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僕の家族の問題・4

「甘く罪深い生活などと言うが、糞坊主どもよりよほどまともな生活だと思わんか?」


 父上は御機嫌が良い。母上とよりを戻したおかげだろう。何やら近頃は新婚時代のやり直しのような雰囲気すら漂っている。母上がネス派の連中と御自分から距離を取るようになったのはともかくも良かった。

 一方で大宰相は引退したいと言い出した。僕は辞表を一旦預かる形にして、領地でゆっくり療養するように勧めた。母上の噂を身近で見聞きすること自体が、大宰相には辛いのだと思われたからだ。領地の館は庶子を二人産んだ女性が管理をしていると聞く。ウルリカに聞いた所では家庭的な穏やかな性格の女性らしい。

 

「摂政殿下はもはや大宰相の力を必要となさっておられない」

「大宰相は勢いが衰えたな。昨今はめっきり老け込んだ」

「まあ皇后陛下との御縁が切れたのが、よほど堪えたのだろうよ」


 御前会議のメンバーたちの勝手な言い草だが、あながち的外れでも無い。ヨハンには大宰相の抜けた穴を早く補える人材に育ってほしいが、まだしばらくかかりそうだ。

 ミズホの連中の大半は船で戻ることになった。 正三郎と他五人ばかりが僕の住まいに滞在している。帝国の言葉や学問・技術を修め、将来はミズホに居る亮仁や碧子のために働き、帝国側との連絡業務なども行うようになるはずだ。僕はユリエと子供らに向けて長い手紙を書いた。ユリエには早く戻ってきてほしいが、以前言っていたようにある程度の時間が経たないと帰らないのだろう。

 

 セルマは懐妊したが、注意深く隠している。アネッテを刺激したくないと言う僕の気持ちに配慮してくれたのだろう。せいぜい数か月しか隠せないだろうが。アネッテはアンニカを大切に扱い、自分の気持ちもおかげで多少は落ち着いたようだが、それでも自分自身の子を産みたいらしい。


「アンニカは可愛いですねえ。養い子でもこんなに可愛いのですから、血を分けた子ならどんなにかと、つい思ってしまいます」

「クヌートとウルリカからの預かり物なのだ。大切にせねばな。アンニカは本当に良い子だから可愛いのだよ。実の子でも反りが合わなかったり、思うに任せない事など、世の中に掃いて捨てるほどある。さほどこだわらなくても良いではないか」

「それはそうかも知れませんが……一人でもよいから、私も血を分けた子が欲しいとつい思ってしまいます。父君が殿下なのですから、きっと良い子でしょうし」


 結局は僕はアネッテが子を産む事に同意した。というよりむしろ、アネッテが子を産まなければ『戦をする事になる。あまたの人が死ぬ』というヤタガラスの言葉が気になったせいだ。幾度聞きなおしても、ヤタガラスの予言は覆らなかったのだ。モナに聞き返しても、同じ答えが出た。

 更には御前会議で、ワッデン国王もその弟も共に健康状態が不安だと言う話題が出るようにもなっていた。


「皇太子妃殿下はワッデンの王位継承権をお持ちですからな。兄上方にお子様はお出でにならんようですし、これは将来、ひょっとするとひょっといたしますぞ」

「妃殿下はお若いが御夫君のお力を借りれば、良き女王陛下ともなられましょう」

「さよう。我らが皇太子殿下なら定めし御立派な王配殿下となられましょう」

「妃殿下が王子をお産みになれば、なお結構ですけどなあ」

「さよう。そうなればごく自然に、ワッデン王家の血筋は帝室と平和に和合を遂げることになるのですからな。連合王国、と言う事も夢では無くなります」

「古のワッデンの女王はグスタフ三世陛下の御即位前の御正妃でしたが、些細な事から離縁なさったと言われておりますな。ですが、ただいまの皇太子殿下御夫妻は御仲も睦まじい。楽しみになってきましたぞ」

 父上もその様子を御覧になってこんな風におっしゃった。

「そろそろ潮時と言う事だろう。アネッテが子を欲しがっているのだから、願いをかなえてやれ。生まれる前から皆に期待され祝福された子なのだ。きっとお前にも助けになろう」


 僕がアネッテの願いを受け入れると伝えると、アネッテは涙をこぼした。


「それほどに待ち遠しかったのかい?」

「ええ。でも、今は嬉しくてなりません」

「お産は女の戦ともいう。それだけ命がけと言う事なのだろう」

「覚悟はできております」

「僕は……アネッテが我慢強すぎるのが、むしろ心配なんだが……」


 痛いとか苦しいとか辛いとか、アネッテはめったに口にしない。御立派だ、毅然としておいでだと褒める者もいたが、苦痛を訴えると、余計に虐待がひどくなった幼時の辛い経験が影を落としているのだろう。僕が直接口に出してその話題に触れた事は無い。だが、アネッテの脳裏に浮かぶ幼時体験は、悲惨だった。それらを読み解くにつれ、ワッデン王家に取りついた怨念のすさまじさに驚かされた。古い時代の恨みらしいが、幾人もの人間の恨みを吸い込んで肥大化し、ワッデンの王城で生き続けているようだ。確かに、アネッテは僕の所に嫁いだお蔭で今現在どうにか無事なのだ。


 そして、アネッテの願いどおり子供が出来た。だが、母体がどの程度持ちこたえるのか、心配でならなかった。

「お産は無事に済む」とモナもヤタガラスも請け合った。

 そうなのだ。お産は無事に済むが……アネッテの寿命は短い。そう言う事だった。


 そうこうするうちに、先に妊娠したセルマが健康な息子を産んだ。ミゲルと名付けた。セルマに取っては二人目の子供で、僕にとっては亮太・ルイサ・亮仁・碧子に次いで、五人目の子供と言う事になる。だが、僕はまだ一度も碧子の姿も見ていないのだ。元気に生まれたようだが……


 ミゲルの誕生を知っても、自分も出産を控えているせいだろう。アネッテに焦りのような感情は今回は見られなかった。僕としては、やれやれだ。僕なりにアネッテの気持ちが穏やかであり続けるように、務めた。毎朝の朝食は欠かさなかったし、夕食も可能な限り共に食べた。その甲斐あって、無事に月が満ち、僕にとって初めての嫡子となるフレゼリク・レオポルドが元気に産まれたのだった。そして、入れ違いのように、アネッテの長兄であるワッデン国王が病死した。まだ産後の床上げも済まないうちの葬儀で有ったので、僕だけが出席した。


 僕が葬儀に行くべきかどうかで、御前会議は揉めた。元首の葬儀は弔問外交などという言葉も有るように、重要な儀礼だ。宮中の老人たちの中には格下で近年は国威の振るわないワッデンに皇族、それも皇太子が行く必要は無いと言う者も多かった。

「礼を尽くせば、いささかぎくしゃくしていたワッデンとの関係改善に大いに役立つと思われる」

 僕の発言は、半数以上のメンバーの支持を得た。だが半数は格下云々にこだわっていた。結局は父上の「グスタフに任せる」の一言で、僕に一任となった。


 僕は凄腕の供を二十名ほど揃えて、馬で一路ワッデンに急いだ。中には正三郎ほかミズホの者も混ざっている。彼らは誰もが帝国では知られていないタイプの武術の達人なのだ。

 葬儀の二日前はユリエが領主代行を務めるドランメン伯爵家の城に一泊した。ユリエの嫁ぎ先だと思うと感無量だった。留守の間も、やり手の執事と僕が手助けのために遣わした代官が連携して、しっかり領地は運営されているように見えた。皆、ユリエを奥方様と呼んで敬っている。


「ラウル・ヤイレをそのうちここに来させなくてはならんな」

 そんな話をすると、執事は喜んだ。そしてドランメン伯爵家と、メイドや奉公人の守護聖人である聖女エマ・ヤイレの関わりについて正確な事を教えてくれた。エマ・ヤイレが仕えた皇帝との間に密かに儲けた男子が、ドランメン伯爵家の初代だそうだ。ユリエが最も尊敬する人物の子孫の家に嫁入りしたのも、何かの因縁かもしれない。そんな気がした。


 ドランメン伯爵領から河を渡ると、対岸はもうワッデン王国だ。

 亡くなった国王は在位年数も短く年齢も若く、さして知られていない人物であるせいも有って、外国からの賓客は国王の葬儀としては随分少なかった。僕の供ぞろえでは人数が少なすぎるかと、少し心配もしたが、他の国はせいぜい大使が十人以下の供ぞろえで来ているので、十分すぎるほどだ。


 僕らの宿泊場所はワッデンの宮殿の一角にある迎賓館だった。すると葬儀に参列する大使たちが、皆、僕に挨拶にやってきた。


「高名な帝国の摂政殿下に拝謁の栄を賜り、まことに光栄でございます。この傾きかけた国の国葬など何ほどのことが有ろうかと、正直想うておりましたが、殿下の御正妃はこの国の王女であられましたな。先ごろは御無事に男子御出産と伺いました。このような折に何では御座いますが、おめでとうございます」


 まあ、外交辞令込みでこんな具合の口上を述べるものが多かったが、中にはもっと突っ込んだ話を持ちかける国も有った。


「ミズホの王族の御一員となられたそうですな」

「極北の民が崇める白い狼とは深い因縁がお有りだそうですな」


 そうした話の場合は肯定も否定もしないとか、内密に願いますとか、教会の手前あまり公にしたくないのですとか、適当に受け流し、細かい話はしなかった。


『傾きかけた国』というのが外交団の面々の一致した見解のようだが、ちょっと見ただけで街中にはストリートチルドレンにホームレスがどっさり、そんな感じだ。歴史のある国だけあって、それなりに由緒ありげな建物は多いが、商店の活気は乏しいし、ちょっと見た限り商品のバラエティーも乏しい。

 正三郎たちが聞き込んできた所では、税の取り立てなども恣意的で出鱈目らしい。有力者の思いつきで急に課税対象が増えたり、税率が跳ね上がったりするらしいのだ。


「ワッデンの金貨は混ぜ物が多く、価値が乏しいようです。帝国の金貨・銀貨は皆喜んで受け取ります」

 自国の通貨の信頼度が低い、そう言う事だ。他国で出稼ぎをしている家族の仕送りだけが頼り、そんな家族も多いらしい。

「ワッデンの女は乳母やメイドとして働く者が多いそうですな。そうした女たちは真面目にこつこつ働いて、国元に送金する様です。何やらそういう連中をまとめて手配する組合が有ると聞きました」

「男の出稼ぎはせいぜいが一時的な用心棒か工事などの手伝い程度ですが、女の出稼ぎは有力な貴族や富裕な商人の家庭で家族同然に信頼されているものも少なくないとか。容色を売りにした身売りとは違うので、誇りを持って真面目に働くようです」

 そういえば、そうだ。ワッデン出身の乳母に育てられた帝国の貴族は多いようだし、黄金宮のメイドは幾つかの派閥に分かれるらしいが、ワッデン出身者の派閥は大きいはずだ。

「そうした女たちは聖女エマ・ヤイレの加護を信じており、かつてのエマの職場であった黄金宮はあこがれの職場だそうですぞ」

 なるほど、それは知らなかった。ユリエがメイド達に非常に尊敬されているのは、その聖女の末裔と結婚した事も関係しているのかもしれない。

「様々な国に出稼ぎに行っている女たちのつながりを武器にして、先ほど話に出ました組合は相当な力を持っているようです」

「なまじの貴族などより、よほどワッデンの政にあたえる影響も強いと聞きました」 


 少々多目の酒代を持たせて、街中で情報を集めるように申し渡しておいたおかげで、面白い話を聞くことができた。僕らだけではなく、他の国の使節団も似たような事はやっている様子だが、僕の供は全員胆力が有り、気働きの出来る人物ばかりだ。情報の集め方も無理をしない範囲で、ちゃんと有益なものに着目してすくい上げてくる能力も高い。


「黄金宮でのメイドの生活環境や雇用条件を改善すると、かなりのワッデンの民を味方にできる訳か」 

「おお、そうですな。そうなります」

「メイドや乳母の雇用条件を明確に法で定められるのも良いかもしれませんな」

「帝国での働き口は条件が良いとなれば、そうした女たちも多く集まり、帝国の評判も上がりましょう」

「そうだな。帰国したら、さっそく法制化に取り組むことにしよう」


 それにしても、この国の男たちの目つきは何処か投げやりで、殺伐としている。街の商店などで働くのもほとんどが女だ。男たちは昼間からカード賭博などに入れ込んだり、物乞いをしたりするものが目に付いた。恐らく国内にまともな職場が無いせいだろう。

 僕らが迎賓館に到着して三日目で、ようやく各国の使節団が揃い、葬儀となった。王宮内の斎場で行われた一連の儀式は、教会などで行う帝国での一般的な葬儀が豪華になっただけ、という印象しか受けなかったが、弔問客の席次は興味深かった。亡くなった国王の妹の夫である僕が一番格上の座席で有ったのは、帝国の大きさ・歴史から言っても当然だが、他の客の序列が面白い。第二席はミッケリであった。神聖教会の枢機卿より上の扱いと言う事は、今のワッデン王宮はソフス・ネスとは距離を置いている、そういう事だろうか?

 そうした目で見てみると、はっきり『親ネス派』宣言をした国は、本来の序列より下に配置されているように見える。


「新国王は亡き国王よりさらにひ弱だと聞いておりましたが、その噂は正しそうですな」


 葬儀の後、そんな噂話をする連中もいた。僕はワッデン側の監視が気になって否定も肯定もしなかったが、アネッテとよく似たその顔は確かに青白く、不健康だと言う印象を受けた。

 迎賓館で帝国に戻る支度をはじめていると、ワッデンの新国王から「折り入って話がしたい」とのことで、夕食を共にすることになった。


「妹君やお生まれになったお子様の御様子など、伺わせていただきたいとの主の意向でございます」


 使いの男は忠義な爺やという感じの白髪の老人で、印象は悪くない。邪な思念も感じられないので、招きに応じた。さて、何が飛び出すだろうか?

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