僕の家族の問題・6
「どうかお戻りになる前にサスキア本人にお会い頂けませんか」
新王にお願い目線でそう申し込まれると、僕は断れなかった。うん。アネッテに顔が似すぎているからなあ。断ること自体に罪悪感を覚えてしまうのだ。僕の方が肉体年齢的には五歳程下なはずだが、庇護欲をそそる。ああ、別にびーえるの気は無いけどね、僕には。
サスキアは幸い王宮内に居なかった。先王の王妃というかサスキアの母親の実家はワッデン貴族の中では一番格が高い方の公爵家のようだ。その公爵家の邸の別棟に母子で住んでいる状態だと言う。お産が有って、夫の葬儀にも出られなかったわけだ。
母親の方は産後の状態が思わしくないらしい。僕も新王と共に見舞ったが、何というか生命力が乏しいと言う感じだ。サスキアには微妙に邪気がまとわりついているので、ミズホから持ち帰った小さな守り刀を枕元に置くようにしてもらった。僕の力が今より乏しかった時に、ヤタガラスがくれたものだ。想い出の品で、まあ記念品だが、今の僕には必要と言う訳でも無いので、息子の将来の嫁にやることにしたのだ。
「見たことも無い様な意匠の美しい刀ですね」
「ミズホの清らかな海で取れた貝を使った細工物です。細工自体にも浄化の力が有ります」
ミズホで取れた貝類の真珠層を漆地にはめ込んだ螺鈿細工だ。帝国では最近急速に螺鈿細工の人気が出てきたが、北の二つの不凍港以外にこれといった港の無いワッデンでは、外国産の装飾品の類は超貴重品なのだろう。螺鈿細工もまるで知られていないようだ。
サスキア本人はアネッテと同じストロベリーブロンドの髪と青い瞳の可愛い赤ん坊だったが、気になったのはチラッと姿を見せた三歳ぐらいの女の子だ。顔のつくりは基本的にサスキアに似ている。僕を見る目が物問いたげだった。
「王の初恋の方との間の忘れ形見の姫君なのです」
今度はベッドで寝ている王妃が説明してくれた。だが、新王とは親子の名乗りはしていないらしい。その方が本人が安全だと言う配慮だろう。なんでもこの公爵家の庶子で王妃の腹違いの姉にあたる人と、即位前の新王は恋仲であったそうな。本人同士は結婚するつもりだったが、周囲の思惑があって引き裂かれてしまい、姉は失意の内に出産しその後自殺したのだと言う。当時子供のいなかった王妃は憐れんで、姉の子を手元に引き取ったらしい。どうやら新王がその事実を知った時期と、先王から王妃が暴行を度々受けた時期が重なるようだ。きっかけは先王の嫉妬であったのだろう。
「名前はコルネリアと申します」
難しい立場の姫君なわけだ。王位につく前の王と庶出の貴族女性の娘だから、嫡子・庶子の区別に病的にうるさいワッデンでの立場は永遠に日陰の身と言う事になる。だが、王の実子なわけで……
「私が養い、そのうちどこかの貴族の養女の格で、人柄の良い地方の領主あたりにでも嫁がせようかと言う心積りでした」
だが王妃が引き取った時点と、事情が大きく変化してしまったわけだ。コルネリア姫の配偶者探しはワッデン国内では難しい。そう王も考えているようだった。
「将来的には我が帝国の者との婚姻も、視野に入れておいでなのですね?」
「はあ。お許しいただければ……いずれは」
「いらっしゃい、コルネリア」
僕がドアの隙間から覗き込もうとしていたらしい気配に気が付いて声をかけると、すごい勢いで飛び込んできて、僕に抱きついた。
「お父様、お父様ですよね」
そういって足元にかじりついている。王妃と王は狼狽して、引きはがそうとしたので僕は制止した。そして愛らしい幼女を膝の上に抱き上げ、顔をみつめた。まっすぐ見返す瞳が僕の瞳と同じ碧だ。
「僕がお父様なら、嬉しい?」
そう問いかけると、こくりと頷いた。
「そうか。ならば僕がお父様になるよ。そういう事ですから、僕がこの子を帝国に連れ帰りましょう。この子の将来の夫になれそうな者の心当たりも幾人か有りますし」
僕の頭に真っ先に浮かんだのはヨハンだが他の弟でも、ユリエの産んだリョウタでも、少し年下だがセルマの産んだミゲルでも構わない訳だ。
「そ、それは有りがたいお話ですがまことに……よろしいので?」
僕が頷くと、小さなコルネリアが「よろしいのです。王様」と言った。王様と言われて、複雑な表情が王の顔に浮かぶ。そりゃあ、そうだろうな。
「僕の方はもう、決定で良いですよ。ですが、ワッデンを離れる前に一度、実の父親に関して事実を話してやってください。出来れば王御自身で」
王は頷いた。何だか泣き出しそうな顔にも見えた。親子の永遠の別れかも知れないからなあ。当然か。
帰りはワッデン王家の紋章入りの馬車でゆっくり帝国に戻る事になった。幼いコルネリアを疲れさせないためだ。後にはもう一台、コルネリアの乳母と小間使い役の乳母の娘を乗せた馬車が続く。供の者は皆馬だが、馬車に速度を合わせている。
最初の宿はユリエの領地・ドランメン伯爵家の城だ。早馬を出してもらい、トリアには帰国の途中であると言う知らせを入れる。コルネリアは社交的な性格らしくて、すぐに執事ともおしゃべりをするようになった。
「お小さい方がおいでになりますと、城の中も活気づく感じです」
「あの子の婿は誰が良いか、考え中だよ」
「将来、楽しみな事ですなあ」
やり手の執事の目から見て、コルネリアを帝国の皇室のメンバーの一人として迎え入れるのは悪くない考えだと感じられたようだ。僕のとっさの思いつきも高めに評価してもらえたようで、少し安心だ。
翌日から、またのんびりペースの旅だが、こまめに小休止を入れるせいも有って、途中で黄金宮からの迎えの一行と合流した。もっとも揺れの少ない最新型の馬車を持ってきたのだ。そこから多目の心づけを御者にあたえて、ワッデンからの馬車二台を戻らせた。
後はひたすら家路を急ぐわけだが、馬車の中で話をしたり、迎えの一団が持ってきた絵本を読んでやったりした後は、コルネリアは僕に体を摺り寄せて眠る。ワッデンの馬車では揺れが大きかったので、コルネリアもぐっすりとは眠れなかったのだ。
ワッデン国王は自分が実父だとコルネリアに打ち明けたようだが、コルネリアの中では国王はあくまで「王様」で、僕の方が「お父様」になっているらしい。どうしてなのか聞いてみると、眼の色の所為らしい。
「お父様とコルネリアの眼の色はおんなじです」
髪の色も僕よりは薄いが一応金髪だし。確かに僕自身の庶子でも通りそうな外見ではあるのだ。
だが、そう考えるとアネッテが育てている赤子のアンニカが将来の僕の妻って……色々な意味で犯罪的な感じがしてくる。 この小さい子よりさらに幼いのだから。しかもそれを育てているのが、現在の妻で……。
時の流れと共に事態は変化し、また事情も変わるとわかってはいるのだが。
五十年後をつい思い浮かべる。この幼いコルネリアが年老いて、僕の子を産んでくれた女たちは皆亡くなっている可能性も高い。そんな中で僕だけが二十代前半の状態……何だかとんでもなく嫌な状態なのだが。だが、時間が徐々に過ぎて行く中で、僕なりに折り合いをつけて行くのだろうか。恐らく、モナとヤタガラスは今と同じ姿だろう。そう考えると、どうにか耐えられそうな気もしてきた。
何より、美保の転生はどうなるんだ?
それまで、やはり僕は来る事をやって置かねばならないのだと、思い返す。
無事帰り着いて今回の次第を御前会議で報告すると、赤ん坊同士の気の早い婚約に驚かれたが、反対意見は無かった。一方でコルネリアは僕の「隠し子」と認定されたのか、話題には上らなかった。僕も説明しなかったが。
「そのサスキア王女は現在のところ、唯一の未成年の王族であられるのですから、王位継承にも大いに関わるお立場になりましょう」
「殿下は名付け親となられて、将来は舅となられる、賢明な御判断と思いますぞ」
「あくまであちらから持ち出した話というのも、悪くないですな」
「殿下のお人柄に接して、若い王はこれまでのイザコザやら何やらへのこだわりを捨てたのでしょうかな」
「妃殿下との御仲が睦まじい事がワッデン側の信頼感を醸成したのでしょう」
父上には水沢豊という存在と、ワッデン王家の悲劇との関連について御報告した。
「ふーん。そのユタカ・ミズサワが前世のお前と同じ世界の住人とすると、時間や歴史はどうなるのだ?」
「そもそも僕の前世の記憶にある世界は、今の帝国に良く似た時代からおよそ三百年後のものです」
「そうか。以前お前が言っていた『選挙』で政を行う者を定めるという国が多い世界だったな」
「はい。選挙も良い事ばかりではありませんで」
政権担当者がコロコロ変化しキチンと責任を取る者が居ない状態や、衆議を尽くす事を優先するあまり、緊急事態に応じきれ無かったりする事もしばしばだと説明する。
「ふうむ。そのような政治ではよほど数多くの知者が存在しないと上手く機能しないのではないか?」
「確かにそうかも知れません。皇帝や王が治める国なら、一握りの賢い側近が居れば大きな間違いは避けられましょうしね」
ひとしきり二十一世紀の議会政治について説明を終えると、今度は赤ん坊同士の婚約についての話になる。
「悪くない決断だが、実現には色々と気配りが必要だろうな。双方の乳母や守り役同士の交流まで取り決めたのは、お前らしくて手堅いやり方だ。普通そこまで気は回らんぞ」
「はあ。どうも苦労性なもので」
「褒めているのだ」
今回もモナの助けをかなり借りた話をすると、是非ともモナ本人に会いたいとお感じになったようだ。以前父上の目の前で鏡に呼びかけてもコンタクトは取れなかったのだが、この日も無理だった。
「なぜモナが出てこないのか、僕には理由がわからないのです」
「会いたくないのかもしれんな」
父上は御自分が『穢れている』所為だろうとお考えのようだった。それに関しては、僕も否定はできない。良くわからないがモナのような霊性の強い存在が嫌うような嫉妬とか独占欲とか言った心理の働きを、父上は抑制なさらないからだ。僕はそうした面も含めて、父上という方を人間臭くて好きなのだが。
「どうなのでしょう。穢れている……とモナは言いますが、モナには理解しがたい感情の動きと言うだけのような気がするのですけれどね」
「だが、お前の様に清めの力も、未来を見通す力も無ければ穢れたままなのだろうよ……エリクはどうしているだろうなあ」
「大宰相は随分とこの国のために働いてくれましたからね」
父上が感情的に色々と鬱屈した思いを持っておいでなのはわかるが、大宰相エリク・ベルワルドはやはりすぐれた人物で、我が帝国の繁栄を築いた一番の功労者だと思う。父上もそれはちゃんと認めておいでなのだ。だから『穢れている』事からの連想が大宰相へとつながるのだろう。
「エリク程の男がソフィーエとややこしい仲になってから、しくじりが増えたなあ。お前の母も罪な女だ」
「はあ。ですが……ヨハンという息子を得る事が出来たのは、大宰相にとってはやはり大きな喜びだったのでしょう」
「お前からすれば、ヨハン・ベルワルドも弟か」
「将来の帝国を支える大切な人材でもあります」
「それはそうと、お前、幼い女の子を連れ帰ったそうではないか。お前の事を『お父様』と呼ぶらしいが、まことに隠し子なのか?」
「いえ、ワッデンの新国王が初恋の女性との間に儲けた子です」
「ふうむ。難しそうな立場の子だなあ」
「ヨハンの嫁にどうかと、ふっとひらめいたのです」
「ほお、そうか。ひらめいたのか。ならばそうなるべき運を背負った子供なのだろうよ」
「近い内に大宰相を見舞おうと思います。あの子を連れて行くのも良いのでは無いかと思うのですが」
「お前の思うようにすれば良いのではないか」
「母上は……どうおっしゃるでしょうか」
「お前が決めた事なら、文句は言わせんよ」
なぜだろう。あのわがままで横暴な所も有る母上が、この父上の言葉には不承不承でも従うのだ。大宰相は優れた人物なのに、なぜか母上には振り回されっぱなしだったが。
「そうですか」
「ああ」
「ありがとうございます」
夕食はアネッテの所でもセルマの所でも取らない場合は、僕とヨハンで食べることが多かったのだが、この所はコルネリアを同席させて食べている。大宰相の黄金宮そばの邸は、今の所、召使たちが留守を守っている。ヨハンは僕の所で勉学と武術の修行に励ませているのだ。ミズホ式の武術もこの頃は熱心に修行しているようだ。僕の所が恐らく一番、教会と無縁で暮らせる場所なので、ヨハンも心身ともに落ち着いているのだろう。
「兄上、あのおチビちゃんが僕の将来の嫁候補ですか?」
「嫌なら無理にすすめないよ」
「いや、嫌じゃないです。ちょっと変な子だとは思いますが」
「変かい?」
「僕をジーっと見つめるんですよ。何かあの子なりに色々考えているのかもしれません」
「昨日は抱っこしてやっていたね」
「ええ。お兄様と僕を呼ぶので、旦那様だよって冗談半分に言ったら、本当にそう呼ばれて照れました」
やはり本当にヨハンがコルネリアの『旦那様』になりそうだ。