僕の家族の問題・2
「やはり微妙なのか? 子を産めるかどうかは」
「はあ。母子ともにお元気で無事の御出産がかなり難しいのは事実です」
(絶対無理と言う訳でも無いだろうが、無謀な賭けのようなものだな)というこの侍医の思い浮かべた言葉を僕は読み取った。
「ですが、私が子を産まなかったとして、一体何年ほど生きるのでしょうか?」
アネッテは、自分の寿命は通常の人間より相当短いと予想しているようだ。
「それは……神の領域でございまして、我々医師などにはわかりかねます。まあ、この国の人間の寿命は大方六十歳かそこらでございましょう。長命な方で八十歳、九十歳という場合もございますが、珍しいです」
そう答えながら、侍医が思い浮かべたアネッテの寿命は(四十歳まで持つだろうか)と言うものだった。
「殿下は特別な方で、不老不死であられるのではないかと伺いました。ですが、私は人並みの寿命が残されているかどうかも怪しい身の上です。それならば、たとえ予定より十年、二十年生きたとしても、殿下の長い御一生からすれば私が御一緒できる時間など、瞬きする間のような短い儚い物でしょう。でも子を産み、その子がまた孫を増やし、となれば、ゆかりの血筋の者が百年後も二百年後も残るかも知れません」
「僕が不老不死なんて、胡散臭い話だよ」
(だが皇太子殿下が格別に御壮健であられるのは、間違いのない話だ。伝説の開祖様と御姿も似ておられる様だから、不老不死という噂も根拠のない話ではなさそうだがな)などと考えながら、侍医は僕を見ている。どうやら、いかなる病の兆候も僕には見いだせないらしい。人以外の特殊な力を持ち合わせた連中、モナとか白い大鳥とか、ヤタガラスとかは、皆僕を不老不死の存在とみなしていた。そして、まだ未熟な存在だとも。あの僕をこのルンドという世界に転生させた爺さんは、はっきり不老不死と言っていた。だが、僕には実感がまるで無いが。
侍医を下がらせた後、僕とアネッテは長椅子に身を寄せ合って座った。
「僕はアネッテを、無謀な賭けで失いたくはない」
「ですが、女の体は子を産める時期というのが限られているのでございましょう?」
「それはそうだ。月の物が有るうちだな」
「あの廃屋のような離宮から拾い上げていただいてからこれまで、殿下のおかげをもちましてここまで生きてまいりました」
「互いが六歳の歳に、アネッテを僕の正妃にと決められたのは父上だ」
僕の言葉にアネッテは傷ついたらしい。
「た、確かに……私は……」
体の良い人質、という言葉をアネッテは飲み込んだのだ。当時の父上や老臣たちの認識ではアネッテは紛れもなく『人質』だったが、僕がアネッテを正妃として処遇し、毎日朝食を共にする事でその認識を改めさせることができたと思う。それに、ワッデンとの戦は当分無いだろう。アネッテの二人の兄はワッデンの王位をめぐる争いに必死で、戦をする余裕など無いのだから。いや、兄たちはそれぞれ体も弱く気力も乏しいらしいから、本人たちより取り巻きの家臣たちが激しい派閥抗争を繰り返している、そう見るべきか。
「アネッテが僕の側で健やかに穏やかに暮らしてくれる、そんな日々が長く続くこと自体に大きな意味が有ると僕は思っているのだ。無理に子を作る必要など無い」
「でも、伯爵夫人も、セルマ殿も……」
「アネッテは正妃だ。僕が皇帝になれば、皇后になる人なのだよ」
アネッテは大きなため息をついた。それから思いがけない事を言った。
「殿下の御不在中に、ウルリカ様が小さな姫君を連れておいでになりました。まだ、本当に赤ちゃんですが。アンニカ姫とおっしゃるそうです。銀色の髪と紫の瞳のとても愛らしい御子でした。何でも、殿下の姉上にあたるモナ様という方が『グスタフの側で生きるべき子だ』とおっしゃったそうで……」
アネッテの意識を探ると、そのアンニカという赤ん坊を自分が手元に引き取って世話をしたい。そんな事を考えている。本当は自分で僕の子供を産みたいが、僕が承知しないと思ったようだ。アネッテの寂しさは紛れるかもしれないが、ウルリカはどう考えているのだろう?
「モナが? で、そのアンニカと言う子とウルリカはどこに?」
「大宰相の邸にまだ滞在中かもしれません」
スコウホイの厳しい冬を避けて、初めてのお産のために里がえりしていたらしい。クヌートからそんな話は全然聞いていなかったが。いや、前回会った時はまだ、子が出来たかどうかもわからなかった頃であったのかもしれない。ともかくもスコウホイ公爵家に初めて子が生まれた、そういう訳だ。
僕は自分の部屋に戻って、ヤタガラスから貰った鏡でモナにためしに呼びかけてみた。するとモナがちゃんと鏡に映ったではないか。真っ白い狼の姿だ。兄弟と狩りの最中らしい。獲物を待ち伏せしているようだ。
(グスタフよ。その丸い光る板は何だ? )
(モナ、僕の姿が見えるの?)
(普通に見るのとは違う。頭の中で思い浮かべる状態だ。何というかこの姿でも話しやすいぞ)
(ミズホの黒い神の鳥が別れる時にくれたものだよ。ねえ、アンニカという赤ん坊は、僕の手元で育てるべきなの?)
(人の世の細かい事はしらんが、グスタフと相性が良い魂だ。今、ルンドにいる人の中では、一番合う。育ったら嫁というのかな、つがいにしろ)
(そ、そうなのか? だが、もうすでに嫁は居るぞ)
(ユリエか。あの魂は善いな。つがいなのに姉のようだ)
(ユリエは大切だが、嫁というか妃がいるんだ。アネッテという)
(アネッテ? ああ、別のつがいか。ふうううん、なる程な。寿命が……短そうだ。うん。短い)
(アネッテが僕の子を産みたがって居るけれど、産んだら死ぬかもしれないと医者が言うんだ)
(産ませてやれ。どのみち長生きできん)
(モナ!)
(短い寿命は伸ばせんが、子が無事に産まれるようにする加護なら与えてやれる。産めばその子はアネッテというその嫁のゆかりの地を、良く治めるだろう)
(僕とアネッテの子がワッデンを治めるようになるのか?)
(場所は知らんが、そうなる)
獲物が来た! とモナの意識というか言葉が最後で、画像は途切れた。
そこで、今度はヤタガラスに呼びかけた。するとモナと殆ど同じことを言う。
「その銀色の髪の赤子、妃の養い子とせよ。互いにとり良い縁だ。妃の寿命は子を産んでも生まなくても短い。願いをかなえてやれ。我も子が無事に産まれるように加護を与えることは出来る。だが、妃の寿命は伸ばせん。幼い時に強烈な怨念に纏いつかれて、寿命を食いつぶされたのだ。食いつぶされた分を補うのは我程度の力では無理だ」
「強烈な怨念?」
「妃の先祖が背負いこんだものだ。ずっとその血縁にとりついている。だが妃の背負った悪縁自体はお前と出会って払われた。妃とお前の子は怨念を寄せ付けん」
「妃の、アネッテの産む子は男か?」
「ああ、息子だ。寿命は普通だが、子孫は栄える」
「アネッテが子を産まなければ、どうなる?」
「お前自身が戦をする事になる。あまたの人が死ぬ」
相手がヤタガラスだと鏡に向かってミズホの言葉で語りかける。誰もいない部屋で鏡を使い、来客でもない限り侍従にも出入りをさせない。だが、このときは本当に客が来た。それも一番会いたかった相手だ。
「殿下! 御無事のお帰り、おめでとうございました」
領地からわざわざ駆けつけてきてくれたと言うスコウホイ公爵・クヌートだった。
「ああ、よかった。実は頼みが有るのだ」
クヌート自身がモナから『言付け』を貰ったのは、里帰り出産のウルリカがアンニカを産んですぐの事らしい。ラナの近海で僕ら四人にしびれ薬を仕込んだらしい灰色の髪のエギルという少年を、無事に捕まえたのだと言う。ちなみにミッケリからラナまで僕らを運んでくれたハルドル船長には、無事に褒美の金を渡せたらしい。その一連の処置のためにラナまでクヌートが出かけた際に、モナと遭遇したという。
「エギルという少年は小物でしょうが自分で取り調べるより、殿下に御引渡しした方が話が早そうだと思い至りまして」
クヌートは僕の特殊能力をまんざら知らないでもない。何しろ北の塔にかつて収監されていたのだから。
早速僕も立ち会ってエギルの取り調べを始めた。確かにエギルは手先に過ぎなかったが、彼の所属していた違法薬物を扱う密輸犯のグループに関して、興味深い事が幾つかはっきりしてきた。
「それにしても殿下、ミズホでもご活躍でしたか。違法薬物の取引グループもミズホのルートを分断されて、活動資金が滞り、帝国から一時撤退して主な商売はワッデンでというのですから。それにしても……先程おっしゃっていた『頼み』とは?」
エギルたち下っ端は仕事が無くなり、ミッケリとミズホのルートが復活するか、ワッデンでの売り上げが大きく伸びるかするまで、故郷に引っ込んで待つように命じられたようなのだ。
「その件だが、一緒に食事をしながら話を聞いてもらおうかな。調べもひと段落ついた事だから」
僕はクヌートに、秘密にしておいてほしいと念押ししてから、アネッテの事情とモナやヤタガラスに相談した結果について教えた。
「そのような手段でモナ様と意志疎通が可能なのですか。なるほど。アンニカを殿下の所におあづけしろとはモナ様に伺っていましたが、嫁ですか。ああ、殿下の御寿命が非常に長い、あるいは不老不死であられるなら、そうした措置も必要ですかな」
「初めての子なのに、済まないね」
「モナ様がおっしゃるには、里帰り出産は、土地との縁を弱め、祖霊の祝福を受けにくくするとか。アンニカはたまたま殿下との相性が良いので、お手元にお引き取り頂ければ健やかに育つが、そうでなければ病んで幼いうちに亡くなるとの事でした。我々夫婦には更に息子と娘が一人ずつ授かるそうです。そしてお産はスコウホイ領内で行えとも言われました。我々夫婦は祖霊との縁を殿下につないでいただいたおかげで、円満に健康に暮らせるらしいです」
もう少し詳しい話を聞きたかったので、食事の後、クヌートを同席させて再び鏡を使ってモナとコンタクトを取った。今度は人型になっていたし、クヌートも居るので言葉で語りかけた。
「クヌートはアンニカを僕に預けるつもりみたいだ。そうしないと病んで死ぬとは、なぜなのだ?」
「クヌートと嫁はスコウホイの土地の祖霊に元々好まれている者同士だが、より強く力ある神霊に霊は従う。力あるグスタフ自身が念を込めてクヌートと嫁の縁結びをしたから、夫婦仲はなおの事円満なのだ。嫁はもともとは、グスタフのつがいになるはずであったのだろう?」
「あー、まあ。そういう話ではあったが」
「だから、祖霊は夫婦の最初の子はグスタフの物だと決めたのだろう。どのみちクヌートの子供は、スコウホイを長く離れ無い方が無事だ。だが、グスタフの側で生きるなら、故郷にいるよりも更に強く守られる。どこまで守られるかは、グスタフ次第だが」
「僕次第?」
「ああ。グスタフが愛しいと思えば思う程、守りの力は高まる」
「モナ様、アンニカは幸せになりますか?」
「おう、クヌートか。グスタフ次第だな。ともかくアネッテと言うグスタフの嫁との相性は良いから、預けろ。早い方が良い。クヌートの嫁の実家というのか? 気が澱んでいて良くない場所だ」
「なぜ、気が澱むのだ?」
「嫁の親、灰色の髪の父親の所為だが……むう。人型で居るのはそろそろ無理だ。また、な!」
大宰相に何か問題が有る。そう、モナは言ったのだ。
「大宰相に、何の問題が有るのでしょうな?」
話を聞いたクヌートも、心配そうだ。ヤタガラスを呼んでみたが、今度は眠っていた。
クヌートは『早い方が良い』というモナの言葉を気にした。僕も気になったので、翌日から取り急ぎアンニカをアネッテの住まいに引き取るべく、手配させた。だが、アンニカが将来の僕の妻となる可能性については、触れないことにした。
「それにしても、スコウホイ公爵夫妻がこの子を私に委ねて下さるなんて驚きましたけど、嬉しかったです」
「あの夫婦はモナの不思議な力をよく承知しているからな」
「モナ様やヤタガラス様に、私もお会いしたいものです」
そこで、鏡で呼びかけたが、モナは映らなかった。ヤタガラスは「その妃の気はどうも馴染まん。子を産まねば無理だ。悪く思うなよグスタフ」と言い置いて、映らなくなった。
ヤタガラスの言葉はミズホのものなので、アネッテには意味は分からなかったはずだ。
「あのう……お二方ともどうされたのでしょう?」
「気まぐれな連中だから、気にするな」
だが、アネッテは当然のことながら、自分が話をする事を拒まれたと感じたようだ。実際拒まれたのだろうが、アネッテの人柄の所為では無いだろう。ヤタガラスの言うように、気が馴染まないのだ。以前話に出た強力な怨念と関わりが有るのだろうと、僕は感じた。