普通なら随分ごねられただろう。何しろ宮様は亮仁を跡取りにする気なのだし。まあ、僕も亮仁本人が希望すれば反対する気はないが、僕の子供たちなのだから帝国の皇室の一員としておかしくない程度の事は仕込んでおきたい。言葉にせよ学問にせよ。
ともかくも揉める事なく、ユリエと二人の子供を帝国に連れ帰る事が出来る目途が立って、ホッとした。
「ありがとう、ヤタガラス、助かったよ」
「じゃあ、礼を期待しても良いかの?」
「ああ、出来る事なら、何でもさせてもらうが」
「我も今度は帝国に連れて行け」
「本当か? 白い大鳥も言っていたが『ヤタガラスはミズホから出ない』のではなかったのか?」
「グスタフといつも鏡越しなのも、面倒でな」
「だが、帝国は空気が乾いて冬はミズホより寒いぞ」
「お前の邸はデカいのだろう? 人型ならば寝泊り出来よう?」
「ああ。それは大丈夫だ。食べ物も口に合いそうなものを用意できるよ」
「お前の側は、気が落ち着いて心地良いのじゃ。当分ミズホには戻らんだろうな」
亮仁や碧子が戻るときに、一緒に戻る、そのぐらいの心づもりのようだ。
ヤタガラスが僕について帝国に行くと聞いて、ずっとヤタガラスを祀ってきた社の人達は嘆いたが、宝物の鏡越しに問いかけにはすぐ応えると言う条件で、不承不承納得してもらったようだ。ミズホ・帝国間の海域を行き来する船乗りにとってヤタガラスは航海と商売繁盛の神、と言う事になっているようで、帝国行きの船に乗り込んだ僕らは普通以上に大歓迎された。
「この船もヤタガラス様の御加護が頂けるなんて、もう願ったりかなったりです」
船長はホクホク顔だった。
これまで僕の命令で航行している船が沈没したり海賊に襲われたりしなかったのは、ヤタガラスのおかげだったみたいだ。ミッケリの違法薬物を扱う連中の船は立て続けに沈んでいるらしいので、不思議には思っていたのだが、そんな事情が有ったのだ。ヤタガラスとしては「穢れた物はミズホに持ち込ませ無いのが一番面倒がなくて良い」という考えだったらしい。
「これまで食いしん坊のガキンチョだと勘違いしていて、ごめんな」
「何気に無礼じゃぞ」
「いやいや、とんでもない。ヤタガラス様は僕の大切な守り神様です」
「それも、鬱陶しいぞ。グスタフだとて我と同様に不老で恐らく不死なんじゃろうに」
「モナもそういうんだが、僕って不老不死なのか、やっぱり」
「モナとはお前の姉じゃな。白い大鳥から聞いたが」
「うん。人じゃなくて狼だって自分じゃ言ってるけどな」
「姉も、不老不死なんじゃろう?」
「自分で死ぬ時期を決める事が出来るって」
「そうなのか」
僕はモナのような存在が人型の子供を産む時期と死期について、以前モナから聞いたように話をした。
「我やグスタフは、消滅することが許されておらんのじゃろう」
「誰に?」
「この世を作り出した真の神に」
だから、たとえ死のうとしても助かってしまうだろうと言うのがヤタガラスの意見だ。
僕はあの『ルンドの管理者』の話をする。
「神ではないと言うのじゃから、違うのだろう」
ヤタガラスは素直に物事をとらえる。だがその方が真実に辿り着きやすいのだろう。
「グスタフ、ユリエと寝たいか?」
「え? あ、まあ、その」
「なら、呼んで来てやろう。我は亮仁や碧子と寝る」
船内の部屋割りで僕はヤタガラスと同室、ユリエは子供たちと同室だ。前回の帰り道よりも一層沢山の土産類を船に積み込んだ。ユリエは僕と一緒に帝国に戻る事に関して色々ウダウダ言ったが、ずいぶん前から土産物をあれこれ準備していたのだ。素直じゃないという見方も出来るが、やはり内心では帝国に戻りたい気持ちは強かったのだ。僕との関係をどう落ち着けるかについて、色々悩んだりするのだろうが。だが、僕は待つつもりも遠慮するつもりもない。だって、ユリエの寿命は限りがある。愛し合う形が多少は変化するにしても、気持ちを抑えたりする気は無い。だから、ヤタガラスの直截な問いに否定は出来なかった。
ヤタガラスに追い出された格好のユリエは船室の戸をノックできずにいた。僕は自分から戸を開けて、ユリエを迎え入れる。ユリエは寝間着として着ているミズホ式の白い絹の小袖一枚で、寒そうだ。
「ヤタガラスに追い出されちゃったか」
「ええ」
「いきなりユリエと寝たいかって聞かれて、とっさに嘘を言えなかったんでね」
「まあ……そうでしたか」
「夜は冷えるからおいでよ。その、嫌なら本当に寝るだけにするから。実際、そうしてるだろ、この所」
「はい」
ユリエの手を取るとかなり冷えている。僕はとっさにユリエをお姫様抱っこで抱え上げベッドに入れた。
「ま、まあ」
「昔から、こうしたかったんだけどね、そう言えば初めてだったか」
「昔からですか?」
「うん。おむつしてた頃からね」
「そ、そうなのですか」
ここから先がどうなるかはユリエ次第だ。あの頃とユリエは同じ大きさなのに、今の僕はこうしてユリエの体を抱き込む事が出来る。ユリエがおばあちゃんになっちゃったら、体が小さくなってしまうのだろうか? そしてその時も、僕の体は今のまま、そうなんだろうか?
「早く大きくなって、ユリエを守れるようになりたいって思っていたよ」
キスをしたい気持ちを抑えるつもりは無い。だって、キスをするとユリエの本当の気持が感じ取れるから。僕が本当にユリエに愛されているのだと確信できるから。
「愛しているよ、ユリエ」
返事の代わりに、ユリエは情熱的なキスを返した。