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僕の帰国

 僕の滞在中、幾度かミズホと帝国の間を手紙が行き来した。今回の噴火がどうにかおさまり、ユリエの体は産後の経過も順調で、無事に回復した。


「もう私も若くはございませんからどうなる事かと心配でしたが、思いの外万事順調でした」


 考えてみたら、ミズホで僕は十七歳の誕生日を迎えたがユリエは僕より十五歳年上なのだ。三十代前半のお産は、まだ未熟な医療技術しか存在しないこの世界では、十分ハイリスクな高齢出産なのだった。だが、もともと武芸の修行などもきっちりして、体を鍛えてあったお蔭だろうか、通常のこの世界の三十代の女性より若々しい。二十代前半でも十分通ると思う。


「ユリエはいつ見ても綺麗だよ。僕との歳の差が一体いくつだったのか忘れてしまう」

「御年十七でいらっしゃる殿下より、私は十五歳も年上のおばばで御座います」

「そんな。ねえ、気に障った? ねえ? ゴメン。ユリエが怒るなんて。女盛りで、前よりも綺麗になったみたいだって言いたかっただけなのに」

「まあ、殿下……」

 ユリエはクスクス笑っている。

「十五歳離れておりましても、まだまだ、私も殿下のお役に立てましょうか?」

「うん。もちろん。でも、亮仁は、やっぱり預けて行くの?」


 ユリエ自身の親戚にあたる冷泉家の女性が上手い具合にユリエのお産とほぼ同じころに子供を産んで、亮仁の乳母役を引き受けてくれたのだが……僕はやはり気は進まない。


「私が残ると言う事も考えました……」

「とんでもない。帝国で皆、待っているのだぞ」

「皆様がお待ちなのは、殿下だけですから」

「そんな事は無いって。ラウル・ヤイレもリョウタも母親の帰りを待ちくたびれているよ」

「ならば、二人だけミズホに呼ぶと言う手も御座いますよね」

「そんな事、思いもしなかったよ」

「でも、殿下はおひとりでもお早くお戻りになりませんと」

「ユリエが傍にいないと、僕は嫌だ」

「アネッテ様の手前……帝国に戻りにくいのです。それにセルマ様のお気持ちを思うと申し訳なくて……」


 ユリエが言うには、一年以上僕を自分が独り占めした格好になって気が引けるので、一年は離れて他の二人とバランスを取った方が良いと言うのだ。ユリエは男女の情愛より、僕の皇太子としての立場や宮廷内での人間関係を重視する。それはある意味正しいのだろうが、僕は恨めしい。


「ユリエにもう一人、僕の子を産んでほしいぐらいなのにな」

「それはいけません」

「でも、もう、体は回復したのだろう?」


 一緒に帰らないとか、もう一年ミズホにいるとか何とか言われて、ちょっと頭に血が上ったせいもあるし、久しぶりに寝床を共した所為も有っただろう。その夜の行為が思いもかけない結果になるとは……


 更に一月ほど過ぎて全ての用事が一応片付き、当然ユリエも一緒に船に乗るように手筈を整えていたら、ヤタガラスに言われて驚いた。


「グスタフ、また一人子が宿ったぞ。今度は姫だ」

 その言葉にミズホで世話になった皆がすぐに反応した。

「さような長旅は無理です!」

 宮様にも、宮様付きの女官達にも強く止められてしまった。


 そんなこんなで、ユリエは胎内の子を無事に産み、子らの養育・処遇その他をキチンと定めるまで、ミズホを動かない事になった。そして帝国からは早くもどれと、矢のような催促なので、僕は仕方なく一人で船に乗ることになった。無論、身分にふさわしい供ぞろえはミズホ側からつけては貰って、その中に正三郎もいるのだが……


「殿下、必ず戻りますから。そのようなお顔をなさいますな」

「ユリエは平気なんだよね」

「殿下の御子をお二人もお預かりするのですから、しっかりいたしませんと」


 しょんぼりする僕に、ヤタガラスが言った。


「二人の子が、このミズホにあまたの子孫を残すはずだ。そしてグスタフの国に良き縁をもたらす。嘆くな。これをやるから、さびしくなったら覗くが良いぞ」


 貰ったのは丸い金属製の鏡だ。神棚にでも置いてありそうな感じの古風な意匠だ。だが、僕の手のひらよりも小さい。僕が念を込めて覗けば、たちどころにその鏡に見たいものが映ると言う代物らしい。


「夢でなら、鏡が無くても見ることが出来ようが、思いついた時いつでも見られるならば、グスタフも少し安心じゃろう?」


 鏡には思念を増幅する力が有って、ヤタガラスに帝国から連絡をすぐにとりたいときなんかも、使えるらしい。僕が皇位について力が強まれば、鏡が無くても大丈夫になるらしいが……


「姫の名前はお決め下さいましたか?」

「じゃあ、噴火後も相変わらずきれいな湖にちなんで、碧子としよう。僕の眼の色でもあるしね。帝国式の名はエリカにする」

 僕の決めた名前はユリエに気に入って貰えたようで、良かった。


 ミズホ側の見送りは盛大だった。ミヤコからも幕府からも見送りの使いが港まで来た。そうした人たちの手前、あまり湿っぽい顔も出来なかった。僕は後ろ髪をひかれる思いだったが、ユリエは至ってにこやかに僕を見送った。沖に出ると潮の流れが速くなる。

 海が夕日に赤く染まるころ、僕は未練がましく鏡を取り出してユリエの顔が見たいと願った。すると……

「……殿下……グスタフ様……」

 ああ、ユリエは一人になると、泣いていた。すると悲しいくせに、嬉しくもなった。勝手なものだ。

 翌朝取り出すと、まだ眠っている亮仁に向かって、何かつぶやいている。

「長いまつ毛が父上に似ておいでだこと。お小さいころの父上も、とてもお可愛らしかったのよ」

 

 こんな風にして、僕は約五十日の船旅の間、暇さえあれば鏡を覗き込んでいた。正三郎との話は、余りはずまなかった。祖国に帰ると言うのに、僕の表情は随分陰気であったらしい。心配そうに語りかけてくる事が幾度か有ったが、船酔いの所為にして、自分に割り当てられた船室内に籠っていることも多かった。 

 途中、ずいぶん波の荒い場所も有ったが、モナと初めて遭遇した北の海ほどではなかったから、さほど大して酔いもしなかったのだが……


 寄港した南の島で、珍しい果物などにも出くわしたが、余り食欲は湧かなかった。ただ、昔、ユリエと一緒に滞在したレーゼイ家の別荘近くで拾ったのと、同じ貝ガラを見つけた。淡いピンク色の二枚貝と真っ白い巻貝だ。


「主様、たくさん集めておいでですな」

「うん。留守をしている子供らへの土産だ」


 ユリエが幾つも愛らしい小物類や、ミズホの独楽や竹とんぼなどの玩具類を用意はしてくれた。だが、この貝殻は僕からの土産だ。


 正三郎は一緒になって貝を集めてくれた。欠けたり割れたりしていない、形の整った物がかなり集まった。


「私は子と言う者がおりませんが、やはり可愛いのでしょうな」

「うん。そうだな。重い責任も感じるものではあるが」

「殿下は私より随分お若いはずなのに、ずっと大人でいらっしゃる」

「前世の記憶が有るからな」

「さようで」

「ああ」

 

 僕がまた黙り込んでしまうと、正三郎はその場を去った。

 美穂は……無事に三人目の子を産んだだろうか?

 気にはなったのだが、鏡をのぞき込もうと言う気には全くならない。異世界の情景まで見られるものかどうか、分からなかったからでもあるが。


「父上はいつお戻りになるのかな」

「きっと、もうすぐだよ」

「お土産、何かしら?」


 ラウル・ヤイレとリョウタとルイサは、床に座り込んで三人で絵を描いていたらしい。どうやらアネッテに貰った物のようだ。子供らは「御正妃様は可愛らしくて優しい方」と受け止めているようだった。セルマとこの頃は交流しているらしい。アネッテは正妃ではあっても子も無く、頼りになる身内も居ないのだ。その点セルマは頼りになる母親がいて、恵まれているかもしれない。


 その夜、久しぶりにアネッテとセルマの事が気になった。ユリエは今度の長い旅で、二人も子が出来てしまったことを気にしていた。責任は僕の方にあるはずなのに。正妃と側妃を差し置いて、何と無礼な……そんな風に受け止める向きが宮中に相当な人数発生するのではないかと考えたようだ。


「アネッテ様のお気持ちを満たして差し上げて下さい」

 まだ若く、と言ったって歳は一応僕と同じだが、複雑な人間関係の中での身の処し方が上手いとは言えないアネッテの事を心配していた。セルマはユリエの見るところでは「用心深くしっかりした方」だし、母親があの女傑といっても良いようなグラーン侯爵夫人だから、大丈夫らしい。


「おい、港だ! トリアの港だ!」


 興奮して一人の水夫が指す方向には、確かに見覚えのあるトリアの港の灯台が見えた。

 僕が摂政になってから港を整備し、大型の外国船を係留できる岸壁も増設した。おそらくルンド全体で最大の港だろう。商品の取引額でミッケリ港を抜くのも時間の問題と言われる程、繁盛するようになった。ミズホの船員達も、トリアの名は良く認識している。


 港から一艘の小舟が近づいてくる。水先案内人と帝国の入国管理官・検疫官を乗せているのだ。

 こうした職員は僕が設立した商船学校で系統的な教育を受け、所定の実務経験を積んでから就労しているのだが、まだ三期の卒業生しかいない。それでもこの制度は国際的に認められつつあった。やってきたのは一番ベテランの第一期卒業生の面々だ。実は前世の知識をフル活用して、僕自身が海事法の概略などを学校で講義したことが有ったのだ。まあ、僕は単に皇太子というだけでなく、彼らには師匠筋でもあるわけだ。


「おい、君たち久しぶりだね」


 すると彼らは一瞬沈黙してから、次に口々に「おかえりなさい」だの、「御無事で何より」だの半ば興奮状態で話し始めたが「まずは、仕事をしたまえ」と僕にたしなめられると、静かになりキビキビ仕事を始めた。


「ミズホの服装でいらっしゃるので、最初はどなた様かと思ってしまいました」

「それにしても、そうした衣装もまた、お似合いですなあ」

「この供ぞろえの皆はミズホで僕のために揃えてくれた面々なんだ。いいって断ったんだが、身分に相応しい行列を押し立てて都に戻るべきだって、あちらの王族の方々に言われたのさ」

「では、殿下、ミズホ式の行列で、トリアにお戻りになりますか? 皆、珍しがって喜びましょうね」

「そうだね。折角だからそうするよ。僕の馬と、一応警護の近衛の連中の手配を頼もう」

「皇帝陛下と大宰相閣下への御報告は?」

「それは所定の手続きで」

「はい」

 

 岸壁についたのは早朝だったが、港に降り立ち、ゆっくり港の休憩用の宿舎で昼食を食べて警護の手筈が整うのを待つと、ミズホの連中と一緒に僕は行列を組んで黄金宮を目指した。

 先駆けが黄金宮の近衛兵である他は、ほとんどそのまま大名行列だ。


 大名行列は紙吹雪や花を撒くトリアの人たちの熱狂的な歓呼の中を進んだ。

 土下座する人々を見慣れているミズホの連中はいささか面食らったようだが、厳かに堂々と振る舞ったのは天晴れだ。

 僕の馬の轡を取った正三郎は女性たちの黄色い声に、魂消ていた。


「帝国の言葉はよくわかりませんが、御婦人方がしきりにお名前を呼んでいるようですな」

「うん。そうだなあ」

「主様は、どこでも御婦人方に人気がお有りですなあ」

「まあ、みてくれが良い方が飾り物としても良いだろうよ」

「またまた……お人の悪い」

「フフフ、それは時々言われるよ」

「帝国の御家来衆が皆、主様に心服しているのはようわかります。実に凄い方だと改めて感じ入りました」


 言葉は通じなくても、見るべきところはちゃんと見ていると言う所か。


 この日の行列は、後々までも語り草となった。

 そしてトリアから始まったミズホ・ブームは、様々なミズホの文化が帝国に影響を与え、取り入れられるきっかけとなった。そしてその影響は周辺の国々にも次第におよび、ミズホの産品は様々な国々で高く評価される人気商品となって行くのだ。そしてそれが、帝国とミズホのより良い強固な絆へと変化していったのは、言うまでもない。

 何より僕が嬉しかったのは、黒目黒髪の人間を『野蛮人』などと言う者が、帝国ではほぼ皆無になった事だ。


 だが、このとき僕の頭を一番悩ませていたのは、その夜を誰とどのように過ごすべきか、という事だった。


「どちらに行っても、角が立つだろうしなあ……はー」

「どうなさいました?」

「今夜は、どの妃と過ごすか、それともいっそ一人で寝るか、悩んでいる所さ」

「はああ、さようで」

「子のいない正妃の面目をたてるべきか、三人の子を守ってくれた側妃の所にするか、悩むなあ」

「色々本当に、大変ですなあ」

「うむ。困った」

「では、今宵は男だけで酒盛りでもして、お休みになったらいかがですか?」


 そうするか……

 あちらを立てればこちらが立たず。

 僕はユリエと二人きりで過ごしたあの森の丸太小屋を、懐かしく思い返していた。 

 

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