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二十二歳の僕と過ぎ行く日々・2

 イヴァルに言われた僕の留守中の手配に少々手間取ったが、よほどの非常事態でも無い限りは大丈夫なはずだ。いざとなったら父上もクヌートも頑張ってくれるだろう。 僕のミズホとの行き来の安全性に関してはモナもヤタガラスも請け合ってくれた。


「正三郎も懐かしいだろう」

「はい。この靄がかかった景色の美しさは、ミズホならではのものですね」


 米が基本的な穀物のミズホは帝国より湿潤で、っていうか、湿気が多いわけで、僕がかつて住んでいた日本に気候も酷似している。僕らは南西部の九州に良く似た形の島に上陸する伝統的なルートは取らず、ムサシに一番近い出来たばかりの貿易港にいきなり入った。この方が御山にうんと近く、日程のロスも少ないからだ。

 それにしたって、海上からもはっきり確認できる城はかなりデカそうだ。名前は豊島城と言い、一度も火事にあわずにいるらしい。五層五階だと言う白亜の天守閣が眼に鮮やかだ。


 僕らは上陸して、本陣らしき場所に宿泊した。翌日には幕府から役人が来るわけだが、今は筆頭老中となったらしい和田伯耆守本人がやってきた。

「御山まで御先導させて頂きます」

 噴火で地形も多少変化し、街道の改修工事なども大変だったらしい。そうは言ってもいきなり目的地に直行とはいかず、豊島城内のあいさつ回りに一日取られた。豊島城の主で幕府のトップに立つ大樹公に拝謁が適って、供についていた正三郎は感激しまくっていた。僕は気の弱そうな線の細いオッサンだと言う印象しかないが。ともかくもこの大樹公の御台所がユリエのまたいとこだか何だかで、僕は身内扱いらしい。その御台所にも御簾越しにだが、対面して御挨拶した。

 前世では正座も胡坐も苦手だった。椅子に掛けるか、体育座りか、いっそ寝転ぶかで暮らしていたのだが、今は典礼だのマナーだのは得意分野だ。御食事だの御茶菓子だの頂いてもパーフェクトな作法で通せる。これで帝国の評価も僕の評価も何割方か上昇するのだから、お安い御用だ。それでも全部終わると、疲れた。泊めてもらった別殿で、つい、大の字になって伸びをしたのも仕方のない事だ。そして夢を見た。ユリエに膝枕をして貰った六歳の夏の思い出だろう。


「明日はユリエ様と御対面になれますぞ」

 部屋に入ってきた正三郎に言われて、我に返った。

「ええっっと、寝所に侍る女は無用だと申し伝えました。それで、宜しいのですよね」

「ああ、無論だ。僕は今まで話もしたことも無い女と寝るなんて、嫌だよ。ああ、正三郎は好きにしてくれればいいさ」

「私だって、明日は許婚に会いますので」

 正三郎の許婚は御山のふもとの大地主・伊藤総衛門の娘だったはずだ。今はユリエの所で小間使い役をしている。

「で、どうするの? 帝国に連れて行く?」

「はい。そのつもりで。相手側の親の許しは得ております」

「じゃあもう、一緒に旅もするんだから、いっそ婚儀を執り行おう。うん、それが良い」


 翌日、ユリエと久しぶりに会った時、僕はいきなり恨み言の一つも言い出しかねない気分だったが、言わずに済んだ。正三郎の婚儀の事で気分が紛れた、と言うのも有るが、やはり亮仁・カールと碧子・エリカの姿を見ると胸がいっぱいで、恨み言よりも感謝の気持ちが大きくなった。 

「カールでし。ちちうえ」

「エリカでしゅ。ちちうえ」

 五歳と四歳、二人とも黒目黒髪のかわいい子だ。僕は二人を左右の腕で一度にギュッと抱きしめた。よくもまあ、ここまで元気に育ってくれた。だが、唯一気になるのは、帝国の言葉だと妙な訛りが出る事だ。

「帝国に参りまして、言葉なども五、六年学ばせてからミズホに戻そうと思うのですが」

 ユリエも訛りが気になるようだ。

「今度こそ、ユリエには戻ってもらうからね」

 アネッテ亡き後、黄金宮が寂しくて堪らないと話すと「奥向きの取り仕切りはナタリエがセルマ様の御協力を願えば十分出来ましょう」などと冷たい事を言う。すると言わないで置こうと思った言葉が、口をついて出る。


「ずっと留守番をしているラウル・ヤイレと亮太はどうでもよいのか?」

「そ、そんな事は。でも、セルマ様を御信頼申し上げておりますので、心配はしておりません」

「酷いな、ユリエ、冷たすぎる。ずっと待っていた僕の気持ちなんて、迷惑なだけか?」


 僕は二人の子供の前では有ったが、強引に抱きしめた。そうしないと正確なユリエの気持ちと考えが読み取れそうにない。乳母たちが気を聞かせて、子供らを連れて出て行った。

 久しぶりに、本当に久しぶりのキスの応酬。次第にユリエの感情があらわになる。ああ、そうか。ユリエは……僕を独り占めできないことが、辛くなったのか。アネッテに申し訳なく思う気持ちと死を悼む気持ち、セルマを認める気持ちと感謝と奥深く秘めた嫉妬、将来正妃になるかも知れないアンニカに対する否定的な感情、美保の降臨を望む気持ちと恨む気持ち……幾つもの辛い気持ちを抱え込んで苦しいのだ。


「何もかも捨てて、あの森の奥の丸太小屋に二人きりで隠れて住みたいな」

 亮仁・カールはそうした二人きりの秘められた記憶の記念とも言える子供なのだ。

「……もう、戻れません」

「確かに、僕たちの間に横たわる課題は多い。それでも僕の気持ちは……いや、あの頃より強いぐらいだ」

「でも、私は……若くないのです」

 ユリエは自分がもうすでに、このミズホではとうの昔に「御褥すべり」を申し出る年齢である事も気になっているのだ。三十を過ぎたら夜の相手役は一切断るなんて、僕は認められない。体の加減が悪い訳では無い。僕に、若くない、年を取った、と思われるのが耐えられないらしい。若ければ良いと言うものでもないのに。


 ユリエの気持が落ち着くのを待って、その夜はただ寄り添って眠るだけにしたが……


「置いて行かれる立場の僕だって、寂しいし、不安なのだ……」

 ユリエは幼いころの僕を慰めてくれた時のように、優しく背中をさすってくれた。あのころはそれだけで満たされた思いになれたのに。今は……そうはいかないのだった。

「御山でまた、美保様の御様子がわかるでしょうか?」

「僕が姿を垣間見るだけで、あちらとこちらの世界は遠く隔たっている。その事を再認識するだけのような気もするんだが……」

「でも、お待ちになってますでしょう?」

「どうなのかなあ。まだ八十年近くあるのだから……わからない」

 ユリエに置いて行かれたら、生きていても仕方がない様な気もしないでもない。ぼそっと、そんな事を呟くと、怒られてしまった。

「いけません。帝国のためにも、そして子供たちのためにも、その子や孫のためにも、どうか幾久しくお健やかにいて下さいませんと」

「じゃあ、当分は頑張るよ。でもユリエが傍で励ましてくれないと、僕、頑張れそうにないや」

「まあ……」

「もう、抱いてはいけないなんて言わないでほしいな。ユリエは魅力的なんだから」

「気を使って下さらなくても」

「じゃあ、いきなり抱くよ。欲望の赴くままに」

「まあ」 

「ふふふ、無理だけどね。子供らもいるから」


 その夜は互いに寝間着越しに抱きしめあっただけで、僕は夜明けと共に正三郎を連れ、和田伯耆守一行と一緒に御山を目指した。ヤタガラスとはもとの宮様の邸の跡地で落ち合う事になっていた。


「久しぶりだね、ヤタガラス。毎日のように話しているから、そういうのも変な気がするけど」

「だが、この大きさになるのは前にグスタフを乗せて以来だ」

 かつて宮様の邸の庭であった辺りは、完全に溶岩に覆われていた。ひび割れた隙間から、小さな野の花が顔を見せているばかりで、殺風景な眺めだ。供の連中は陣幕を張り巡らした中で、僕の帰りを待っている。僕はいつもの鏡と腰の刀、水を入れた竹筒以外は何も持たないで、大型化したヤタガラスに乗った。今回は火山性のガスはほとんど感じられ無かった。


「噴火はしたが、大岩のあたりの様子はあまり変わりがない」

 以前は存在しなかった噴火口が大岩とは反対側の斜面の頂上近くに出来て、そこから噴火したのだと言う。前回同様ヤタガラスは大岩で僕を下ろして待つらしい。


 見覚えのある靄の中を抜けると、あの管理者の爺さんに声をかけられた。

「おお、来たか。この『聖なる石』もそろそろパワー切れじゃ。次はグスタフが治める国のどこかに新しい『聖なる石』が出現しようよ」

 確かに台座のような平らな石に乗ったブリリアントカットを施したダイヤみたいな形の石の輝きは、前回より明らかに鈍っているようだった。

「次は、一体いつ?」

「お前が皇帝になってからだな」

 父上と死に別れてからか……あまりうれしくない話だ。

「家族も気になるが、美保はどうなったのかな」

「んー、美保ちゃんは、微妙かも知れんな」


 僕は輝きの鈍くなった光る石に両手で触れた。ああ、また、僕の地球での家だ。前回走り回っていた甥や姪が……小学生ぐらいにはなったようだった。弟は完全にビール腹の中年オヤジだった。奥さんも老けた。

「今回で亮太一人のための法要はおしまいだな」

「そうねえ。きっと極楽に往生するか、良い所に生まれ変わったかしたんじゃないかしらねえ」

 そんな話をする両親は髪に白いものが相当混じっている。もう、完全に老人の顔だ。

 和尚がやってきて、次回からはもう、祖父母たちと合同の法事にするかと言う話をしている。

「二十七回忌は省略で、三十三回忌は合同で良かろう。弔いあげじゃから、ちょっと料理でもおごるか?」

「そうしましょうねえ」

 どうも……両親、特に父の影が薄く感じられる。もしかしたら三十三回忌は両親揃った姿を見ることは適わないのではないかと思われた。その前に、和尚が持たないかもしれない。

 美保の姿は念じても、はっきりとは確認できなかった。ワゴンタイプの赤い車を運転していて、後ろから少年少女という感じの話し声が聞こえる、そんな情景がちらっと見えただけだ。自分の子供をどこかに送り迎えでもする様子だろうか?

 そこで映像は途切れた。


「僕の、地球の両親の寿命は三十三回忌まで、持たないのか?」

「まあ、そんなところじゃろう」

「美保は元気なんだろうか? 車を運転していたが」

「自分の今の暮らしを守るのに手一杯、そんなところじゃ」

「僕の事なんて、綺麗さっぱり忘れちゃった、そんな感じか?」

「さあ、なあ、わしにもわからん……だが、姿を見たと言う事は縁は途切れておらん、そういう事だ」


 十年後の再会を約して、僕と爺さんは別れた。次の再会の場所が不明だが。

 ヤタガラスの背に乗り、山を下り、皆の待つ場所まで戻る。ヤタガラスも七歳児の姿に戻って、僕の馬で一緒に宮様の今のお邸に向かった。宮様にごねられるとユリエと子供らを連れ帰りにくいから、ちゃんと話をしなくてはいけない。会うのは嬉しいが、ちょっと気が重いのも本当だった。

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