僕の家族の問題・1
「こうやって一緒に朝食を取るのも久しぶりだね」
「長い旅路の後ですから、それに昨夜はミズホの人たちも一緒に男の方ばかりで酒盛りであったとか」
「うん。飲んだことは飲んだけどね、そんなに無茶はしないよ。それにアネッテの顔をちゃんと見ていなかったのだし、寝坊するわけには行かないだろう」
昨夜の宴会は近衛連隊の詰所を会場にして、色々な種類の酒の大樽を持ちこませ、酒に合いそうなものなら何でもという感じで料理もバイキング形式で食べ放題にした。無論無礼講だ。自然酒が回ってくると、飲めや歌えやの陽気などんちゃん騒ぎになった。皆それぞれ知っている歌を勝手に歌い、それに合わせてまた勝手に踊るのだ。
「殿下も是非、一曲」
そんな風に言われて、僕も一曲歌った。皆、調子っぱずれの歌も楽しそうに歌い、盛り上がっている。更に、とある百人隊長が横笛を持ちだして故郷の歌を演奏し始めると、それに合わせて歌う者がどんどん増えたが、一番座が盛り上がったのは、正三郎が日の丸を描いた扇を広げ、身振り手振りをつけて踊り始めた時だ。妙に様になっていて、皆やんやの大喝采だった。
僕も調子に乗って、ミズホの言葉で「正三郎、天晴れじゃ」と声をかけると、近衛の連中がよく意味も分からず「アッパレ! アッパレ」と繰り返した。更に座は盛り上がり、乱痴気騒ぎという様相になった。
さすがに僕は途中で抜けて、ゆっくり風呂に入り自室で大人しく寝たのだったが。
「アッパレとはどのような意味なのですか?」
アネッテは黄金宮の流行語になった異国の言葉に、興味が湧いたようだ。
「見事だ、とか素晴らしい、とか褒める言葉だよ。可愛いとか、綺麗という時は使わないな」
「では、この花はアッパレ、などとは言わないのですか?」
「この花は冬の厳しい寒さに耐え抜いて花開いた。アッパレだ。というのならおかしくはないが、この花はアッパレだ、とか、このドレスはアッパレなどとは言わない。理由は知らないけどね」
「では、ドランメン伯爵夫人は厳しい旅を耐え抜き、お子もまた産んで、アッパレ、ですね」
「ああ、その話。僕が自分でしなくちゃいけないと思ったのに。誰かから聞いたの?」
「乳母が噂を聞きつけてきただけですが」
「一人は男の子だ。そして、今腹の中に女の子がいるらしい」
僕はミズホのヤタガラスの話をチョッとしておいた。
「まあ、そのような不思議な鳥が殿下をお助けしたのですか」
「ああ。ミズホを離れられないらしいので、アネッテに紹介出来なくて、残念だけどね」
「……セルマ殿の所には、三人の愛らしいお子達がおいでだし……私も……」
やはりアネッテも、自分の子供が欲しいのだ。だが、どうしたものか。意識を探ると、どうやらアネッテは見当違いの噂を信じてしまっている事がわかった。
「元の敵国であるワッデンの血を引く御子など、殿下はいらぬとお考えだ」……そんな……僕はそんな風に考えた事など全くないのに。
昼食は子供らと一緒に食べた。
セルマは子供らを親身に世話したのがよくわかった。
息子二人の穏やかな落ち着いた雰囲気はセルマとの暮らしの中で身に着けたものだろう。産みの母の無償の愛情とはまた違う、互いの信頼関係と微妙な緊張関係が息子たちを大きく成長させていた。二人とも母親代わりのセルマ、そして妹であるルイサの好意を得たいと強く意識しているのが興味深い。
おしゃまなルイサは母親よりも、むしろ祖母のグラーン侯爵夫人に性格が似ているようだ。
「私はラウル様もお兄様も大好きだけれど、お嫁に行くのはラウル様の所なの」
するとラウル・ヤイレは嬉しそうな顔になり、リョウタはむくれる。面白い。
「そうか。お兄様も僕の子だから結婚はできないからね。ラウルとルイサが大きくなっても互いに結婚したいと思っているなら、それでも良いのだよ。ラウルは頑張らねばいかんな」
「はい。学問も武術も頑張ります」
どうやら次代のドランメン伯爵夫人は、ルイサになる可能性が高いようだ。
リョウタにはミズホで弟が生まれ、もうすぐ妹も生まれることを教える。
「では、母上は妹が生まれて船に乗れるようになるまで、ずっとお戻りにならないのですか?」
「弟も妹も親代わりの方に預けて、早めに戻ってきてくれるよ」
「でも、そうすると弟と妹が可愛そうです」
幼いなりに、自分より小さいものを気遣っているのだ。
「そうか。そうかもしれんな」
「こちらにはセルマ母上も御正妃様もいらっしゃるし、父上もお帰りになったから大丈夫です」
「よしよし。えらいぞ、そのうちラウルと一緒に母上に手紙を書いてあげなさい」
「はい」
僕は心からセルマに感謝した。そして子供らが三人で仲良く遊んでいるすきに、抱きしめてキスをする。セルマの瞳は、熱い感情をうかがわせた。僕を慕ってくれているだけではなく、女として男の僕を求めていた。
「子供らは乳母たちに任せて、久しぶりに散歩でも、どう?」
僕の不在中、セルマはあの城砦のような女子修道院に子供らを引き連れて籠っていたのだから、黄金宮の庭の散策は久しぶりのはずなのだ。
「幾度かアネッテ様に御訪問頂きました。子供らにも細やかにお気遣い下さいまして、私も午後のお茶を御一緒させていただきました。愛らしい真っ直ぐな方でいらっしゃいますね。思いやり深くていらして、まことに御正妃にふさわしい方だと感じ入りました」
「セルマ、君が賢明な人なのは、僕だって良く承知している。深く信頼しているから子供たちを任せたんだが……折角二人きりなんだから、別の話をしよう」
セルマは六歳だった僕に言われた「あなた一人の僕でいて差し上げることは、今も、これからも、難しいでしょう」と言う言葉を常に強く意識している。ある種の呪縛にまでなっているのだ。もう十年以上の月日が経つのに……可愛そうな事をした。
「二人きりでいるときは、僕はセルマだけのものだよ」
するとセルマはぎゅうっと僕にしがみついた。その一途さがいじらしかった。
「グスタフ様を、心からお慕いしております」
そう言うと堰を切ったように涙があふれ出る。僕も力を込めて抱きしめた。
僕をこれほど一途に求める美しい人を、僕はあの旅の間、殆ど想わなかった。それどころか、ずっとユリエと二人きりでいたい、などと思っていた。留守番役として、子供らの養育者としてしか意識しなかったのだ。僕は僕自身の罪深さを自覚すると同時に、女としてのセルマを開放したい。そうも感じた。セルマは神聖教会の教えに帰依するあまり、肉欲の愛を罪深いと意識しがちなのだ。これほど感じやすく魅惑的な体を、罪深いものと恥じているのだ。
「子供らが寝静まった頃、君のベッドに潜り込むつもりだ。そのつもりでいてくれ」
夕食はアネッテと食べるべきだろう。今後の話もあるし。だがそんな話は、今ここでしなくても良いと感じた。セルマと二人きりの時は「セルマだけのもの」で居てやりたくなった。
午後の執務と御前会議、この日は僕の摂政職への復帰が皆に承認された。
「自分で皇帝としての執務すべてこなすのはそろそろ限界だぞ。お前が摂政職に戻ってくれないと死んでしまいそうだ」
父上がそのようにおっしゃると、爺さんたちが頷いた。
「我々も同感です。そろそろ殿下に御前会議に近く加えるべき若手を御推薦頂くべきでしょうなあ」
「諸君も優秀だと目をかけている若手がいるだろう。僕が知らないものもいるだろうから、教えてくれると助かる」
僕の問いかけに、幾人かの名前が出たがすべてチェック済みのメンバーだった。
「皆が筆頭に挙げたイヴァルを、さっそく候補生扱いで次回から参加させよう」
僕の守り役として政界に繋がりを持つようになったイヴァルだが、今はラナース子爵の位も持ち、功績もそれなりに有って、御前会議のメンバー全員が相応しい人物として名を上げた。イヴァルが御前会議の正式メンバーとなれば、すぐに爵位も引き上げられるだろう。
「ラナース子爵と言えば、義理の姉にあたるドランメン伯爵夫人はミズホで殿下のお子をお産みになったそうですな」
その話を皆が始めた所、父上がこうおっしゃった。
「ミズホでの王族としての身分が既に保証されているのは結構な事ではあるが、帝国の皇太子にして摂政たるグスタフの子としての身分称号も当然必要だ」
ミズホへの答礼使に皇帝の意志を伝えさせるべきだと決定した。亮仁にはしかるべき帝国の爵位と称号が与えられるだろう。
御前会議の後は父上のお話を伺う。僕はモナの話をした。父上が一番知りたい話だからだ。
「そうか。狼の兄弟たちと行動を共にしているのか。だがどうやれば連絡が取れようかな」
「ええ。夜空にはためく光に『ミナの娘モナ、グスタフはここだ』と三度叫べばいつでも会いに来てくれるそうです」
「ミナはもう亡くなっているのだな」
「ええ。そもそも人との間に子をもうけるのは、一種の死支度のようなものらしいです」
「人との間の子を産んで十五年程で亡くなるのか……そうか……お前のような出来の良い皇太子では無かったからな。そのような秘密、これまで何一つ知らなんだ」
父上の微笑みは、ひどく寂しげだった。
「人の命は、普通は限り有るものだからな、やはり悔いの残らぬようにしたいものよ。お前の寿命は普通の人間とは違うようだが、周りの人間、たとえばアネッテもそうだ。寿命は限られている。少しでも長くと願うのもわからぬでは無いが、思うようにさせてやるという選択肢も有ると思うがな」
「父上……」
「お前の留守中、アネッテの乳母より訴えが有ってな。侍医の見立てでは、以前よりあれの体がずいぶん回復したそうな。乳母が言うにはアネッテがひどく子を欲しがっておるらしい。グスタフ、わざわざ避妊までしておったのか」
「はい。出産は難しいと言う診断結果でしたので。それに、以前の状況ではアネッテに子が産めないと知れれば、あれに冷たかった祖国のワッデンに送り返せ、と御前会議で言われかねない状況でした」
「今はすっかり政治的な情勢は落ち着いた。乳母は、子を産むにしろ諦めさせるにしろ、アネッテ自身に選ばせてやって欲しい、そう訴えてな。夫たるグスタフが戻るまで、結論を待つように申し聞かせたのだ」
そこで、その場に乳母を呼び出して、父上と共に考えを聞いた。
夕食をアネッテと共にしながら、改めて侍医の診察を受けて僕とアネッテで話し合って結論を出そうと言う事に決めた。だが、僕が避妊までしていた事は、打ち明けなかったが。アネッテは僕と夜を過ごしたいと感じていたのはわかっていたが、解禁は侍医の明日の診察結果を聞いてからが良いだろうし、セルマとの約束も有る。気の毒には思ったがアネッテの部屋を出て、自室に戻った。
自室で鏡を覗き込むと、宮様と語り合うユリエの姿が見えた。こうして見ると二人は姉妹に見える。僕がいなくてもそれなりに充実した毎日を送るだけの才覚も力も、ユリエには十分備わっているのだ。だが、それでも以前垣間見たように、時には僕を思って泣くのだと思いたい。
ユリエに言われた様に、アネッテとセルマの気持を落ち着けなければいけないだろう。特にアネッテの方は子をどうするのか、はっきり決めなくてはならないし。賢いユリエは恐らく一番良い時期に自分の判断で僕の所に戻る。そう信じている。
ともかく風呂に入り気分を入れ替えた。そして限られた人数の護衛と共に「こっそり」セルマのもとに向かった。
ベッドにそっと滑り込んだ僕を、セルマは眠らずに待っていた。無言のまま僕に体を摺り寄せる。
「待たせた?」
「時間は大して長くないのでしょう。でも、いつお出でになるか、そればかり考えていました」
セルマらしい。僕が長く待たせたと言わないし、自分が僕を思って待っていたという気持ちもちゃんと伝えている。
「待っていてくれたのなら、こうしてやって来た甲斐も有るね」
「お寒くはございませんか?」
「セルマが温めてくれるから、気にならない」
「まあ、殿下」
「僕の名前を呼んで……セルマ、ねえ」
「グスタフ様」
セルマに名を呼ばれると、体温が一気に上昇した。
「セルマ、もう一人子を産むかい?」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。セルマが息子を産むのも悪くない。ふと、そう思ったのだ。
「ええ。私にもまた子をお授け下さい」
「フフフ、まるで僕が子宝をもたらす聖人様か何かみたな言い方だね」
「だって、その通りですもの。どんな聖人様より私には大切な方ですから」
「随分と、不埒でふしだらな聖人様だな」
「でも、一番大切な方ですから」
訥々とした、だが、熱を帯びたセルマの言葉は僕の気持ちを緩やかに熱くした。その夜、僕は間違いなく息子が出来たような気がした。気がしただけだが。だが、夢の中であのヤタガラスが「息子ができた」と請け合ったような気がした。