僕の役目と御山・1
僕が背中から降りるとヤタガラスは急に金色の光を放って縮み、気が付くと愛らしい七歳ぐらいの子供の姿になっていた。黒髪を総角に結った平安時代の貴族の子供みたいな格好だ。着物が黒づくめで、紐や飾りだけが金色だ。ただの黒だと最初思った眼は金色の光を宿していて、その目を見ると「ああ、ヤタガラスなんだ」とわかる。
「茶ぐらい、飲ませろ」
そう言うので女官さんが大騒ぎして、菓子やら果物やら取り揃えて、お茶の支度をした。行きに僕に出したかち栗や饅頭のほか、ミカンやら煎り豆やら煎餅・干し柿・干しイモなんかも出た。更には続いてヤタガラスと僕用の昼食も出た。
すると小さな体なのに凄い勢いで、全部平らげてしまったのだ。
僕は女官に頼んで、ヤタガラスが食べている間に書庫に入れるように手筈を整えて貰う。
御満悦のヤタガラスは、腹をポンポンと叩いて、座敷の真中で大の字になった。
「あー、食った食った。良い心持だ」と言うが早いが、小さな体に似合わないデカいイビキをかきはじめた。疲れたのだろう。僕はユリエと一緒に書庫係の女官さん達の後について、先に書庫で下調べを始めることにした。
「噴火に関わりにありそうな記録類を、まず全部あたってみたいんですよ」
すると、係の三人の女官さんたちはコマネズミのようにせわしく動き回り、読書用の机の上に小山のように記録類を盛り上げた。一応、年代順にまとめて並べてくれたようだ。
僕は、書く方は金釘流で酷いものだが、読む方はまあまあだ。毛筆の崩し字はちょっと苦手だが、読めないって程じゃない。ユリエにとってもミズホの言葉は第二の母国語というべきもので、全く不自由しない。しかも僕と違って書く方も見事だ。
「噴火」とか「御山」とか「霊山」とか出てくる記録にはとりあえず、全部付箋をつける。大半付箋が付くと、さすがに疲れる。
「ユリエ、疲れたら休みなさいよ。普通の体じゃないのだから」
「はい」
返事はするが、僕が休まないと休まない。こうした時、ユリエの生真面目さは困りものだ。
すると、目を覚ましたらしいヤタガラスが、書庫に入って来た。
「お前はグスタフの言うように、休め。後は我がやる故」
見た目はちびっこだが、言葉に迫力というか威厳が有る。ユリエは素直に従った。
「なんか、関係ありそうなものだけでも、相当な量だね」
「ふうむ。古い記録だから古い事がわかる、わけでもなさそうだの。ここの記録は大半が前回の噴火以降のものだからのう。うむ。神域に奉仕する者たちや、周りの旧家の古い記録などをあたる必要が有りそうじゃ」
どうやら、前回の噴火で失われた記録が多そうだ。
「ねえ、むしろこの方が詳しくないか?」
土地の古老や旧家に取材して噴火に関する記録をまとめ上げたマメな好事家がいたようだ。その人物がまとめ上げた記録が一冊の本の形になっている。僕はその『扶桑霊山変異次第』という本をヤタガラスに渡す。
「正式なこの邸の日記より、よほど詳しいようじゃな。地図や絵図面もついておるのか。ほおお……」
可愛いちびっこの姿のくせに、ヤタガラスの口調はオッサン臭い。
女官のお姉さんに聞くと『扶桑霊山変異次第』の筆者は邸に比較的近い場所の大地主だか郷士だか、そんな家の先代の当主だそうだ。
「当代の伊藤総衛門様は、その本をまとめました先代の御嫡男ですが、先代に劣らぬ学者です」
「ねえ、三郎さんっていうか伊藤正三郎さんて、関係あるの?」
「あの御仁は総衛門様の従兄弟でいらっしゃるようです」
「へえ、そうなのか」
ちびっこ神様は、もうやる気満々みたいだ。
「行くぞ、グスタフ、その総衛門の家に行こう」
「ユリエは?」
「あれの腹の子は、大切な子だ。この邸でゆっくり昼を食べさせて休ませておけ。ここ一月ぐらいは、特に気を付けた方が良いぞ。な、女官の方でもよくよく気をつけよ。わかったか?」
何でもヤタガラスは一度人型になると、大きな体にはなかなか戻れないそうだ。小さな、というかノーマルサイズのカラスになって馬に乗った僕の肩につかまり、一緒に伊藤さんの家に向かう。先触れの一騎が疾走する。僕はゆっくり五騎の侍たちと進んだ。
(悪者が二人、供に紛れ込んでいるが、今日は特に怪しからんことはしないであろう)
(あの半分白髪の男と、背の小さい小太りの男?)
(邪悪な波動が読み取れるであろう?)
(焦点を合わせないと、考えている事までは読み取れないけれどね。従兄弟の正三郎さんの仕事の邪魔にならないかな? ちょっと心配だ)
(んー、そうよな。先に総衛門に悪者が来るゆえ、従兄弟の話はくれぐれも内密にと、注意しておくか。では、またな)
ヤタガラスはいきなり、僕の肩から飛び立った。
僕は白髪の男の方に意識を合わせてみる。ふーん。外事奉行のポジションを狙っている大名が、三郎さんの仕える和田伯耆守の追い落としを企てているみたいだ。事実無根の汚職とか横領とか、そんな事件をでっち上げる予定らしい。小太りの男は不法薬剤を扱うムサシの豪商から、わいろを貰って色々情報を垂れ流しているようだ。どうやら神域に不法薬剤の倉庫を作らせたのはこいつのアイデアらしい。
どっちにしたって、ろくなもんじゃない。
それにしても、あの光る石に触ったせいか、他人の思念・思考を読み取る力が増大したようだ。それに邪悪な波動を感じても、以前ほど疲労を感じない。
(グスタフよ!)
(ああ、ヤタガラス、何?)
(総衛門に聞いたところでは、昨夜、あの従兄弟が滞在していた部屋が曲者に襲われたそうな。返り討ちにしたそうじゃが、深手を負った曲者は仲間が運び去ったようじゃ。我は部屋に残された血痕をたどって、曲者を突き止める。御山の話はお前が聞いておけ)
(了解。ああ、正三郎さんはどうしたの?)
(昨夜のうちに、早馬でムサシに向かったそうじゃ)
(大丈夫かな?)
(それも、ついでに見てこようかの。では、明日にでも会おうぞ)
伊藤さんの邸から移動するヤタガラスとも、スムーズに思念が通う。当事者同士は秘密が守れるし、スピーディーだし、これからこうした連絡方法をもっと活用する事を考えよう。それにしても、残った血痕から犯人を突き止めるって、DNA鑑定よりすごいや。
ふと見ると、半分白髪の悪者その一が、馬を寄せてきて、僕に尋ねた。
「卒爾ながら……黒き御神鳥は、いずこにおいでになりましたのか?」
「なんかね、用事を思い出したみたいだよ。伊藤総衛門さんの話は僕が聞いておけって」
「さようで……」
伊藤さんちに乱入した連中はオッサンが雇った腕っ節の強い浪人らしい。直接襲撃命令も下したみたいだ。小太り男の裏の顔は承知しているが、内心軽蔑しているようで、共同作戦は今の所、心配しなくて良さそうだ。オッサンは自分の悪事がばれたんじゃないかと、ちょっと気にしている。でもまさか、ばれるなんて有りえないとも思い直したようだが……こいつ、宮様の警護のメンバーの中で序列が上の方なんだな。早いところクビにしないと、宮様やユリエが危ないんじゃなかろうか?
そうこうするうちに、かなり大きな田舎屋が見えてきた。屋根は茅葺みたいだが、途中で見た農家の軽く十倍はありそうだ。周りを綺麗なお茶の生垣で取り囲んでいる。帝国にはお茶は生えていない。輸入してもいいなあ。まあ、生えてくれる保証は無いけれど、冬でもツバキの花がきれいに咲く比較的温暖な場所なら、大丈夫かもしれない。
今はミッケリの商人がお茶の取引で暴利を貪っている格好だから。帝国に戻ったら、家康師匠に相談だな。
馬をおりて、供の人が案内を乞う。
「誰かおらぬか。斎の宮御所より参った」
なーんか、えらそうだなあ。まあ、そう言うもんか。中からモンペみたいな袴に袖なしの羽織を羽織った白髪のがっしりした男性が出てきた。
「いらせられませ。当家の主、総衛門にございます」
「僕は宮様の御厄介になっているグスタフです。今日は御山の事を色々教えて下さい」
僕は人払いを命じて、総衛門さんの書斎で差し向かいになって話を聞いた。
「ヤタガラスは今ちょうど、昨夜お宅に入った曲者の行方を追っているようです」
「離れていても、あなた様と御神鳥は意志を通わせる事がお出来になると伺いましたが、まさにそのようですな。正三郎めの命を救って頂きましたとか、真にありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ正三郎さんにはお世話になりました。早馬なら今日中にはムサシですか?大丈夫か心配ですけどね」
気になって、ヤタガラスの気配を追ってみたら、大きな武家屋敷が見えた。曲者が匿われている場所のようだ。ヤタガラスはデカい門の上に止まって様子を見ているのだ。その意識が僕に流れてきた。
門の前で立派な籠が止まった。陸尺というか駕籠かき役が前三人後ろに三人、何処かの大名クラスだろう。屋根に蒔絵であしらわれている家紋は……重ね井桁だ。
「すみません。重ね井桁の紋所の大名って、誰かごぞんじですか? 六人で担ぐような駕籠に乗る人物です。ヤタガラスがその大名の邸を探ろうとしているようなんですよ」
「井口讃岐守様、でしょうかな。噂ですが……和田伯耆守様とは因縁がお有りだとかで」
「仲悪いんですか?」
「さよう。最初は些細なもめ事程度だったようですが、今では犬猿の仲ともっぱらの噂ですな」
(グスタフ、我の見ているものが感じられるか)
(うん。今駕籠から、屋敷の主人らしき人が降りたね。その人が伊藤さんの家を襲撃させたのかな?)
(いや、ちがうな。こやつ、井口讃岐守というのか。総衛門の事も正三郎の事もしらぬようだ。ただ、和田伯耆守とは反りが合わんのは確かなようだが……特に邪悪な意図は無さそうだ)
「ヤタガラスが、井口讃岐守本人はあなたの事も正三郎さんの事も知らないって、今、教えてくれました。和田伯耆守と反りは合わないが、邪悪な意図は感じられないそうです」
僕の解説に、総衛門さんはびっくりした顔をしていたが、嘘ではないと信じてくれたらしい。
「もうすぐ、ヤタガラスも戻るでしょう。それまで、御山の話を伺わせてください」
僕が宮様の邸というか御所の書庫から持ち出したのと同じ本を、もう一冊貰った。伊藤さんの家には、あと二十冊ばかり残っているらしい。
「先代、つまり亡くなりました父が、御山の小さな異変から、火を噴く可能性について思い至りまして、大事になる前に早くから用心すべきだと考え、このような本をまとめたのです」
先代さんは、地質学の分野に特に興味がある人だったようだ。宮様の御所の温泉を掘り当てたのも、先代さんだと言う。
一枚の詳細なこの地方の地図を見せてもらった。あの『扶桑霊山変異次第』をまとめるに当たり、各地の地層に含まれる溶岩の分布についてのデーターを記録してあるのだ。
「なるほど、千年前の大噴火の名残と思われる溶岩の分布をたどれば……」
「さよう。御山が再び火を噴きました場合の、危険な場所の目安がたてられると言う訳です」
そうは言うが、幾つもの調査地点の状況を丁寧に地図上に書き込んだわけで、相当大変な調査だったと思われる。何とまあ、この調査を先代の総衛門さんは一人でやったそうだから。確かにざっと地図で見た所は、溶岩の分布範囲は禁足地の二倍程度の面積のエリアになるようだ。
「幕府の手も借りるとか、できませんかね。そうすれば、もっと調査地の範囲も広げられますし、それぞれの場所での調査もしっかりできますから」
「さよう。私も代官様を通じ、幕府に献策をしましたことも御座いましたが、どうなりましたことやら」
総衛門さんが提出した、御山の噴火についての調査に関する意見書は、どうやら握りつぶされたか無視されたかしたらしい。
「いつ吹くのやらわからぬ御山の火のために、幕府が直接援助など難しいのでしょうなあ」
「ですが、もうすぐですよ大噴火は」
「ヤタガラス様に伺いましたが、今年中か遅くとも来年ですか」
「ええ。そうです」
いつから噴火させるかについて、あの管理者のじいさんは僕に任せるといったのだが……
そうこうするうちに、日が暮れてきた。いきなり、ドサッと音がして、ヤタガラスが飛び込んできた。そして、急に人型になった。
「ムサシまでの往復、御苦労さん」
「往復、縮地法を使って飛んだが、さすがに疲れた」
そう言うと再び、高いびきで僕と総衛門さんの脇で眠り始めたのだった。